雨音をBGMに、パーカを着込んでPCに向かう。 といってもネットサーフィンだ。
今週は、実にいろいろなことがあった一週間だった。 取り立てて予定もなかったはずが、あれよあれよと人と会う約束ができたり、気分d得ご飯に誘ったりしているうちに面談までしたし、散歩だって毎日ちゃんとやった。勉強もしたしな。 しないと落ち着かないくらいになってきた。 すごい。ありえないね。 借りてきた本そっちのけで勉強してるもの。それほど猛烈にではないにしろ。
正確さ、というのは、私の中での行動におけるポイントの一つかもしれない。 たとえば、正確に伝える。自分の思うところを、起きた事実を、余すところなく、という具合に。 それができないと、後でから「ああ、あそこはこうだった」「こういえばよかった」だの思う。
その一方で、「(他人が)わかってくれているだろう」という、根拠のない自信のようなものがあり、言葉足らずでうまく伝わらないことも多々あるような気がする。 この自信(?)は、小さい頃から、ずーっと持っているように思える。 甘ちゃんだったことだろうけど。なかなかどうしてこれが揺るがないのだ。不思議なことに。 一目見ただけの第一印象にも、今までの人生がにおい立つものだし、顔つきやしぐさ、話し方などでたいていの人柄というものは推測できるという側面もあるが、やはり当人の発したことばというものは、かなり重要であると思うのだ。 語尾や抑揚、言葉の選び方。 うらっつらな建前をしゃべっていたのだとしても、その「建前を発している」ということが、その人の評価につながるわけで。
と、まあ、幼少時から空気読みまくりな人生を送っているので、こうういう考察も苦ではないのであった。
一向に、脂肪が落ちない。 確かに、仕事をしていた時よりも、歩く時間は減っているが、歩き方は今の方がいいはず。 やはり夕飯後のウォーキングが一番なのだけれど… もしかしたら年のせいか?とも思う。カレー…
いや! 生理直後は、おやと思うほど食欲もお腹周りも落ちてたから、やっぱりあそこががんばりどきなのだ。 と思うが、あいにくの雨で。 昨日面談が終わって、ご褒美に買ったパン(久しぶりだ)と線先日のロールケーキ(前々から狙っていたダージリン味の)が残っていたので、食べてしまった。 「しまった」ていうのが、ネガティブなんだが。 まあ、たまにならいいか。いいんだよ、と自分を大きく包んで揚げられるようになりたい。ちょっとできてるかも。でもまだネガティブの割合胃が大きいかも。
面談に行ってきたこと。 その土地は、思っていたとよりも近く、地図にしたらまさにまっすぐ南下した場所に位置するのであった。へええ〜。おもしろい。言ったことのない土地。第一印象はだいじだ。その日の天気や気温・風によって変わるし、自分の調子によっても見え方が変わってくる。 昨日は曇っていて涼しかった。調子が良かったからか、その土地の印象は良い。 駅前は工事中で、やや立て込んでごみごみしたかんじもしたけれど、平日の昼間でもそれなりににぎやかで、悪くはない。お店もあるし。 面談後の開放感で、お弁当・飲み物からおやつにお土産(自分用)のパンまで買った。ご褒美なのだ。誰かにお土産まで買いたくなる。気持ちが大きくなってる証拠だ。 久しぶりにゆっくりとよくかんで、屋外でお昼を食べた。 ラジオで聞いていて食べたくなったシウマイ弁当。 前の職場で教えてもらった美味しいパン屋。 ちょっとだけ列ができていた豆乳タイ焼き。 総計1000円程度のことだが、非常に贅沢をした感じ。どっかの定食屋か蕎麦屋で安く済ませようかと探していたのだけれど、あいにくよさそうな店がなかったのでこういう次第に。 まあ、無収入なので、1000円でも贅沢だ。
仕事場は交通費がかかるし時間もややかかるのだが、こういったよさそうな街であることや、ちょっといけば否かな風情があるところ、知った会社があるところなどで、親近感があった。それはだいじなことだ。 仕事内容は、想像していたよりもハードだった。 英語も読めないといけない。 しかし、一度ハードルが上がると思うと、もうそのハードルが目標になってくる。 多少尻ごみはするけれども、見上げたら届きそうなのだ。 ここで引き下がったら公開する(これも私の人生におけるキーワード)、と一度決意(というほど重大ではないような気もするし、「決意」ということばが似つかわしいようなきもする)したら、そこに固執してしまう。 もう、「カンタン事務!」や「残業ほぼなし!プライベート充実」といううたい文句が温いものに思えてくるのだった。
それでもやっぱり、再登場していた学校事務は、消せない。…… たぶん、ここは私の悪い癖なのではないだろうかと推測するのだが、どうなんだろう。 そういう価値・判断基準で行動しても、一般的にはまあ下心がある、程度なんだろうけど。 この「他者からどう見られるか」を非常に気にするところが、ずっと付いて回るのは暇だからだろうか。 しかし、考えてみると、その「下心」で家まで出て前職に就いたら、こんなにも世界は広がり人生が開けたわけだし、実家にいて、あの職場にいたら得られないほんとうにたくさんの人と出会えて、よい経験ができたのだ。 たまには下心も悪くはないdのだ。たまには、かな?苦笑 こうやって、小さなことがらを、ひとつひとつネガティブから前向きに変換していく作業が私には必要なのだ。いまさらだけど。いまからでも、やるに越したことはないのだ。
