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とりとめのないもの

2009年07月20日(月) 秋田蘭画


を、観にいってきた。
一人で行こうかと思っていたのだが
心細いのと、せっかくの機会だしということで母と二人で行った。

一人のほうが、ゆっくり観られるし
好きな行動ができるが、母との旅行というのもこの先何度あるかわからないし
いい時間を共有できたと思う。
じっさい、自分の判断よりも母の判断がうまくいくこともあったし、
自分だけで決めたことって自分色でしかないので
他人の判断にゆだねるという面白みも堪能できたと思う。
一人だったら、もっとあそこにもここにも行って
疲れても「まだ時間があるから、あそこまでいってしまええ」と踏ん張ったろうが、旅の相方がいるというだけでそこを自重して、二人がよいペースにもっていくのもいいのかもしれない、と思った。

一人旅ペースで考えていたよりも回れなかったのだけど、
それはそれで充実した旅だった。
おいしいものも、誰かと食べた方が格段においしいし、なによりその「おいしい」という感情を共有できるのがこの上なく貴重な体験だ。
その後の人生においても、「そこで共有した」という事実が、ずっと身の内に生きていくのだから。
一人では食べなかったであろうちょっと高い食事をし、一人でだったら欲張って全部観ようとしたものを適度に減らして体力を温存し、一人では気付かない動植物を観察し、知らないことを教えてもらい。
二人で行ってよかったと思う。


その後も、人と会う約束や病院などが目白押しで
その中でいろいろ話せば整理がつくかと思っていたのだが
自分はしゃべることで整理するのが苦手なようだ。
まずもって、うまく話せない。
話したいことのかくが自分で掴めていない。
やはりここで書くことが、一番の生理になっているのだろう。
散歩しても、つらつらと同じようなことを考えてしまうし。
悪いことではないのだが、書くという行為が一番合っているのだろう。

書くと言えば、手紙をかくのに気おくれする。
一筆啓上。
本番勝負なところが、話すことと似ていて、あとで習性がきかぬ様な気がして、どうにも筆を取るのに躊躇してしまう。
本の感想をメールで送るか、とも思うが
昔のように手紙という手段を使おうとしない自分が恥ずかしくもある。



普段、人と交流しないので
一気に何人ものひとと話をすると、どの話をしたのか、重複していないか、わからなくなる。
言おうと思っていたことが全然思い出せなかったり。
話したいと思っている人の前で、そうなってしまう。
そこに在るだけで充分なのか。



ああ、暑い。
うなぎ。


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