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■ 運命
私は運命というものを信じるけど、世間一般に言われている運命というのは、元々人には決められた運命があり、それは避けられないことのように言いますね。 良いことも悪いことも…
でも私は運命はつくっていくものだと思っている。 自らの行動や考え方によって運命は変わるのではなく、つくられていく…先の結果はわからない、だけどそこには確かにあるんだと。 ある学者の話に『人間はこうしようと思った瞬間からもう結果は出ているんだ、変わっているんだ』と。 行動する前に結果がもう出ているというのも変な話だけど(さぁ〜やろう!)と決意した瞬間から運命の歯車、ギアがカチッとはまり回り始めると。 例えば、1階にいる人が1階はもう嫌だと…もっと素晴らしい上の階に行きたい、3階に行きたいとその人なりの理想の3階を思い描くとします。 1階から3階に上るという行動がなければ3階には行けない。 勿論、行きたいだけではなく足を運んで上らなければ3階には行けません。 でも学者は『実はその人が1階にいて理想の3階に向けて行くぞ〜と決意した瞬間に、もう3階は変わっているんだ』と。
『1階にいる者はまだ3階に辿り着けてないから状況の好転を知らないけど、もう3階では変化が起きている。 そして努力の結果、3階に辿り着き理想の世界を手に入れる。 自分が3階に来てみて1階を見下ろすと、今まで見たこともない景色が初めて見え、こういうことだったのか!と悟る』
つまり壁にぶつかったりして悩んでいる時(1階)はわからないけど、この状況を何とかしようと決意し努力する、そう決意し行動することで道が開ける(3階) それが運命をつくる、運命を決めることなんだと思う。
私はそれを信じ、今までやってきた。 決して諦めない、運命だからといって投げ出さない、自分に言い訳をしない、人のせいや環境のせいにしない、自分の幸福は自分で切り開く! だから今の生活があると思う。 勿論私一人だけの力でここまで来れたのではなく、助けてくれたり励ましてくれたりする人がいたからだと思っているし、それには深く感謝している。
幸いにも私はそういう人達に恵まれたから、弱い私がここまでやってこれたし、人を信じることもできるようになった。 母とは違う生き方を選んだ。 母は何かにつけ人のせいにするし、自分はこんなに一生懸命やっているのに全然報われないのは、コイツのせいだと周りにいる人(特に家族)のせいにする。
そして悪態をつく、自分のしたことを正当化する…それが結果的に自ら不幸を招き寄せているということに気づかない。 いつまでも抜け出せない不幸の中に身を置き、人を恨み世間を恨み、ますます人から嫌われ、寂しい人生を歩む。
私はそんな地獄から逃れたかった! そんな人生なんてまっぴらだった! だから今更親と連絡なんか取って関わるのは嫌だと思った。 そのことをどれだけの人が理解してくれるでしょう? やっぱり難しいかな?
2003年01月15日(水)
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