Sotto voce
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2004年06月29日(火) 朝っぱらから…(怒)

ぎゃーぎゃーぎゃーぎゃーやかましいんじゃヴォケ!!


…はい、すっかりやさぐれモードです。

でも朝一番の朝礼のときから、めっちゃハイテンションの怒声を聴かされるのって

一日嫌な気分になりませんか?私だけですか??



鹿児島は県知事選挙と参議院議員選挙が同日に行われる。

県知事選挙は近年まれに見る大激戦で。

選挙好きのうちの社長なんか社業ほっぽって某候補の事務所に入り浸り。

社員と取引先に後援会名簿が配られ、友人知人を紹介しろと言う。

その社員からの名簿が数枚しか出ておらず社長が激怒したと言うわけ。

でもこう言うのって、意外と書きづらくないですか?

いきなり選挙事務所から電話が行くから、よろしく、って

相手とよっぽど親しくないと頼みづらい。


きっと社長はこの集まった名簿を得意げに後援会に提出するんだ。

大量に集まった後援者を集めた手柄を自分のものにして。

裏で我々事務職員がどれほど根回ししているかも知らずに。

あんたひとりの力でこれほどの人数が集まると思ったら大間違い。

選挙だ何だって飛びまわってるのを、

周りの連中からの嘲笑のネタになっているとも知らずに。


2004年06月28日(月) もうそろそろ・・・

解放されたいです、いろんなしがらみから。




部長が「K(私)が日に日に元気をなくしていく」と

同僚T氏(ただいま引継の為最後のお勤め中(笑))に言ったらしいけど。

電話越しに私の様子がわかるもんなんですかねー?

仕事の電話では私、別人なのに。

おち込んでるとか凹んでるとか、そんな態度ぜってー見せねーぞ、って

気合入れて喋ってるんですが(=カラ元気満々)






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2004年06月25日(金) 最近放置気味。

…で、気づいたんだ。

愚痴を言うのも毒を吐くのも忘れるほど

私は疲れきっているのだ、ということに。


2004年06月20日(日) 文句があるなら出社しろ。

久々にでかい台風か直撃かも、ってことで、

昨日は本社事務所の台風対策におおわらわ。

すっかり疲れきって、今朝はゆっくり寝ようと思っていたら、

7時過ぎに部長から電話が。

心配になって会社に来たのだという。



今現在・部長は私たちのいる本社ではなく、K市にある支店にいる。

社長の目は届かないし、可愛い受付の姉ちゃんと二人きりだわで結構楽しそうである。

30分そこらの距離なのに、彼が本社に来るのは週に1回程度、ということで

事務所もへんにぴりぴりしなくて歓迎なのだが…。




電話に出るなり、なぜ鍵箱(自動車の鍵を保管する箱)が事務所にあるんだだの、

机の上の封筒はなんだだの、やかましいことこの上ない。

ちなみにこれらは全て社長の指示等によって行ったもの。

それを言ったら

「何でもかんでも社長の言うことばっかり聞くな!」と意味ない逆切れ。

できないことはできないとはっきり言えばいいし、

どうみたって不都合が生じるような指示を聞くことは無い、と。

…お言葉を返すようですが部長。

それができますか、この会社で?我々の立場で?

あなたでさえ、社長の命令には、

たとえそれが理不尽なものであろうともNOとはいえないじゃないですか。

事実上の後継者であるあなたにできないことが、下っ端の我々にできるとでも??

自分がいなくなってから、本社の状態が自分にとって都合悪いのに文句があるのなら、

営業所で羽根伸ばしまくってないで本社にも顔を出せ。

時期的に営業活動できないのは仕方ないが、

ろくに仕事もせんと時間中にネットオークションにはまってること

うちらが知らないとでも思ってんの〜?


