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| 2006年01月31日(火) ■ |
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| なぜ、「空気を読めない」のか? |
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「おとなの小論文教室。」(山田ズーニー著・河出書房新社)より。
【この前、ちょっとうまく行かないことがあり。 「どうもいまく行かなかったな、しばらく距離を置こう」 と考えた。とたんに、自分が自分にツッコンだ。 また、距離? 「しばらく距離」ばっかりとってるんじゃないの? 私。 「しばらく距離を置く」、人間関係がうまく行かないときの得策のように言われているけれど、ほんとに距離を置くことがいいことなんだろうか? その間、閉ざされてしまう想いとか、それで、薄れていってしまうものとか、そもそもなんのために距離を置いたのかさえ、忘れてしまうこと、とか。 なんか、縮こまっているなあ。 ニュースなどでは、「相手の気持ちを考えない」若者の犯罪とか、「相手との距離をわきまえない」ストーカーとかが、目立つから、話題にされる。 だから、もっと相手の気持ちを考えよう! と、ここで、言うべきなのかもしれない。 でも、学生とか、実際、私が接してきた若い人には、そういう「ずけっ」とした人が思いあたらない。 むしろ、家族や友人にまで、とても気をつかう、優しい、いい子が多い。 何かひとつ、私に頼むにしても、私に負担にならないように、メールには、絵文字でちゃかしながらも、「忙しいのに、ほんとにごめんなさい」とか、「ありがとう」が何度も、何度も、書いてある。 そんなに気をつかわなくていいのにと思う。 むしろ、相手の気持ちは考えすぎ、距離は取りすぎている。 その方が問題ではないだろうか? このところ、自分のまわりで起きたすれ違いを考えてみると、相手の気持ちを考えない、というよりは、むしろ、相手の気持ちとか、相手がどう思うかとか、お互い、考えすぎて起こっているように思う。 ふたをあけて、話してみると、 「こうしないと、あなたがいやがるだろうと思って、わざわざ、こうしたのに」 「私だって。あなたにとって、いいだろうと、配慮して、気をつかって、あえて、こっちを選んだのに」 という感じで。 一見、自分のことを考えていないように見える相手も、実は、かなり自分に気をつかってくれていることに驚く。自分も、気がつけば、相当、人に気をつかって生きている。生きていることに、はっとする。 ただ、お互いの気づかいが、それぞれ自分にしてほしいと望んでいることとズレている。だから、お互いのことを考えていないかのような錯覚が起こる。 お互いのことを考えすぎて、それで動きづらくなったり、本来の方向からズレてしまったり。 自分も相手も、息苦しくなっている。】
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この文章を読んで、僕は自分も「距離を置きすぎてしまう人間」だよなあ、とあらためて思い知らされたような気がします。でも、相手を傷つけまいとして距離を置いているつもりでも、本当は、自分が傷つくのがイヤだっただけなのかもしれません。今から考えれば、たとえ気が利いたことが言えなかったとしても、あのときに、一声かけておけばよかった、と思うことって、たくさんあるんですよね。その場では、「簡単に『がんばれ』なんて声をかけても、相手にプレッシャーがかかるだけだし…」なんて自分に言い聞かせていたけれど、たとえその言葉がその場では相手にうまく伝わらなかったとしても、やっぱり、言っておいたほうが良かったのではないか、とか。 でも、そういうのって、僕だけではないのだということが、この本を読んでよくわかりました。現実というのは、お互いに相手のことを気遣っているつもりなのにもかかわらず、「うまく伝わらない」ことばかりなのかもしれません。 そして、「自分がしたいこと」の前に「相手の考え」を読もうとばかりしていて、延々と膠着状態のまま時間だけが流れていきます。ああ、相手の気持ちがわかれば、もっとうまく対応できるのに、と嘆きながら。 そんなの、いつまで経っても「わかる」わけないのにね。
ネット上には、「空気を読めない人々」が、たくさんいます。僕はそういう人たちに対して、「この人たちは、どうして相手のことを考えずに、そんなことを求めてもいない女性のサイトにストーカーのようなメールを送るのだろう?」とか、「どうしてこの人は、自分の自慢ばっかりするのだろう?」とか、ずっと考えていたのです。あるいは、僕自身も、そんなふうに誰かに思われている可能性は十分にあるのですけど。 でも、こういう「空気を読めない人々」というのは、裏を返せば、「コミュニケーション不全」なのですよね。そして、僕の今までの経験を思い出すと、現代の人間関係というのは、お互いに「踏み込まない」から、相手との「距離感」というのが、非常につかみにくいのです。逆に、一昔前なら踏み込みすぎで「無礼者!」と叱咤されるような行動をとったとしても、それも「個性」だからということで、お咎め無しになったりしますし。 要するに「危険な距離」を体験したこともないから、「どこまでが安全」なのかも、わからないんですよね。 もし、何の予備知識もないままに、お葬式に初めて参列した子どもが悪戯をしていたとしたら、「どうして空気が読めないんだ!」と、怒ることが妥当でしょうか?
「空気を読む」ためは、もちろん素質もあるんだろうけど、やはり経験が必要なのです。でも、そういう経験を積む機会が現実にほとんど無いのに、ネット上で、いきなり「空気を読める」わけがありません。そもそも「空気」とう目に見えない存在に喩えられるようなものを「読む」というのが、そんなに簡単なことのわけがないのだし。 本当は、ネット上の「空気を読めない人々」に対しては、mixiの相手の目に触れないところで「あいつバカw」とか書くよりも、その場のコメント欄などで、「お前のその発言は無礼だ」とか、「管理人は、そんな発言を望んでいない」と、明確に教えてあげるほうが親切なのかもしれません。「空気を読めない人」というのは、実際は、空気の存在そのものを認識できていないのですから、「なぜ、空気を読めないんだ!」なんて言われても、伝わるわけがありません。お互いに理解しあおうと思うなら、摩擦を恐れて距離を置いてばかりでは、どうしようもないのです。
まあ、それをわざわざ「ネットだけの付き合いの相手」に「教える」なんて、「そんな義理なんて無い」のも事実なのですけどね……
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| 2006年01月30日(月) ■ |
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| そして、この話に魔法は全然関係ないのである。 |
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「三谷幸喜のありふれた生活4〜冷や汗の向こう側」(三谷幸喜著・朝日新聞社)より。
(シチュエーション・コメディ、略して「シットコム」の代表作「奥様は魔女」の脚本家のひとり、バーナード・スレイドさんの話)
【彼の書いた話は、どれも笑わせて最後にホロリとさせてくれる。さすがバーナード。凄いのが、彼の回ではサマンサの魔法はあくまで導入だということ。物語の大半はごく普通の、それもかなり出来の良いシットコム。後年傑作コメディーを書く片鱗がそこにはある。 例えば、ダーリンがオフィスにあった熊の縫いぐるみを、魔法で姿を変えられた上司のラリーを思い込む。他人がそれを乱暴に扱ったり、女性が持て更衣室に入ったりすうると、その度に大騒ぎ。それって端から見れば、異常なまでに縫いぐるみを愛する変人なわけで、ね、面白そうでしょ。そしてこの話に魔法は全然関係ないのである。】
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ここで三谷さんが描かれている短いあらすじを読んだだけで、僕も「奥様は魔女」のこの回を観てみたくなりました。ひょっとしたら、子供の頃、再放送などで一度くらい観たことがあるかもしれませんが。 この回について、三谷さんは【才能がある人は違うなあ、と打ちのめされる】と書かれているのですが、確かに僕もこのバーナードさんの「発想」のスゴさに感動しました。もちろん、多くの作品のなかから、それを見出して感動している三谷さんの感性もたいしたものだなあ、と思いますけど。 普通、「魔法が使える世界で、面白い作品を書け」と言われたら、「どんなすごい魔法でみんなを驚かそうかな」と考えると思います。「魔法」が売りのドラマなんだし。でも、バーナードさんは、「魔法がある世界」を逆手にとって、「魔法があるにもかかわらず、魔法を使わない」という手段を用いて、これだけ面白そうなコメディーを作り上げてみせたのです。そしてこの話には、「魔法が存在することを知っている人」と「それを知らない人」の意識のギャップも面白おかしく描かれています。もちろん、ダーリンは魔法のことをみんなには言えないし、言っても信じてもらえないわけだし。 こういう「発想の転換」って、言われてみれば「なるほど」という感じなのですが、実際に自分がそのシナリオを考える立場になったら、やっぱり、こういう発想ってなかなか出てこないと思うのです。 ほんと、才能のある人は違うなあ……
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| 2006年01月29日(日) ■ |
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| ブティックの店員たちに集中的に狙われる人々 |
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「お客に言えない『お店』のカラクリ(知的生活追跡班[編]・青春出版社)より。
(「人気ブランド店がひそかにお客をチェックする㊙ポイント」という項の一部です。人気ブランドのブティックの店員たちが集中的に狙う「カモ」の客について)
【では、彼女たちがてぐすねひいて待つカモとは、どういう人なのか? ディスコなら入店お断りになるタイプ……つまり、服装がキマッてない人だ。 ありがちに考えると、服装がキマッているオシャレな人のほうが、服をあれこれ買いそうだ。が、事実は逆。店員なら誰でも知っていることだが、ヒトが洋服を買う行動においては「服が似合っている人は、むやみに服を買わない。服が似合っていない人ほど服を買い込む」という法則が成立するのである。 その理由がが、服が似合っているような人は、そもそも自分のファッションセンスに絶対の自信を持っていて、いちいち人の評価になど左右されない。 店員が、いくら「お似合いだワ」とホメても、自分自身が似合うと確信しないかぎりは、絶対に買わない。 一方、服が似合っていないような人は、つまるところ本人にファッションを見る目がないわけで、人の意見にすぐ左右される。似合わない服でも、店員が「すっごく似合う〜」「さっき着てた服より、こっちの服のほうがやせて見える〜」「肌が明るく見える〜」などとホメまくると、客はすっかり舞い上がってしまい、その服の購入を決意することが多いのである。 さらに、店員がそこでもうひと押し、「でも、こっちの服も似合う。捨てがたいわねェ」などとつぶやくと、完全に自分を見失い、二着、三着と服を買い込んでいくというわけだ。】
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僕はそんなにブランド物の服を買いにいったりすることはないのですけど(少なくともひとりで行くことはまずないです)、行ったら行ったで、ああいう店での「店員アタック」に対して、「ああ、なんで僕みたいな服に興味なさそうな、買いそうもない人間のところに寄ってくるんだ…あっちのカッコいいヤツのほうに行けばいいのに…時間のムダだよ…」などと心の中で愚痴っているわけですが、これを読んで、その疑問が氷解しました。 そうか、「センスが悪い」からこそ、あんなに店員さんが寄ってくるわけですね。別にわかっても、嬉しくもなんともないですけど。
つまり、売る側の立場からすれば、自分の基準でしか判断しない、「勧めてもあまり効果が無さそうな人」に対して一生懸命セールストークをするよりは、僕みたいに、「何を着ていいかわからず、店の中で漂流している人」のほうが、よっぽど効果的だということなのですね。 確かに、自分のセンスに自信がないと、「とりあえず買っておいて、しばらく着てみるか…」などと考えがちなのです。もちろん、あからさまなお世辞だと、「お前、これの何処がカッコいいんだ、言ってみろ!」と逆ギレしたくもなるのですが、もし「ダメですね」とか言われたら、それはそれでやっぱりショックを受けそうだし、「ここまで一生懸命勧めてくれるんだから」と情にほだされてみたりもするし。 本とか電器製品とか、自分の興味がある分野に関しては「指名買い」もできるのですが、服というやつだけは、「とりあえず凍死しなければいいんじゃない?」とか長年考えていたものですから、この年になって自分がそういうセンスを磨いてこなかったことに後悔してばかりです。「人を見かけで判断してはいけない」って言うけどさ、見かけだって、わざわざ悪くする必要はないわけだし、大人の世界というのは、けっこうそれで「値踏み」したりされたりするものだから。 しかし、これを読んでみると、かの「電車男」なんて、まさに「店員たちの格好のエモノ」だったわけですね。それでも、店員さんだって、「あなたのセンスに任せます」と言われれば、あんまり酷いものを勧めることはないでしょうから、「カモ」であっても、買う気があれば、それはそれで良いのかもしれません。僕もときどき、服を選ぶことに煩わしさに耐え切れず、「お金は払うから、僕の代わりに好きなの選んで!(あんまり高くないやつ)」って言いたくなりますし。
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| 2006年01月28日(土) ■ |
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| 「うまい指揮者」は、魔術師のように。 |
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「マンガは今、どうなっておるのか?」(夏目房之介著・メディアセレクト)より。
【僕の両親はクラシック奏者だった。 父は東京フィルの第一ヴァイオリンで、母はフリーのハーブ奏者である。小さい頃、母にオーケストラの練習などへ連れて行かれたような気がする。今でも演奏が始まる前の音合わせの雑然とした音がなんとなく好きなのは、そのせいだろう。 昔、父と話していて、不思議なことを聞いた。 「うまい指揮者だとね、そいつが振っただけで、どういうわけかこっちもイイ音が出るんだ。俺こんなにうまかったのか、ってくらい違うんだ」 ナゼそんなことができるのか聞いたけど、むろんわからなかった。 姪のひとりが大学で交響楽団のサークルに入っていて、何度かコンサートにいった。姪は元気だった頃の父からバイオリンを習っていたのだ。音楽大学ではないので楽団に技術があるわけではない。それでも音楽をやっている楽しさがちゃんと伝わってきて、なかなかいいのである。 何度めかのコンサートで父の話が腑に落ちる経験をした。 演奏会のときは、学生がお金を出しあってプロの指揮者を頼むのだが、あるときけっこううまい指揮者が振った。すると、歴然と音が違うのだ。「こいつら、こんなにうまかったか?」と思うほどだ。 なるほど、オヤジのいってたのはコレか、と思って姪に聞いてみた。 「はじめて音合わせしたときから、違う音が出るんで驚いた」 といっていた。その指揮者は、最初の練習では別にこまかく「ここをこんな音で」とか指示するわけではなく、ただ一度流して演奏させ、最後に第一ヴァイオリンに一言「もっと大きな音で」とか何とかいっただけだったそうだ。学生だから指揮者に払うお金も限られており、練習も1回くらいしかできないらしい。それでも、あれほど違うのだ。 おそらく楽団全体を瞬時に自分の神経末端のように統御し、共同幻想に巻き込む能力があるのだろう。そうとしか思えん。】
