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2004年01月11日(日) リリーが天国へ旅立ちました。

お風呂が大好きだったリリー。リリーが天国へ旅立って1週間が経とうとしている。

1月4日の午前11時過ぎに実家の父から電話が入った。

リリーが死んだことを告げる父の声はいつもの父とは違い、涙をこらえるので精一杯の様子。
すぐに実家へかけつけた。
私は助手席に座りながらあとからあとから流れる涙をこらえられずにいた。
そして、リリーを最後に抱っこしたのはいつだったろう…そのようなことを考えていた。

リリーはメスのパグ犬。
15歳の高齢のおばあちゃん犬だ。
別れが近いことをそろそろ覚悟しなくちゃなーとは思っていた。
でもこんなにも突然にその日がやってくるなんて…。




リリーがはじめて我が家にやってきた日。
リリーは段ボール箱に入っていた。
箱の中をのぞくと小さい小さいパグがいた。不安げにきゃしゃな首を伸ばし箱の外を見ようとする目がとってもたれ目だったのが今でも印象的だ。
リリーという名は私の妹がつけた。

リリーは幼な妻で、我が家にやってきてしばらくするとすぐに妊娠、出産。
結局リリーは二度の出産を体験。
幼な妻とは言え、リリーの子育てはしっかりしたものだった。
誰が教えたわけでもないのにきちんとおっぱいを与え、タンスの陰に入ろうとする子犬がいるとすぐに現場へ駆けつけ首根っこをくわえ安全な場所へ子犬を戻したりしていた。

リリーは私のことが大好きだったようだ。
私もリリーが大好きだった。相思相愛というやつ。
リリーが卵巣摘出の手術を受ける前夜は一緒に布団に入り眠った。
退院すると真っ先に私に飛びついてきたリリー。

頭をなでられるのが大好きだったリリー。
なでるのを休むと前足を使って「やれ!!」と強要してきた。
これが結構大変。なにせエンドレスなのだから。
「リリー、もう勘弁してー。お姉ちゃんゆっくりテレビがみたいよー。」と言ってもリリーは許してはくれなかった。

リリーは自分がカワイイということをちゃんと知っている犬で、いつも自信たっぷりだった。
ちゃっかり屋で要領がよく、夫であるプー助を上手に操っていたという感じ。
普段は自分のことを「ライオン」だと勘違いしているプー助も、リリーのヒステリーにはダンマリを決め込んでいた。

毎晩父と晩酌をしていたリリー。
特に水割りが大好きで、飲みすぎた夜は犬小屋から「うーん、うーん…(苦)」と悪酔いで苦しむリリーの声が聞こえたりもした。
リリーはお風呂も大好きだった。まるでオヤジのような犬。

大きな手術を一度受けただけで、基本的には体が丈夫だったリリー。
父の育て方が良かったのか、もともと丈夫だったのかは不明。
食べたいものを食べ、飲みたいものを飲み、首輪をされた経験もなく、されるとしたら散歩のときだけ。
その散歩だって、帰り道は必ず「抱っこ」をお願いしてきた。
散歩に飽きてしまっての行動なのか、それとも怠け者だったのかは今でもナゾだ。
普段は庭で好きなように昼寝をしたり遊んだりしていた。
リリーは思った通りに生きる自由な女だった。

出産した子供達は皆、それぞれのところへもらわれていったが、一匹だけを我が家に残した。それが龍之介なのだが、お互い親子だという認識はもうないようだ。しかし親子で暮らせるリリーは人間の目には幸せモノにうつる。

最近のリリーは、すっかり耳も遠くなり目もあまり見えていないようだった。
大好きだったクッキーもあまり食べなくなっていた。確実に老化は見えていた。
あんなに相思相愛だった私のことも思い出すのに時間がかかるようで、日によっては思い出せないこともあったようだ。
犬小屋へ続くステップの昇り降りもできなくなって、最近父がリリーのためにもう一段ステップを作り段差を緩和してあげたばかりだった。



実家に到着すると、
そこにはバスタオルと毛布に大切に包まれたリリーがいた。
体に触れると、まだ温かかった。
リリーの顔はまるで眠っているかのようで、声をかけたらすぐに目を覚ましそうだった。
病院から退院してきたあの日のように、私の顔をを見た途端ちぎれんばかりにしっぽを振って飛びついてきそうな気がした。
旦那助がリリーの前足のツメを大事そうに指でなぞっていた。




父の話によるとその日はいつも通りの朝だった。
一番はじめにリリーが吠え、父に早くこっちにくるよう催促したそうだ。これは犬と父との間で取り交わされる毎朝の定例行事。

