不思議っ茶の日記
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2002年05月18日(土) |
中国と対等の対話を。 |
中国の日本総領事館でおこった北朝鮮の亡命事件がいろんな角度から 報じられている。
以前の日記にもあきれたと書いたが、どう考えても呆れている。 あのかけつけた職員さんは、英語が読めなかったらしい。 普通、英語は出来るのが外国へ出て行く為の基本条件じゃ無かったのか? 恥ずかしいうそをつくなといいたい。
亡命者に対する法律がないといいわけをするけど、それが通用すると思っているのか〜〜わがままを言う子供のようなものだ。 人間としての行動にマニュアルは無い。法律も無い。 公務員の前に人間としての行動が取れないのかと不思議だった。
日本は人権後進国というが、こういう国際的な場面でも人権無視をやってしまう。 役人根性というか、お殿様的発想なんだろう。特権意識だけのエリートの弱さをみてしまう。 それで、外国とお付き合いが出来るかと疑問だ。
日中国交回復が行われて30年。 日中間が日本のアメリカついづいの外交の為に凍結していたころ、ニクソンと佐藤両首脳の間で、中国への対策として中国を益々孤立化させて行く方向への確認がなされた。
しかし、アメリカはしたたかである。 否、外交はしたたかであるものだ。
政策の方向転換をアメリカはやった。 ニクソンの中国訪問だ。ビックリした日本は寝耳に水であった。 焦った日本政府は、中国への対話をどこに見出したか。 国交がなかったころ、日中の国交回復をうったえ、訪問を重ねた創価学会に焦点を見出した。 それから政治的には公明党と中国のパイプがあるのに注目した。国交回復はその後行われたのだ。
中国が悩んでいた頃、内部的に戦っていた頃、日本もアメリカも冷たく見ていたといっていい。文化大革命というわけのわからない革命が行われたいた中国は確かに病んでいたと言っていい。
その時その大中国は世界の孤児になっていたのだ。
アジアの外交はアジアから。日本がその指導権をとっていくべきとおもうのが最適ではないか。
アメリカのおしりにくっついてついていくのでは、誠意もなにもあったものではない。
その後の日本の政治家の発言がそれを語る。「あの南京大虐殺はなかった」と。 不誠実であり、不透明であり、不信そのものと言える日本。 これが欧米相手なら、また態度が違うというの残念でたまらない。
やはり、戦争の謝罪がきちんとされてないことに、対等な外交が成されない原因があるのではとおもう。
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