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夏目さんが体験した、「指揮者」の影響力の話です。 「一頭のライオンに率いられた百頭の羊の群は、一頭の羊に率いられた百頭のライオンの群に勝つ」 という有名な言葉があるのですが、僕は内心「と言っても、実際に戦ったら百匹のライオン群団が勝つに決まってるだろ」とか考えていました。野球だって、楽天が野村監督に代わったからと言って、現有戦力では、そんなにかわりばえしないんじゃないか、と。 僕は自分で楽器を演奏することがないので、あの「指揮者の力」というのにも、かねがね疑問を抱いていたのですよね。誰が前であの指揮棒を振っていたところで、演奏している人たちは同じなのだから、そんなに劇的に違うとは思えなくって。そりゃあ、よっぽど音痴な人が目障りになるくらい滅茶苦茶にタクトを振っていれば演奏しにくいだろうけど。 一度、「世界のオザワ」こと小沢征爾さんが指揮をするコンサートに行ったことがあって、確かにそのときはホールは凄い盛り上がりだったのですが、そのオーケストラの日頃の演奏を聴いたことがない僕としては、どこまでが小沢さんの力なのか、よくわかりませんでした。逆に、みんなが小沢征爾という名前に踊らされているんじゃない?という気がしたくらいです。演奏そのものは、確かに素晴らしいものではありましたが。 でも、この夏目さんの話を読んでみると、その「違い」というのは、歴然としたものみたいです。というか、【はじめて音合わせしたときから、違う音が出る】というくらい違うなんて!しかも、どうしてそんなに違うかというのは、実際に演奏している人たち、東京フィルの第一ヴァイオリンという、「音楽のプロ中のプロ」の夏目さんのお父さんですら、「なぜだかわからない」みたいです。これって本当に「集団催眠」のようなものなのかもしれません。「この人が指揮しているから大丈夫」みたいな感覚って、やっぱりプロの音楽家にもあるのかなあ。 「指揮者」というのが昔からオーケストラにおいて重要視されてきたのには、それなりの意義があることなのだ、と僕はこれを読んであらためて感じました。「指揮者の力」っていうのは、なかなか言葉にしづらいもので、そういうのを「カリスマ性」と言うのかもしれませんね。 なんだか、僕も素晴らしい指揮者に出会いたくなってきました。所詮指揮者任せかよ、という気もしますけど。
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| 2006年01月27日(金) ■ |
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| ギャング・スターの憂鬱 |
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日刊スポーツの記事より。
【京都大学アメリカンフットボール部の元部員3人が女子大生2人に集団で乱暴したとして、集団強姦(ごうかん)容疑で26日、京都府警川端署に逮捕された。3人の元部員は昨年12月、鍋パーティーに女子大生を誘い出し、乱暴することを計画。京都市左京区内のマンションで2人を泥酔させ、乱暴した疑い。トップクラスの頭脳集団・京大にあって、同部は6度の大学日本一に輝く。文武両道のシンボルでもあっただけに、衝撃が広がった。 逮捕されたのは、いずれも4年生で元アメフト部員の3容疑者。調べによると3人は昨年、鍋パーティーを開催して女子学生を酒に酔わせ、乱暴することを計画。白井容疑者が、知人の女子大生A子さん(19)に声を掛け「3対3で飲もう。ぜひ友達も連れてきてくれ」と誘った。 A子さんは友人の女子大生B子さん(20)C子さん(20)を呼び、12月22日午後9時ごろから京都市左京区内の木戸容疑者のマンションで開かれたパーティーに参加。ここで3容疑者は焼酎の瓶をルーレットのように回し、飲む順番を決めるゲームを行い、A子さんらを泥酔させた。C子さんが深夜0時ごろ帰宅し、女子大生が2人となった23日未明、乱暴したとみられる。 A子さんは昨年12月25日に、B子さんは今月11日にそれぞれ被害届を提出。26日、3人に任意出頭を求め、川端署内で逮捕した。 3容疑者は鍋パーティーを開いたことは認めているものの、いずれも容疑を否認。調べに対し「性行為はしたが、合意の上だった」「性行為そのものをしていない」などと供述しているという。3人はこれまでも2、3回、鍋パーティーを開いており、ほかの男子学生も加わっていた。京都府警はほかにも女性を泥酔させ、乱暴していた可能性があるとみてほかの学生の関与を含め追及している。 3人とも部内ではレギュラー格だったが、昨年11月末に引退していた。3人とも留年が決まっている。
同部は国公立大初のアメフト部として1947年に創部され、6度の大学日本一に輝いた強豪。東大と並び、日本の教育界の最高峰である京大の�猜孤靂焼鮫畚乎弔箸靴董▲好檗璽蝶Δ里澆覆蕕座進�面から尊敬と称賛を集めてきた。京大に通う男子学生の1人は「地方に行って『京大生です』と名乗ると、頻繁にギャングスターズの話を聞かれます。いつも自慢に思っていました。今は言葉もありません」と絶句。別の男子学生も「京大生もモラルが低下しているのを日々感じるが、それにしてもひどすぎる」と言葉を失った。】
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京都大学アメフト部、通称「ギャングスターズ」といえば、僕が大学受験をした時代には、この記事中にあるように、まさに「文武両道」の象徴とも言える存在でした。野球の東京六大学リーグでの東京大学の成績などを考えてみても、学生スポーツの世界では「スポーツ推薦枠」を持たない国公立大学の不利は明らかで、京都大学という「日本有数の難関国立大学」にありながら、これだけの実績を積み上げてきたのは、本当に凄いことだと思います。京都大学なんて、勉強だけやっていても入るのは至難の技なのに、そこにアメフトの素質がある選手を集めなければならないのですから。 これも、アメフトが日本ではまだまだマイナースポーツであるからこそなのかもしれませんが、それでも、他の私立大学に比べたら、「ギャングスターズ」が、ものすごく不利な条件にあることはまちがいないと思います。ちゃんと勉強もして講義に出ないと、単位も取れないでしょうから。他の私立大学であれば、スポーツでの活躍を認められている学生は、単位が取りやすかったりするみたいですしね。 昔、長嶋茂雄さんが、立教大学に入るときに、入試問題が全然わからなくて「野球部・長嶋」とだけ書いたにもかかわらず合格したなんていう話があるくらいです。 僕は以前、この「ギャングスターズ」に関する、こんな「伝説」を聞いたことがあります。スポーツ推薦枠のない京大では、有望な選手を「ギャングスターズ」に入れるために、選手たちが「京大に入れる可能性があるくらい学校の成績が良い有望選手」のところに家庭教師に行き、その選手を京大に合格させて「ギャングスターズ」に入部させるのだそうです。 そして、4年間の現役生活を送ったあと、選手たちはわざと留年して、「ギャングスターズ」への1年間の「お礼奉公」のために、大学に残るのだとか。 考えてみれば、「文武両道の理想の大学生」なんてイメージされがちな「ギャングスターズ」というチームですが、その実像というのは、なんだかすごくイビツではありますよね。「スポーツ推薦枠」がない名門大学で、学生スポーツの頂点を目指すためには、ここまで不自然な「努力」をしなければならないのか、とすら思えます。 「ギャングスターズ」は、最近関西学生リーグでの成績も振るわず、一時は200人以上いた部員も60人くらいまで減ってしまっているそうです。それでも、60人いれば立派なものかもしれませんが、「文武両道」という素晴らしいイメージを維持するためのこうした「伝統」に、学生たちもついていけなくなってしまっているのかな、という気もします。いくら部に愛着があったとしても、今から社会に出ようというときの「1年」って、けっして短くは感じないと思うし。 そこまでして、京大にアメフトの強豪チームをつくる意義って…
もちろん、そういう「歪み」が、この「部のために留年しなければならなかった3人」に、こんな極悪非道な犯罪に奔らせたと短絡的に結びつけていいものかどうかはわかりませんが、「スポーツが人間の心を鍛える」というのは、その「人間」によるのだ、ということなのでしょう。 しかし、こんなのって、何のための「文武両道」なのでしょうか。 頭が良くてスポーツもできて、モラルが最低の人間って、ある意味、すべてにおいて最低の人間より、よっぽど性質が悪いんじゃないかね。
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| 2006年01月26日(木) ■ |
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| 「お遍路」という、アナザー・ワールド |
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「月刊psiko」(ポプラ社)2006年2月号の特集記事「人はなぜハマるのか」より。「お遍路に向かう若者たち」(小林キユウ著)より。
【徳島・高知・愛媛・香川の4つの県をぐるりと一周する距離など海外旅行から見ればたかが知れている、と最初は思った。単なる国内の小旅行。しかし、それは車や列車などの交通機関を使ったときの話である。いざ自分の足だけで旅をはじめると、これがまったく別世界となる不思議さにまず驚かないわけにはいかなかった。1日20キロしか進めないというのはどういう感覚か。たとえば、国道わきにコンビニが見えてくる。昼の弁当を買おうかと一瞬思う。しかし腕時計を見るとまだ10時。昼飯を買うには早いと思って通りすぎる。しかし、1時間ほど歩いた時に悟る。道はどんどん山の中に入り、民家さえない。この先とても店があるとは思えない風景がえんえん続く。さっきのコンビニまでは距離にして約4キロ。これが車だったら引き返すのに何の躊躇もない。しかし、歩いている者にこの選択はありえない。1時間かけて戻り、そこで弁当を買ってまたこの場所まで戻ってきたら2時間かかる。弁当にありつけても、歩いた分だけ腹はさらに減ることになる。日常生活では感じたこともなかった時間軸の中に迷いこむことになる。
八十八か所をすべて歩くと約1400キロ。早い人で四十数日、普通は2か月はかかる。歩くと1日という時間がものすごく長く感じる。それが2か月も続くのだ。もう想像を絶するほどの長さである。下手な海外旅行などまったく比較にならない。飛行機で地球一周と自分の足で四国一周。あなたはどちらの旅が壮大だと思うだろうか?僕は間違いなく四国一周だと答える。たとえ1日でも遍路道を歩いてみれば、それは誰もがうなづくことだと思う。わずか1キロ歩く間にもさまざまなことが起こりうる。四国では遍路に対して「お接待」という習慣が今も残っている。歩いていると食べ物や時にはお金を手渡してくれるのだ。寝場所に困っていると自分の家に泊まれと言ってくれる人も珍しくない。「こんなことが今の日本で起こりうるのか」と何度も驚かされる。知らない世界に迷い込んだ感覚が襲う。この瞬間、遍路は日常生活をある意味で断ち切ることができる。日常から離脱し、別世界へ来たかのような心地よさを、別の言い方をすれば「ハマる」と言うのかもしれない。】
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旅というのが「非日常への脱出」だとするならば、「お遍路」というのは、確かに「海外の観光地への旅行会社のパック旅行」よりもはるかに、「旅」であるのかもしれません。「お遍路」というのは、日本の古い習慣であり、高齢の信者の人たちが宗教的な儀式としてやるものだとばかり思っていたのですが、最近は若者が少しずつ増えてきているそうで、小林さんが4年前に遍路道を8日間だけ歩いたときには【実際に歩いてみると想像以上に若い人が多かった。30歳前後の人に大勢会った】そうなのです。この雑誌にも、小林さんが撮影した27歳の男性と29歳の女性の写真が掲載されていました。 僕は体力的にも精神的にも、「もうパックのツアーのほうがラクだし安全だし」とか「せっかく旅行するなら、ホテルはやっぱり豪華なほうが…」という境地に達してしまっていて、お遍路に行くひとは、「狂信者」か「物好きな人」なのではないかというイメージを持っていたのですけど、実際はそんなことはないみたいです。むしろ、お遍路というのは、「自分と向き合うための旅」なのだなあ、と。 このコンビニの話にしても、車に乗っていれば、コンビニを通り過ぎても次のコンビニまで待つか、引き返せばいいわけで、そこに迷いなんてないですよね。でも、歩くと、それだけ世界は広くなるし、いろんな物事の判断基準も変わってくるのでしょう。一軒のコンビニのありがたみというのも、全然違ってくるはずです。もちろん、昔はコンビニなんて無かったのですけど、日常とのギャップという意味では、「お遍路道」というのは、昔よりもさらに「別世界」になっているのかもしれません。周囲の人々の温かさというのも今の日本の一般的な感覚からすれば、まさに「信じられない」ものですよね。知らない人が「下心」無しに自分のために何かをしてくれるなんて、逆に薄気味悪いくらいです。 もちろん、日本語は通じるのですから、海外のバックパッカーたちよりは「安全」であることは間違いなさそうですが、「異世界体験」という意味では、少なくとも定型化された海外の有名観光地よりは、カルチャーショックを受けそうな気がするのです。僕も3日くらいならやってみてもいいかなあ、とか、ちょっとだけ思いました。所詮3日かよ!という感じでもありますが。 ちなみに、お遍路にハマって抜け出せなくなってしまうことを「お四国病」と言うのだそうです。今の世の中って、みんな「便利」とか「快適」ばかり志向しているようで、実際は多くの人が、「不便なこと」とか「不自由なこと」、あるいは「ただ体を動かして、疲れてぐったりと眠ること」を求めているのかもしれませんね。
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| 2006年01月25日(水) ■ |
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| 芸能人の「個人情報保護」 |
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「日経エンタテインメント!」2006年2月号(日経BP社)の「V6 井ノ原快彦・アイドル武者修行・第45回」より。
(個人情報保護法芸能人版、「イノハラヨシヒコ」の場合)
【意外と手を焼くのが部屋探しです。セキュリティーの問題もあるので、タレントによっては探すことから契約まで事務所にお願いする人もいるようですが、僕は全部自分で動きたいタイプなので、問い合わせから下見、契約まで個人でやっています。初期の電話での問い合わせはペンネームで済むのですが、実際に物件を見に行って顔を出すと、「あれ?」となって、まずここで「いのっちがこのへんで物件を探している」とバレちゃう(笑)。さらに契約ということになれば、今度は住所や電話番号のみならず、年収や口座番号まで明かさなければなりません。ふらりと入った不動産屋にこのへんの情報をすべてオープンにするというのは、なかなか勇気がいるものです。 個人の住所氏名が書いてあるという理由で、最近は番組に宛てた一般の方からのハガキも原則、受け取れなくなれました。ホームページを使って皆さんの声を吸い上げていますが、直筆とプリントアウトした活字では気分がぜんぜん違います。ラジオ番組は特にリスナーとのやりとりが生命線ですからね。切り替わった当初は正直戸惑っちゃいました。 先日、街で僕の個人情報に関するこんな出来事が。あるお店で「メンバーズカードをお作りしますので、こちらにご記入いただけますか」と言われたときのこと。僕はいつものペンネームを書いて、店を後にしようとしました。すると、店の人が一言「いのっちですよね?よかったらサインもらえませんか?」。お互い悪気はないものの、小さなウソをついた僕と、わかっていながら知らんぷりできなかった店の人。ものすごい気まずい雰囲気が漂うなか、僕は「井の原快彦」と、いつもより大きくサインをして店を出ました。】
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こういうのは「有名税」というやつなのだと言う人も少なくないのでしょうが、僕はやっぱり、芸能人も大変だなあ、と感じてしまいました。でも、考えてみれば、僕たちだって、ふらっと入った不動産屋に、個人情報をオープンにしまくっているのですよね。そりゃあ、不動産屋だってV6の人ならともかく、僕のそんな個人情報なんて、ダイレクトメールや電話のマンション勧誘の会社に売るくらいしか、使い道がないものでしょうけど。 それにしても、この「メンバーズカードの話」というのを読んで、僕は、現場で働いている人々のなかには「個人情報」に対する意識がものすごく希薄な人がいるのだということを感じましたし、そもそも、こういう「サインを貰いたがる人」というのは、プロ意識が欠如しているのではないかと思えてなりません。「偽名を書かないでください!」と注意するというのなら、話はわからなくもないんですが。 わざわざ「ペンネーム」を書くということは、「V6の井の原として扱ってもらいたくない」という意思表示なわけですから、それに対して「サインしてください!」というのは、あまりにも頭の悪い対応ですよね。その場に偶然居合わせたお客さんがサインをねだるというのならまだしも、「店の人」なのだし。 有名店では、芸能人のサインがよく飾られているのですが、僕はそういうのを見るたびに、「この店は、良かれ悪しかれ、芸能人を『特別扱い』しているのだろうか?」とか考えてしまいます。まあ、そう言いつつも、料理が出てくるまでの間に、「どんな人が来たのかな…?あっ、この人なんだかいろんな店で色紙書いてるなあ…」などと、色紙を一生懸命観てしまうのですけどね。 【お互い悪気はないものの、小さなウソをついた僕と、わかっていながら知らんぷりできなかった店の人】、たぶん、井の原さんにとっては、「日常茶飯事の面倒なこと」であっても、店の人にとっては、これは「千載一遇のチャンス」だったのでしょうから、あんまり店の人を責めるのもかわいそう、なのかなあ……
