沢の螢

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八月尽
2002年08月31日(土)

今日で八月も終わり。
長いひと月だった。
猛暑の東京、それを避けての森での生活。
いずれも、感慨深い。
人間は、人と人の間にいるから、人間、そして、人という字は、人と人とが支え合っている形から来ている。
外国生活をしているとき、言葉の違いからくるコミュニケーションのまずさを、時として経験した。
言葉さえ通じたら、こんな行き違いはないのに、と思ったことが何度もあった。
でも一方で、何事も、言葉が通じないんだから仕方がないと、諦めてしまえる、気楽さもあった。
同じ日本人同士、同じ言葉を使っていながら、通じ合えない、あるいは、通じ合おうとしない事柄に遭遇したとき、どうすればいいのだろう。
そんなことを考えながらのひと月であった。
きちんと話せば、絶対分かり合えるはずだと思うのは、一方的な願望で、本当は、食い違った歯車が、正しく噛み合うことは、あり得ないのかもしれない。
人間が、簡単に理解し合い、こころを通じさせられると思うのは、見果てぬ夢のようなもの、だから地球上では、戦争は絶対無くならないし、一見平和だと思うのは、偽りのものであって、どちらかが、我慢をしたり、無理矢理、形だけの平和を、保たされているにすぎない。
もし、本当に人と人とが、対等で、正直に、自分の考えを表現したいと思ったら、必ず、ぶつかるはずである。
それを避けて、当面平和を維持しているように見えても、それは、表面的なものであろう。
しかし、価値観の少しずつ異なる複数の人間がいる場合、リーダーは、偽りであっても、平和であることを第一に考えるので、時としてそこからはみ出す人間も、当然出てくる。
もしリーダーが、一人一人を大事に考えるなら、それぞれが抱いている考えの違いを、よく聞いて、みんなの問題として、考える方法を採るであろう。
しかし、それを、煩わしいとだけ感じ、問題が表面化せずに、平和を保つことだけ考えるなら、はみ出した人間を、有無をいわさず排除して、何事もなかったように、蓋をしてやり過ごす道を取るであろう。
それが、老獪な大人の知恵というものかもしれない。

明日から9月、別のホームページを、新しいサーバーに作り、3ページばかりアップした。
今までのファイルから、大事な物を移し、少しずつ新しいページを、加えていくつもりである。
今月最後の日記、いささか感情にすぎた。
これがあることで、私は救われている。
抽象的にしか、表現できなくとも、心ある人が、感じてくれたら、それでいい。
もう秋、「誰もいない海」でも、口ずさむことにしようか。

2002年08月31日 16時22分41秒



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