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2008年07月30日(水) ■
スペインでの「ベテラン闘牛士の1ステージのギャラ」

『BRUTUS (ブルータス)』2008年 8/1号(マガジンハウス)のコラム「世界のビジネス/スペインの闘牛」より。

(これを書いている時点(2008年7月30日)のレートでは、1ユーロ=約168円です)

【今回の数字:10,000€(ユーロ)

 約170万円。闘牛のハイライトでのベテラン闘牛士のギャラ。動物虐待との風当たりも強いが、闘牛がどれだけスペインの文化に根づいているかは数字を見れば一目瞭然である。 


 これから9月上旬にかけてスペインはフィエスタシーズンで、全国各地の市町村でお祭りが開催されるが、このお祭りにつきものなのが闘牛。祭りのあるところには闘牛があり、闘牛のあるところには祭りがある。最近では、動物保護を理由にアンチ闘牛を公言する自治体も出てきているが、ピカソやヘミングウェイも愛した闘牛は、この国では年間約1万5000回も開催されるという。
 試合の日に備えて大事に育てられる雄牛1頭のお値段は普通6000ユーロ〜8000ユーロだが、最高級品種ともなると1万8000ユーロ〜2万ユーロ! 施設としては、スペインを代表する1級闘牛場のマドリードのラス・ベンタス闘牛場には2万3798席あり、入場料は4.4ユーロ〜125.1ユーロ。】

〜〜〜〜〜〜〜

 僕はスペインに行ったことも、闘牛をナマで観たこともないのですが、これを読んだときには、クライマックスに登場するベテラン闘牛士というのは、こんなに高額のギャラをもらっているのか、と驚きました。
 1ステージでカローラくらいの普通乗用車1台分のギャラ。
 年間100ステージこなせば、年収1億7000万円になります。
 実際は、そんなに彼らの「出番」があるのかどうか僕は知らないのですが、月1回くらい働けば、あとは遊んで暮らすことだって可能な金額ではあります。
 日本やアメリカのプロスポーツ事情からもわかるように、基本的に興行に参加している人たちのギャラというのは、その興行そのものの「興行収入」に比例するものですから、スペインでは闘牛というのはものすごく人気があるのでしょう。
 年間1万5000回ということは、平均すれば、毎日40回くらいの闘牛がスペインのどこかで開催されているということになります。なかには、「草闘牛」みたいなのもあるんでしょうね。

 でもまあ、「闘牛士」というのはまさに「死と隣り合わせ」の存在でもあるわけで、この「1万ユーロ=170万円」というのも、「じゃあ、170万円あげるから、お前がやるか?」と言われたとしても、やっぱりちょっと遠慮させていただきたいところではあります。
 あの状況で、「カッコよく牛に立ち向かっていく」っていうのは、並大抵の精神力じゃ無理だろうし。



2008年07月27日(日) ■
「十人のうち九人まで汚職している環境で一人だけ清潔なら、どうなると思う?」

『北京大学てなもんや留学記』(谷崎光著・文春文庫)より。

(中国の名門中の名門・北京大学での留学体験記の一部です。中国人学生たちの「賄賂」についての考えかた)

