懊悩煩悩
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2002年04月29日(月) |
そこに萌えはあるのかい? |
昨日はちぃと遅刻してしまいました…申し訳ない。しかしまあ濃い時間を過ごせましたですよ。というわけで今日は人を選ぶ話題なので反転仕様。
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イベントに行ってきたので同人話をば少し。 そういう話がお嫌いな方はすっ飛ばしちゃってくださいませ。
最近とみに感じるのですが、同人というものが一般化してきてるな、と。去年ごろからでしょうか、いわゆるヲタクファッションといったものに身を包む人たちが減って、わりとオシャレな格好をした人たちがイベント会場でも多く見かけられるようになったのは。それにともなって、同人誌のあり方も少し変化してるのではないか、という考えに至るようになりました。「同人で儲ける」という考えが浸透してきたのではないかと。WJ系に代表される、ジャンルのパワーというか、人気ジャンルでそこそこの画力のある人が出した本が飛ぶように売れ、同じように皆右並びで人気ジャンルへ群がる人たち。
そこには、ジャンルへの愛というより、儲けることや売名行為といったものの香りがするような気がします。そのジャンルが好きだから、そのキャラクターを心の底から愛しているから、本を出すというより、このジャンルは売れそうだから、このキャラクターを描いておけば売れるから、本を出す。そういう人が最近増えていっているのではないかと。当然、注がれる愛の量なんてたかが知れていて、絵は小綺麗でもたいてい中身のない本ばかり。そしてまた残念なことに、そういう本が売れている現実。
イベントへ行くたび、魂の底からそのジャンルを愛している本を必死で探すのですが、なかなか見つからない。あっても片手で足りるほど。
ある程度、そのジャンルで活動をし続けていると、一種の惰性のようなものが生まれるのは仕方のないことだと思います。そう毎度毎度鮮度の高いネタを思いつくわけでもないし、熱狂状態がいつまでも続くわけでもない。でも、自分の本を待ってくれている人がいるなら、やっぱり出したい。そう思って描いている人もいるだろうと思います。けれど、本を出すことを義務に感じだしてそれが足枷となるようになったなら、もういっそそのジャンルを捨ててくれたほうがどれだけ有り難いことか。「面倒くさいけど、出さなきゃ」といったオーラの漂う本を読んでも、悲しいだけです。
もし自分が買い手の立場だったら、義務感にかられて作った愛情のこもっていない本を読みたいですか、と。
同人誌の基本の基本は、愛。キャラへの、ストーリーへの、作品への愛。それがないと始まらない。自分の中で抱えきれない愛情を吐き出すための場所が、同人誌であると。私はそういう風に捉えています。もっと言うなら、己の中に宿った萌え心をネタに、同人誌という媒体を使って行うマスターベーションである、と。同人誌に限らず、あらゆる創作行為は自分の中にあるものを外に曝して具現化することで、己の中にほとばしる情動を宥めることが出来るのだと思います。
で、それを人に見せるにはやはり余人の鑑賞に耐えうるレベルまで作品を持っていかなければならないんです。自分の為に作りたいんだったら、自己製本して、一冊だけ作れば良いのですから。他の人とこの気持ちを分かち合いたい、そう思った時点で他者の目を意識するのは当然のこと。小説家が、読点の位置ひとつをとっても苦心惨憺し悩みあぐねるのは、作品を芸術という域にまで高め、他人がその世界へ入ってこられるようにする為であるからです。
たかが同人、そう言ってしまえばそれまでですが、読み手からすれば思わず快哉を叫びたくなるような熱い本が読みたいのですよ。萌えを、マグマのように熱く滾る萌えを求めておるのです。近頃は、その気持ちが高じて自分が描き手として活動したくなってきたのが困りものです。読みたいものがないなら、いっそ自分で作ってしまおう、と。ってオチはそれかいな。ぎゃふん。
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ぬおお久々に語りまくってしまいましたのう…疲れた
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