市内の某大学公開講座に通い始めて、10年を超えた。 自転車で15分ちょっとの処にあるこの学校は、ルター派の神学校を母体としてできた大学。 歴史は古いのだが、長いこと、私は存在を知らずにいた。 もとは神学科だけだったらしいが、今では、キリスト教学科、社会福祉学科、臨床心理学科と三つの学科を持つ大学になっている。 キリスト教精神が基本にある点は変わらない。 市内にはもう一つ、戦後アメリカ資本が創立したキリスト教系の大学があって、歴史は新しいが、総合大学的な学部を備えていて、規模としてはずっと大きく、知名度が高い。 キリスト教と名乗っていながら、神学科に類する学科はない。 この大学には、30代の中頃、日本語学を学ぶため、研究生として1年間通ったことがあった。 始めに書いた大学の方は、すぐ隣に塀を接して建っていながら、私の目に触れなかったのは、私自身が、宗教的な関心がなかったためもあるが、二つの大学が、長年の間、ほとんど交流がなかったことにも依る。 10年以上前のこと、連れ合いと散歩しながら、第二の母校である大学のそばに行った。 そのとき、大きな大学の傍に、隠れるようにひっそりと建つ二階建ての建物に気づいた。 それが、その後、縁を持つことになった大学だったのだ。 ちょうど春休みで、学生の姿が見えなかったこともあり、はじめは、市の文化施設かと思っていたのだ。 隣には、オリエント関係の美術館もあるので、その一部のようにも思えた。 門は開放してある。 入ってみると、緑に包まれた構内の奥に、いくつかの建物がある。 平屋か二階建ての小さなものである。 大学という雰囲気ではない。 中に入ってみると、玄関脇にチャペルがあり、さらに教務科があり、そこで始めて、大学であることが分かった。 名前は知っていたが、それがそうだとは知らなかったことになる。 「公開講座」のパンフレットがあり、4月からの、講座の案内が書いてある。 市内の図書館にも、置いてあったらしいが、宣伝も何もしないので、それまで知らずにいたのだった。 神学関係、社会福祉関係のいくつかの科目が並び、興味を惹かれた。 次の年、北森嘉蔵氏の講座を、そこではじめて受けた。 世界に名のある先生の存在も、その時始めて知った。 それまで縁の無かった、キリスト教の世界を知るのは、私にとって、大変新鮮で、先生の話も、魅力に溢れていた。 当時すでに80才を超えて、杖をつきながら、通ってこられた先生の講義を、2年間受けた。 受講生は、ほとんどが、北森神学に心酔している人たち。 無宗教に近い私のような受講生は、少なかったようだが、開放的な大学は、誰でも受け入れる雰囲気があり、それをきっかけにして、ほかの講座も受けることになった。 北森先生は、2年後に、退かれ、間もなく亡くなった。 著書「神の痛みの神学」は、私にとって、大変難しく、まだ理解に至っていない。 同じ頃に、比較文化を専門に他大学から移ってきた若手のU先生が、「日本の宗教風土」というテーマで、古事記を取り上げた。 この授業は、伊勢、熱田、奈良、京都の神社、仏閣、宗教的施設や学校を訪ねるという、フィールドトリップ付き。 6日間に渡り、学生やほかの先生方も混じって、15人程の、実り多き、旅となった。 その後、U先生の講義は、毎年受けている。 テーマは変わらないが、講義の内容は毎年違う。 単位を取れば、2度と教室には戻らない学生と違い、社会人受講生は、気に入った先生の授業を、何年でも受けることが出来る。 U先生は、授業に対して、充分準備をし、真摯な態度で臨み、決して手抜きをしない。 1時間半の授業で、退屈だと感じることはほとんど無い。 アメリカ、アジア、アフリカなどにも、積極的に行き、海外でのフィールドワークも、こなしている。 2年前から、市民大学でも、企画講座の中心的存在となって、魅力的なプログラムを、提供している。 今年も、U先生の授業を受けに、その大学に週一回通っている。 「キリスト教と文化」という科目名だが、前期は、「神の痛みの神学」をテキストに、比較宗教学。 今日から始まった後期の授業は、仏教やイスラム教と、キリスト教との比較である。 毎回、授業の始めに、「自分にとってのキリスト教との出会い」というテーマで、受講生が順番に指名され、それぞれの宗教的ルーツを語ることになっている。 前期の時は、私は、父が亡くなったばかりだったので、人の死と弔い方について、自分の思いを話した。 20人程の受講生のうち、現役の学生は5,6人、ほかは社会人である。
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