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| 2006年01月24日(火) ■ |
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| 堀江社長は、僕だったのかもしれない。 |
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日刊スポーツの記事より。
【「いつかこうなるのではと思っていたが、こんなに早いとは」。ライブドアグループの証券取引法違反事件で23日、堀江貴文容疑者(33)らが逮捕された。同社は動揺はないとしているが、本社のある東京・六本木ヒルズ周辺では通行人らが驚きを隠さなかった。 同社広報によると、社員に目に見えるような動揺はなく、「各事業部とも業務を続けている。報道機関からの電話が殺到している」という。 六本木ヒルズでは、買い物に来た東京都国立市の会社員中村美保さん(39)が「企業の買収を繰り返し、苦労しないで簡単に金をもうけてきたので、しっぺ返しが来たのだろう。社会に対する警告のように思える」と分析。 新潟県燕市から夫婦で旅行に来た公務員(51)は「プロ野球の球団を持たなくてよかった。堀江さんにはそれなりの知識もあったはずなのに、年配のいさめ役がいなかったのがまずかったのでは」。千葉県の無職男性(66)は「ああいうやり方はだめだ。金を稼ぐには汗水たらさなきゃ」と不快感をあらわにした。 一方、東京・霞が関の東京地検周辺には、多数の報道陣が詰め掛け、検察関係の車が出入りするたびに、カメラのフラッシュがたかれ、テレビのスポットライトが浴びせられた。】
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昨夜、堀江社長逮捕を受けて、テレビでは、さまざまな特番が流されていました。 そんななか、僕は、「堀江社長の半生」が紹介されているコーナーを見て、なんともいえない気分になったのです。 堀江社長は、僕とほとんど同じ年齢の33歳。 福岡県の八女という地方の小都市に生まれた堀江社長の家は、けっして裕福というわけではなく、お父さんに買ってもらえたのは、自転車、百科事典、天体望遠鏡だけ(ちなみに、その20巻もの百科事典を、堀江社長は小学校時代に全部「読破」してしまったそうです)。 堀江社長は、小学校のころ、向学心に感銘を受けた先生に勧められ通っていた塾で、英語の勉強のために置かれていたパソコン(当時なら「マイコン」と言ったほうが適切でしょうね)に出会い、その面白さに心を奪われて、英語の勉強そっちのけでプログラミングに夢中になったそうです。当時、月給1万7千円で新聞配達のバイトをしていたという堀江少年の部屋には、PC-9801という僕の世代にとっては懐かしく、また高嶺の花であったマイコンが、今でも置いてありました。たぶん、東大在学中から自分の会社を立ち上げて、実家にはたまに帰省するくらいだったので今でも残されているのでしょうけど、親が買ってくれるような状況ではないのに、あの時代に高校生くらいでPC-9801を手に入れた堀江社長は、本当にマイコンが好きで好きでたまらなかったのだろうなあ、と、今はもう埃をかぶっているそのマシンを見ながら、僕も昔の自分を思い出してしまいました。
僕がマイコンにはじめて触れたのも、ちょうど小学校高学年くらいのときで、「ゲームセンターあらし」を書いていた、すがやみつるさんの本や、ケイブンシャの「マイコン大百科」などで、その「自分でプログラムを組んで、自由に好きなことができる機械」に憧れたものでした。今となってはみんなが当たり前だと思っていることなのでしょうが、「A」と書いてあるキーを押したら、画面に「A」が表示されるというだけのことすら、当時の僕たちには驚くべきことだったのです。そして、自分のマシンをなんとか手に入れた僕は、友達と「ゲーム会社を作って一攫千金!」というような将来設計を、けっこう本気で話しあっていました。当時は、まだ「コンピューターに関する仕事には、無限の未来が広がっている」と、僕たちは信じていて、好きなマイコンをいじって暮らしていくための方法を、いろいろ夢想していたものでした。 たぶん、そんな夢を抱いていたのは僕たちだけじゃなくて、あの時代には、この「コンピューター」という未知の可能性を秘めた道具に魅せられてしまった人が、たくさんいたはずです。 もし、もっと頭がよくて、世界に対して野心を持っていたら、と僕は考えます。中学生の頃の僕の「なりたかった姿」は、逮捕される前までの堀江社長に重なっているところがたくさんあるのです。女性の趣味だけは、さすがにどうかな、とは思いますけど。
堀江社長と同じ世代の僕には、堀江社長が子供時代に通ってきた道は自分が通ってきた道と重なりますし、堀江社長が青年時代に通ってきた道は、もしかしたら、自分が通ったかもしれない道であったような気がしてなりません。堀江社長も、たぶん最初は、コンピューターという道具に魅せられ、とりつかれてしまったひとりの子供だったのではないでしょうか。そして、自分の好きなことで、「成功」を掴みたかったのだと思うのです。あの、アップル社の創設者の2人のように。 それがどこで「歪んでしまった」のかはわからないけれど、33歳という年齢は、おだてられたり、叩かれたり、裏切られたりという、いろんな世間の荒波に対して完璧に対応できるほど「大人」じゃないし、堀江社長自身も、自分は前にひたすら進んでいるつもりでも、実際は、後戻りできないところに追いつめられていたのでしょう。
僕は出しゃばりで口先ばっかりで容赦のない「ホリエモン」という人は嫌いです。でも、同じ時代に「マイコン少年」だった身としては、なんだか、みんなに「極悪人」呼ばわりされているのには、あまりにも悲しくなってしまうのです。もちろん彼がやったことは法に触れているのだし、多くの人を絶望させたり混乱させたりする結果になってしまったのですが、本当はただ、「誰よりも大きい会社をつくりたい」という、いささか幼稚かつ無防備すぎる欲求だけが、それを止める人もないままに巨大化してしまっただけなのかもしれません。でも、それを客観視できるほど、堀江社長は「大人」になることができなかった。今の世の中の33歳なんて、所詮、そんなものです。 みんな口を揃えて「堀江社長を反面教師にして、汗水たらして働け」って言うけど、その中には、堀江社長ほど汗水たらして働いてきた人は、ほとんどいないはずなのに。
もしかしたら、堀江社長は、僕だったのかもしれない。 そんなふうに考えると、僕は、彼の失敗を「それ見たことか!」と他人事として嘲笑する気には、やっぱりなれないのです。
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| 2006年01月23日(月) ■ |
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| ネットで文章を書く「正しい動機」とは? |
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「おとなの小論文教室。」(山田ズーニー著・河出書房新社)より。
【何を書くかより、どんな気持ちで書くか、つまり、動機が大切と、私は、ここで何度か言ってきた。 このコラムも、自分の頭を動かしてものを考える人や、自分らしい言葉で伝える人が、一人でも二人でも増えてくれたらいい、そう思って書いている。 では、はやくから動機がはっきりしていた自分は、迷いがないのだろうか? とんでもない。 むしろ、動機がはっきりしてから問題は起きた。 コラムを書きはじめて1年たったころだろうか、邪念が浮かぶようになった。 書いていて、褒められたいとか、認められたいとか、仕事を得たいとか、不純な動機がでてくるようになったのだ。欲と言ったらいいか。 読者の目はごまかせないから、書き手の想いは、見透かされてしまう。なんとか、しなければ。 そこで、私は、構想メモに、 「この文章に向かう動機は何か?」はっきり書いて臨んだ。 迷ったときは、つねにそこを読み直す。 あるいは、徹底的に考え抜いて、邪心を排除することに努めた。たとえば、 「自分だったら、人がそんな気持ちで書いたものを読みたいと思う?」 「認められたらどうしたいの?⇒人の力を引き出す仕事をしたい⇒だったらいま、純粋に人の力を引き出すものを書けばいい」 というふうに。 滑稽に見えるかもしれないけど、私は、大まじめに考え抜いて、自分を納得され、不純な動機を一つひとつ消していった。
そしたら、なんと! 書けなくなった。
初夏だったと思うが、家でパソコンに向かっていることもできず、下北沢を歩き回り、歩き回っても、どうにも、どんどん、追いつめられていき、なにひとつ、わき起こってこないまま、家に帰り、再びパソコンに向かったときの自分のふさがりようといったらなかった。 そのとき体の芯がつかんだ。
動機がひとつ、は、いけないんだ、と。 動機はいくつもあったほうがいいのだと。
褒められたい、という気持ちがわいたら、それも自分と受け入れる。 仕事を得たいと思ったら、それも、素直な気持ちと認める。
そうやって、清濁あわさったものの中から、もっと太くて、あったかい、自分の動機を立ち上げていけばいいのだ。 そういうふうにしていったら、逆に、まわりを気にせず書けるようになっていた。】
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なぜ書くのか?
この疑問は、僕だけではなく、こうしてWEB上に文章を書いている人のすべてが、一度は抱くものだと思うのです。そして、「これでお金を稼ぎたい」と言えば「身の程知らず!」と揶揄され、「たくさんの人に読んでもらいたい」と言えば「アクセス厨!」となじられ、「自分のため」とか「書きたいから」と言えば「それなら広告の裏にでも書いとけ!」と罵倒されることになります。もちろん、「その人なりの正解」というのはあるのでしょうけど、実際にひとつひとつ考えていくと「不純な要素が皆無の動機」って、全然なくなってしまうように思えます。
率直なところを言ってしまえば、僕だってこの「活字中毒R。」を書くことによって、誰かから褒められれば嬉しいし、アクセスがたくさんあればやりがいを感じるし、内心では、これを書くことによって、それこそ、文章の仕事でも来ないかなあ、とかいう淡い期待すら抱いていることを否定できません。それは「現実的な欲求」というよりは、オリンピックになんとか出場できたレベルの選手が「何かのアクシデントで、自分が金メダル、なんてことがあったりしないかなあ…」というようなものかもしれませんが、それでも、そういう「欲」が無いわけじゃないし、そんなの「お前はダメなんだから、最初から絶対負けると思って参加しろ」というのはまさに余計なお世話でしょう。
この文章を読んで、僕もちょっと気がラクになりました。「書く理由」というのは、けっして「純粋なもの」だけではないし、「自分を表現したいという切実なる意思」と「誰かに認めてもらいたいという欲望」とか「有名になったり、お金を儲けられればいいなあ、という期待」が混在しているのは、けっして不思議なことではないんですよね。むしろ、そういうった「さまざまな理由」を併せ持っているのが「普通」なのです。 プロの作家でも、「表現欲」「創作欲」があるのはもちろんですが、それで世間に評価されたいとか、印税で暮らしたい、という気持ちがあるはずですし、「より多くの人に読んでもらいたいから、自分の分の印税をもらわないで、その分、本の値段を安くしてほしい」と申し出たという作家の話は聞いたことがありません(チャリティ目的で、本の印税を寄付するというのは、けっこうあるみたいなのですが)。
もちろん人によってその内訳に強弱はあるにせよ、「書く理由」というのは、そんなに立派なものばかりじゃなくていいみたいです。 まあ、「アクセス稼ぎ成分」や「自分が目立ちたい成分」があまりに過剰だと、読む側としては、ちょっと引いてしまうのは事実ですけど。
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| 2006年01月22日(日) ■ |
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| 奥寺康彦さんが、ドイツで発掘した「自分の個性」 |
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「Number.645」(文藝春秋)の記事「突撃!!エイジーニョ」(吉崎エイジーニョ・文)より。
(「ドイツ10部リーグ体験取材」中の吉崎エイジーニョさんと、1977年に日本人初の海外組・プロ選手となった奥寺康彦さんとのやりとりの一部です)
【吉崎:ドイツサッカーの壁に正面衝突しています。移籍、自己主張、チームメイトとのコミュニケーションと……奥寺さんは、すっと溶け込んだイメージがあります。移籍1年目の’77年にすぐに出場機会を得て、カップ戦とリーグ戦の2冠も手にしました。
奥寺:まぁ、僕の場合は、監督が予め特徴を理解したうえでチームに呼んでくれたからね。でも1年目のある時、試合の途中で下げられて、2つほど指摘を受けた。『もっと自分を出していけ』『強気にならないとダメだ。蹴られたら、蹴り返せ』ってね。
吉崎:僕なんか、もう言われっ放しです。練習中、MFでプレーしていると、同時に逆のことを指示されるんです。FWには「前に来い」、DFには「下がれ」と。泣きそうです。
奥寺:いちいち聞いてちゃ、ダメなんだよ。彼らは、主張することに意味を置いているんだから。相手の返事うんぬんよりもね。だから、キミも言い返さなきゃ。ただ、気をつけるべきは『サッカーを知らない』って思われちゃあ、立場が難しくなるってことだ。やっぱり、アジア人は分かってないと思われるからね。意見の相違は構わない。自分のサッカー観に基づいた意見があることが大事なんだ。
吉崎:どうしても、ビビっちゃうんですよ。チームメイトと分かり合えてないなと感じるから、ひとつのミスで萎縮してしまう。
奥寺:自分を出さなきゃって焦るのはよく分かるよ。練習に率先して取り組んだりして、態度で示していくこと。それでも自分の個性は周囲に伝わるんだよ。 僕は、最後の5年間所属したブレーメンでは普通の選手だったんだ。僕が発掘した個性は”周囲と調和が取れる”ってことだった。その時監督も、日本人選手のよさをすごく理解していた。主張する人が多い中で、僕のようなタイプが必要だったんだろうね」】
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海外で初めて日本人プロ選手としてプレーした奥寺康彦さんが語る「海外でプレーする上で大事なこと」について。 僕は海外生活の経験はないのですが、実際に留学した人の話などを聞いていると、やはり「日本人は自己主張がヘタ」というのをよく耳にします。そして、海外のサッカーチームでプレーしている吉崎さんも、そういう「コミュニケーションの壁」を感じているようです。そりゃあ、正反対の指示を一度に出されても、どうしようもないですよね。でも、この奥寺さんの話によると、彼らは「とりあえず自分の考えを主張している」だけであって、それに相手が従うかどうかは、それほど重要視していないみたいです。要するに、「こういう理由だから、俺は前に行く(あるいは後ろに下がる)」という自分の意見さえ持っていれば、それはそれでいいのだ、と。あるいは、確固たる理由さえあれば、真横に行くことすら許されるのかもしれません。
しかしながら、この奥寺さんの話のなかで僕はいちばん印象に残ったのは、【僕が発掘した個性は”周囲と調和が取れる”ってことだった。その時監督も、日本人選手のよさをすごく理解していた。主張する人が多い中で、僕のようなタイプが必要だったんだろうね」】という部分でした。もちろん、それが許されたのは奥寺さんがチームに必要な存在であることが浸透していたことと、監督にそれを理解する力があったからでしょうけど、洋の東西を問わず、「自己主張をする人」ばかりでは、チームというのは成り立っていかないのは同じなのだと思います。そして、そういう「自己主張の強い人間の集団」であればこそ、なおさら、「調整役」は必要なのでしょう。
目立つことだけが「個性」だと僕たちは考えがちなのですが、実際は「目立たないという個性」だってあるのですよね。無理して人と違うことをやるよりは、ごく当たり前のことでも本来の自分の良い面を追求するほうが、より「個性的」なのではないかなあ。
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| 2006年01月21日(土) ■ |
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| 東野圭吾が語る、『白夜行』における「純愛」 |
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『ダ・ヴィンチ』(メディアファクトリー)2006年2月号の記事「あの『白夜行』がついにドラマ化! 綾瀬はるか×東野圭吾」より。
(TVドラマ『白夜行』の主演女優である綾瀬さんと原作者である東野さんが、『白夜行』の魅力について語った対談記事の一部です)
【綾瀬:ところで、私も東野さんにうかがっていいですか?
東野:どうぞ。
綾瀬:雪穂って、その……純粋なんですか? 雪穂と亮司は純愛なんですか?
