気ままな日記
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2006年06月17日(土) |
大地震がきたら、まず手にとるもの |
それは眼鏡であると断言できる。 なにしろ30センチメートルほどしか離れていない人の顔ものっぺらぼうにしか見えないほどの超ド近眼のわたし。ただでさえ混乱極まるであろう大災害の最中、これなくしては、とても逃げおおせるものではない。傍から見てあきらかに、眼が不自由そう、というのならばそれなりに救いの手が差し伸べられるであろうが、そういった風情にも見えないとなればなおさらのことである。 眼鏡とのつきあいはかれこれ30年になる。最初にこれをかけたのは小学校4年生の頃。まだ当時は近眼の子はそれほど多くなく、授業中だけかける、という子がクラスで2,3人といったところだっただろうか。 担任の先生に、なぜか「今日から眼鏡をかけることになりました」とわざわざ報告した記憶がある。 そのときの新しい眼鏡は赤い細いフレームのものだった。近眼というものは、徐々に進行するものらしく、見えづらくなったという自覚があまりなかったのだが、かけてみると、あら不思議。空気が一遍に透き通り、そこらのものが素通しに輪郭まで実にはっきりと見えたので、驚いた。 今現在かけている縁なし眼鏡で、何代目になるのやらもう覚えてもいない。その間、技術の進歩で、度が強くとも、厚ぼったくならないものを手にいれることができるようになった。しかしどんなに、軽快なものが開発されようと、今や眼鏡が体の一部のように感じられるようになろうとも、いちいち眼鏡をかけたりはずしたり、コンタクトを入れたり出したり洗浄したりといった、手間のない生活をもう一度味わってみたいものである。
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