Comes Tomorrow
ナウシカ



 人のために灯りを灯すということ

私は、大学病院の小児科で働いている友人がいるんですが、よくいろんな話をします。
そこには不治の病と闘う子供たちが多くいます。
死んでいく子も、実に多くいる。
長い闘病生活の中で、医療費がかさみ、親たちはお金を捻出するために、両親共働きだったり、または他の子供(兄弟)の面倒も見なきゃいけないという理由だったりで、なかなか入院している自分の子供を見舞えない親たちがいる。

ただでさえ病気で辛いのに、親はあまり病院に来てくれない。
甘えたい盛りなのに、そばにいてほしい親はいない。
愛情に飢えてる子供たちが、現実問題、たくさんいるとのことです。
親も疲れていることが多々あって、段々、目の前の現実問題のお金を稼ぐことだけに気持ちを向けてしまっている親たちもいる。

それで子供たちは看護師という身近な人に、ベタベタに甘える。
ただ甘えるという可愛いものではなく、時には我儘放題、いたずら放題、まともに相手をしていたら、仕事ができないというようなこともたくさんあるそうです。
愛情や愛着行為にとても飢えてるので、少しでも優しく接すると、とんでもないことになったりするそうで、それがナースステーションの問題にまでなってるそうです。

そこで、出た結論は、所詮は私たちナースは親代わりにはなれない。
どんなに、その場で、その子の欲求(抱きしめるという行為ひとつにしても)を受け入れて、やってあげたところで、その場限りになることもあり、かえって期待持たせて、後で失望させるだけじゃないか?

子供たちも、ナースという母性を求めてるというよりは、親を本当は求めているんだけど、それが得られないから、目の前にいる人誰かれ構わず、抱きついているだけで、その行動自体、本物の愛情を求めているのでもないから、それを下手に受け入れてやってあげると、子供たちの方でも混乱するのではないか?
だから心を鬼にして、一線を引いて、突き放すべきじゃないか?
という話し合いになったそうです。

私の友人は言いました。
『いいじゃない、その場限りになっても抱きしめてあげれば!
その子は、ただ今、寂しくて、誰かに抱きしめてもらいたくて、駄々をこねてる。
親がいいのは当たり前、だけど、その親は今はいない。
いいじゃない、その場限りでも、代わりになってあげれば!
本当は代わりにもならないけど、でも、その子には、今、抱きしめてもらいたい欲求がある。
いいじゃない、今、私たちナースができることをしてあげたら!
本当は、自分たちが面倒臭いから、しないだけじゃないの?
可哀想すぎると言って、現実から目を背けたいだけじゃないの?
自分の無力さを見つめることから逃げるための口実じゃないの?』と。

友人は、看護部長、看護婦長と喧嘩してまで、自分の信念で訴え、自分の信じる道を貫きました。
そして、親を思って泣く子を抱きしめ、『あんたじゃない、ママを呼んで〜(イメージ)』という感じに暴れる子を慰めたり透かしたり…
『そんなに泣くんなら、看護婦さん行っちゃうよ〜』と、時には脅し?ながら、病室の扉前で行ったり来たりしてみせて、『もう〜しゃぁないな〜あんたで我慢しとくから、抱っこして〜(イメージ)』という感じになった子を、ぎゅっと抱きしめる。
『今だけは、あなたのお母さんだよ、甘えたいだけ甘えてごらん』と、数分でも精一杯の愛情を注ぐ。

彼女は、『それでいいんだよ、そんなことぐらいしかできんないんだけど、でも、その子には、その一瞬が大事なんだよ、それが例え本物(母親)じゃなくてもね〜』と笑いながら、私に話すんですよ。
なんて大きな慈愛なんだろう、なんて、彼女は強いんだろうと、私は本当に感動してしまいました。
ちなみに彼女は当時独身でした。
今は結婚したけど、その頃はまだ年も20代前半でした。

生命を救うというレベルの話ではないけど、彼女は充分、自分の出来うることを、一瞬一瞬真剣に取り組んで、やってきたという感じです。
目の前で亡くなっていく幼い子を、たくさん見てきたと思います。
大人の入院する成人病棟にはない、残酷なまでの悲しさと悔しさに満ち溢れた小児科病棟(親より先に死ぬという意味で)

彼女は、『悲しんでなんかいられない、自分が悲しんだからといって、子供たちを救える訳じゃない、親の悲しみを取り除ける訳じゃない、実際は何もできなんだよ、生命を救うことすらできないことが多いんだよ、そんなことで悩んでる暇があったら、私は今、できることを精一杯して、愛情たっぷり、子供たちに接するよ』と。

私は、彼女から実に多くのことを学びました。
彼女、私よりも3つ年下なんですよね〜
いかにも母性があるような感じの子でもなく、身体も華奢で小さい、普通に可愛らしい子なんですよ。
ほんと、私なんか脱帽。

『荷物を一緒に背負ってあげるのではなく、その荷物の重さは軽くならなくても、それでもその荷物を背負って歩く道のりが、少しでも楽になるように助けること…』という話をされていた人がいました。
ほんと、その通りだと思います。

あともう1つ思うことは、『一人の人を大切に』ということ。
幸福や平和という言葉で語ると重く考えがちですが、つまりは人のために灯りを灯すということだと思います。

悩んだ分だけ、何かができるんではないでしょうか?
私も偉そうなことは言えません。
私も現実、逃げたことがあるから…
でも、その時の後悔があるから、私は今、頑張れる。
日々、悩み、模索し、行動です。


2004年10月12日(火)
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