不思議っ茶の日記
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2004年06月07日(月) 育児の悩み

「さとみ」「さっちゃん」と、呼びかけるお父さんの手記を読んで、たまらなく辛くなった。

理性が「娘が亡くなったんだ」ということを静かに受け止めようとし、感情がそれができないと、苦しむ。そんな様子が見て取れる。

なくなったさとみさんの言い分が、伝わらないまま、加害者女児の気持ちだけが、報道されている。

給食の時間に呼び出されたとき、なぜ、今なのか、給食のじゅんびをする必要があるのに、なぜ、それをしないのかと、不思議に思う。

加害者女児の心の闇に誰も気がつかなかったのか。おかしいと思っても、特に声をかけることもなかったのか。

いらぬお世話と言われても、なにかあるんとちゃう?と、だれも声をかけなかったのか?

教師が教育者として機能しなかったら、最終あてにできるのは、両親である。

両親が、普段の状況から大丈夫だと納得していたとしたら、子供は、親の注意の死角をついたものと思う。

鈍感なのである。

ついぞ、友人と話をしていて、自分はほかの人から過保護だと言われると、話をしていた。

わたしは、友人が過保護な親とは思えないといった。
過保護というイメージの理解の仕方の違いなのだろうか。

彼女の子もうちと同じく高校生だ。
赤ちゃんと違って、持ち物まで準備して、きるものまで、指示してというのではない。
少しの変化も見落とさないという、注意深さである。

少しでも、おかしいと思えば、徹してかかわる行動力である。

親を大事にとか、親の恩とか、いまどきは語られないのかもしれないけど。
私はよく口に出す。

私が話さないと誰が教えるものかと、自負している。子供からの抵抗は大きい。
でも負けないのが、親である。

決して優しいだけではない。
決して、老化しているだけではないのだ。

お互い親子で、どちらかが死ぬまで親子を続けるものである以上、1年とか2年という短期間だけかかわる教師とは違う。
責任の重さの違いである。

子供のしつけも学校がやるものだという親がいるが、それも違う。
育児責任の放棄になる。
愛情の欠落である。

早く育児から開放されて楽になりたいという人がいる。

子供が小さくて、手がかかるからというのである。

小学校に入ったら、楽になるというのか。
中学に入ったら、離れられるというのか。
高校に入ったら、子供とのかかわりがなくなるというのか。
すべて、違う。

子供が社会人になるまで、手をかけるものであり、長く続く育児なのである。

うちの子供たちが中学生と高校生だからと言って、楽とは思えない。

子供に関する悩みもあるし、心配事も山ほどある。
それから逃げる事は、無責任なのである。

今の時代、育児は過保護のほうがいいと、私は思う。
事実、我が家でも、高校生の娘、中学生の息子に関しての育児の悩みを抱えているのだ。他人事ではない。


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