東野:ああ、それはあの二人がなぜ強いのかということとも重なっているんですよ。たとえば人間が弱いのはどういう時かというと、守るものがあれこれあって迷うときに行動が弱々しくなる。その点、雪穂と亮司が強いのは、大事なものがはっきりしているからで、二人は迷いがなくシンプルなんです。
綾瀬:ああ、そうか。迷いという濁りがないから純粋なんですね。
東野:そうとも言えます。で、純愛というのも、多くの人は純愛というのは非常にキレイなものだと思ってるでしょう。でもキレイとシンプルは全然と違うものなんですよ。
綾瀬:確かに友達と話してても、純愛と言ったら、みんな初恋のようなキレイなものを思い浮かべます。
東野:たとえば、”この人を守るためだったら自分は死ねる”というふうな言い方をするとキレイに聞こえる。でも、”この人を守るためなら他の人は死んでもいい”となると、全然違うでしょう。これがシンプル。だから純愛というのを突き詰めると、実はオソロシイものだったりするんです(笑)、それが『白夜行』の世界、『白夜行』における純愛なんです。
綾瀬:そうか……。
東野:複雑な話だと言われるんですが、原作者にとってはシンプルな話で(笑)。
綾瀬;シンプルって、ものすごく強いですね。生き方の核になるというか。
東野:自分自身でも、生き方として心がけますね。人間って守るべきものがたくさんあるとダメになりがち。自分にとって一番大事なものは何なんだと常に原点に立ち返らないと、何やってるのかわからなくなってしまう。
綾瀬:お金とか名誉とか地位とか……。
東野:そうそう。家族を幸せにしようと思って細々と仕事を始め、仕事が面白くなってがむしゃらに働いて富も名誉も手に入れたのに、気がついたらアレ!?なんでオレには家族がいないんだろうと。貯金もできた、だけど家族はネコしかいないとか。いや、僕の話じゃないですよ(笑)。
綾瀬:ハハハハハ。
東野:それは本末転倒な話で(笑)。】
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先日、『容疑者Xの献身』で直木賞を受賞された東野圭吾さんなのですが、この対談、東野さんを「人間が描けていない」なんて罵倒した某選考委員にぜひ読んでいただきたいところです。 東野さんは、この対談のなかで、『白夜行』の主人公、雪穂と亮司の「純愛」は、「周囲からみてキレイ」なものではなくて、お互いにとって「絶対的」なものであり、だからこそ「シンプル」なのだと語っています。【たとえば、”この人を守るためだったら自分は死ねる”というふうな言い方をするとキレイに聞こえる。でも、”この人を守るためなら他の人は死んでもいい”となると、全然違うでしょう。これがシンプル。】というのは、「純愛」を単純に美化する人たちに対して、「そんなに甘いものじゃない」と冷水をぶっかけているかのようです。結婚式のスピーチなどで、「2人とともに、周りのみんなも幸せになるようなカップル」を目指しています、という人は多いのですが、もし、「2人が幸せになるために、誰かが不幸になるような状況」になったとしたら、普通の人は、いくら「自分たちのため」とはいえ、多少なりとも逡巡したり、自分たちを犠牲にしてしまうと思うのです。「仕事と家庭の両立」とかについてもそうで、「バランス感覚」というのは大事なのですが、その一方で、バランスというのは、「いろんなことを中途半端にして妥協する」ということでもありますし。 しかしながら、「シンプルを突き詰めた人」というのは、普通に生きている人間にとっては、ものすごく違和感があるのです。例えば特定の宗教に対してすべてを捨てて帰依している人や、休むこともなく研究ばかりしている人の「シンプルな生き方」に対して、僕はやっぱり「ついていけないなあ…」と思うんですよね。 確かに、「純愛」って、本当は、ものすごくオソロシイものなのかもしれません。
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| 2006年01月20日(金) ■ |
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| 太宰治の絶筆『グッド・バイ』の真実 |
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「日本文学ふいんき語り」(麻野一哉・飯田和敏・米光一成共著:双葉社)より。
(本好きの有名ゲーム作家たちが対談形式で文学作品を「これをどうやってゲーム化するか?」について語るという本。太宰治さんの作品『人間失格』についての一部です)
【米光:リズムがあるよね。オレは畳み掛ける表現がとくに好きだった。”弱虫は、幸福をさえおそれるものです。綿で怪我をするんです。幸福に傷つけられる事もあるんです”。”綿で怪我をする”って……(笑)。どんどん極端なことを言い出すのが面白い。ネットの日記なんかでよく「もうオレだめぽ」って書いてあるのあったじゃない。「今日もギャルゲー三本やっちゃいました」みたいな。そういうのの面白いやつを読んでる感じに近いと思った。
麻野:はいはい。オレは桜玉吉がときどき描く自虐ギャグのマンガ、あの感覚を思い出して大笑いしてしまう。
米光:ああ、自虐ギャグに近いよね、今読むと。ヒロシです……みたいな。自虐漫談的な。本人はどう思って書いてたかわからないけど。
飯田:オレらの太宰のイメージって、ちょっとおかしいんだよね。
麻野:(ほおづえをついた太宰のポートレートを見ながら)これでしょ、この顔とポーズが悪い。このせいで、今も若い女の子が桜桃忌に墓参りしたりもするんだろうけど。
米光:あと、なんべんも心中したとか、どうしても退廃的なイメージがあって、作品もそうだと思われがちなんだけど、実はネタ系の小説がけっこう多いよね。
麻野:そうそう、「女生徒」だったっけな、あれはさっくり読めて面白かった、ライトノベルみたいで。
米光:短編で「美少女」っていうのがあって、読んで驚いた。奥さんの皮膚病治療で温泉に行って、そこにおじいさんおばあさんと15歳の女の子が入ってくる。おじいさんおばあさんの描写がむちゃくちゃなんだよ。人間じゃない、猿みたいだ、顔もくしゃくしゃしてて奇怪だとか。それで、作者である語り手は女の子を絶賛するの、えんえんと美少女の裸の描写が続く。それだけの小説。ええええ?
麻野:まあ、文学の可能性として、見たとおりを書くっていうことが実験として許されてた頃なんだよね。
米光:いや、実験ぽくもなくてさ。とにかく驚いた。完全に美少女フェチ小説なんだもん。
飯田:「グッド・バイ」もすごく面白いよ。タイトル通り、愛人ひとりひとりにグッド・バイしていくという。
米光:未完なんだよね、この連載中に心中しちゃった。
飯田:どうやってグッド・バイするかっていうと、主人公の男が、すごい美人ですごい魚臭い女を雇ってウソの愛人に仕立てあげ、本物の愛人たちに会いにいく。で、「この人と付き合うから君とは別れる、グッド・バイ!」。これで毎回終わっていく。
麻野:ギャグマンガか!? もっとカッコいい話かと思ってた、人生にグッド・バイだ! みたいな。
飯田:うんオレも。これが絶筆・遺作だっていうのもどうかと思うよね。なんとか太宰のデカダンなイメージを変えたいですね。】
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僕も太宰治の遺作「グッド・バイ」の題名は知っていたのですが、一度も読んだことはありません。しかしながら、玉川上水で心中してしまった太宰の絶筆が、「グッド・バイ」だなんて、なんだか、いかにも太宰らしくてカッコいいなあ、というイメージを持っていたのです。 でも、この対談記事を読んでいると、「若者の行き場のない閉塞感の代弁者」であったはずの太宰治の作品たちは、少なくとも現代人からみれば、「自虐ネタ」でしかなかったりするみたいです。「グッド・バイ」も、題名だけから想像すると、太宰治のなんらかの「予感」めいたものが伝わってくるのですが、【主人公の男が、すごい美人ですごい魚臭い女を雇ってウソの愛人に仕立てあげ、本物の愛人たちに会いにいく。で、「この人と付き合うから君とは別れる、グッド・バイ!」。これで毎回終わっていく】という筋書きを知ってしまうと、正直、そんなしょうもない作品だったのか!と、驚いてしまいました。太宰本人だって、よりによってこんなバカ話が「絶筆」になってしまうなんて、思ってもいなかったのではないかなあ。
芥川龍之介の「歯車」「或阿呆の一生」のように、いかにも「限界が近づいている」という印象を与える「晩年」の作品に比べたら、まだまだ「グッド・バイ」には「余裕」がありそうな気がしますよね。もちろん、それが最期まで貫こうとした作家・太宰治としてのスタイルだったのかもしれませんが。 まあ、「どんどん追い詰められていく、胃がキリキリするような話」だと思い込んでいた「グッド・バイ」が、こんな内容だったなんて、それはそれで興味深いし、一度は読んでおかなくては!と惹かれてしまったのも事実です。
もし、「絶筆」にならなかったら、「グッド・バイ」はこんなに有名な作品にはならなかったでしょうし、もし自ら命を絶たなければ、太宰治という作家は、こんなに読まれ続けることはなかったかもしれません。作品と作家本人にとって、それが幸せなことだったのかどうかは、僕にはよくわからないのですけど、作家や作品というのは、内容だけでなく、それを「修飾する情報」によって、かなり評価が左右されてしまう面が、どうしてもあるみたいです。
「インストール」だって、書いたのが「現役女子高生」でなければ、あれほどのインパクトはなかっただろうしね。
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| 2006年01月19日(木) ■ |
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| K−1ファイター「武蔵」誕生秘話 |
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「Gag Bank」vol.19(ギャグバンク)の猫ひろしさんとK−1ファイター武蔵選手の対談記事より。
【猫:なんでリングネームつけようって思ったんですか?
武蔵:いや、リングネームつけたのは、自分じゃないですね。つけられたんですよ。「あなたデビューが決まりました」って。95年の3月から練習を始めたんですよ、プロの。その年の9月に『K−1リベンジ�供戮辰討いβ膕颪�あって。で、いきなりその大会の1ヵ月ぐらい前に、「あなたは今度のK−1に出ることが決まりました」って言われて。「エエッ!?」ってなるじゃないですか(笑)。まだ6ヵ月しか練習してないんだから。試合したことがないんですよ?スパーリングしかしたことがない。アマチュアの大会とかに出て、ある程度実績を積んでいくっていうのが、それまでの先輩たちのデビューまでの流れなんですよ。箱、横浜アリーナ、デカいじゃないですか。「ウソ〜ン」ってなるじゃないですか。で、そのときに大阪で一緒に練習してたのが、アンディ・フグ、マイケル・トンプソン、サム・グレコとか、トップファイターですよ、その時代の。毎日、ボコボコにされてたんです。毎日、口の中が切れて、飯食うのがつらくて。その当時の唯一の楽しみは、一緒に練習していた中迫選手やタケル選手と飯食いに行って、アンディ・フグとかの悪口を言うことだったんです。「ホンマに覚えとけよ」みたいな(笑)。
猫:芸人と似てますね。愚痴言いながら食事するのって。
武蔵:そんな、黒い部分を見せていいんですか?
猫:いやいや(笑)。
武蔵:ま、本当にそれが楽しみだったんですよ。そしたらいきなり「デビューが決まった」って言われて。相手誰ですかって聞いたら、パトリック・スミスだって。
猫:はい。
武蔵:前の年にアンディ・フグを1ラウンドで秒殺してるんですよ!?毎日アンディ・フグにしばかれている俺に、どうやって勝てというんだって話ですよ。アンディ・フグがね、「武蔵のデビュー戦の相手はパトリック・スミス」だって聞いたとたん、「危険だからやめさせろ」って言ったらしいんですよ。俺ね、心の中で「もっと言うて、もっと押して」って願ってました。とりあえず止めさせてもらいたくて。とりあえず、なくならへんかなって思ってたんですよ。
猫:思いますよね、それは。
武蔵:そしたら、追い討ちをかけるように「あなたはデビュー戦のときにリングネームがつくらしい」って言われたんです。これまた「ウソ〜」って。過去にリングネームでデビューした選手なんて、ひとりもいないんですよ?「リングネームなんか嫌ですよ」って言ったら、「あなたは”ケンシロー”らしいです」って。もう「ウソ〜」ってなるでしょ?
猫:ちょっとカッコ悪いですよね。
武蔵:最初”ケンシロー”やったんですよ。うわ〜嫌やな、イロモンになるの嫌やなって思って。なんとかならないですかねって言ったら、「もう諦めなさい」みたいな感じで。で、諦めかけたときに「リングネームが変わるそうです」って言われて。
猫:変わるそうです(笑)。
武蔵:変わるんですか?なくなるんじゃないんですか?って聞いたら「あなたは『ムサシ』になるらしいです」って言われて。ああ、もういいです、と。そうそう、最初はカタカナだったんですよ。
猫:理由はなんだったんですか?
武蔵:二刀流っていうのと、外国人が一番知っているサムライだから、覚えやすい、っていうことと。何よりも名前のプレッシャーがすごかったですね。”負けたことのないサムライ”みたいで。だから最初、人に自分の名前言うのが恥ずかしくって。「初めまして、正道会館の※○×△です」って、”ムサシ”って名前だけ小っちゃく言ったりしてましたね。】
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まあ、いろいろと毀誉褒貶はあるものの、日本を代表するK−1ファイターであることは間違いない武蔵選手のデビュー前の話。なんだかもっと、「熱血」とか「青春」していたのかと思ったら、「毎日アンディ・フグたちにボコボコにされ、食事のときに同じくらいの立場の仲間たちと悪口を言い合うのが唯一の楽しみだった」なんて話は、もう涙なしでは読めません。今となっては、武蔵にとっても「いい思い出」になっているのでしょうけど。 それにしても、「武蔵」のリングネームは、最初は、”ケンシロー”の予定だったんですね。思わず噴き出してしまいました。もちろん、営業サイドは、あの『北斗の拳』のケンシロウを意識していたのでしょうけれども、90年代半ばのK−1は、格闘技マニア以外の一般の人たちにはほとんど知られていない、ストイックな大会だったらしいので、そんな中に”ケンシロー”として登場するなんて、武蔵さんの「うわ〜嫌やな、イロモンになるの嫌やな」という気持ちもよくわかるというものです。プロレスだったら、そういうふうに「キャラを立てる」というのもアリだったのかもしれませんが。 さすがに”ケンシロー”イロモノ的すぎるということだったのでしょうか、結局、リングネームは”武蔵”になるのです。考えてみれば、判定勝ちが得意な”ケンシロー”というのはやっぱりちょっとイメージが違うので、結果的には”武蔵”で正解だったような気もします。いや、宮本武蔵だって、言いたいことはあるかもしれませんが。 しかし、こういうリングネームっていうのは、活躍できればいいけれど、ダメだったら本当に恥ずかしいでしょうね。野球の”イチロー”だって、あれだけ活躍したからみんな認めていますけど、そんなにセンスのいい「登録名」なのかどうかは、客観的に考えるとちょっと微妙ですし。
ところで、「アンディ・フグを秒殺したパトリック・スミス」とのデビュー戦なのですが、どんな酷い目にあわされたのかと思いきや、なんと武蔵がKO勝ちしているのです(参考リンク:「判定王」K−1武蔵の戦績)。うーん、武蔵って、やっぱりタダモノではないのかもしれない…
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| 2006年01月18日(水) ■ |
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| 「ライブドア」という名の幻影 |
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asahi.com の記事より。
【東京証券取引所は18日、ライブドアの強制捜査を発端に株式市場での売り注文が殺到し、株式の約定(取引成立)件数が異常に増加したことから、同日午後2時40分に東証1部、2部、マザーズ市場の全銘柄の取引を強制的に停止した。これ以上約定件数が膨らむと東証のシステムに負荷がかかり、株式の精算業務に支障が出る恐れがあることから、事前の停止措置をとった。株式市場では初の措置。
東証の西室泰三社長兼会長は会見で「ライブドアの強制捜査開始が原因でろうばい売りが膨らみ、異常な取引になっているのは明らかだ」と述べた。現在の東証システムの約定件数の上限は450万件。午前の取引終了時点で232万件に達し、午後2時25分に約定件数が400万件程度となったため、15分後に全銘柄の取引を全面停止することを決めた。】
