不思議っ茶の日記
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2002年05月10日(金) 先輩に学べ

中国の日本総領事館での亡命事件。
いろんな問題点があるけど、一番頭にきたのが、総領事館は中国の治外法権であるにもかかわらず、日本の職員がそれを訴えなかったこと。
彼ら中国人の警察官を追い出さなかったこと!

ほかの国では亡命ができてなぜ日本の総領事館ではできないのか。

向かいのビルから一部始終を撮っていた韓国人ジャーナリストのビデオは
ふがいない日本の外交官の態度を雄弁に語る。
なぜ日本の外交官は、逃げてきた外国人を一端でもいいからひきうけないのかと〜〜〜〜。

あの、命のビザを発行した杉浦千畝を思い出す。
戦争さなか、ユダヤ人のホロコーストが進むヨーロッパで彼の領事館の窓を不安そうに見上げるユダヤ人のひとみ。日本経由でアメリカへの亡命で命を繋ぐしかないとやってきたのだった。

何とかしてあげたい気持ちはあるが、本国の意向はドイツに傾いているためもちろん駄目という返事。

リトアニアからは、退去勧告まで出て、日本に帰らないといけない。
しかし、あのユダヤ人たちを、見殺しにするわけにないかない。

彼がとった行動は、外交官ではなく、一人間として戦争という悪に立ち向かう勇気の人そのものだった。

不眠不休のビザの発行が続けられた。
彼らはそれを握り締めそして、生きて必ずもう一度会いたいと亡命していった。

杉浦一家がリトアニアを離れるその列車が発車する一秒一秒がもどかしく
また、惜しむかのようにビザの発給が行われた。
6000の命のビザであった。

その彼も、日本では本国にはむかったとして外交官の資格も奪われ
確かに彼が存在したと記されるはずの記録にも名前が残らなかった。

しかし…
杉浦千畝の名前はユダヤ人の間に広がり、彼はやがて懐かしい、あの時窓を見上げていた、そして列車が発車するまぎわにビザを手にして別れたユダヤ人と会うことになる。
正義が勝った瞬間だった。

あの、日本総領事館の職員はこの話を知っているのだろか?
かつて、多くの命を救った外交官がいたことを、しっているのだろうか。
ひと時でも、彼を否定しその存在を抹消した外務省に怒りを感じる。

それとともに、今回の事件は国際間の問題がどうあれ、まず亡命者の命を救うことが大事ではないか。

今度のことはまた事情が違うとするかもしれない。しかし、治外法権の領事館の敷地の中で行われた中国の法外なる行動をまず攻めるべきである。
そして、日本の敷地の中に逃げ込んできた北朝鮮人を保護すべきである。

人道主義を貫くことは、勇気の要ることだ。それができないのなら、即刻外務省を辞めることである。
日本人は臆病者だ、外国で外国人と対等に接することができないと誤解されたら、非常に迷惑だからだ!


さくちゃん |HomePage

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