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今朝は夢の途中で目覚めた。 今日は私のおじの誕生日だった。 午後から母と2人でおじの家へ遊びに行った。 おじはよく「三國連太郎」に似ているといわれる。 姪の私から見てもそっくりだと思う。 (顔以外にもコーヒーを飲むしぐさ、フルートグラスを口に運ぶしぐさ、ナプキンで口をふくしぐさなども似ていると思う。) 釣りバカ日誌の「スーさん」は見た目も中身もおじそのものだ。 おじと私は性格がとても似ている。 おじにとって何よりの贅沢はその瞬間を楽しむこと。 例えば、 休日の昼下がり…、 ふっくらと好みの焼き加減に仕上がった目玉焼きにはレタスが添えられている。 三度のメシより愛する、コーヒーの香りに包まれながら お気に入りのクラシックのレコードに針を落とす… おじにとってその瞬間はたまらなく贅沢なことなのだそうだ。 その話しを子供の頃おじから聞かされ私は 「私と同じ人がこんな近くにいたよ。」 と感動してしまった。 その他のおじの贅沢ばなし。 仕事で吹雪の中運転していたときのこと。途中車中で食事をとったそうだ。 まわりは猛吹雪。でも自分は温かい車の中、うまい弁当を温かい飲み物と一緒に楽しんでいる。ラジオからは大好きなクラシック。窓の外の猛吹雪が音楽にマッチしており、おじはこのうえない贅沢を味わったそうだ。 私もおじと同じく、たくさんの贅沢を知っている。 夕方道を歩いていたら突然どこからかカレーライスの香りがしてきたとき、夕焼けが金色に輝いていたらそれはもう、コレ以上にない幸運だ。このような贅沢はなかなかタイミングが合わず味わうチャンスが少ない。 私が「おやすみなさい…」と布団に入る頃、 旦那助がすぐそばで晩酌しながらテレビをみていると私はものすごくしあわせを感じる。(テレビの部屋と寝室は隣り合わせになっておりふすまを開けておけばテレビをみている旦那助がいつも視界にあるのだった。) 途中目が覚めてしまっても、すぐそばで誰かが起きているという安心感。 これも私にとって極上の贅沢だ。 このように おじと私はとても似ている。おじも常々「ふつとおれはよく似ている。」と周囲の人々に口にしているそうだ。 感性が私ととても似ているおじは、私の良き理解者でもある。 昔、1人暮しに憧れていた私はおじに相談してみた。 するとおじは仕事でしばらく東京に行くことになったため家を空けるからその間私に家を貸してくれるというのだ。 おじは1人暮しだった。 私にとっていとこにあたるおじの子供達は皆、他県の大学や会社に通っていた。 一軒家とはいっても かなり年季の入った家で、風呂場の引き戸など普通には開けられなかったりする。 非常に特殊な技が必要だった。それから風呂の沸かし方も普通のやり方ではダメだった。これもちょっとやそっとじゃない技が使われた。 台所の湯沸し機もかなり個性的で、普通には動いてくれなかった。 (でもおじは几帳面でキレイ好きなので衛生的ではあるのだ。私が暮らし始めてから汚くしてしまったようだ。あらら。) おじは東京に行く前に、これらの技を私に伝授してくれた。 おじは、このような古びて普通には対応できなくなったものをこよなく愛する人なのだ。どれもこれも全てに愛着を感じるらしい。 私もその愛着はよく理解できたためおじから伝授された技の鍛錬に励んだ。 結局おじは4年ほど東京にいたため私は4年近くそこで暮らしていた。 (しかし2階の屋根裏から蜂蜜が降ってくるようになった最後の数ヶ月はさすがに「出ようか…」と考えたが。) 数年前おじは大きな病気をしてしまった。 しかし今はすっかり元気を取り戻し普通に生活している。 でもたまに私は 「おじちゃんがいなくなってしまったらどうしよう…。」 と突然不安になることがある。 これは私だけではなく、私の妹もそう感じることがあるそうだ。おじがもしいなくなってしまったら、本当に本当に私は悲しい。 私は誕生日プレゼントとしておじに、 おじが小さい頃暮らしていたという家の写真や、(なんと今も残っているのだった。すごい。)その他、おじが見たらしびれるだろうなー…という故郷盛岡の写真を一冊のアルバムにおさめてプレゼントした。(今年のお盆、盛岡に行った際ひそかに撮影していたのだった。) おじはとても喜んでくれた。 おじが声を詰まらせ涙をこらえている姿を私ははじめて見た。 なんと、 私とおじは誕生日が1日違い。 明日は私が誕生日なのだ。 おじも私にプレゼントを用意していてくれた。 洋菓子の詰め合わせだった。それにはメッセージカードが添えられていた。 これが生きることの意味である。 ふつ殿 と、毛筆で書かれてあった。 何度も何度も読み返してみた。読めば読むほど深い言葉だった。 この言葉にふれているときは偏頭痛も忘れていた。
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ふつ
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