そして朝ご飯を食べさせたのだが、リリーはめずらしくご飯を口にしなかった。
そこで父は、冷蔵庫からかまぼこを出してそれを食べさせた。
するとパクパクと食べはじめた。

そしてその後水飲み場までひとりで歩いて行ったそうだ。

飲み終わり父のそばに戻ってくると、リリーはそこで横になりスースーと寝息をたてて眠ったそうだ。
そしてその直後、そのまま息をひきとったのだった。
あまりの突然の出来事に、目の前で一部始終を見ていた父が一番驚き、そして現実を飲み込むまでに時間を要したのではないだろうか…。




父は真っ先に私に連絡をくれた。
母や妹に知らせる前に、その場ですぐに受話器を握ったのだろう。
私とリリーは一番仲がよかったから。

私は本当にリリーが大好きだった。
あまりにも好き過ぎて、いつか必ずやってくる別れの日を考えることが時々あった。その日を私はどのように迎えるのか…考えるだけで変になりそうだった。

今目の前にいるリリーは、
どんどん体が冷たくなってゆき、間違っても再び目覚めることはないのだった。
本当に、本当に、リリーは死んでしまったのだった。
しかしあまりにも最期の表情が安らかで、私の心の中には「悲しみ」という感情はあまりなかった。
その時流した涙は、もう二度と会えないという「寂しさ」と、苦しまずに眠るように逝った「安堵」からだった。

生きていたリリーを最後に見たのは去年のクリスマスだった。
母からもらったクリスマスコンサートのチケットをにぎりしめ出かける直前の夕方のことだった。
実家の庭には犬が遊べるスペースをフェンスで仕切って確保しているのだが、
その日リリーは一匹だけ「遊びスペース」に現れフェンス越しに私のことをじーっと見つめていた。
ひょっとしたらリリーはあの時、段ボールに入ってやってきた日から今までの、私との想い出に浸っていたのではなかろうか。
そして無言でお別れを告げていたのではなかろうか。

おねえちゃん、さようなら…。


リリーが天国へと旅立った日はとても天気が良い日だった。
毛布に包まれたリリーの顔をみんなで眺めていると窓の外でははらはらと雪が舞いはじめていた。
青空の下、まるで桜の花びらのように雪が舞っていた。

「人間の場合、雪が降ると大往生なんだって…。」

と母が言った。
母は生前と同じようにリリーの頭や背中をいつまでもなでていた。
最初は「リリー、お願いだからかたくならないで…。」と泣きつづけていた母だった。しかしとっても穏やかな表情をしたリリーは知らぬ間に母をなぐさめていたようで、自然と母の涙の量も減っていた。

「そっかー、大往生だね。」
とみんなで雪を眺めた。
まるでリリーのように可憐でかわいらしい雪だった。


リリーは我が家にきて本当に幸せだったのだろうかと妹は今でも心配している。
最近の妹は仕事が忙しく、生前あまりリリーにかまってやれなかったととても悔やんでいる。
妹は死んでなおリリーをいとおしく感じているようだ。

リリーのかわいいところばかりが思い出され、事務職である妹は仕事中も机の上で涙ばかり流しているそうだ。
そして、次に出会う犬もリリーがいいなどと絶対にムリなことを本気で望んでいる様子。

あのように小さな体をしたリリーが、これほどまでに我々の心を魅了していたとは…。
ステキな想い出をいっぱい作ってくれたリリー。
その分、リリーのいない寂しさを我々はしばらくの間味わうことになるだろう。

でも今の私は、とてもリリーを近くに感じる瞬間があるのだった。
その時は、不思議と寂しさを感じないのだ。
リリーが死んでから、連日あれほど「坂本龍一」のピアノを聴いて涙したのに、リリーを近くに感じる時は彼のピアノを耳にしてもまったく元気でいられるのだった。
リリーが離れるとやはり彼のピアノはとても切なく心に響くのだが…。



私が今一番望んでいること。
それは夢の中でリリーに会うこと。

「お散歩」という言葉に敏感だったリリー。
その反応が見たくて行く気もないのに「お散歩」という言葉を乱発していた私。
本気にしたリリーは扉の前でジャンプし、喜びを全身で表現していた。
それでも出かける様子のない私を「伏せ」をしながらいつまでも待ちわびていたリリー。
ごめんね、リリー。
お姉ちゃん、本気で反省してます。

夢で会えたらリリーの気がすむまでどこまでも散歩しようね。

夢で会おうね、リリー。






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