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これを読んだときの僕の率直な感想は、不謹慎ながら、「ライブドアって、スゴイんだな…」でした。実際に今回の件で大損している方もたくさんいらっしゃるとは思うのですが。 僕は株取引にかかわったことはないですし、ライブドアが強制捜査された理由も今ひとつ理解できないのですけど、このニュースにはかなり驚かされたのです。「東証」こと東京証券取引所といえば、日本経済の大動脈のはずなのに、その東証が、「ライブドア」という、ひとつの会社のスキャンダルによって、取引停止に追い込まれてしまった、ということに。 僕のなかでの「ライブドア」といえば、なんといってもあの「ホリエモン」こと堀江社長と、秘書の乙部綾子さん、そして、プロ野球チームを買おうとしてことごとく横槍を入れられていたこと、そして、ライブドアブログのなかにいくつか見に行くものがあるくらいのもので、「所詮、ホリエモンの自意識垂れ流しのための会社なんだろ」と今まで思い込んでいたのです。IT企業というのはみんなそんなものかもしれませんが、「ライブドア」という企業が、何をやっていて、どうやって収益をあげているのかという、その「実体」が、全然掴めなくて。 でも、こうして「ライブドア強制捜査」によって、東証が前面取引停止になってみると、今まで半ば「ネタ」として取り扱われることが多かったはずの「ライブドア」は、いつのまにか「日本経済に大きな影響を与える企業」になってしまっているのだ、ということを、あらためて思い知らされたのです。こんなことになってしまって、やっと「そんなに影響力があったのか…」なんて感じるのは経済事情に疎いからなのでしょうが、僕のイメージでは、ヒューザーのほうが、よっぽど「リアリティのある企業」だったのですよね。でも、そのヒューザーが偽装事件で社会的制裁を受けても、東証が取引停止になるなんてことはありませんでした。 もちろん、そういう「株価に敏感で、しょっちゅう株を売り買いしている人たち」が、ライブドアのようなIT企業関連株を扱っている場合が多い、ということもあるのでしょうが、僕たちは、ホリエモンに支配されつつあることを知らないまま、自分ではホリエモンを笑っているつもりでいたのではないかと、ちょっと怖くなってきたのも事実です。「ライブドア」が、何かをやるための企業ではなくて、ただ、企業そのものが大きくなっていくことだけが目的の企業であるならば、なんだかそれってブラックホールみたいだな、とすら思えてくるのです。
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| 2006年01月17日(火) ■ |
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| 宮崎勤の17年間 |
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西日本新聞の記事より。
【東京と埼玉で四つの幼い命が次々と奪われた幼女連続誘拐殺人。最初の女児殺害から十七年余りを経て、十七日、宮崎勤被告(43)は最高裁の死刑判決を受けた。「覚めない夢の中でやったような感じ」と告白した初公判。「法廷は晴れ舞台」と言い放った控訴審。拘置所生活では幻聴を訴え、最後まで罪の意識は見せなかった。子供を標的にした残忍な犯罪が各地で相次ぐ中、「原点」となった事件に対する「最後の裁き」。どうしたら悪夢を絶てるのか、重い問い掛けは続く。
「全世界に配信してください」「無罪です」―。判決の直前、宮崎勤被告は東京拘置所から共同通信に手紙を寄せた。被告は逮捕後の拘置生活を「その日その日を送っていました」と説明。十七年前の事件を「良いことをしたと思います」と振り返ってみせた。
最後に公の場に現れたのは二〇〇一年六月、東京高裁での判決公判。弁護人によると当時小太りだった被告の体重は現在十キロ近く減り、複数の声が「つめをはがすのはわたしにやらせろ」などと虐待の相談をする内容の幻聴と不眠を訴え、向精神薬の服用を約十年間続けているという。
拘置所ではほとんど面会に応じない一方で、不特定多数の人との文通は盛ん。月刊誌「創」(創出版)に寄せた手紙は一審判決前から二百数十通となり、その一部が著書として出版された。
今年一月号では、奈良の小学一年女児誘拐殺人で公判中の小林薫被告(37)が「第二の宮崎勤として名前が残ってほしい」と供述していたことに言及。「精神鑑定も受けずに、『第二の宮崎勤』は名乗らせません」と書き、外の社会で起きている出来事への関心もうかがわせた。
同誌の篠田博之編集長によると、宮崎被告はラジオで情報を得ており、流行歌手などの知識もあるが「興味の中心は昔のアニメやテレビ番組。逮捕前から時間が止まっている」(篠田氏)という。
著書に「もっともっと有名になりたい」と書いた宮崎被告。二月には創出版から二冊目の著書が出る予定だ。共同通信への手紙では、第三者の協力で「電子出版」したというインターネット公開の画集についても触れ、記事の配信先を「特にサウジアラビア王国、イギリス、オランダはお忘れなく」と指定した。】
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今日の午後のニュース速報で、宮崎勤被告の死刑確定を観ました。もう、あれから17年が経ってしまったのですね…
あの「幼女連続誘拐殺人事件」は、本当に世間を震撼させた大事件でした。当時のテレビニュースでは、「宮崎勤の部屋」が連日大々的に「公開」さて、そこに整然と並べられたビデオや、部屋に散らばっていたアニメや幼女の雑誌を観て、多くの人たちが、「オタクの犯罪」に対する恐怖感を語っていたものです。そして、「アニメが好き」というだけで、「宮崎勤みたい!」と「危険人物」のレッテルが貼られ、周囲の冷たい視線を浴びなければならなかった時代は、けっして短くなかったのです。 今となっては嘘みたいな話なのですが、「アニメ好きはみんな気持ち悪い!」という人に対して、「でも、宮崎駿のジブリ作品だけはセーフなんじゃない?」というような議論が真剣におこなわれていました。「あれは、宮崎勤が好きなアニメとは違う」と。逆に言えば、「ジブリ以外は、全部アウト」という時代だったのです。 いわゆる「オタクに対する嫌悪感」の元凶が、この「宮崎勤事件」にあったような気がします。
それにしても、今日のニュースでは、「宮崎勤から反省の言葉が出なかったこと」に対して、コメンテーターたちがいかにも無念そうに憤っていましたが、この上の記事を読んでみると、宮崎勤は「病気」なのだろうなあ、と僕は思います。普通の人に「魔がさして」やった犯罪ではなくて、もともとそういう人格に生まれついてしまったにちがいない、と。そして、これで反省するような「人間」なら、そもそも、こんな事件など起こさなかったはずです。 でも、僕は彼が「責任能力なし」で無罪とかになってしまったら許せないだろうし、宮崎勤かがあれだけの酷いことをしておきながら、17年間も生き、このような妄言を世間にばら撒いているのが許せないし、そういう社会というものにやるせなさを感じるのです。宅間のときも「反省の言葉もないままに死刑にするのは…」という「人道的な人びと」がいましたが、僕はこんな人間が「反省の言葉」を口にするのを17年も待つ必要があるのか?としか思えません。「こんな悪党でも、最期は人間らしくなった」ということで安心したいのかもしれませんが、「宮崎勤の後継者」たちは、次から次へと登場してきていて、「反社会的な犯罪者の高級ブランド」と化してきているのです。 この男の快楽のために時を止められてしまった子どもたちの時間は、もう二度と戻ってはきません。 「どうしてこんな事件が起こるのか?」と問いかけてみても、「そういう人間が、世の中には存在するのだ」という結論にしか達することができなくて、ただ、悲しくなるばかりです。
この17年間で、事件への記憶が薄れたためか、価値観が多様化したためか、世間は、「オタク」に対して少しだけ優しくなり、「宮崎勤みたい」と揶揄する人たちは、ほとんどいなくなりました。そして、「幼女趣味」も「反社会的な行為」も、「それも個人の趣味だから」ということで、世間は寛容になってきているようにも感じるのです。 「オタク狩り」が正しいとは思えないけれど、「他人に迷惑をかける、誰がどうみても正しくないことまで『個人の自由』だと放置されてしまう社会」というのが、果たして「生きやすい世界」なのでしょうか。
僕たちは、宮崎勤をどうすればよかったのか? この犯罪を「予防する」ことはできたのか? そもそも、宮崎勤は「人間」だったのか?
結局、17年を経て僕の心に浮かぶのは、怒りというよりは、「世の中というのは、所詮、理不尽なものなのだ」という諦めだけなのです。 「責任能力」って、いったい、何なんだよ…
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| 2006年01月16日(月) ■ |
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| 「酒とネオンは仕事のエネルギー」と豪語した名将の「実像」 |
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「Number.644」(文藝春秋)の記事「名将逝く〜ありがとう仰木監督」(永谷脩・文)より。
【西鉄の黄金時代、名将・三原脩が自分の前に座らせ、将来を託して教育したのが仰木だった。「人を見る時の感性はこの時に教わった」と語っていたものだ。 三原と西本幸雄(元近鉄監督)の薫陶を受け、アイデアと個性を生かす野球で強者に立ち向かった。そんな中から、野茂英雄、イチローが育っていった。清原らを擁し黄金時代を迎えていた西武をあと一歩まで追いつめた10・19。翌年には初のリーグ制覇を果たした。「続投を告げにマウンドに行って、戻ると投手交代だもの。これがよく当たるから、文句もいえん」と投手コーチとして仕えた権藤博は振り返る。 ’95年にはオリックスでリーグ制覇。翌年には長嶋巨人を4勝1敗で圧倒し、初の日本一に輝いた。この時、投手コーチの山田久志とぶつかった。「それがエネルギーにもなった。選手同士を意識して競争させているようだった」と山田は言う。仰木に「わざとやっているんですか」と聞いたことがある。「投手コーチの味方ばかりするな」と怒鳴りながら缶ビールを1本くれた。 筆者と恩師・三原の名前”脩”が一緒だったのが縁で、気にかけてもらうようになった。夜の街で会うと、「なんだったら飲んでいけ」と気さくに誘われた。「酒とネオンは仕事のエネルギー」とウソぶきながら、「人の流れだけは見ておけよ」と言われたのを思い出す。 元オリックスの田口壮が、訪ねる人もいないアメリカ2Aのグラウンドでプレーしていた時、姿を見せたのが仰木だった。「燃えつきるまでやれと声をかけてくれた」と現在、カージナルスで活躍する田口は言っていた。 今年、ロッテの日本一を見て、10年前を思い出した。ファンへのアピール、試合ごとのオーダー変更、選手への気配り。バレンタイン野球は10年前の仰木と重なって見えた。 訃報を聞いて、権藤と偲び酒を酌み交わした。「ケンカのし甲斐のある監督だった」とポツリと権藤は言った。「なんだったら飲んでいけ」と声が聞こえそうで、ひたすら飲んだ。仰木の好きだったビールの本数ばかりがやたらと増えていった。にがい味だった。】
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昨年(2005年)の12月15日に永眠された、仰木彬監督をよく知る永谷さんが語る、名将の数々のエピソード。 僕はこれを読みながら、仰木さんという人は、天性の「指揮官」だったのだなあ、とあらためて思いました。長嶋さんのような、圧倒的な「カリスマ性」でみんなを引っ張っていくタイプではなく、自分の知恵と力を絞って周囲を生かすことによって、組織を支えてタイプの。 監督時代の仰木さんと権藤コーチ、あるいは山田久志コーチとの「対立」がしきりに囁かれていましたが、その「対立」すら、仰木さんにとっては、「選手の闘争心を引き出すための戦略」のひとつだったのでしょうか。もちろん、そのときに「わざと」だとみんながわかるようでは意味がないことだし、仰木さん自身がどこまで意図的にそうしていたのかはわからないのですけど。 でも、「酒とネオンは仕事のエネルギー」と豪語しながらも、酒を飲みながら「人の流れ」を見ること忘れなかった仰木さんは、本当に「心の底から、楽しくお酒を飲んでいたのだろうか?」 などと、僕はつい考えてしまうのです。豪放磊落に見せながらも、常に、人間観察という「仕事」を忘れることができなかった名将。 仰木さんは、ようやく天国で「心から好きな酒を楽しむ」ことができるようになったのかもしれませんね…
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| 2006年01月15日(日) ■ |
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| 三谷幸喜さんと井上由美子さん |
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「週刊SPA!2006.1/号」(扶桑社)の「トーキングエクスプロージョン〜エッジな人々」第417回・三谷幸喜さんのインタビュー記事です。取材・文は橋本達典さん。
【インタビュアー:今年はお正月から、『古畑任三郎ファイナル』『新選組!!土方歳三最期の一日』、そして映画と、三谷ブランドの作品が続々と発表されて、ファンは喜んでいると思います。
三谷:本当はそれは僕が望んでいた状況ではなくて、脚本家なんていうのは前面に出ずに、例えばすごく面白い映画を見て、ドラマを見て、お芝居を見て、あとになって調べたら、「これ、みんな同じ作家が書いてたのか」っていうのが、一番カッコいいと思うんですよ。どんなジャンルの作品でも書き上げてしまう、いいものを書く、そんな、それこそ職人作家に憧れていたんですけど。でも、そういうふうにならなかったですね、僕の人生は。最近では、もうしょうがないやって思ってますけど。だから今、一番、僕が憧れるのは井上由美子さんですね。本当はああいう人になりたかった。すべてにおいてちゃんと成果を残していらっしゃるし。かといって、いい意味で井上ドラマだっていうふうにならないじゃないですか。そういうスタンスを保っているところがカッコいいですよね。】
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参考リンク:井上由美子(Wikipedia)
確かに、三谷幸喜という人は、良い意味でも悪い意味でも、脚本家として「キャラが立ちすぎてしまっている」のかもしれませんね。「振り返れば奴がいる」から、「王様のレストラン」「古畑任三郎」「新選組!!」などのテレビドラマ、そして「笑の大学」「オケピ!」などの舞台作品の大成功で、「日本で一番有名な脚本家」として、その作品は総じて「三谷作品」とひとくくりにされてしまいがちです。もちろんそれは有名税みたいなものでもあるでしょうし、逆に「総理と呼ばないで」や「竜馬におまかせ」のような「コケた三谷作品」もよく知られてしまっているという一面もあるわけで。これほど「(視聴率的に)失敗したドラマ」が「脚本家」とともに語られるのもまた、三谷さんだけではあるのですよね。もともと「東京サンシャインボーイズ」という劇団で役者もやっていたので、照れ屋ながらも人前に出るのが嫌いでもないし、慣れているということもあって、つい露出してしまうのかもしれませんが。 しかし、ここで三谷さんが名前を挙げられた井上由美子さんは、上記の参考リンクにあるように、『GOOD LUCK!!』や『白い巨塔』などの様々なドラマの脚本を書かれているヒットメーカーでありながら、その名前を知っている人は、一部の「ドラマ通」に限られているのではないでしょうか。少なくとも「三谷作品の好き嫌い」が語られる機会に比べれば、「井上作品の好き嫌い」というのが語られる機会は圧倒的に少ないと思われます。こうしてみると、井上さんの作品にも「木村拓哉さんと組むことが多い」とか、「レーサー」とか「医者」とか「パイロット」などの「専門職」の世界を描くのが好きなのかな、という印象を受けるのですが、三谷さんほどの「作品に共通したイメージ」はなさそうです。逆に、それだけ臨機応変に書けるからこそ、「大ヒットさせなければならない」キムタク主演ドラマに起用されることも多いのでしょう。 もう、三谷さんは井上さんのように「作品をまず観てから脚本家の名前を調べられる存在」になることはないと思いますが、三谷さんが「職人」としての井上さんに憧れるというのは、ものすごくわかるような気がします。新作映画『有頂天ホテル』なんて、自ら「三谷ブランド」を最大限に利用してプロモーションをされているのですが、その一方で、心のなかでは、「三谷作品」という先入観なしに作品を観てもらいたいときもあるのでしょうね、きっと。
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| 2006年01月14日(土) ■ |
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| あなたの「活字中毒者度」は? |
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「活字探偵団・増補版」(本の雑誌編集部編・角川文庫)より。
【ところで、これほど自己診断テストが巷にあふれているというのに、どうしても見つからなかったテストがある。「活字中毒者度」テストだ。そこで、おせっかいではあるが、本誌がこの自己診断テストを作成してみた。以下がそのチェック項目である。 さて、あなたの「活字中毒者度」は?