2004年06月19日(土) すったもんだの1週間。

あーここ書くのは久々だー。

ほんとに今週はいろいろありすぎました。

月曜は日記に書いてますので省くとして、今週あったことを箇条書き。


●私が経理担当の子会社の決算の大詰め。

●同僚T氏の辞表、部長預かりに。

●T氏の今後がはっきりしないうえに引継ぎもまともにされてないので、
そのフォローにおおわらわ。

●事務所内でとどめておくはずのT氏の辞職騒動、うちの会社でスピーカーの呼び声高いY氏はなぜか知っていた。これで全社にばれること確定。

●社長の、今までT氏にむいていた八つ当たりが、自分のほうに向いていると思うのは気のせいだろうか。

●…ってか、口ではいいことばっかり言ってるけど、本当は局的存在の私を追い出して、若くて可愛いお姉ちゃん(そして社長の私的流用についても深く突っ込まないような子)を事務員にしたいんでしょ?(被害妄想??)

●そんな中、毎月の通常の支払業務はやってくるわけで。
しかも、社長の都合で決済締切が3日早まった。


●プライベートでは、メインサイトの日記が・レンタル先の都合でよそに統合されることになったものの、移籍先の会社の対応のずさんさに、
絶対そこには移籍させねえと決意したものの、その引越し先がきまらない。






