蛍桜

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冬が訪れる前に

もう随分と冷え込んで、冬が見え隠れしていた頃、
コートも、手袋も、マフラーもせずに、
無機質なビルの間を、いつもと同じように歩いていた
滅多に履かないヒールが痛くて
一歩ずつに苦痛を感じながら
風を受けて進む

すれ違う人々は皆、コートも、手袋も、マフラーも、
しっかりと身に纏っていて
ぱんぱんに膨らんだ人々が
なんだかおかしく見えた

道端にいつもの猫
立ち止まれば足に擦り寄って来ることを知っていて
立ち止まらない
猫の背中についたブチと、
真ん丸なしっぽがなんだか可愛すぎて
ついつい、かまいたくなるけど
野良猫に、餌はあげないと決めている
餌をあげないのなら、立ち止まって、
期待をさせるのも申し訳がないから
すたすたと歩く

いつも野良猫に餌をあげているおばさんがいる
たまに見かけるだけで、知らない人だけど
おばさんが餌をあげるから
そこには猫がたくさん集まって
今じゃ、私の中で「猫屋敷」と呼ぶほどになっている

私は野良猫に餌はあげられない
だけど、おばさんはあげている
だから猫たちは生きているし
ここに集まってくる
だからこそ、私はその猫たちを見て
かわいい、だなんて思える

野良猫に餌をあげるだなんて、
そんな無責任なことは出来ない
だけど、誰かが、その無責任を背負ってやってくれるなら
それは私の中の矛盾を開放してくれる
猫たちは、長生きは出来ないだろう
だけど猫たちを見て、私は癒される

ふと、夜風を受けながら、尊敬していた人を思い出す

彼女は、後何年生きていられるか分からない、と言った
親も、自分も、病院の先生だって
分からないんだ、と言った

でも、そのなかの誰かが、ウソをついている可能性がある
先生かもしれないし、親かもしれないし、
彼女かもしれない

とにかく、私も、彼女がいつまで生きられるかは知らない

彼女が手術をしないと決めたあの日から、
もう10年近く経ちそうな今
彼女の「生きていられる時間」は
尽きてしまったのか、まだ残っているのか、
私には全く、分からない

私の中の彼女は、いつだって、大きな優しさに溢れていて
大人で、みんなを見守っていてくれて、
完璧な人に見えた
素晴らしい人に見えた

彼女は、言葉を綴るとき、
「今日」を「けふ」と言った
彼女は現在の言葉よりも
昔の言葉のほうが好きだったのかもしれない

あとになって、彼女が、
バンドを組んでいて、ドラムをしていたと知った
今になってみればその記憶さえ怪しいけど
確かそうだったと思う

私の中の彼女のイメージは、とても華奢だったから、
ドラムをしているだなんて、ビックリした記憶がある

私も、バンドをやるなら
ずっとドラムをやっていたいと思っていたから
図々しく、共通点を見つけた気になったのも覚えている

二度と足が動かないと知ったときの彼女は、
どのように泣いて、
どのように取り乱して、
どのように答えを出したのだろう


ずっとずっと時間が経った今になっても、
ずっとずっと、気になったままで


彼女は完璧じゃなかったはずなのに
完璧に見えたあの時間を
早く、崩したくて


そろそろいい加減コートを着なきゃな、と考えながら
道を曲がった

2010年11月19日(金)

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