<活字中毒者度チェック>(YES/NOでお答えください) 1.一日に一度は書店に行かないとイライラする 2.家にある本の半分は読んでいない 3.本をプレゼントしてふられたことがある 4.電車に乗ったとき本か雑誌を持っていないと落ち着かない 5.人にすすめられた本には批判的になる 6.読書計画をたてるのが好きだ 7.自分は活字中毒者だと思っていない 8.書店に行ったらまず新刊コーナーをチェックする 9.本を読むよりさわっている方が好きだ 10.かばんに必ず本や雑誌が入っている 11.今現在探している本が5冊以上ある 12.旅先で書店を見かけるとつい立ち寄ってしまう 13.友達は少ない 14.トイレで大をするときは必ず読むものを持って入る 15.書店員になろうと思ったことがある 16.「本の雑誌」を読んでいる
「YES」の数が 0 活中度D あなたは健全です。このまますこやかな社会生活を営んで下さい。 1〜5 活中度C 軽度活字中毒者。回復の見込みはかなりあります。ただし症状がこれ以上進まぬよう日々の注意が肝心です。 6〜10 活中度B 重度活字中毒者。とりかえしがつかなくなる前に、はやめに手当てしましょう。 11〜15 活中度A 真性活字中毒者。手遅れかもしれませんが、あきらめず少しずつ治していきましょう。世の中には本以外にも愉しいことがあるはずです。 16 活中度特A めぐろこおじ的活字中毒者。もう治る見込みはありません。健全な社会生活はあきらめて下さい。】
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ちなみに、この本は2000年の1月発行です。今なら、新刊コーナーに行く前に、ットでチェック、という人も多いのかもしれません。あと「めぐろこおじ」さんというのは、「本の雑誌」の元発行人(現在は顧問)で、極度の活字中毒者であった、目黒考二さんのことです。 僕もこのテストをやってみたのですが、結果は「YES」が10個で、「活中度B」でした。うーん、喜んでいいのか、悲しんでいいのか…やや中途半端な結果ではあります。でも、確かにはやめに「手当て」する必要があるかもしれません。たぶん、ネットがなかったら、「活中度A」だったと思うし… それにしても、この「診断基準」からすると、「活字中毒」というのは、重症になると、本の内容を読むことよりも、「本」という存在そのものへの愛着に変わってくる、ということなのかもしれません。欲しい本が身近にないと落ち着かないにもかかわらず、手に入れてしまえば、読まなくてもけっこう安心して部屋に積みっぱなしということは、僕にもよくあるのです。「本」というものの本来の役割を考えればものすごく理不尽な話なのですが、「中毒」というのは、たぶん、そういうものなのでしょうね。 しかし、僕は常々、どうしてみんな電車の中で本を読まないのだろう?と疑問でならないんだけどなあ。都会の満員電車や、乗り物酔いしやすい人はともかく、あれほど読書向きの時間と空間で、じっと座って目的地に着くのを待っているなんて信じられない…
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| 2006年01月13日(金) ■ |
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| 「ネズミ踊り」戦争 |
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毎日新聞の記事より。
【千葉県浦安市は13日、同市の成人式に関する朝日新聞のコラム記事に対する抗議書を12日付で郵送したと発表した。個性を出した式に対して中傷する記事として「厳重に抗議し、速やかな謝罪を求める」としている。 抗議書によると、記事は10日夕刊1面「素粒子」に掲載された東京ディズニーランド(TDL)で9日に行われた同市の成人式に関するもの。「浦安の新成人。遊園地のネズミ踊りに甘ったれた顔して喜んでるようじゃ、この先思いやられる」という内容だった。 市長と市教委教育長名で、「成人式はTDLの協力を得て市長や議長のあいさつなど粛々と進められた。記事は式典前後に行われたショータイム(計5分)のみを捉えたもので、正確で公正な記事とはいえない」などと抗議、(1)新成人に対する謝罪と謝罪文(2)記事の目的やねらい(3)記事掲載に至った経緯の掲載や説明を要求している。 同市の成人式は02年からTDLで開催されており、今年で5回目。朝日新聞10日付朝刊では、写真付で成人式の記事が掲載されている。 朝日新聞東京本社広報部のコメント 「素粒子」は筆者が政治、社会現象を批評するコラムです。当該の記事は成人式についての一つの見方を示したものです。浦安市長からの抗議書には、改めてご返事します。】
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この抗議、ディズニーランドを経営しているオリエンタルランド社からだと思って読んでいたのですが、読み直してみたら、なんと浦安市そのものからだったのですね。凄いよ浦安市、もうオ社の忠実な犬だな……
とか書いてもとりあえず「活字中毒R。」くらいの規模の個人サイトなら「お目こぼし」をいただけるわけですが、天下の朝日新聞ともなれば、こうして公的な抗議を受けてしまうみたいです。 僕は、問題のコラムの全体を読んでいないのでなんともいえない面はあるのですけど、「いかにも頭が固そうな朝日の編集部員が、現代の若者の気概の無さを嘆いて書いたコラム」みたいですね。まあ、この手の「新成人の軟弱さを咎める人生の先輩」というやつは、実社会にも、WEB上にも腐るほどいるのです。居酒屋にでもいけば、そんな人ばかりのような気もしますし。そして、そういう人たちの御高説を聞かされる側からすると「新成人より、お前自身のことをどうにかしろよ!」というのが実感で、そんな厭味に「社会的影響力」なんて全くありません。 【「浦安の新成人。遊園地のネズミ踊りに甘ったれた顔して喜んでるようじゃ、この先思いやられる」】なんて、そこらへんの大人たちはみんな言ってることなんですよね。しかしながら、僕だって自分が浦安市民だったら、成人式の日は「ラッキー!」と思うに決まっています。所詮、その程度のものなのです。成人式にミッキーマウスが来てくれて、それでみんな喜ぶんだったら、バカ新成人がグレートサスケと睨みあうよりよっぽどマシだろう、と。 WEBなどでもそうなのですが、こういう「中身のない皮肉屋」に対する最大の対処法は、「無視して、心の中で笑いものにする」です。こう言ってはなんですが、天下の朝日新聞に、こんなバカコラムを書いたりしたら、僕だったら恥ずかしくてもう二度と外なんか歩けない。別にディズニーランドを全肯定する必要なんてないのですが、イヤミを言うのにも、天下の朝日のコラムを任されるくらいの人なら、もう少し芸があって然るべきなのではないでしょうか。こういう人は、型どおりの式典を見せられたら、「面白みがない」とか「オリジナリティがない」とか言いそう。 しかし、浦安市のこの対応も、バカみたいというか、かえって「ディズニーランドべったり」という感じで、あまり良い印象を受けませんよね。みんなが「はいはい」と読み飛ばしているつまんないコラムに対して過剰に反応してしまうと、かえって「オリエンタルランドとの蜜月」を対外的にアピールしているだけのような。こんなの、朝日側が言うとおりに【当該の記事は成人式についての(頭が固い編集部員が)一つの見方を示したもの】でしかなかったのに。 僕はこのコラムは単なるバカコラムだと思うけど、この程度のオヤジのたわごとにすら抗議するという「オ社に対する浦安市の言論統制」のほうには、むしろ、恐怖すら感じます。「ネズミ踊り」とか書かれたからといって、そんなに過敏に反応するなんて、あまりにも了見が狭すぎます。 「そんなふうに感じる人もいる」というのは、どうしようもないことのはずだし、「誰かを傷つける」ほどの力がある文章でもないのにねえ。
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| 2006年01月12日(木) ■ |
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| あなたには、本当の「貧乏」は理解できない。 |
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「きまぐれ遊歩道」(星新一著・新潮文庫)より。
【トルストイは貴族なのに、最も貧しい人たちと同じ生活をしようとした。あるアメリカ人は「立派なことだが、それで貧乏は理解できない。金品の不足ではなく、今後の生活への恐怖が貧乏なのだから」と言った。】
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レフ・ニコライビッチ・トルストイ(1828〜1910)は、『アンナ・カレーニナ』、『戦争と平和』などで知られるロシアの文豪です。彼の祖先はロシア皇帝の側近で、トルストイも名門貴族の一員でした。そんな出自でありながら貧しい人たちに目を向け、その生活を描き、自ら財を投じて彼らの生活を支援し、文学と政治の両方に大きな影響を与えました。 そんなトルストイに対する、この「あるアメリカ人」の言葉は、ものすごく辛辣なもののようにも感じます。でも、これはまさに「貧乏」というものの本質を衝いた言葉なのですよね。 今の日本のバラエティ番組で取り上げられている「ビンボーさん」たちに対して僕たちがそんなに「切実さ」を感じないのは、たぶん、このアメリカ人が指摘しているような「今後の生活への切実な恐怖」を、彼らが抱えていないように見えるからだと思うのです。いや、彼らなりに「今後への不安」というのはあるには決まっているのですが、今の日本では、そう簡単に飢え死にしないことはみんな知っています。それに、若者にとっての「未来のための準備期間としての金銭の不足」には、将来への希望だってありますしね。 確かに、いつでも元の暮らしに戻れる人が、「貧しい人の気持ちを理解するために」どんなに安くて不味いものを食べていたとしても、それは「本当に貧しい人々」からすれば、単なる「酔狂」でしかないのかもしれません。 ただ、そうだとするならば、「結局、金持ちには『貧しさの本質』というのは理解不能なのだ」ということになってしまうのですけど……
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| 2006年01月11日(水) ■ |
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| 35歳、クラゲに「人生」を学ぶ。 |
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「らもチチ わたしの半生〜中年篇」(中島らも、チチ松村・講談社文庫)より。
(中島らも、チチ松村の二人が、今までのお互いの人生を対談形式で振り返るというラジオ番組を基にした本の一部)
【チチ松村(以下チチ):らもさん、男の35歳と言うたら、普通の人ならどういうころですか?
中島らも(以下らも):えーとね、係長クラス……。
チチ:ちょっと偉くなったような感じかな。
らも:会社員だと主任から係長になって、課長が鼻の先にぶら下がっているな、という感じちゃうかな。
チチ:そうやろうね。それで働き盛りというか、男盛りというか、一番頑張るときやん。
らも:そうやね。実力の見えてくるときやね。
チチ:そうでしょ。ぼくにもその35歳のとき、人生における衝撃的な出会いがありました。
らも:性転換した。
チチ:ちゃうちゃう。ちゃうちゃう。
らも:ちがうの?
チチ:クラゲ。
らも:あ、クラゲと出会ったの?
チチ:そうですよ。ぼく、1990年にクラゲと出会いました。これは、ぼくにとって衝撃的でした。35、6歳にもなったら、普通、何にも影響されへんからね。
らも:頑とした自分というものができてくる時期だからね。
チチ:そのときにクラゲに出会ったわけです。
らも:クラゲ。
チチ:うん。「これや!!」と思ったんですよ。
らも:(笑)
チチ:おかしいかも知れんけど、ぼくはそれまで、らもさんのリリパット・アーミーに出て、桂吉朝さんの落語を聴きに行って、”茶人”というのに、「これや」と思ったときもありました。2つに分かれた自分の道を、どっち行ったらええかわからへんから、風に決めてもらう生き方をしてた。それを”風流”と呼んでましたね、ぼくは。”風流”が一番やなと。どっちの道行っても正しいことなんかないと。そんなもん、行ったほうでいかに楽しく過ごすかに賭けようと。 だから、自分で決めんと、全部吹いてきた風に流されて生きたらええがなと。右から吹いてきたら左に行こうと。それで、人生を決めようと。それを誰か他人に決めてもろうたら、その人に責任転嫁ということや。「君が言うたから、こっちに来たんやで」って言ったら、その人の責任にしてるでしょ。それは、その人に迷惑をかける。ところが”風”やったら怒れへんわな。
らも:まあ、そうやな。
チチ:「あのとき風が吹いてきたからな」ですむ。それで、自分の生き方を”風流”と呼んでました、35歳のころまで。 ところが、一人やったらいいんですよ、これが。一人で生活していると、流されようが何しようがだれにも迷惑をかけへん。ところが、ぼくには家族もいるし、周りに音楽のスタッフもいますよね。そうすると、自分でどうするかをはっきりせえへんかったら、だれもついてけえへん。
らも:周りが迷惑するわな。
チチ:めちゃめちゃ迷惑して、「どうするんや」と。「どうしたいんですか」とかね。「いや、そう言われても」とか言って、ほんまに自分の食いたいものも自分で決めてへんかったときがある。「何にしようかな」「なら、これ食うたらどうですか?」と言われたら、「あ、そうしよ」とか。「お風呂、入ったらどうですか?」「なら、入ろうか」と言うて、全部自分で決めずに生きとったら、ものすごい迷惑をかけたみたなんです。 だから風流という生き方はいいけど、これはもうあかんかなと。自分の中で悩みが入ったんや。めずらしいんや。ぼく、悩むことがあんまりないねんけどね。「んー」と、唸ってたときに神戸の須磨に水族館がありまして、そこへたまたま行ったんかな、夏ぐらいに。変な魚、いろんな魚がいるからおもろいなとか思いながら見てたら、むこうのほうにすごいきれいなものが見えてきたんですよ。「何や、これ」……クラゲ。それを見た瞬間に頭の中がブワァーっと音が立つような感じで、「これや、これや」。その前で30分以上、見つめたままですよ。
らも:変なおじさん。
チチ:何で(笑)。どうして僕が感動したかというと、クラゲは水槽の中でつくられた波があるでしょ。それによって完全に流されてたんですよ。自分に意思がない、クラゲというのは。
らも:自分というのがないわけや。
チチ:ないんです。我がない。ぼくは、自分というものをなくしているという意味で、”自我”がないというふうにとったんやけどね。自我のない流され方というのは、きれいやなと思いました。 自分の中で、風流があかんと思っていたんやけど、クラゲを見た瞬間に、「いや、やっぱり風流でええのや」と思ったわけよ。「このクラゲを見よ」と。ふらふら水の流れに流されてる姿が、めちゃくちゃ芸術的だったんでしょ。ミズクラゲやったんですけどね、見たのは。ミズクラゲは水槽の中でたばこの煙のように漂ってた。たばこの煙っていろんなふうに姿を変えるでしょ、瞬間的に。そんな感じ。水槽の中でアート作品が生まれていく感じ。きれいやな、と。こんなきれいなもんか、クラゲっていうのは、と。それで、「そうか、ぼくも流されて生きて、このように瞬間、瞬間にものすごい変化していったら、迷惑をかけるどころか人を感動させられるんやないかな」と思ったんですよ。これしかないと、35歳にして、やっぱりおれの師匠はクラゲやなと。この”クラゲ師匠”にいろいろ学ぶべきことが多いんちゃうかなと。それなら今まで迷惑をかけてた人も、あまりにもぼくの流され方がきれいだったら許してくれるんやないかなと。それで、クラゲに家に来てもらう段取りを始めたわけ、見た瞬間から。それまでぼくの中には、やる気とか努力とかいう言葉がなかったんですよ、おじいさんに憧れてたから。おじいさんとかはあんまり闘わへんでしょ(笑)。
らも:闘うじじいはあんまりいないよな。
チチ:「流されて生きるんじゃ」、みたいな感じやったのが、そのクラゲを見た瞬間にクラゲのやる気のなさとはちがうやる気が出た。】
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チチ松村さん、35歳のときの述懐。このあとチチさんは”クラゲ師匠”に家に来てもらうために水族館の職員の人に教えを請うて、ついには、「日本の家庭クラゲ飼育の第一人者」となり、クラゲの本まで出版されることになるのです。ほんと、クラゲの「やる気のなさ」に魅せられてしまったわりには、その後のチチさんの行動は、やる気満々なんですよね。 ところで、僕がこの文章を読みながら、ちょうど今現在、このときのチチさんと同世代の男として考えたのは、「ああ、優柔不断というのも、ひとつの『生き方』なんだよなあ」ということでした。僕も30年以上も”風流”というか、優柔不断人生を送ってきて、ごはんを食べに行く場所もなかなか決められず、ずっと、「もっと決断力のある男にならなくては!」と年初めには決意してきたのですが、なんだか、このくらいの年齢になってみると、もういまさら「即断即決の人間」にはなれない、ということがわかってきたのです。そして、「自分の道を自分で切り開こう!」というよりは、僕は革命家ではないし、それこそ【行ったほうでいかに楽しく過ごすかに賭けよう】と。 そして、この年齢になって、そういう自分を、ようやく許容できるようになってきたのです。ちょっと、遅すぎるのかもしれませんけど。 僕も急にクラゲに目覚めたりするかもしれませんが、とりあえず、流されてみるのもそんなに悪いことじゃないと、気楽に生きていければなあ、と思います。世の中には、なんでも自分で決めないと気がすまない人だっているんだから、それはそれで、全体としてはバランスがとれているのかもしれないしさ。 でもなあ、「まったく自我なく流される」っていうのも、それはそれで難しいことですよね、実際は。
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| 2006年01月10日(火) ■ |
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| 「東京コンプレックス」を超えた「任天堂らしさ」 |
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「週刊ファミ通」(エンターブレイン)2006.1.20号のインタビュー記事「宮本茂氏に聞く!!『大玉』、”任天堂”、そして……2006年」より。
(あの「スーパーマリオブラザーズ」や「ゼルダの伝説」など、数々の傑作ゲームの生みの親、宮本茂さんへのインタビュー記事の一部です)
