幸せと思うか、普通と思うか。 - 2005年01月06日(木) 厄ばかり言っていても仕方がないです。 厄だよ!って思ってしまうようなことの反対にいいこともあった。 世界中の人間のうち1%しかできない、大学院へ行って勉強するという機会を得られた。 勉強したいと願えば勉強できる環境にいるのです。 これを幸せと言わずして何というか。 ただ、日本国内では大学院もそんなに珍しいことではなくなってきてる上に、大学院で学ぶということは、ある一定の職につく場合、普通になりつつもあります。 修士にいたっては私立学校教員になるには多くの場合必要であり、将来教員養成過程において修士号は必修となることも検討されています。近い将来、教員になるには6年勉強が必要になるでしょう。 博士も余る時代です。博士号を持って公立中高教員になる人も現れています。価値が下がったのか、社会のレベルがあがったのか。 博士号は研究する、専門的な職業につくための、標準記録みたいなものです。 博士号はゴールではありません。むしろようやくスタートラインに立つ権利が与えられると言われます。 あと2年勉強してやっと半人前。 こんなことを考え続けると大学院へ行くことは普通なことに思えてきます。 普通であることは幸せなこと。 ...
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