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2008年08月13日(水) <注:この文章は元記事を書いた記者の承諾を得ずに、その記事の多くを引用する形で私の意見を述べさせていただいたものです>

8月8日当日は朝5時前に起き、御来光に向かって「チベットに自由を」と祈った後、手錠五輪Tシャツ姿で下山した。その頃北京の天安門周辺では、「広場側の道を歩くこともできないし、地下鉄「天安門東駅・西駅」も列車が停車しなくなってしまった」らしい。しかも、それだけにとどまらず、少なくとも7月下旬以来、朝7時から夜7時までの12時間、合宿所、体育館、トラックなど関連施設に面した建物では窓を開けることが禁じられているとのことである。安全対策の為らしい。
また、開会式の翌日、5人の外国人勇士が、天安門広場で雪山獅子旗を掲げ、当局に逮捕された。
こちらのブログに転載された記事を参照
http://lovechina.ti-da.net/e2245682.html

前門は昨日から、明清時代の街並みを再現した大通りが公開され、多くの人々でにぎわっていたというが、その街並みというのは、先祖代々そこに住んでいた人を強制退去させ、昔ながらの本物の街並みをわざわざ取り壊して建設されたものである。以下は一年前の東京新聞の記事だが是非読んで欲しい。記事によると、北京では、100万人以上が再開発の為、住居を追われたという。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/china2007/news/2007/CK2007080702053035.html


>て今日は北京中の企業や国営機関がいっせいに休暇となり、市民はいっ
>せいに町に出てきている。共通しているのは、誰もが国旗をもち、楽し
>そうにそれを振りながら歩いていること。祖国が初めて開く世界最大の
>スポーツイベントに対する期待に溢れているという感じだ。

しかし、中国では、振ってはいけない旗というのが存在する。その旗を持っているだけで逮捕され、下手をすると拷問の憂き目に遭うと言われている。下記のニコニコ動画参照。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm3825801

この日記を書いている間に、もう開幕式から5日が経った。私自身もこの5ヶ月間、オリンピックに向け発展する中国とその人権問題・民族問題の動向について多くの記事を読み、また、これまでにない頻度で日記を書き、4月26日に長野で行なわれた「北京五輪聖火リレー」なるものに参戦して以降はネットの外の世界でも活動を開始した。いよいよ、その「本番」がやってくると思うと、身が引き締まる思いがする。ネット、ウロウロアクション・旗上げなど様々な機会をいただきながら、北京五輪の様子をメディアとは一味違った角度でお伝えしていきたいと思っている。

そのとき、一つだけ、私自身の抱負を明らかにするとともに、この文章をごらん頂いている方にお願いしたいことがある。

>北京五輪とは何か…と問われれば、日本に住む多くの人たちが「中国の
>国家宣伝」「国威発揚」「経済発展のため」など「国家」を基準にした
>否定的な見方をする人が多い。もちろん、そういった側面があることは
>否定しない。

それと同時に北京五輪の向こうに、大勢の名もない人たちの犠牲があることを忘れないでほしい。私達は、3月のチベット人一斉蜂起事件の後、外国人報道陣が当局の監視のもと、僧院に足を踏み入れた時、チベット人僧侶達が、「祈りが捧げられたが彼等は僧侶じゃないんです。報道陣向けのヤラセの演出なんです」「我々には自由がないんです」と涙ながらに叫ぶ姿をニュースで垣間見た。
参考ようつべ動画
http://jp.youtube.com/watch?v=fdLkMFlAJu0

報道陣に向かって訴えた、彼等勇気ある僧侶達は5月以降、行方不明になっているという。
こちらのブログ参照。
http://blogs.yahoo.co.jp/mushi_suzu/8673731.html

ひとつ分かっているのは、現在「愛国再教育」なるものが行なわれていて、その内容というのは、「ダライ・ラマ法王を批判する論文を書け」とか、「法王の肖像を踏め」とかいうもの。拒否すれば逮捕。

>どこかの大手新聞社は今回の北京五輪の報道姿勢について、「中国が五
>輪を開く資格があるかどうか」を見極め、「問題点を見つけていく」
>ことに重点をおいているという。だが、その矛先が「中国」ではなく、
>「中国人」に向かっていくならば、そのような“上から目線”で隣国の
>人々を見るのは明らかに間違っている。
>いろいろな見方があってもいいと思うが、「批判・言論の自由」は権力
>に向かうべきであり、隣人の庶民に刃を向けるようなことがあってはな
>らないと私は考える。だが、日本メディアはときおり、中国の一般庶民
>の生活や習慣への容赦ない批判に牙を剥く。全てが誤っているわけでは
>ないが、思い込みや偏見が作り出す「うそ」も数多く混じっている。
それはその通りである。中国の一般国民の多くも独裁政権の被害者なのだから。また、俺はもう10年くらい前になるだろうか、2004年五輪が北京でなくシドニーに決まった時、実は北京開催を望んでいた。

>だから、皆さんには、報道の受け手として、バランス感覚をもち、
>その「うそ」を見分けてほしい。
それと同時に、多くの「能動的にネットの大海に探しに行かないと知ることができないニュース」があることを知って欲しいのです。

>今回の五輪を自宅のテレビで楽しむ方も多いだろう。一流のアスリート
>による素晴らしいパフォーマンスもたっぷりと楽しんでほしいのはもち
>ろんだ。
楽しめません。選手の方々には本当に申し訳ないんだけど。
例えば、広島の「原爆ドーム」や沖縄の「ひめゆりの塔」、それに稚内の「9人の乙女の碑」を見学した直後に、大宴会を開く気になれますか?気分転換や割り切りが上手な人ならともかく、少なくとも俺は楽しめません。

>だが同時に、せっかく隣国の、しかもいろいろな意味で関係の深い中国
>で行われるのだから、少し、いつもの五輪と違った見方をしてみてはど
>うか。

それは、その華やかな試合の影で怯えている「無数の人たち」の苦難、それに、情報統制と厳しい検閲で、外までは聞こえてこない多くの叫びを「想像すること」である。それにはかなりの“想像力”が必要になるが、決して難しいことではない。

歴史の歯車を本当に進めていくのは、国家主席ではないし、その他のエラい政治家でもない。声にならない、表に見えてこない多くの「人」である。せっかくだから、オリンピックという世界最大級の祭典で人々の関心が高まっているこの時期を好機と捉え、人民の共和国を標榜する巨大な独裁国家の世界最大のスポーツイベントを楽しんでみてはどうか。私がここで掲載したリンク先の情報がその一助となるようなものになれば、と願いながら、海を越えて、一味違う「北京五輪」をお伝えしていきたいと思う。
<注:この文章は元記事を書いた朝倉氏の承諾を得ずに、その記事の多くを引用する形で私の意見を述べさせていただいたものです>

元記事:<点描・北京五輪>朝倉浩之の眼・開幕式直前(2)市民の熱気すごし!天安門にも市民殺到


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