【学内だけではなく、学校周辺の小さな店に行くのも楽しい。こういう店には中国人学生に連れていってもらった。
 北大(この文章での「北大」=「北京大学」です)西門近くの手羽焼き屋さんは週末の夜は真夜中までやっていて、炭火がぱちぱちとはぜ、そこに上からスパイスをふりかけると、パッと赤く燃えあがる。夏は校内の外れに屋台も並ぶ。試験が終わると飲んだくれるのは、どこの国の学生も変わらない。
 官僚になる人も多いこの学校では、卒業後の切実な問題は「汚職にかかわるか否か」。
「どうするんだ、公務員試験受ける?」
「だけどなったら非貪不可(フエイタンブク・汚職しないわけにはいかない――「非〜不可」の構文が一発で記憶できるいい例文です)だしなぁ。危険だ」
「やらないほうが危険だ」
 授業中、先生が中国人の学生たちに
「君たちが故郷に帰って知事などと話すときに……」
 というのを聞いて、この子たちは地元に帰るとそういうクラスなんだなーと思ったが、だからこそ、汚職はさらに深刻なのである。
 日本と違い、十人のうち九人まで汚職している環境で一人だけ清潔ならどうなるか。もちろん九人から陥れられる。
 小学校入学から前のほうのいい席はお金で買う。大学入試共通試験の点数も1点1万元で買える。日常生活で賄賂を見慣れた彼らにとっては、汚職は良い悪いというよりもはや生活に密着している問題。生きるためには汚れなければならぬ。日本だって官僚汚職はひどいが、少なくとも日常生活で役人に賄賂は要求されない。
 中国の街中でよく見かける「運転免許手続き所」はたいてい管轄の職員の親族がやっていて、つまり「金出せば順番飛ばしてあげるよー、免許を売ってるよー」である。
 まあこのぐらいを汚職と思う中国人はいないだろう。中国人の知人が免許を持っていれば、「買った? 取った?」と聞いて、誰も変に思わない。
 五道口あたりの小店でもよく公安がつかつかと入ってくる。店の商品を勝手に飲み食いし、当然のごとくお金を払わず出て行く。老板いわく、
「あいつらは自分の給料が安いから、悪いとおもってないんだ」
 正直、賄賂をまったく拒否すれば、子供は学校に行けず、行っても不当な成績を与えられたり、引越しの登記もできず小さな店さえ開けないということになる。
 現代中国にちょっと深くかかわった人は、おおむね、「なぜこんなに簡単に息をするように嘘をつく、人を騙す。良心はないのかー」と叫ぶことになる。
 私もそう思っていたが、あるときふと気づいた。
 この人たちは子供の頃から騙され続けているんだ。それも一番ひどいのは自分の国。メディアに流れる反吐がでそうな美しい言葉と、現実との極端な乖離の中で育ってきているのである。そりゃ、まねするでしょう、親とたとえられた国家の。

(中略)

 北京大学東門近くの胡同の中にある、おっそろしく汚い学生バー。ジュースか酒かわからない甘ったるい液体を舐めていると、話が政府の腐敗になった。
「でもどうしてそこまで公務員が腐敗するの? みんなやるから?」
「違う。権限が大きいからだ。なんでも決められる、なんでもできる。集中しすぎている。誰も彼らを管理できない」
 紀宮様と結婚された東京都庁勤務の黒田さん。たとえば彼が腐敗とは生涯まったく縁がないと言っても、そんな「夢物語」を信じる大陸の中国人はそういない。都庁の職員というだけで最低マンション20室ぐらいは持っていると思うだろう。いや皇室と縁戚なら20棟か。
 別の学生が言う。
「国が腐敗を推進している。賄賂がないと生活できない」
「なに、それ?」
「公務員の給料が安いんだよ。僕の兄ちゃんは広西で公務員を1年で辞めた。手当てを全部入れて、給料は一ヶ月529元(約8000円)。飯も服も家も全部親もちだ。彼女に飯も奢れないし、結婚もできない」
 なんだか日本のフリーターみたい……。北京の公務員も給与自体は大卒で500元!これに表からは見えにくい手当をつけるのはどこの国も同じだが、食事、住居、期末、無欠勤、祝日(大休暇前)、旅行、スポーツジム手当!
 公務員が比較的高給とされる上海では、手当を含めると普通の大卒一年目で月平均6000元(9万円)近くいく職もある。受かるには上海戸籍が要る。まあ国家主席胡錦濤の給与も、公式基本給だけだと3146元(約4万7000円)である。
 公務員全部に十分な賃金を払うことができないから、「先富起来(豊かになれるものから豊かになれ)」って、つまり賄賂実力主義だったのかもしれない……。
 学校上げての賄賂、寄付要求も、それがないと学校経営がなりたたない面もある。
「なぜ改革は成功しなかったの?」
「そりゃ、ムリだ。一番権利が集中しているのが国家主席の胡錦濤だ。彼は軍隊と政府と権限を全部握っているが、そうじゃなきゃたちどころに引きずりおろされるのが中国という国だ」
 うーむ。中国! 毛沢東もそうだったもんな。】

〜〜〜〜〜〜〜

 これを読んでいると、中国という国は、いまの日本人にとっては「やりづらい国」だろうなあ、と考えずにはいられません。そう言いながらも、日本の企業にとっては中国は重要な生産拠点であり、また、貿易相手でもあるのですから、現場での苦労がしのばれるというものです。

 日本でも大分県の教育委員会での汚職が大きな問題となっていますが、同じことが中国で起こったとしても、たぶん、こんなに大きな問題にはならなかったのではないでしょうか。
 というか、あのニュースを中国の人たちが聞いたら、「えっ、それのどこが問題なの?」感じたかも。

