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■ ハンセン病の勉強会
ハンセン病の勉強会に行ってきました。 全部ではないけど、私のメモの一部を、ここに記します。 園とは、ハンセン病の人たちが隔離されていた島を指します。 これはハンセン病回復者の話です。
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園の学校の先生は、皆ハンセン病だった。 子供たちは、12〜3歳で発病する子が多かったので、その年頃の子が多かった。 先生は、治療で授業を抜けることが多かった。 治療優先なので、それは許されていた。 先生自身、ハンセン病であったため、何の希望もなく、子供たちにも、そのような教育をすることができなかった。
自分は22歳で定時制高校に入ったが、30歳ぐらいの人もいた。 皆、学びたいという気持ちがあったので、すごい競争率だった。 入学時の平均年齢は19歳だった。
ハンセン病は、いつ発病するかわからない病気。 姉は、見た目、全然ハンセン病という感じではなかったけど、検査で、それがわかり連れていかれ、帰ってこなかった。 自分もハンセン病ではないかと、親はわかっていたようだが、姉のことがあるので、全然医師に診せなかった。 検査も受けなかった。 自分が園に行く時は旅行気分で、すぐに帰ってこれると思っていた。 でも親なんかは、深刻な顔をして、『身体に気を付けてな、達者でな』という感じで、不思議に思っていた。 誰も、自分がもう帰って来れないなんて教えてくれなかったので、まさかもう帰れないなんて思いもしなかった。
園の中で、間違いというのではないけど、子供をつくる人がいた。 そんな人は、すぐに子供を堕胎させられた。 堕胎できないぐらいお腹が大きくなった場合でも、生まれてすぐ殺されて、ホルマリン漬けにされた。 旦那さんがついて来てて、子供ができた場合でも、里子に出すからと騙されて、実際には解剖に出されたり、殺されたりして、ホルマリン漬けにされた。 子供を解剖して、ライ菌がでないかどうかの検査もされた。 ライ菌は出たりしたが、これも生まれる時に母親の血液なんかが付着して、ライ菌が出たのかもしれないし、定かではない。 そういった検証もしていかなくてはならない。 (ハンセン病は伝染はしますが、遺伝はしないと言われています…看護の教科書にそう書かれてました)
医師は、ハンセン病は隔離する必要がないと、なぜ言ってくれなかったのか、すごく腹が立った。 医師も、島に隔離されていて、世界に目を向けることができなかったのか? 人間を人間と見ない、犯罪者扱い。 隔離は間違いというが、間違いではない、人間として扱わない、これはいったいどういうことなのか? どのように言ったらいいのか、言葉が見つからない。
(インタビュー記者発言) 『日本の問題をクリアーにするのも大事であるが、朝鮮半島では、島に連れていかれて焼き殺されたり、騙されて船に乗せられて、わざと沈没させられたりした。 日本の名誉回復から、さらに運動を広げていきたい。 これで終わりではなく、今、スタートラインに立ったところである。』
自分は、ハンセン病は治ったと言われたけど、社会復帰もしたけど、『ハンセン病が治った』とは、よう言わんかった。 どうしても言えなかった。 裁判を起こして、本当のことが言えるようになって、やっと心が解放された。 この時が、本当の社会復帰だと思えた。 裁判に勝ったことも嬉しかったけど、支援者たちと、肩を抱き合い、手を握り合い、それで心が溶けた。 そのことで、裁判をして本当に良かったと思った。
最後に、『人間の尊厳を傷つけるようなことは、絶対あってはならない』と言いたい。 障害者は、そのままで生きられて、健康な人は、その人を助けるような、そんな社会になってほしい。 ハンセン病は、本当は怖い病気ではないのに、国の政策として、国民に知らしめて隔離していった。 医師や看護師、その他の人たちの対応は、国が政策として『こうしなさい』と定めたもの。 それぞれの人が、そのような気持ちでしたのなら、まだわかる。 でも、そうではなくて、国がそうさせた。 これは間違いという言葉では片付かない。 間違いというものではない、適当な言葉が見つからない。
2005年03月30日(水)
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