【インタビュアー:原点という意味で、具体的に”任天堂らしさ” とはどういうことか、教えていただけますか。
宮本:”人を楽しませることにどん欲”。そして”お客さんに対して誠意を持ってモノを作る”というところですかね。ファミコンのころからそうなんですよ。子供が乱暴に使っても壊れず、機構をシンプルにして誰でもメンテナンスできるようにする、とかね。ビジネスの上では、すごく不利なことをいっぱいしてるんです(苦笑)。見えないところにたくさんコストをかけてますから。そういう風にモノを作ることが好きな人が、任天堂には昔からたくさんいたんですよ。
インタビュアー:原点という逸話として、かつてバブルの時代に、山内溥前社長(現相談役)が、任天堂の本社を東京に移すという話が挙がったとき、「任天堂は東京を相手に商売してるんやない。世界や」と言って京都から動かなかった、と聞きました。そういう頑なな考えかたにも任天堂の哲学を感じます。
宮本:山内さんの話はいま初めて聞きましたけど、僕も見えないとことで影響を受けているんでしょうね。僕は東京に対する劣等感って、ぜんぜんないんです。日々、同じペースで生きている。でも考えてみるとハタチそこそこで入社したときはね、やっぱり東京で最先端の流行に触れたい、流行りの工業デザインをマネしたい、とか思ったんですよ。そういう、人生でいちばん熱い時期に、言ってみれば無理矢理、京都に縛られていたんですね。しかし仕事を続けていくうちに「流行を追いかけるのではなく、自分自身が何を作るかがいちばん大事なんだ」ということに自然と気づかされたんです。妙に東京を意識していたら、『スーパーマリオブラザーズ』は生まれなかったでしょう。そういう意味では、京都にいたことは非常にラッキーでしたね。】
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宮本茂さんといえば、まさに日本を代表する世界的なゲームクリエーターなのですが、その宮本さんへのインタビュー、非常に興味深かったです。 僕のようにずっと田舎で暮らしている人間にとっては、やっぱり「東京コンプレックス」というような感覚はあって、「やっぱり、一流は東京に行かないとね…」みたいな先入観を拭えないとことはあるのです。でも、確かに「東京」というのも世界レベルでみれば「比較的人口が多い都市のひとつ」に過ぎませんから、世界を相手にするのであれば、「東京でも京都でも一緒」なのですよね。歴史のある京都であれば、世界的知名度もそんなに変わりはないでしょうし。 まあ、モノは考えよう、という面もあるにせよ、東京に行くことが、必ずしもプラスに作用する場合だけではないみたいです。少なくとも日本のなかでは「最新のモノたち」に接する機会は多くなると思うのですが、逆に、そられの影響を受けすぎてしまて、自分のオリジナリティを失ってしまう場合も少なくないみたいですし。 【「流行を追いかけるのではなく、自分自身が何を作るかがいちばん大事なんだ」】という宮本さんの言葉を聞くと、田舎に住んでいるから…なんていうのは、単なる自分がラクをしたいための「言い訳」なのかもしれないな、と思えてくるのです。とくに今みたいに通信の手段が進歩している世の中では、「都会」と「田舎」の格差はかなり狭まっているはずですし。
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| 2006年01月09日(月) ■ |
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| 「一人で喫茶店や定食屋に座っている」という未来予想図 |
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「本の雑誌」(本の雑誌社)2006.1月号の「笹塚日記」(目黒孝二著)より。
【11月16日(水) 昼に起床。買い置きのパンがないので駅前のQUEEN'S ISETANに行くが、本日はお休み。仕方なく、京王クラウン街のベーカリー ルパで、コロッケパンとサンドイッチを購入して帰途。コーヒーが飲みたくなったので駅前のドトール。サンケイスポーツを読みながらしばらく休憩。昼休みなのでサラリーマンやOLが多いのは当然だが、おやっと思ったのは老人が意外に多いこと。そういえば先週の土曜日の朝、東京競馬場近くの定食屋に入ると、そこにも老人が多かった。それが全部一人。店の入り口から奥まで8人掛けのテーブルが続いている店だが、その各テーブルに座っているのは老人一人ずつなのだ。だから会話もなく、淡々と新聞を見ているだけ。なんだか異様な光景だった。私も年をとれば友人が少なくなって、一人で喫茶店や定食屋に座っているのだろうか。いや、もうすでに年をとっているんだけど。なんだかなあと思いながら、仕事場に戻って新刊ガイド。ひたすら夕方までワープロに向かい続ける。】
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ああ、この「競馬場近くの定食屋で淡々と新聞を読んでいる老人」というのは、何年後かの僕の姿なのかな、と、読んでいて僕も淋しくなりました。いや、このお年寄りたちも、家に帰れば妻や子どもたちや孫たちに囲まれていて、自分の趣味の競馬に集中するために一人で競馬場に来ている、のならいいのですけど…それにしても、友人同士とかで来ている人がほとんどいないというのもね。まあ、ギャンブルは他人と一緒にやるものじゃない、のかもしれませんけど。 僕は田舎暮らしなので、都会でのこういう「一人で食事をしているお年寄り」と見る機会はそんなにないのですが、それでも時々、牛丼屋などで酔っ払って店員の女の子に一生懸命話しかけているお年寄りの姿に、なんともいえない気分になることがあるのです。店員さんも大変だろうと思うけど、そんなふうに、店員さんに話しかけてしまうくらいの寂しさというのは、なんだかとてもせつなくて。正直、僕も今はそういう光景に対して「店員さんも迷惑してるし、いいかげんにしろよ…」とか思うのですが、本当に一人になってしまったら、僕だってそうしてしまうかもしれないな、という気もしてくるのです。誰だって、年をとれば一人になってしまう可能性はあるのだし、貧乏学生の「一人で定食屋」には寂しさとともに、これから始まる未来への希望があるけれど、お年寄りの場合は、その「一人」の次に来るものが「二人」だとは考えにくいものだし。 もちろん、一人のほうが気楽な場合だって多いというのもわかるのですが。こういう「人が大勢いる中での孤独」というのは、自分の将来の姿かもしれないと思うと、なおさら、せつなくなる話ではありますよね。
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| 2006年01月08日(日) ■ |
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| 「春の熊くらい好いとーよ」 |
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『ダ・ヴィンチ』(メディアファクトリー)2006年1月号の「Field Work(フィールドワーク)という記事より。
【ここで、方言がいかに説得力豊かなものなのか、実験してみたい。 「誰の本にしますか?」 「そりゃ、あの人しか考えられんな」 テキストは標準語遣いの権化ともいえる村上春樹作品。代表作のひとつ『ノルウェイの森』で、いかにも春樹らしい比喩だと話題になったシーンだ。 病院にいる直子を愛しつつ、緑ともつきあうワタナベ君が、緑にセマられるようなカタチで告白するところである。もしも映画化されるとしたら、二枚目俳優以外は口にできないようなセリフが続くのだが、これが方言になると、途端にナマナマしい会話に変貌するのだ。
<原文>(村上春樹『ノルウェイの森』より) 「もっと素敵なこと言って」 「君が大好きだよ、ミドリ」 「どれくらい好き?」 「春の熊くらい好きだよ」 「春の熊?」と緑がまた顔を上げた。 「それ何よ、春の熊って?」
<名古屋編>(翻訳/竹本道子) 「まっといいこと言ってちょ〜よ!」 「おみゃあがどえりゃあ好きだがね、ミドリ」 「どんだけ好きだがね」 「春の熊くらい好きだがね」 「春の熊?」と緑がまた顔を上げた。 「調子こいとるん?分からせん。何だがね?春の熊って?」
<青森編>(翻訳/hanahana) 「もっと素敵だこと言ってけぇ。」 「おめばわんや好ぎでらよ、ミドリ」 「何(なに)ほど好ぎでらのよ?」 「春の熊コくれぇ、好ぎだじゃ。」 「春の熊コ?」と緑がまた顔を上げた。 「せ、何だんず?春の熊コだがって?」
<博多編>(翻訳/北尾トロ) 「もっと素敵なこと言ってほしか」 「君がめっちゃ好いとーよ、ミドリ」 「どれくらい好いとーと?」 「春の熊くらい好いとーよ」 「春の熊?」と緑がまた顔を上げた。 「それなん? 春の熊げな?」】
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このほかにも、新潟、栃木、岡山、鹿児島弁に「翻訳」したこの場面が載せられていて、僕は半分面白がりつつ、半分なんだか好きな作品を傷つけられたような気がしつつ読んでいました。博多編の「好いとーよ」なんていうのは、僕にとっては耳慣れた言葉でもあり、あんまり抵抗ないんですけどね。 「方言」というのは、テレビ番組などでは、「風情があっていい」なんて言われますが、こうして書き言葉にしてしまうと、文学作品の一部としては、ちょっと違和感が大きい場合もあるみたいです。というか、考えてみると、この「春の熊くらい好きだよ」は、『ノルウェイの森』のなかでは、村上春樹ワールドらしい表現としてけっこう自然に受け入れられていたのですが、あらためてここだけ抜き出してみると、「なんじゃそりゃ?」という比喩ではあるんですよね。日常生活での恋人同士の会話で「春の熊くらい好き」なんていわれても、全然理解不能でしかないと思いますし。 方言というのは、生活に密着している言葉だけに、この手の「日常会話ではまず使わないような、文学的言い回し」には、あんまり馴染まないみたいですね。もっとも、それは僕たちが「標準語ベースの村上春樹作品」に慣れすぎているだけなのかもしれません。 逆に、僕のような地方在住者にとっては、たまに東京に出てきたときに、みんな「○○じゃないですか!」とか標準語で普通にしゃべっているのを聞くだけで、ついつい、「こいつらみんなカッコつけやがって!」とか思ってしまいがちなのですが。
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| 2006年01月07日(土) ■ |
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| 「どのトイレに入るかで子どもの性格を知る」 |
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「必ず誰かに話したくなる心理学99題」(渋谷昌三監修、岡崎博之編・著:宝島社)より。
(「幼少期心理編」のうちの1題です)
【どのトイレに入るかで子どもの性格を知る
「学校でトイレ(個室)に入るとき、どこに入るの?」 ちょっと変に思われるかもしれませんが、機会があったら子どもに聞いてみてください。 奥と答えたら、あなたの子どもは自分の時間や場所を大切にするマイペース人間です。環境の変化になじめないところがあるので、転校の際などには注意が必要です。 真ん中(あたり)と答えた子は、警戒心と適応能力のバランスがとれたノーマルタイプの子どもです。 そして、入り口の近くと答えた子は、警戒心が強いものの、新しい環境にもすばやく順応できる柔軟性を持った子どもです。 ちなみに、日本で行った実験によると、興味深いことに男性と女性とでは遊び方が異なることがわかりました。男性の場合は一番奥を選ぶことが多く、女性の場合は中央付近を選ぶ人が最も多いという結果が出ました。 男性が一番奥を選ぶ理由は「なわばり」を守りたいから。男性は女性よりも広いなわばりを持ちたがる傾向があります。そのために奥のトイレを使い、安心を得ようとするのです。】
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僕の記憶の限りでは、学校でトイレ(個室)に入った記憶って、ほとんど無いんですよね。そもそも、今から20〜30年前くらいって、男が個室に入っているのが同級生に見つかると、「ウンコ野郎」として、かなり同級生とかにバカにされていたような。今ではそんなことはないのかな。もちろん女子の場合は、昔も今も、個室を使わないわけにはいかないでしょうけど。 子供の頃はさておき、僕も基本的に奥のほうを使うという傾向があるような気がします。これは個室だけではなくて、小用を足すときでも、手前の便器が空いていても、ついつい奥のほうを選びがちです。他の人のことを考えてみても、全部空いている状況なら、一番手前を使うのが合理的なはずなのに、意外と一番手前に行く人って、少ないですよね。 労力のムダなはずなのに、めんどくさがりやの僕が奥に行ってしまうのには、こういう心理が隠れていたのか、となんとなく納得してしまいました。確かに、入り口に近いと、なんとなく落ち着かないような気がします。そうか、あれは犬の「マーキング」と一緒なのか…「環境の変化になじめない」っていうのは、確かに当たっているしなあ。 しかし、この心理テストの最大の難点は、親に「学校でトイレ(個室)に入るとき、どこに入るの?」なんて聞かれたら、たいがいの子どもは面食らってしまうことではないでしょうか。だいたい、子どもというのはそういう排泄系に関して敏感に反応しやすいところがありますし、いきなり親からそんなことを聞かれたら、ショックを受けるか反発するかだと思うのです。そこまでして、この「たった3つの類型」のどれかに自分の子どもを分類する必要性があるのかどうか…別に、こんなこと確認しないでも、転校のときは注意してやれよ!という感じです。 でもまあ、大人が「人間観察」に使うには、けっこう面白い話かもしれません。僕に関しては、けっこう当たっている気がしますし。
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| 2006年01月06日(金) ■ |
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| 几帳面な「究極のめんどくさがりや」 |
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「執筆前夜〜女性作家10人が語る、プロの仕事の舞台裏。」(クリエイターズワールド編集部・編、新風舎)より。
(女性作家10人への作家になったきっかけや「書くこと」に対する考えかたなどについてのインタビュー集。(30代独身女性=)「負け犬」の生みの親、酒井順子さんの回の一部です)
【高校時代に早くもエッセイストとして活躍していた酒井さんだが、卒業して、大学に進学。校則もなくなり、晴れて本名での執筆を開始する。大学では、体育会の水上スキー部にも所属し、超多忙な日々を送るようになる。
酒井:原稿は江戸川の河原で膝を抱えながら書いてました。クラブの練習を江戸川でやっていたので。練習の帰りに銀座のマガジンハウスに寄って、ご飯を食べさせてもらって帰る、というような生活でした。
そして、大学卒業後、エッセイストとしてのキャリアを持ちながら、”みんながすることをしてみたい”という気持ちから、酒井さんは就職をする。しかも、大手広告代理店の総合職という、それだけでも二十四時間では足りないような激務が想像される職場である。当時もだいたい五、六本の連載を抱えていたというが、締め切りを破ることはなかった。
酒井:締め切りを守らないほうが、編集者から電話がかかってきたりとか、かえって面倒くさいことが多いんですよ。だから、会社の仕事はやらなくても締め切りは守るっていう(笑)。でも、当然、会社には会社の仕事が一番ってことにしてあったわけですが。】
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結局、酒井さんは、「周囲から有能な社員としてみられること」と「自分自身ではダメ社員としか思えない」という2つの自分のギャップに耐えられなくなり、【十年後に自分が何をやっていたいかと考えたとき、会社員ではなく、やっぱり物書きだなあって思った】ということで、会社をやめて執筆に専念されることになります。それでも、「就職はしてよかった」と仰っています。 この酒井さんのインタビューのなかで僕がいちばん印象に残ったのは、【締め切りを守らないほうが、編集者から電話がかかってきたりとか、かえって面倒くさいことが多いんですよ】という言葉でした。「それでも守れないから、みんな苦労しているんだ!」と言い返したくもなるのですが、考えてみたら、締め切りを守れない理由なんて、「やる気が出ない」とか「めんどくさい」というような、けっこういいかげんなものであることが多いのです。にもかかわらず、僕なども「締め切り間際になって頑張る、『やるときはやる』自分」に、よく酔っていたりするわけで。考えてみれば、「めんどくさいから」という理由で物事を先送りにしていくと、将来的にほとんどのことは「さらにめんどくさくなる」のです。例えば、公共料金の支払いを「めんどくさいから」という理由で滞らせていれば、延滞料金もつくし、コンビで簡単に払うこともできなくなります。それこそ、その場では面倒に感じても、期限内にちゃんと払ったり、あるいは、最初から銀行振り込みにしてしまったほうが、「結果的にはラク」なんですよね。 こういう「締め切り」にしても、遅れれば催促されることによってイライラしたりするし、いちいち電話を取ったり、言い訳を考えたりするのは、確かに、かえってめんどくさいのですよね。催促する側にも迷惑がかかりますし。 実は、「締め切りをキッチリ守る」という点では、正反対のイメージの「ものすごく几帳面な人」と「究極のめんどくさがりや」は、結果的に同じ行動をとるのかもしれません。 ほんと、あらためて言われてみれば、「ちゃんとやるのが、いちばんの近道」なんですよね。まあ、そう思っていてもなかなか実行できないのも現実なんですけど。
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| 2006年01月05日(木) ■ |
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| 三谷幸喜が語る、ミステリーとしての『古畑任三郎』 |
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「三谷幸喜のありふれた生活4〜冷や汗の向こう側」(三谷幸喜著・朝日新聞社)より。
