散書
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開き直ってみる。
頑張るっていうのは自分のためのことで。そのことで言い訳したところで百害あって一利なし。ということは、自分に言い訳したがる悪癖のある俺はまさに駄目人間そのものじゃん。 ということを今更再認識し。 今日から逝ってみます、地獄の独り修羅場モード。 まあこの日のために昨日のうちに鬱散じしてきたわけだしね。さーあこの先どこまで死にに行けるかなー? ここで死んだ分だけ明日が明後日が煌くものになるのさ俺! さあ輝け命! 燃え尽きるまで!!
ちなみに初日の今日は成果今ひとつといったところ。集中力がなあ。 あ、でも代わりにやってみた『水のゆくえ』はかなりの進行具合。自分でも集中乗ってない状態であそこまで書けたのにはびっくりだね! 別に更新してないけどね!
上記のような経緯から、さらに自分を追い詰めるべく、次回のバイトのシフトを入れるだけ入りますよと言ってきました。今うちのバイト先人いないから、きっととんでもないことになるだろーな♪ と、今からかなりハイテンション。 いざ行け怪我人、帰ってくるな! つーか怪我して仕事休んでその分人働かせてる分際しくさって、なぁに自分はのんびりゆっくり遊びに出かけてやがるか死ね! いやむしろおまえが時給出せ! そして死ね!
‥‥いや、別に死んで欲しいわけじゃないですが。
大分前に買っていて開封していなかった文庫本を開封。そのうちの一冊、『しずるさんと偏屈な死者たち The Eccentric Dead In White Sickroom』を読み始める。 ‥‥面白れえ。これは面白いよ? うん。 上遠野浩平さんがこんなお話書けたとはねえ。意外。作家の書く話ってのは他の話からだけでは想像つけ切れんな。ほんと。
つーか、(ネタバレにつき自粛)とか、どうやったら思いつくのかわからんようなものとかよく思いつくもんですよほんと。
こっそり気になってたりするもの。 ‥‥移植でも待ってみるか。されなかったら中古買いだ。
外道とか言うな。そもそもエロは要らんのじゃー!!! 俺がエロゲ買うときってのは、お話が面白そうで、絵が見るに耐えないようなものじゃなくて、移植されなさそうだなーってとき。俺的にはこれ、なんとなく移植されそうな気がするから移植待ち。 ‥‥ったって、移植されないと踏んだ“僕と、僕らの夏”は移植されちゃったからねー。あまり当てにならないカン。
移植といえば。 “てのひらを、たいように”もプリンセスソフトから移植が決まってしまったので、興味がある方はやってみるのがよろしいかと。俺的にお勧め。
色々と思うところあって。 小説を書こうと思えば、いくつか入用なものがでてくるわけです。それはまず第一に構想を練るための発想力であり、書こうと思うものを描写するための表現力(筆力)であり、なにより伝えたい言葉や言いたいことであり。 他にも必要なものはあるわけですが。例えば文章が単調にならないようにするための語彙であるとか、自分の中に構築された価値観や、必要なときは閉じ篭ることのできる自分の世界や。 そういったものを、どれだけ自分が持っているだろうかとか考えてみると、数えるに足るほどのものなんてなにも持っていないことに気づかされたり。 ああ、これが絶望か、とか思うでもないですが。 ちょっと思考に切り入る角度を変えて、人の作品を読んで、この人はどういったものを持っているとか、この人はなにが欠けているんじゃないかとか、そういったことを考えてみると。 どうも、すべてを持ち合わせていなくともいいんじゃないかとか。 例えば最初に挙げたみっつで言うと、発想さえあれば、あとのふたつのどっちかさえあれば物語を書くには足るようなのです。表現力の足りない人でも、たったひとつの言葉をキャラクターに言わせるために物語を構成できれば、それが読み手の心を捉えたときに作り手として認められる。こともある。言いたい言葉がなくても、表現力さえあれば、例えば優れた戦闘シーンを書いてアクションで認められてみたり、例えばどんな突拍子もないことに思えてもおかしな恋愛物なんて書いて認められてみたり。することもある。 じゃあ、発想さえあればどうとでもなるの? と思えば、やっぱりそういうわけでもなく。 物語には、あるいは文章には、やはり読み手を惹きつけるための魅力というものが必要だと思うわけで。そしたらそれはどこから出てくるの? と考えると、それはひょっとして、理屈ではないのではないか? という、およそ俺の理解の及ばなさそうなところに行ってしまうのです。 なによ? 魅力? カリスマ? そんなのどこに売ってるのさ。と。 んなものねーよ。と思って、それでもなおこの道を邁進する気でいるのなら、やはり先に挙げた例の通り、ないものに代わるなにかが必要になってくる。 なによそれ。なんなのさ。と。 するってーとやっぱり、それは自分にしかないもので勝負するしかないってことよな? ってーと。思いつくのは。 俺がちょっと人と変わってるように自分で思えているのは、多分ものの考え方というか価値観の見出し方というか。 つまり。 随分前の日記でも書いたように思うけど、俺は基本的になにかを考えるとき、例えば「本当にこれは正しいのか? いやそうではない」と、一旦その仮定された事項を全否定する。そのあとで、「本当にこれはまったく正しいと言える余地はないのか?」と、自分で反問するわけです。で、そこから自分なりに「正しい」と思えることを抽出していく。そうすると、大体の場合は仮定された事項から4割ほどがこそぎ落とされる。で、残った部分だけが俺の中で「正しい」ことになる。 ――というやり方が、多分俺のちょっと特殊な部分かな、と。俺はこの思考法を全否定論法と勝手に呼んでるわけですが。 そういうネガティブなやり方でなんとかポジティブに考えようとしているのが、結果として周りと俺との差異として現れているんだろうなあとか勝手に思ってて。 話を戻して。 んなものをどうやって俺の武器にしろって言うのさっていうのの実験的なことを、今「水のゆくえ」でやってみてたりもするわけです。そういう意味では実験作だね、「水のゆくえ」は。 ちなみに、「水のゆくえ」にはちゃんとテーマも据えてあります。小説書きの端っこの出涸らしみたいな俺の、一応のポリシーみたいなのもあってここでそれを明かすことはしませんが。 まあなにが言いたかったのかというと。 結局俺は、おそらくはこのままだと小説書きにはなれないよということを押してもなお本当に小説家になりたいのかということを再確認したく。 結果。 うん。やっぱりね。今の自分に色々と不満はあるけど、だからこそってわけではもちろんないけど、俺は小説を書いていきたい。他にはないと思うし。違うことをしてる自分ってのも思い描けないってのももちろんあるけど、やっぱり「できない」から諦めて他のことするってのも許せないと自分で思うし。なによりそれだけじゃ諦めきれないくらい小説書くの好きだし。あと、自分的な目標に近づくにはこれしか手がないとも思うっていうのも大きい。
‥‥どうまとめればいいかわからなくなってきたからこれでお終い。っつーか、こんなだから俺はへっぽこなのか(苦笑 。よーし、頑張るぞー!
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