 十人のうち九人まで汚職している環境で一人だけ清潔ならどうなるか?
 谷崎さんは、その問いに対して、こんなふうに答えておられます。
「もちろん九人から陥れられる」
 ものすごく理不尽な気がするし、現代の日本で生活している僕にとっては腹立たしくさえあるのですけど、そういう環境だったら、たしかに、危険分子として「残りの九人から陥れられる」のではないかと思います。
 そういう状況のなかで、ひとりで「非常識な正義」を貫いていくというのは、かなり難しいことですよね。そもそも、周りは、それを「悪いこと」だとすら考えていないのだから、「賄賂を受け取らない人」は「正義の人」ではなくて、単なる「変人」扱いされるのがオチです。
 公務員の給与が「賄賂をもらうこと」前提で設定されているのですから、ここまでくると、日本人的な感覚の「賄賂」とは別物として考えざるをえないのかもしれません。
 しかし、中国という国のなかで、最高の知識階級であるはずの北京大学の学生たちでさえこんな感じなのですから、そりゃあ、世間一般の公務員たちの意識は「推して知るべし」かと。

 これを読んでいると、なんのかんの言っても、日本というのはかなり「清廉な国」なのではないかと思われます。
 そして、これが現状では、中国という国が真の「発展」をしていくのには、まだまだ時間がかかりそうです。



2008年07月25日(金) ■
「悲しいとき」に本当に聴きたい歌

『鬱の力』(五木寛之・香山リカ共著/幻冬舎新書)より。

(『鬱』という概念についての五木寛之さんと香山リカさんの対談を書籍化したものの一部です)

【五木寛之:戦後の日本は、プラス思考一辺倒でやってきた。それがここにきて転んだ、というのがいまの状況だと思うんです。笑いは批評であり文化であるとはよくいわれたけれど、涙は歌謡曲や演歌の世界だ、マイナスの世界だといわれ続けてきた。でも僕はその考え方に反対なんですよ。
喜納昌吉の『花』という歌は1980年に最初にリリースされたとき、まったくヒットしなかった。当時は「泣きなさい 笑いなさい」という歌詞で、みんな笑っていた。「演歌の歌詞みたいじゃないか」と言われて、「人は人として涙も流す」という歌詞も、なにを言っているのか、まったく理解されなかった。それが、90年代に入ってこの歌をみんなで歌うようになってきた。

香山リカ:あいだにバブル経済をはさんでいるわけですよね。

五木:そう。これも沖縄の人なんだけど、有名な版画家がバンドをつくって、老人ホームに慰安に行った。悲しい生活をしているだろうから、明るく励まそうと、マーチなどの景気のいい曲をやったら、「もうやめてくれ」と言われた。「私たちは毎日、悲しい気持ちで生きている。悲しいときには悲しい歌を聴きたいものなんだよ」と言われて、その版画家は愕然とした。そこで、悲しい歌を演奏してともに涙したところ、すごくいいコミュニケーションが生まれ、「また来てくれ」と言われた。悲しいとき、人は悲しい歌を聴きたいものなんだと、しみじみ思った、と彼は書いています。それは本当です。悲しいときに励ます歌なんかを歌われても、元気づけられるわけがないんですよ。

香山:その一方で、いまは主人公やその恋人が死んだりする、泣ける映画とか泣ける小説がとても流行っていますね。

五木:あれは本物じゃない、表面的な悲哀ですね。笑いだってそうです。テレビの瞬間芸とかジョークを観て、「ふうん」と鼻先で笑うぐらいじゃあ、まったく治療効果なんかないでしょう。

香山:それこそ、俗流のカタルシスですね。こんな可哀想な人がいる、って泣いて、ああ気持ちよかった、っていう。ようするに自分はそうなるまいって、すべて他人事として見ている。これも想像力の欠如とすごく関係していると思うんです。】

〜〜〜〜〜〜〜

 老人ホームに入所されているお年寄りたちが、みんな「毎日、悲しい気持ちで生きている」というのは、さすがにちょっと極論じゃないかと思いますし、「泣ける映画や泣ける小説」もここまでボロクソに言われる筋合いはないという気はするんですけどね。

 ただ、ここで五木さんが例示されている、「老人ホームへ慰安に行ったバンドの話」には、僕も考えさせられました。
 いわゆる「鬱」の人に対しては、「励ましてはいけない」(励まされることがプレッシャーになり、かえって自分を責めてしまう場合が多い)というのが、「常識」としてかなり知られるようになってきているのです。
 しかしながら、そういう「病名」がついていない場合には、「誰かが悲しんでいるときには、元気が出るような面白い話とか楽しい曲で励まさなくては!」なんて、ついつい考えてしまいますよね。
 ところが、本当に「重い悲しみ」を抱えているときには、むしろ「悲しい曲」のほうが心を安らかにしてくれることが多いのです。
 そういえば、僕が「失恋」したときにいちばん「癒された」のは、槇原敬之さんの『ズル休み』と、ユニコーンの『すばらしい日々』でした(年齢がわかりますね……)。どちらも、ものすごくせつない「失恋ソング」なのですが、あのときは「元気出せよ」「がんばれよ」みたいな感じの曲は、全然心に響いてこなかった記憶があります。