【僕はミステリーファンだが、マニアと言うほどではない。小学生の時にシャーロック・ホームズを知り、そこからアガサ・クリスティ、エラリー・クイーンと進んだ。極めてオーソドックスな流れだ。そこからはヘンリー・スレッサーやロアルド・ダールといった「ちょっと気のきいた」短編の名手にはまって、次第にミステリーの王道からはずれて行ったが。 新本格派と呼ばれる現代日本の推理作家の作品は、ほとんど読んでいない。自分より年下の作家が書いた小説は、どうも読みたいという気にならないのだ。どこかに「自分が中学生の時に小学生だった奴の本なんか読めるか」という思いがあるようだ。しかしそんなことを言っていたら、この先、新刊書は何も読めなくなる。そろそろ考えを改めるべき時だろう。ドイルが初めてシャーロック・ホームズ物を書いた年齢すら、既に僕は越えてしまっているわけだから。
(中略。法月倫太郎さんの『生首に聞いてみろ』の感想が書かれています。その緻密な構成に対する感嘆など)
僕の「古畑任三郎」も広い意味ではミステリーだ。あそこに登場する犯人たちは、あまり凝った殺人計画は立てない。大抵は発作的に殺してしまって、後で隠蔽工作を行う。なぜなら「古畑」に登場するような、社会的な地位のある人は、まず計画的には人を殺さない。リアリティーに欠ける。殺したとしても、密室トリックを仕掛けたり、誰かに変装してアリバイを作ったりしない。すればかなり「変わった人」になってしまう。ミステリーとして見た時、そういった部分に物足りなさを感じる人は大勢いるだろう。でもあえて綿密な犯行を描かないことで、かろうじて「古畑」は現代劇として成立しているように思えるのだ。 いまの日本を舞台にした本格ミステリーを書くのは、とても難しい。そして法月さんの『生首に聞いてみろ』は、その難問に果敢に挑み、見事クリアしていると思う。】
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今夜が「最後」になる、人気ドラマ『古畑任三郎』を書いている三谷幸喜さんの述懐。この文章を読んでいると、三谷さんは、『古畑』というドラマを少なくとも「本格ミステリー」だとは全く考えていないということがよくわかります。僕自身、『古畑』のトリックに対しては、「そんなのうまくいくわけないだろ!」とか、つい揚げ足をとってしまいたくなることもあるのですが(もちろん、「なるほど!」と感心してしまうこともあります)、三谷さんとしては、むしろ、ミステリとしてのトリックそのものよりも、犯人(役の名優たち)と古畑(こと田村正和さん)との息詰まる駆け引きを見せるというということを重視しているようです。トリックは、あくまでも、「視ている側が興ざめにならない程度のリアリティ」を維持できていればいい、ということなのかもしれません。「地位のある人は、計画殺人などワリに合わないからやらない」と言うのは、指摘されてみればその通りだろうなあ、と思いますし。だから1月4日のイチローの回などは、僕には違和感があったわけですが。 しかし、ここに書かれているように、「いまの日本を舞台にした本格ミステリー」というのは、本当に難しいだろうなあ、とあらためて思います。これほど科学捜査が進んでいる時代ならば、「理由のある犯行」であれば、動機がある人間をしらみつぶしにあたることによって、犯人を見つけることはそれほど難しいことはないはずです。むしろ「無差別な快楽殺人」の犯人のほうが捕まえることは困難なのでしょうが、それでは「ドラマ」にならない(あるいは、ドラマとしてはあまりに不快に過ぎる)だろうし。もちろん、科学が進歩したことにより、犯罪者側にも新しい方法が生まれてきてもいるのでしょうが、どちらかといえば、犯罪者側にとって「完全犯罪」には不利な時代になってきていると思います。 三谷さんが考えている『古畑任三郎』というのは、「ミステリー風味の人間ドラマ」であり、トリックというのは、その味付けのひとつにしか過ぎない、ということなのでしょう。「あんなこと、できっこない!」なんて、トリックの巧拙だけで評価されるのは、三谷さんにとっては本意ではないのでしょうね。むしろ、「現代劇」としての犯人と古畑の心理戦こそ、『古畑任三郎』の真骨頂。 いずれにしても、「本格派ミステリー」を書く人にとっては、現代というのは本当に難しい時代のようです。これだけの長いミステリーの歴史のなかで、「誰も発表していなかった新しいトリック」なんて、そう簡単に思いつけるわけもないのだし、作家の頭脳はひとつしかないけれど、それを「検証」する読者は、その何千、何万倍というのだから。 まあ、読者としては残念なのですが、一市民としては、「完全犯罪が難しい時代」というのは、それはそれで悪いことではないような気はしますけど。
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| 2006年01月04日(水) ■ |
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| 「カラー・コミュニケーション」の魔術 |
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「色の秘密」(野村順一著・文春文庫)より。
(「最新色彩学入門」というサブタイトルがつけられているこの本のなかから、「カラー・コミュニケーション」という項の一部です)
【カラー・コミュニケーションとは言葉、単語、会話によらず、色彩のサイン、シグナルでメッセージを伝える相互作用である。サイン、シグナル、メッセージを伝える色彩観念は、広く人びとに共通して作用する。 たとえば、企業経営の意思決定にかかわる重役会に、取締役4人の男性と2人の女性が出席したとしよう。服の色は1人がネイビーブルー(navy blue;暗い青で紺色または鉄紺)、2人がグレー、1人はベージュ色、残る2人が赤であった。客観的な議決を求められる席上で、赤は主観的で感情的反応を起こすシグナルとなって、他の人びとの意思決定を散漫にしてしまう。重要な会議では、出席者の服の色は控えめにする心遣いが必要である。 次に、黄色は実際よりも大きく見せる色であり、コミュニケーションもうまくいく。登校拒否の「はにかみや」の子どもに、黄色のシャツを着せたところ、早くもそのはにかみがなくなり、それ以来、黄色が大好きになり内気を克服した。黄色はコミュニケーションがうまくいく色、それにたくさんの友達ができる色である。 一般に、一番好かれる色は青である。文化がテクノロジー志向になれば、それだけ人びとは青に飛びつく。なぜか? 青は理論的、実践的なシグナルである。青は左脳の色で、感情でなく知性のしるしであり、青のメッセージはいつも意識にはたらきかけ、感情を落ち着かせる。 青は企業経営を強く支持する色だが、個人にとっては、あまり使いすぎるとマイナスの作用となる。働く人たちの心身に消極性をまねく。たとえば、リビドー(libido;原始的衝動から誘発されるあらゆる本能的なエネルギーと欲望をいう。例:性的衝動)は低下し、体のエネルギーも低減する。 とりわけ、財務、会計、コンピュータ、秘書といった細かな神経を要する人々には、青はよくない。青は余計な神経を使わせ、疲れやすく消耗させてしまう。ところが、同じ青でも例外がある。ネイビーブルーはわるくない。ネイビーブルーは青の暗色(ahade;ある色に黒が混ざってできる色)で着る人も見る人も落ち着かせ、仕事を効率よく運び、エネルギーも維持してくれる。】
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この本の著者の野村順一さんは、元東洋大学教授で、建築・インテリア・アパレル・食品・照明などの各業界で、カラーコーディネート、デザインなどを指導されてきたそうです(2004年に亡くなられています)。 ここに引用させていただいた文章だけをあらためて読んでみると、「黄色い服を着ただけで内気が克服できるなんて、そんな簡単なものなの?」とか僕も考えてしまうのですが、この本の中には、【暖色系(赤や橙など)の色で囲まれた部屋では時間が経つのを長く感じ(実際の1時間が、2時間くらいの長さに感じられるように)、寒色系では逆に短く感じられる】とか、【同じ重さのものでも、黒い包装紙と白い包装紙とでは、黒のほうが白より2倍の重さに感じる】というような僕の経験からも納得できる研究結果が書かれていて、「色」というものが人間の感覚に与える影響というのは、僕の日ごろのイメージ以上に大きいものなのだろうな、とあらためて考えさせられました。 この会議の話でも、「会議のときに赤い服を着ていく人なんて、ありえない!」と僕は思ったのですけど、重要な会議のときに地味な色のスーツを着てくるのが「礼儀」になったのは、こういう「経験から生まれた知恵」の賜物なのかもしれません。逆に会議を荒れさせたかったら、赤い服を着て登場するという手もありそうですけど。 青色はけっこう好まれているし、身の回りでも多く使われているのですが、使いすぎると【働く人たちの心身に消極性をまねく】というのははじめて知りました。最近仕事にやる気が出ないのは、まさか、そのせいなのだろうか… WINDOWSって、けっこう青が目立つ印象があるんですけど、まさかこれは、マイクロソフトが人類からリビドーを失わせてパソコン漬けにする陰謀なのでは…などと妄想にふけってみたり。 ちなみに、【私たちはまた、身につける色で自分が何を必要としているかを表現する。たとえば、赤を着ている人は新しい愛を求めているか、体の耐久力の回復をはかっている。】のだそうです。色というのは、「とりあえずそこらへんにあるものを着る」という僕には想像もつかないくらい、数多くのメッセージを秘めているようです。 そりゃ、街で真っ赤な服を着ている人をみかけたら、「タダゴトじゃないな」というくらいのことはわかりますけど。
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| 2006年01月03日(火) ■ |
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| 「眼鏡人間」は心配性? |
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あけましておめでとうございます。 今年も『活字中毒R。』をよろしくお願いいたします。 2005年の総集編はこちらからどうぞ。
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「ほんじょの眼鏡日和。」(本上まなみ著・マガジンハウス)より。
【旅行のときは必ず眼鏡を三つ持っていきます。 荷物をコンパクトにまとめるのは、ほぼ職人技で、必要最低限のものでいかに快適に暮らすか追求するのも今や醍醐味の一つになっているのに、眼鏡だけは三つ。これがかさばるんだよねえ。 なんかさ、せっかくおもしろい体験をしにいくのに、もし旅先で眼鏡が急にこわれたら、なんにも見えなくなるでしょ。それは眼鏡人間にしかわからないだろうけど、とても恐ろしいことだ。 しかももっと辛いのは、こわれた瞬間のマヌケ面を他人に見られること。私はこの”へもへも恐怖症”です。 高校生のとき、バレーボールを顔面に食らうという事故で眼鏡が折れたときは、ものすごいショックだったんだよねえ。 バキ! って音がしたと同時に仰向けにひっくり返っちゃった。ぽっきり折れた眼鏡が半ズレで顔に載っかってたまま、半失神。 みんなが心配そうに「ダイジョーブ?」って覗きこみつつ、実は(ぷぷぷー)っておなかの中でこらえてるのが伝わってきたんだ。もう、すぐにわかっちゃった! そういうの敏感なんだ。 うー。痛いよりも恥ずかしかったなあ。そのころからのトラウマなのです。
(中略)
ズレ眼鏡の恐怖は日常にもひそんでいる。 ちょっとでもかけ心地がゆるくなってきたと思ったら気をつけた方がいいのです。 身近にちょっとダンディなタイプのおじさんがいて、大勢の宴会で、彼がいつものようにカッコいい話を展開してたとき、身振り手振りの手が自分の眼鏡にぶつかって、「かこーん」ってつるが片方耳から外れて大きくズレちゃったの。レンズの度も強いから、コントのオチのような顔になっちゃった。 もうみんな大爆笑。私も大笑いしながら、(オレも気をつけねば)ってキモを冷やしました。】
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本上まなみさんは、仕事のとき以外は、ずっと眼鏡をかけている「眼鏡人間」なのだそうです。僕も風呂に入るときと寝るとき以外は眼鏡を手放せないので、なんとなく親近感を覚えてしまいました。 最近は、眞鍋かをりさんの眼鏡姿がブログの最高トラックバック数を更新してみたりと、眼鏡のファッション性がクローズアップされてきてもいるんですけどね。 でも、この「必ず眼鏡を3つ持っていく」というのには、ちょっと驚きました。コンタクトレンズの人が眼鏡を持ち歩くのならわかるのですが、眼鏡なんて、そんなに壊れるものじゃないし、いくらなんでも、三つは多すぎるのではないかと。まあ、芸能人としては、「壊れた眼鏡をかけているヘモヘモな姿」をみんなに見せるわけにはいかない、というところもあるのでしょうし、本上さんの「眼鏡へのこだわり」もあるのでしょうけど。 確かに僕のような「眼鏡人間」にとっては、眼鏡が壊れるというのは、死活問題というか、眼鏡がないと、眼鏡がどこにあるかもわからないし、直しに行くのも一苦労だというのも事実。それでも、眼鏡というのはけっして安いものではないですから、予備を作っておくというのも、なかなか難しいのです。いやまあ、今は大人になって自分で使えるお金も増えたので、スペアの眼鏡をつくるくらいのお金はあるのですが、それはそれでめんどくさかったりもするしなあ。 そういえば僕も、大学時代に、原因は忘れたのですが、何かの拍子に眼鏡のフレームが折れてしまって、ガムテープとかセロテープで補強してかけていたことがありました。修理しに行くのもなんだかめんどくさくって、しばらくそれで過ごしていたのです。そのあいだ、自分では怖くてあまり鏡は見ませんでしたが、たぶん、他の人からしたら、噴飯モノだったのではないでしょうか。「眼鏡は顔の一部です」というキャッチコピーがありますけど、福山雅治さんや伊東美咲さんでさえ、ガムテープで補強した眼鏡をかけていたらやっぱり(というか、もとが綺麗な人はなおさら?)「コントのオチのような顔」になってしまいそうですし。 それにしても、眼鏡って、気にしはじめたらキリが無いところがありますよね。しょっちゅう眼鏡を手で直している人って、それだけで神経質そうなイメージを与えてしまうし、その一方で、ちょっとズレているだけで、かなりカッコ悪くみえるし。
車の中から外の風景を観ていると、その「窓ガラス1枚」がひどく自分と風景を隔ててしまうような気がするのですが、眼鏡をかけているというのは、ずっとその「1枚のガラス」を引き連れて生きているようなものなのです。 ただ、僕にとっては、自分と世界とは、そのくらいの距離感がちょうどいいような気もするのですよね。 しかし、僕の場合は、スペアの眼鏡を持ち歩くと、そっちのほうを忘れて失くしたり壊したりしそうだなあ。
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| 2006年01月02日(月) ■ |
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| 「普通に暮らしている中でつくる」ということ |
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あけましておめでとうございます。 今年も『活字中毒R。』をよろしくお願いいたします。 2005年の総集編はこちらからどうぞ。
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「執筆前夜〜女性作家10人が語る、プロの仕事の舞台裏。」(クリエイターズワールド編集部・編、新風舎)より。
(女性作家10人への作家になったきっかけや「書くこと」に対する考えかたなどについてのインタビュー集から、恩田陸さんの回の一部です)
【インタビュアー:恩田さんお作品はエンターテインメント性に優れたものばかりだが、『夜のピクニック』では学校行事が扱われているように、身近なことも題材としている。学校行事の思い出も、彼女の手にかかると一夜の奇跡の物語となる。その作品を読んでいると、どんな体験をしたか、ではなく、どんなふうに見て、どんなふうに感じたか、が小説を書くうえで重要なのではないかと思えてくる。
恩田:それこそね、人生の辛酸をなめ尽くして作家になりましたとかいう、特殊な体験がある人もなんだかうらやましいと思うんですけど、それならば小説じゃなくて体験談を書けばいい。私はエキセントリックな芸術家というのをあんまり信用していないんです。普通に暮らしている中でつくる、ということが大事ではないかと思うので。とにかく、どんなことでも面白がれるか、そしてそのうえでどう演出するか、だと思います。 以前はとにかくジェットコースターのようなストーリーを書きたいと思ってたんですけど、最近では面白さにもいろいろあるんだな、と思うようになりました。面白いものだけを集めれば面白いかっていうと、そうじゃない。面白くないものも含めて面白いってこともあるんだな、と。そういうことがやっとわかってきた。だから、今はただ読んでいてなんとなく面白い本を書きたいですね。最後はどうなるんだろうと思って一生懸命読むんじゃなくて、読んでいる途中が面白い、浸っているのが楽しい、という小説を書いてみたいです。】
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このインタビュー集を読んでいて感じたのは、現代の女性作家たちは、みんな「普通の暮らし」というのをすごく大事なものだと考えているのだな、ということでした。作家というのは「いろいろな人生経験」が必要な職業だというイメージがあるのですが、彼女たちは、世界旅行の経験だとか、ドロドロの不倫ではなくて、「一般企業でのOL経験」や「学生時代の恋人との普通の恋愛」がとても重要なのだ、と口を揃えて語っているのです。確かに、そんな珍しい人生経験がある人なら、【それならば小説じゃなくて体験談を書けばいい】のですよね。そして、書くためのテーマというのはどこにでも転がっていて、「体験」の差ではなく【どんなことでも面白がれるか、そしてそのうえでどう演出するか】というのが、書けるかどうかの違いなんですよね。考え方によっては、「体験」を重視する人は、言葉にする必要性すら感じないかもしれないし。 それに、どんなに「面白い体験」をしてきた人でも、その「体験」だけに頼っていれば、いつかはネタ切れしてしまうでしょうし。 もちろん、そういう「特別な実体験」を描く、破天荒な「無頼派」の世界も魅力的ではあるのですが、「普通の生活をしているから書くことがない」とも限らないみたいです。 まあ、そんなふうに僕もわかったようなことを書いていますが、実際にはその「普通の体験」のなかから面白いことを拾い上げていくというのは、面白い経験を書くこと以上に難しいことなのだと思うのですけど。
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