23
とりとめのないもの

2011年11月05日(土) 20111105

日記を書きにも来ないというのは
ややリア充ってことで。

特別に何があったてわけじゃないけど、
一歩ずつ一歩ずつ、歩んでるつもりです。
変化の兆しを感じております。
ほんのちょこっとずつねえ。


なんやら向こうの変わらないところで
自分の気持ちが微妙に変化していってる、ということに気付き。

それは些少な変化なのだけど、
確実なものなのでは、と思っている次第。

主観的な視点から殻を破ってぴよぴよと、
客観視できる側への移動がじりじりと蟹歩きで。



ほんとは、前も感じていたのかもしれないけど
それを「たいしたことない違和感」として処理してしまって
スルーもいいとこだったんじゃないかな。

なんや上目線なとこや俺おれなとことか、(笑)
人をばかにしたよーなこというところとかね。
いけませんね。
まあ、でもそうでもしないとやってけないくらいの仕事なのかしら?
と同情したりもしてみるのだけど、
それにしたってあれは直らんだろうし、
元々の性格っぽいしなあ。


まあ、おとついあたりはそんな話を聴いていて
あんまり気持ちの良いものではなかったし
逆にそう思ってるあなた自身がかわいそうなのでは、とすら思えた。

でも、そうやって欠点があり、よいところもたくさんあり、で
人間は成り立っているのであって
私がようやく盲目的視点からの「よいとこどり」から
ちゃんとしたひとりの人間としての「欠点もあり」という冷静な視点に立って見られるようになったことが
私は、喜ばしい。

ちゃんと私が自覚できるようになったことが、
それこそ人間らしいなあと思ったり。

成長、というにはおこがましいかもしれないけど
今までできなかったことができるようになったということは、成長かな。


最近はほんと、大人になったというか
ようやく年齢に思考が追い付きはじめているのか
落ち着きと余裕がでています。
鈍感になったのか?
だとしても、それはよいことと感じでいる。

負の感情があまり発生しなくなった。
頻度が本当に落ちている。
って、振り返って今気付いたんだけど。

それから、不機嫌な相手に対する対応も
まず発生する感情として「恐怖」なのが常だったんだけど、
昨日なんかは冷静に対処したと自負している。

不機嫌なジーン。
てドラマがあったねえ。
(みてないけど)


ちょっとここで整理。
仕事の依頼を朝一でコミュニケータでする。
自分では「わかりやすいように」と努めて書いた内容が
相手に理解されない。
→ブチ切れ。

………
うん、やっぱり理解不能。
というか、脳のどこかで「理解したくない」と
薄い膜で包んで隠してる感じすらある。

こちらとしては文章を正確に把握するために
「こういうこと?」と自分の理解した形を示したのに
それが「わかってない!!」(自分の努力??が、もしくは仲がいいのに??)

「わかってくれない!!」
と駄々をこねられてしまいましたけど、
同じことを他の人がやっても怒るんだろうか…

たとえば他の人に依頼するなら
メールでするんだろうし、
必要最低限以外のことは書かないのではないだろうか。
私宛のコミュニケタには、自身の私情というか(○○さんとは初めての会議!!とか)余計な情報?も書かれていて
私はそれに惑わされた。(から、確認のために「こういうこと?」と自分の理解と推測した範囲での再整理と羅列をした)
それと情報不足。
セットになっているのか、別物なのか。
セットならば、なぜ同じ時間帯ではないのか、という理由の欠落。
余計な情報は入ってるけど、必要な情報が入っていないという…


うーん…
やっぱり私はそんなに悪くないな。
悪いとしたら言葉の使い方が悪かったとかそういう部分だと思うけど、
それは無いと言っていたし。
単に彼女の「理解してほしかった部分」を私が理解できなかった。
それだけのことだと思う。
しかも仕事を依頼する時点でのすれ違い。
さらにそれを私が確認しているのに「はあ????なんでそうなるの???」という文章での返し。
これは見事にー…仕事じゃないな。
こういう、めんどくさい形で利己的な私情挟まれるのは御免被る。


はあ、早く忘れたーい、と思っていたけど
書いてよかった。
もやもやってたから、整理せないかんかったみたいだ。
これで、自分がそう悪くないと(自分では)判断したし
気に病むことは無い。
もう遺恨は無い、と確認したし、まだ根に持つようなら
それは向こうの問題。
だ。

よし。

こうやって一歩ずつ前に進むのだなあ。


一個ずつの積み木を、よけたり乗っけたり。
出来上がったと思ったら解体したり。
積み木の間を歩いてみたり。
積み木のトンネルをくぐってみたり。
てっぺんまで登ってみたり、途中で腰かけてみたり。
いろいろだ。



***

彼の本質をえらそうに語るのもどうかとは思うのだけど、
ちょっとこちらも整理してみたい。


・プライドの高さ
・自分本位
・人を見下す傾向
(天性+後天的環境による影響が考えられる)


これらの本質(と決めつけてしまうことには気が引けるが、仮定としてそういうものとしておく)を覆い隠して社会性のある人間として生活するために

・他人のことも考えているという思考回路
・折り合いをつけるための思考回路

が追加されていて、その後付けの回路でありのままだと行きにくい社会(会社)を、自分を補正しながら歩んでいる、のではないだろうかというひらめきが私の中で生まれた。
後付け、というか、覆いかぶさる形で。
包みこむようなイメージがある。
そうするしかない、そう考えておくしかやり過ごせない。
社会の、会社の枠の中では。
そのような観念。
(あ、奈良に行きたい)