 「悲しいときには悲しい歌を聴きたい」
 多くの人は、たぶん、それが率直な気持ちなのではないでしょうか。
 そういうときの元気な曲って、いまの自分とのギャップばかりが感じられて、すごく「耳につく」ものですし。

 でも、自分がそうであるにもかかわらず、落ち込んでいたり、悲しんでいるのが「他人」のときって、ついつい、「元気づけてあげたくなる」のが人情。
 そこには、「自分の励ましで誰かを元気にした」ことを誇りたいという、ちょっとした「自負心」もあるのでしょうけど、どんなすばらしい励ましの言葉も「一緒に泣いてくれること」には、到底かなわないのです。
 



2008年07月22日(火) ■
詩人アンドレ・ブルトンが、ある物乞いに贈った「キャッチコピー」

『名作コピーに学ぶ 読ませる文章の書き方』(鈴木康之著・日経ビジネス人文庫)より。

(この本の冒頭の「施しを集めた詩人の一言」という項から)

【詩人アンドレ・ブルトンが物乞いにある言葉を贈った話を知っていますか。
 私は『ロスチャイルド家の上流マナーブック』(伊藤緋紗子訳/講談社文庫)で読んで膝を打って以来、よく文章教室のマクラに拝借している話です。フランスの詩人アンドレ・ブルトンがニューヨークに住んでいたとき、いつも通る街角に黒メガネの物乞いがいて、首に下げた札には

  私は目が見えません

と書いてありました。彼の前には施し用のアルミのお椀が置いてあるのですが、通行人はみんな素通り、お椀にコインはいつもほとんど入っていません。ある日、ブルトンはその下げ札の言葉を変えてみたらどうか、と話しかけました。物乞いは「旦那のご随意に」。ブルトンは新しい言葉を書きました。
 それからというもの、お椀にコインの雨が降りそそぎ、通行人たちは同情の言葉をかけていくようになりました。物乞いにもコインの音や優しい声が聞こえます。数日後、物乞いは「旦那、なんと書いてくださったのですか」。
 下げ札にはこう書いてあったそうです。

  春はまもなくやってきます。
  でも、私はそれを見ることができません。

 誰が見てもうらぶれた物乞いです。黒メガネをかけているのだから盲人であることも分かります。「私は目が見えません」は言葉の意味をなしていないのです。
 アンドレ・ブルトンの言葉のほうには、訴えるものがあり、憐れみを乞う力があり、人に行動を促す力、もっとえげつなく言えば集金能力がありました。目的はそれだったのです。読んでもらって、施しの気持ちを起こさせ、施しをいただくこと。
 目的を果たしてこそ、言葉です。】

〜〜〜〜〜〜〜

 いまの世の中で全く同じことをして「通用」するかどうかはさておき、これはまさに「広告」というものの威力を如実にあらわしたエピソードだと思います。
 考えてみれば、この物乞いそのものは、ブルトンの親切な行為(というか、ブルトン自身も親切心だけではなく、「コピーの効果」を試してみたかったのかもしれませんが)の前後で、何も変わってはいません。変わったのは、彼が首に下げた札の言葉だけ。
 ところが、多くの人は、同じ光景を見ているはずなのに、そこに書かれている言葉が変わっただけで、「施しをしたい気分」になったのです。
 「私は目が見えません」
 「春はまもなくやってきます。でも、私はそれを見ることができません。」
 目が見えなければ、「春の訪れ」を視覚で感じることができないというのは、「当たり前のこと」のはずです。でも、道を行き交う人々は、前者には全く心を動かされず、後者には憐憫の情をかきたてられました。
 このエピソードを読むと、人間の「想像力」「共感する力」というのは、自分の興味がないものに対しては、よほど強力な「引っかかり」がないと発揮されないのだ、ということがわかります。
 
 テレビのドキュメンタリーで「かわいそうな身体障害者」のニュースに胸を痛める人はたくさんいるにもかかわらず、近所の街角で困っている人を積極的に手助けしようという人は、けっして多くはありません。実際に他人とかかわるというのは、それなりにリスクを伴う行為なので致し方ない面はあるにせよ、テレビのドキュメンタリーに「感動」させられるのには、その「現実」に心を動かされるだけではなくて、「泣かせるBGM」や「感動的なナレーション」の影響が大きいのではないかと思います。

