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■ 意見の相違を認められるのが大人
私はそう思っている。 どんなに気が合って、価値観が似ていたとしても、人それぞれ意見の相違はあるもので、それを自分が受け入れるというのではなく、相手の意見を一つの意見として認めていける人が大人なんだと思う。
自分とは異なる意見を認めたからといって、自分の主張は曲げる必要もないし、まして『負けた』ということはないと思う。 真摯に相手を尊重しながら、お互いの意見交換をして、その対話が例え平行線に終わったとしても、それはそれでいいと思う。
でも、人間はやはり感情の動物だから、ついつい熱くなってしまうこともある。 特に、ネット上では匿名ということもあり、とことん自分の意見(自己主張)を激しくぶつける人もいる。 なかには、『子供でもわかることだ』とか、どこまでいっても答えの出ない問題に対して、結論づけようと、詰問的に対話を続ける人がいる。 正直、そういう書き込みを見ていると、不愉快な気持ちになる。
最初は丁寧な言葉で、相手を尊重しているような言葉かけであっても、それがエスカレートしてくると、段々、相手を愚弄するような表現になってくる。 直接的な表現はしなくても、自分の意見こそは正しく、答えはコレしかないというような含みを持つ表現になっていく。 たぶん、そんなつもりもなく、ご本人たちは大真面目に対話しているつもりでしょうが、結果的には、相手をバカにし、自分とは異なる意見を認めることができない偏狭さがある。
この場合、誰が正しいとか間違いとかは問題ではない。 事実云云は別問題。 対話する上で、何を目的にしているかだと思う。 対話、人との交流が目的なのか… 自分の意見を全面的に、押し通すのが目的なのか…
いくら難しい言葉を羅列しても、内容が質の高いレベルの話だろうが、その対話に対する態度そのものが、その人の価値を決めてしまうと思う。 本当に勿体無いことだと思う。
そういう私も、旦那に対しては、子供じみた反論を繰り返してしまい、キリキリしてしまう。 ああ〜私って、つくづく子供なんだよな〜我侭かもな〜と思いながら、でも、やってしまう。 大人の対応って、意外と難しいな… せめてネット上は気をつけよう!
2005年01月15日(土)
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