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2004年06月14日(月) 板ばさみ。

T氏の件で朝から問い詰められ。

午後にはT氏の辞表が郵送で届き。

気づいていたならなぜ引き止めなかっただの

早く相談しなかっただの散々言われた挙句に

おまえはもう信用しない(BY社長)と来たもんだ。



本当は彼にやめて欲しくない

だけど、最後の夜に本当に心のそこから疲れ果てた

彼の姿、言葉を思い出せば引き止めることなんか出来なかった。


いつのまにか笑顔をなくし、うつむいている姿ばかりが目に付く彼に

もうこれ以上、無理してここにいてくれなんてどうしても言えなかったんだ。

引き止めるとかそう言うことはもう部長たちに任せたい。


ここ数日、彼の気持ちを知っていて、それを尊重しつづけることと

社会人として、上に報告すべきかどうか、それの板ばさみになって苦しかった。

今朝、思いきって部長に打ち明けたとき、予想外の部長のやさしい言葉に

涙が止まらなかった。

社長に罵られたり、部長や課長に暖かい言葉をかけてもらったりで、

今日は本当によく泣いた。

泣いた不細工な顔なんかさらしたくなかったけど、涙が止まらなかったんだ。


2004年06月12日(土) きっと彼はこないだろう。

今、誰もいない事務所でこれを打っている。

会社カレンダーで社休日に当たる為、他のメンバーは全て休んでいる。



同僚T氏、ついに辞める決意を固めたようだ。

やはり社長の仕打ちに耐えられなくなったらしい。

昨日は具合が悪くて休んだことになっている。

本当は彼なりの『出社拒否』なんだが、知っているのは私と同僚K青年だけ。

一昨日の夜、ついに身辺整理をはじめた彼と色々話をした。

律儀ストの彼は、今まで転職する際にはいわゆる「立つ鳥跡を濁さず」できたが、

今回はそれを放棄する、という。

何を言われてもいいから、明日にでもやめたい。

何もかも投げ出してここを去る、とまで言った。


きっと月曜には、何らかのかたちで彼の意思表示がなされるだろう。

でも、彼が会社を去らざるを得ないところまで追い詰められてるなんて

社長はきっと気づいていないのだろう。





彼がいなくなった事務所の今後が気になる。

社長はすぐに後任を連れてくるだろうけど、

そんな中で働くことに何の意味があるのだろう。

逃げ出したと思われてもいい、私もそろそろ身辺整理をはじめようかと思う。


2004年06月09日(水) 頼む、踏ん張ってくれ。

うちの会社の社長は、

我々部下を感情の赴くままに怒鳴り散らしたりするお天気屋だが

同じ怒鳴り散らしでも、相手を見てモノを言う。

私に対する言葉もかなり辛辣なものだが、

同僚T氏へのそれは聞いてるこちらがかなり辛くなる。

決して手を挙げたりはしないが、T氏には物は投げるわ、

彼がおとなしくて辛抱強く反論しないのをいいことに、

けちょんけちょんに罵りまくる。



それでもT氏はいつだって耐えていた。

社長に理不尽なことを言われても自分の心の中で整理して、

我々に八つ当たりしたりすることは決してなかった。

社長の感情に任せたままの暴言がらみの伝言も、

彼の中でかなり角を取り除いて私たちに伝えてくれていた。

神経質でやたらと細かくて、それが仕事の面では

慎重すぎてあだになる、ということが多々あっていらだつことがあって、

こいつうぜえ、と煙たく感じることはあっても、

やはり彼は事務チームにとっての精神的支柱だ。




決してくじけたりしない彼だが、ここ数日はふさぎがちだ。

そして今日の3時休憩で私と彼が二人だけになったとき

「まだはっきりしないからKさん(私)にだけ言うんだけど…
俺もう限界だわ、あんなに言われっぱなしじゃさすがに続かない」

個々まではっきりと弱音を吐いた彼を初めて見た。

いや、今までそういうのが出なかったのがおかしかったのかもしれないが、

社長の仕打ちがかなり精神的にきているのだろう。

うちの会社は若手女子社員が続かないのが定説だったが(私は例外だけど)、

事務チームの年長者(男性)は、社長の仕打ちに耐えて耐えて

最後には欝になって辞めていく、というのが続いている。



彼には申し訳ないが、どうかもう少し踏ん張ってほしい。

彼がいたから、私も社長の罵詈雑言に耐えてこれた。

彼がいなかったら、私はとっくにストレスでつぶれていたかもしれないのだから。


2004年06月07日(月) 毒吐き続けて20000番。

この日記もついに20000カウンター突破。

2年半ですかー。

最初は恋愛のぼやきとか家族(特に母親)への不満や怒りをぶちまける場で

そんなに長く続かないと思ってました。

ところが日増しに毒が増えていくというのはどういうわけか(苦笑)


このようなぼやき毒吐き自分を卑下しまくり日記を

ブックマークしてくださってる皆さん、

毎日定期的にチェックしてくださってる皆さん。

ありがとうといっていいのやら申し訳ないとわびの一つも入れるべきなのか…。

この日記が本当に必要なくなる日は来るんだろうか??

