嬉しい出来事 / *私だけじゃない* 2003年04月26日(土)
 お友達ができたこと本当に嬉しいです♪


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 あの頃より

 随分良くなってきてはいるんだなぁ・・・。毎日毎日と言うより、時を刻む1秒1秒絶え間なく死ぬ事を考えてた。あそこにベルトをかけて・・・・ここにこうして・・・・あーしてと・・・気がついたら手首を切っていた。

 「ママが死んだらあたしも死ぬー!!!」娘の泣き叫ぶ声に我に返った・・・。真っ暗闇の中で気を失っていたのか・・・。

 過労で倒れ、起きる事の出来ない療養して寝ている私のところへ義母がくる。毎日毎日何度も何度も部屋に入ってこられて枕もとで義母「今洗濯して終わりましたからね」私「はい、すみません、ありがとうございます」義母「今洗濯しておきましたからねぇ」私「あっはいすみません」義母「今洗濯しておいておきましたからね」私「あありがとうございます。すみません」と何度も繰り返す、何度も繰り返す、義母の気がすむまで。

 義母「今掃除しましたからね」私「あっすみません、ありがとうございます」義母「今これからご飯頂きますね」私「あっすみません、はい、・・・」何度も何度も繰り返す何度も何度も繰り返す。

 義母「今日は何の晩御飯にしましょうか?」私「あ、贅沢言いません、本当に何も・・・」義母「ん〜何?みんなは仕事してんだよ!」私「すみません、すみません」

 義母「お米は何合炊きますかね?」私「3合・・・か・・・」義母「んじゃたんね〜ず!!!」(それじゃ足りないと言う事)こうして1日に何度も何度も部屋に来て1回に30分から1時間は聞かされる。

 体調はどうだ?体調はどうだ?とその度に聞かれる。そんな事が1年近く続いたのかな。

 過労で倒れた時点で入院すればよかったかもしれない。(普通は入院だと思う)だけど、私は死んでも入院しないと決めてた。

 食中毒になってしまって入院になってしまった時、「ったくほんとにも〜入院なんかしてぇ!こっちは大変なんだよぉ!!!」と散々・・・

 3日間だったけど、その時、そう決めた。死んでも義母の世話にはなりたくないと。決めた。

 あの事があって以来、家族で話し合って義母を一切部屋には入らないように言って貰った。

 動けない事もあり引きこもりが始まった。お風呂に入れない、歯も磨けない、着替えも出来ない。とにかく何も出来ない。自分でも理解できない。

 今でも生きてる意味がないと頭をよぎる事は消えない。ただ飯食って1日中何もしないでここにいる自分。泣きながらご飯を食べる時がある。なんと情けないことだろう。

 辛くなると横になる。体調がいいときは座っていられる。1日中この繰り返し。気がつくともう陽が暮れてくる。落ち着かなくなる。元気であれば夕食の支度の時間だから。その焦りが、PCに向かう。

 どんなに焦っても、どんなに苦しんでもこの状況は変わらないこと・・

 先生に言われた・・・環境を変えることは出来ない?と。それができたら、もう少し早く回復できるかもしれない。

 今はただ、笑顔でいられるようにすること。たったひとつの わたしのできること 笑顔。*^^*それでも心は常に自分との戦い、一瞬一瞬が自分との戦い。










私だけじゃない

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 苦しんでるのは私だけじゃない

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