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とりとめのないもの

2009年12月10日(木) 休日。


何も予定を入れていない。
それが、いまの自分にとって必要な休息だと、
なんとなく、わかる。



昨日は、またひどく不安定になった。
ついに会社でも吐いた。
これで4社目、と思うと自分でもちょっとすごいなと。
どんだけー

そんでまた、いつも頼って中と半端によっかかっちゃって
いつも迷惑かけてます。
つーとかーになっちゃって
同じやりとりになって
うんざりさせてる可能性大。
大きな荷物であることも多少の自覚あり。
このひとが結婚するから、不安定であるのかもしれないと
ほんとにここ数日できづいた。
でもそれは祝福に影をあたえるに十分な理由であるので
取り扱いは慎重に慎重を重ねる態度で挑みたい。
戒め。
それは、当然によろこばしいことであるし
もちろん大歓迎で祝いたいと思っている。
ただ、自分から離れてしまうという、別の家族を持つということに
さみしさや喪失感をかんじないわけではない。
それがようやく1年くらいたってわかった。表面にうっすらとでてきたのだった。

夜は、日中にもまして
いろいろなことがぐるぐると回るから
自分をたいせつにして甘やかすのだとおそわった。
月の半分これかよ、と暗澹たる気持ちでいたのだが
月の半分、自分を甘やかせるという視点に立ったら
おもしろいんではないかということに気づく。


好きなひとと
結ばれたらいいなと願うのは
当然の発露であり
平等に与えられた権利でもある。
それがかなうともかなわなくとも。
なんだかそこがほんとうにもう、
どうしようもなく結ばれないのだという予感と
いままでの経験上、うまくいったためしがないので
これから先も、これも、まただめなのかという望みを絶たれる感覚が
自分を打ちのめす。
そしてこなふうになっている自分じゃだれも相手にせんとも思い
そんな自分が自分であわれになって泣くのだった。
そしてまた、やさしいひとたちがいることも因の一つである。
そのひとたちとは、違う誰かにあたためてほしいと願っている
希望のかなわなさに。

もうちょっと、
じぶんにも、やさしくしようと思った。
からだが不調のときは
内部でただしく活動されていない証だし、
こころが不調のときは
うまくまわっていなかったり、負荷がかかっていたりするから
落ち込んだり、情緒が不安定になるのだ。

原因があり、結果がある。

それを見極められないから、不安になったり不思議だったり
なんだかすっきりしなかったりするのだ。
わからないことのほうがいいこともあったりするんだろうけど。





そんな泣きはらした重い瞼で眠る私を呼び起こすトライアングラー。
機嫌がよさそうでSな電話。
うまくいえないと判断して日常会話でお茶を濁す半覚せい状態の私。
なんで電話してきたんやろ。
不明瞭。
さて、これの原因は?
不明確。
自分でわからんいうから始末が悪い。
半分いじょうは、おまえのせーで瞼が重いんじゃー
何百回電話をかけておこしたんだか…
そちらの着信履歴が、私で埋め尽くされる朝


なぜ、
毎日飲んだくれて
たまに人のこと思いだして発信してみるのは
気まぐれで
ほかの彼女にもしてることで
何番目かの発信だろうて
でもなんで
じゃあ私はどの位置に
これからもこのままに
それともどっかで飽きてすっかり忘れるのか
否、忘れることなどはできない脳なのだから
それはないのだ
ないのだ。
そう思うと
まだ、救われる気がした。
末梢などということは
た易くできることではない。
交わりは、浅かろうとも
確実に、刻まれているのだ。
思いださないことがあっても
記憶が薄れても
なかったことにはならないんだからね!ロボ。

だから、
じゃあ、どうしようか。


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