来るとしたら、私がネットをやめたとき、なんだろうなあ。


2004年06月04日(金) 『気持ち』の値段。

決算業務で残業続き、最近は父に夕食を作ってもらってる状態。

食べたら片づけしようと思うものの、その前にひと眠りしないともたない。

今夜もそうやってうとうとしていていたところに、一本の電話。

父はすでに自室に引っ込んでいたので、渋々起きていって電話を取る。

相手は母で、父に金(いわゆる『慰謝料』)を振り込んだのか聞けという。

決して父にかわれとは言わずに私にそれを言わせるとは、なんとも嫌な役回りだ。

案の定、父の機嫌が悪くなった。

金額をはっきり提示しないから、金額を聞け、という。

母の答えは

「お父さんの『気持ち』で決めて。」



親子二人で考えてしまった。

「気持ち」の値段とは一体いくらだ??と。

当初は父の退職金の半分と、家土地にかかわる権利をある程度よこせ、

といったらしい。

父はその要求を飲んでもいいが、父が保証人をしている、

甥のY氏(父の長兄の息子)の借金(の保証)も半分もつなら、という返事をした。


それに対する母の答えは

「借金までは背負いたくないから、金額はあなたの気持ちで決めて」

だったそうだ。


なんとも聞いてて不快な話である。

もう父と母の間にはこういう打算的な話題しか出ないのだ。


父は、自分の保険金の受取人を全て私に変更したといった。

今父が手がけている山の仕事も、俺が死んだらお前の好きにしろ、といわれた。

父が一体あとどれくらい生きるのかはわからないが、

おそらく私よりは先に死ぬだろう。

あらためて、父の老後の面倒や、その為にはこの土地で生きていくこと…

そんな覚悟を決めなければいけない現実を、突きつけられたような気がする。


2004年06月03日(木) 閉ざす、隠す。

インターネットが殺人の引き金になってしまったから

子供のサイト閲覧を禁止しましょう。

人を殺そうという思想を持つにいたった有害なドラマや小説を

子供の目に付かないところに排除しましょう。




どんなに閉ざしたって抜け道はある。

子供の好奇心や探究心をそうやって押さえつけていれば

その欲求が収まると本気で思ってる??

自分の子供時代を振り返ってみてみなよ

自分のあらゆる欲求が

周りの大人に押さえつけられても

知りたい、手に入れたいという気持ちは変わらなかっただろう?

自分ができなかったことを

自分の子供には押し付けるつもりかい??


2004年06月02日(水) 雑感。

友達だと思ってた人に悪口言われたり、嫌なことをされたりしたことが
人を殺める理由になるのなら。
子供時代の私はいったい何人人を殺していただろうか。
子供にだって、その心の中に殺意が芽生えることがある。
ただ、それを実行に移さないだけで。

長崎の事件で、カッターが凶器と聞いて思い出したことがある。

私は小学生時代、同じ地区に住む・幼馴染として付き合ってきた同級生にいじめられていた。
その子はとても「いばりんぼ」で、私はその子の友達と言うよりは子分という感じだった。
ぱしりみたいなことに使われたり、真新しい学用品をとられたり。
そう言うことが母親にばれてひどくしかられて、
相手にNOと言えないことがいかに情けないことかとなじられ。
ある日思いきって、その同級生に逆らってみた。

その次の日から、彼女の私に対する行為はあからさまに「嫌がらせ」になった。

彼女は、常にポケットカッター(工作用のカッターナイフではなく、手のひらにのるような、刃も3�冂�度しかない小型カッター)を持ち歩いていた。
それで、親戚からもらったばかりのバッグを切られたこともあった。
その刃や画鋲が、靴の中に隠れていたり椅子の上に置いてあったこともあった。
通学用の定期券を隠され、7�劼瞭擦里蠅髻∧發い撞△辰燭海箸發△辰拭�
クラスの女子のほとんどからバイキン扱いされて無視されていた。

親には言えなかったし、誰も助けてくれなかった。
その子達は教師の前では『いい子』だったから。

登校拒否に理解のない時代、地域でもあったし、
死にたいと思ったり、逆にそいつらを殺したいと思っても、
子供心に『その後』を考えるとどうしてもそれが出来なかった。
とにかく、1日1日が闘いだった。
歯を食いしばるように学校に通っていた。

今思えば、子供時代の私は、
少なくとも今の私よりははるかに強かった。
それか、死ぬことと、親にしかられるのを怖がる弱さから来ていた行動だったのかもしれないけど。


2004年06月01日(火) ずっとずっと…。

人の気持ちに永遠はない、それはよくわかってる。



そもそも私は、幼少字の経験からなかなか他人に馴染めないかわりに、

一度この人だ!と信じると、その人との人間関係にかなりのめり込む性質のようだ。

だから、普通の人じゃ考えられないような嫉妬心を抱くこともあるし、

相手の些細な言葉に、自分勝手に傷ついたり怒りを覚えたりするんだ。

『ずっとずっと一緒だよ』

そんなの、私だけに言われた言葉じゃない。わかってる。

それくらい自覚しないと、いつか嫌われてしまうのに。

でも、そう言われると私は舞い上がってしまう。

自分が必要とされてるんだってうれしくなる。

もっと冷静にならないと、距離を置くことを覚えないといけない。

そうじゃなきゃ、自分自身の言動で大切な人を失ってしまう。



これでも大人になるにつれてだいぶ改善されたと思う。

でも、生まれ持った性質はなかなか消えてくれないようだ。


安積 紗月 |MAIL |HomePage

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