で、学校事務はやはり、引っかかる。 「つながり」というものが、自分の中で引っかかるのだ。 あの人につながっていること。 すべてはそこに集約される。気もする。 あの土地も、この店も、このことばも。 想い人ができると、私はそうなってしまうのだ。 人ではなくても、はまっているものとか。まあ、擬人化してみれば「思い人」には違いない。
お昼には実家について、家族で昼飯計画が浮上した(わたしの中で)。 こういうふとした思いつきを、「正確に」実行しないと気が済まなくなってくる。 できないとなると、とたんにやる気がうせる。 やはりこれは完ぺき主義というやつなのかな?ちょっと違うのかな。あとは、「気分屋」だな。
意識して、断定口調にするようにしている。(重複した語尾な気がする) つまり、「心がけている」か。 ほんと、「この歳になって」(とはいえ、まだまだ若造ではあるのだろう。人生の半分も生きていないのだろう。おそらくとよく思うが、気づけただけでも大きいのだ、と言いきかせる。ひとつずつなのだ。 一気にコマを進めたりだとか、そんなスキルは持ち合わせていない。 たぶん「歩」なのだ。将棋はとんとわからないが。
今度の仕事が決まったら、また人生のターニングポイントになるであろう。 今までの仕事に「やりがい」を感じたことは、本当に少ない。 出向していたころが、一番合ったかもしれない。大変だったし、それなりに責任もあり、たいした量ではないけれど忙しかったのだった。 それは、周りに自分よりも仕事ができる人がいて、私がやらずとも事が運んだからであるし、守られていたのだと思う。 今度のところはそうはいかないのだ。 最終的に、一人でこなさなければならない。 英語も使う。(読み書きだが) 未知の分野での知らない商品。電話兆以上あるカタログが大量に。 一度上がったモチベーションおよびハードルが、月曜に取り崩しになるかもしれないが。 その時の対処法を、自分ではまだつかめていない。 確定した未来と決めつけてしまって(それは自分の意志では動かせないところに固められてしまい、期待を半減させようとしても、膨らんでしまったものは容易には元に戻らないのだった)、それがぽんと消えてしまうと、ぽっかり空いた空洞を埋めるモノがなくなってしまうのだ。そういうときに、どうしたらよいかわからなくなる。そうなのだ。 こういう大きな事案でなくとも、たとえば、買い物に行こうとしたという(自分で)確定しいた未来が、自分の行動の遅さなどによって実行なされなかった時などもそうだ。
カレンダーの日付が、どんどんと進んでいく。下降していく、とも感じる。 面談結果が月曜に持ち越されたことで、半分くらいだめだったかな、という思いはある。前回がそうだったので。そうか、全く同じだな。曜日としては。 そうしたらまあ、月曜はハロワに行く用事もあるしああ、めんどくさいけど理事会があるかもしれないのだった。 GW明けの仕事がピークになっていて、数日でこれも消えてしまうのだろう。 また学校事務がちらつく。 また1からエントリーして(とはいえ、ボタンひとつでなのだ。簡単で楽ちんなのだ。うん)、結果待ちしながら勉強というサイクルになるのだろう。 最悪の場合、資格が取れてからでhないと仕事が見つからなかったときのことを考える。 おそらく仕事は7月開始だ。 それまで最大(4月から数えると)5か月収入が見込めない。無理だ。生活費が底を突く。 となると、ある一定の時期を見計らって短期の仕事を探さねば。GW明けから3か月とか。ああ、だからその短期の仕事すらあやしいのか……答えになってない。 見通しが甘いんだよな。 実際の苦労というものを経験したことがないからであろう。 ぽやぽやしていると、孤独死というゴールにたどり着いてしまうぞ。、 たぶん、家族がいるのでそれはないだろうけど。… やはりそこが、一番生命の危機を感じられない要因なのであろう。かんじるべいなのかどうかも、深く考察はしていないが。 もし自分が天涯孤独の人間だったら、こんなのんびりとはしていまい。 とにかくガツガツと仕事を探してきて、一生懸命になって生きていくんだろう。 そういう、ハングリーさ(というのだろうか)を持ち合わせてえいないから、このような人間が形成されているのかもしれないな。ゆえに、私は私であるのだ。同じ理由により、ひとりひとりの人生は肯定されるのだ。
とりとめがないな。 数日日記を書かなかった(内面的な)だけで、こうまでも溜まっているとは自分でも軽く驚き、また新たな発見をした気分だ。 特に今週はいろいろあったからかもしれない。 改めて、 おとといあたりの日記に別の事由を書こうと思う。
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