「しょうがないよ」

「しょうがないよ」「しかたないよ」
この手の言葉は
時と場合によっちゃ
とても残酷になると思うんだ。

「しょうがないよ」の一言で片付けられるほど
「しかたないよ」の一言で括られてしまうほど
物事は簡単じゃないと思うんだ。

言葉は時たま凄く重くなるから
言った方は大したことが無くても
言われた方はそうじゃない時だってあるんだ。

例えば鋭い言葉が放たれて
例えば言われた方が傷ついたとして
例えば言った方に悪意が無かったとして
例えば言われた方が後に言った方を糾弾したとして。

「しょうがないよ」、だなんて
「しかたないよ」、だなんて
言われたら
それは 酷く悲しいと思うんだ。

あの痛みは何だったのか
卑下された自分は何だったのか
分からなくなると思うんだ。
それは 酷く辛いと思うんだ。

言葉は人間が標準的に使えるモノの中で一等扱いが難しいものだと思う。
だから気をつけなきゃいけないのに。
年をとるとそんなことを忘れてくんだ。
偉くなるとそんなことを忘れてくんだ。

某ニュースを見ながら思う、そんなこと。


「しょうがないよ」、だなんて。
なんて卑怯な言葉。

「しょうがないでしょ」

あのニュースを見てフラッシュバックしたのは、その声。
困ったような顔。
なんて卑怯な言葉だろう。
そう思ったんだ。
白い傷跡と胸が痛んだ、いつかの夏の日。

「何時までそれに拘るの」
そうやって記憶の外に投げ出してしまえるほど軽かった言葉を
何時になったら忘れれるのかなんて分からない。
ただ、これが事実なのか分からない。
この胸にわだかまる感情が痛む左腕がじくじくと疼く何かが
私にとっての『過去』が、本当に、事実なのか
言われる度に分からなくなるんだ。

また夏が来る。
……あの家に戻らなきゃいけない、夏が来る。
2007年07月04日(水)

AGO。 / 走馬真人

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