懊悩煩悩
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いよいよ首位攻防戦の直接対決、普段は野球の中継に恨みを抱いている一一般人ではありますが、やはり関西人としては阪神の浮沈が気になる今日この頃であります。お願いだから勝ってくれ…頼むよ仙さん。
たまたま見たどなたかの日記で、「萌え」という表現について語っておられるのを読む。元々「木々が萌えはじめる季節」といった使い方で、いわゆるヲタク用語としての「萌え」は派生的なもの、として私はとらえておるのですが、その方は「間違った用法」としてお考えのようで。まあそれは事実といえば事実なのでしょう。つらつらと鑑みるに、ネットという媒体が普及し始めてから、モニターの向こうの相手に確実にニュアンスを伝える手段としての用語のようなものが増えたのではないかと思うわけです。普段の会話では伝わるはずのニュアンスも、メールやネット上では伝わらないどころか、下手をすれば誤解を招いてしまうこともしばしば。そうなるとこちらの伝えたいことを相手にもきちんとわかってもらうために、普通の生活では口にしないような表現を使う、あるいは作ってしまうという現象が起きるのは当然の成り行きだと思います。「萌え」の場合も、こうなんといいますか、言葉には出来ない胸のときめきを表す言葉が見当たらず、元来違う意味を持っている言葉を代用した、と。それがまあたまたま他の人の感覚にもマッチして、現在(ネット上、もしくはヲタクの集まる場所で)頻繁に見かけられる表現にまで成り得たのではないか、というのが私の考えです。
言葉なんてものは、時間の流れとともに変化せざるをえないもので、今までなかった意味合いが付加されることもしばしばあります。「片腹痛い」にしても、平安時代においては「気の毒な(かたはらいたし→傍ら痛し)」という意味だったのが、「片腹痛し」と誤読され「笑止である」の意味に変わりました。現在の用法の数々は、古代人から見ればおそらく目も当てられない間違いだらけであるでしょう。けれど、言葉は生き物であり、使われていくに従ってその姿を変えていく。これは、誰にも止めることが出来ません。ある表現が(たとえ誤用としても)広まっていくというのは、その表現が一定の支持を得ているということの何よりの証明であり、支持を得たという事実によってその表現の持つ力がより一層増すのではないかと思うのです。
なにやら今日はえらく真面目に語ってしまいましたのう。やっぱり日本語って面白いってことを再認識いたしました。私の中では堂々の第一位で国語学が至上の学問ですわ。その中でも国語法が一番。音韻は泣くほど好かん学問ですが。モーラとかシラビームとかどうでもいいやー破裂音とか破擦音とかそんなの私の知ったこっちゃない。しかし卒論指導してもらう予定の教授は二人とも音韻論専門っぽい罠…!果たして卒論は無事出来上がるのでしょうか。
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