自分を出すということは所所でできるししているが
それでも、自己抑制は少なからずあり
その解消としての飲酒が考えられる。
なんて、ほんとにえらそーだな。
知りもしないことがたくさんあるのに。


とまあ、私も自分の中で彼に折り合いをつけないと崩壊してしまうので
便宜的にそして利己的に、
”彼とはそういうものである(らしい)”というラベリングを行なわなければならない。

アメーバのように、常に一定の形を取らずにいるものを相手にしていたら骨が折れる。
それこそ本当にぽきっといってしまう前の、自己防衛策でもある。

だから、ある程度の形を与え(自分の中だけのことではあるが。そしてそれは「偏見」と言い変え得るであろうことも承知の上で)、呪をかける。
ことばで定義する。
情報が更新されたら、新たにラベリングすればよいだけの話だ。


常に自分の貼ったラベルが正しい、と考えることこそ過ちであり
そこから発生する物事のこんがらがり具合と言ったら目も当てられないほど面倒くさいものになることは請け合いなのだ。
自信満々なひとって、「常に自分の貼ったラベルが正しい」と思ってる人なんじゃないかと思う…
苦手。


今日書いたことも、「思いつき」の範囲なので
深い考察ではない。
という言い訳を記して逃げてしまうのが常だったりしてね。

しかし
「深く考える」というのも、糖分が大量に必要そうだ。
わけがわからなくなるー。
考えるのって、実は苦手かもなあ。


***
”自分をこの世界で保つために。”


各々は、矛盾を孕んで一日一日をどうにかやり過ごしている
ような気がしてくる。
すべてが、自分の思い通りになどいくわけがなく
自分ですら過ち、正しいと思っていたことがひっくり返され
それでも日々は続いてゆき、
だからこそ折り合いをつける、その”折り合いのつけ方”が
千差万別で、それが性格や言動にも影響を及ぼすのであろう。

人の中にはカオスがあり
内包するそれらをなだめてやり過ごして
時には風呂敷を広げて見て(それはあまり行なわれないように思えるが)
衣替えをしてみたり、
埃やクモの巣がそこここに積もり積もっていたりするのだろう。


何気なく生きている
”生きていられる”けれど、軋んだ歯車を抱えて
実は綱渡りで歩いていることに気付いていないだけなのかなあ。
おそろしい。

なーんて、悲観的に過ぎるかしらん。


***

短所ばかりあげつらってしまったけれど、
彼に関してはここ数年「よいとこ」ばっかり見えてたわけで。
でもあれ、「よいとこ」ってドコだっけ?!
てなってるかなあ。笑


自分に連絡くれる=自分を認識してくれている、思い出してくれている=好意、という思考回路だった私なのです。
拡大解釈と自分に都合のいいように改ざん、というありがちなパターンです。

そんでも、今まで出会ったことのないような破天荒であるようでいて
実は気を配りすぎる(それをすることが自然とできてしまう)ところが
きっと彼を疲弊させるんだろうなあという勝手な想像から
「自分だけがわかってる」という(恥ずかし!!)妄想でさらに自意識過剰感が相乗効果で盛り上がるわけです。ふふふーん


まあ、自分にできないことをこなしているというたくさんの点で
尊敬もしているし、ほんとにそこはすごいよなと思って。
仕事や勉強だけじゃなくて、対人関係然り。
甘えるのがうまいところとか、本当にうらやましく。

それでも、彼も不器用なとこもあるのかなーって初めて思ったり
自己抑制・調整ができているつもりでいても
実はひずんでいる部分があって
それをどっかで、もしくはちゃんとわかっていて
その差の解消を図るための日々のアフター5なのかしら、という結論にいつも至る。

好きでやってる部分と、どうしようもないものをどうにかするためにやっている部分の、両方が混在しているのだろう。なあ。
と、私は勝手に思っているので、かわいそうになあ。。と同情してしまったりするんだけど、それもほんとに勝手なことで「別に同情されたいわけじゃないし!!」とお怒りを買うかもね、そりゃそうだよね。
まあ、それは私から発生する感情なので、いかんともしがたく、ただ外にとくに本人に出さなけりゃ済む話なので、内にそっと持っておきましょう。


同情て、ねえ……て気もするんだけどね。苦笑


前は、そんな彼に私ができることは、とか
もっと利己的に自分が満足するために子どもがほしいだとか(すごい思考であります)考えていたけど
今は、「彼は彼(であり、本人の生き方や人生があるのだ)」という視点で見ることができるようになってきているので、
このまままっすぐこのことを忘れないでいられたら、
まあうまくやってけるんじゃないかな、と思います。
まだまだ、もしかしたらこんなんじゃ足りないのかもしれないけど
前に比べたら断然健康的な思考なので。苦笑
違ってたらそこで修正できるようでありたい。
(秋田行きたい)
(京都行きたい)


そんで、一番だいじなところは
「私は私」
であるということなのだ。

他人にばかり合わせて自分を殺さないという意味で、
自分本位でありたいと思う。

まあそんなこんなで生きてたら、今までよりかは断然苦しくならないかなあ。とね。
自然でいられるようになってきたし。
絶賛実践中だよ。


 < 過去  INDEX  未来 >


よう [MAIL]