「目的を果たしてこそ、言葉です」
 たしかにそのとおりです。
 ただ、「言葉しだいで、同じ物事に対しても人の見方はこんなに変わる」というのは、言葉って怖いなあ、と考えずにはいられない面もありますね。
 



2008年07月20日(日) ■
「ダンディ坂野さん、『ブレイク』って何なんでしょう?」

『TVBros。 2008年11号』(東京ニュース通信社)の特集記事「ブレイクのメカニズム〜超高速回転する芸人の世界〜」より。

(「ゲッツ!!」で一世を風靡したダンディ坂野さんへのインタビューの一部です。インタビューのタイトルは、「ブレイクを駆け抜けた男 ダンディ坂野に直撃!」)

【インタビュアー:ブレイクを実際にご自身で感じられた瞬間は?

ダンディ坂野:ピンポイントでの判断は難しいですが、スケジュールがキツキツになり、同じ時間帯でオンエアされているテレビ番組に出ずっぱりの状態のときでしょうかねぇ…。あと、テレビに出てから2ヵ月後くらいにギャラが振り込まれるんですけど、口座の数字がみるみる上がっていった時はさすがに実感しましたね。時期的には2003年の2月半ば〜3月半ばにかけてです。ブレイクの直接のきっかけですか? ん〜やっぱり、マツモトキヨシさんのCMに出たことですね。後に人から聞いたんですが、子供がそれを見て”ゲッツ!!”とマネし始めて、それに親が食い付いて「ほら、ゲッツやってるよ」とCMが流れるたびに子供を呼ぶ、そんな感じで認知が広まっていったそうです。

インタビュアー:ブレイク中にどんなことを考えていましたか?

ダンディ:どの番組でも基本、ほとんど同じことを求められるので、最初は仕事をこなしている感じで、考える暇もなかったですね。事務所に前例がなく、当時は芸人さんも今ほど番組に出ていなかったので、いわば毎日が完全アウェー状態。ただもうがむしゃらでした。スケジュールが厳しくて、2〜3日寝なかったこともよくありましたね。自分の力では何ともならない状況でしたので、何も考えずとにかく流れに任せて仕事をしていました。
 でも心の中で、こんな夢みたいなことはちょっとしたバブルだ、いずれ終わると薄々分かってはいました。周りも、日本全体もそう分かっていたと思います。分かっていなかったのは子供くらい。子供は残酷で、次のものが流行ったらきれいに全員が次に移行するんですよね。小島よしおと僕は同じ事務所(サンミュージック)なんですが、今、良い意味で粘ってますし、これからも粘ってほしいですね。

インタビュアー:そのバブルに対して怖さを感じませんでしたか?

ダンディ:波がきているときは、その波に乗るしかないですよね。今しかない、今行くしかない! 行ける高さまで登ってやろう! と思っていました。

インタビュアー:ブレイクしていちばんうれしかったことは?

ダンディ:トレンディドラマでよく、「なんでたかだか20代なのにこんな家に住めるのさ!」っていう2LDKのマンションあるじゃないですか? ブレイクして間もなくの頃に、そんな2LDKのマンションに引っ越したのが一番うれしかったですね。物件は全部嫁さんに見にいってもらって、疲れて僕が仕事から帰ると、チェキで撮影した物件の内覧写真が40枚くらい並べてあるんです。引越し先はその中から選びました。
 あと、ブレイクしてから嫁さんと約束したんです。「せっかくの人生だし、ある程度までは贅沢もしようね」って。そこで、ようやく取れたオフの日に、昼からカウンターのお寿司を食べに行って、『好きな服買っていいよ』と吉祥寺のロンロンで2人で買い物をして、でも、帰りは電車って日がありましたねぇ(笑)」

(中略)

インタビュアー:ブレイクが終わった後、どんな変化がありましたか?

ダンディ:テレビでの仕事が減ったら、今度は地方の営業の仕事が増えたんです。各県の県庁所在地をたどって日本一周するんですけど、収入はむしろテレビに出ずっぱりの時より多かったですね。しかもマイルも溜まる。それで去年ハワイに行ってきました。
 しかし悲しいかな、次の年は、次にブレイクした芸人が1周目をするので、県庁所在地レベルの地方都市で2週目はできないんです。だから2週目以降の営業先は”ナントカ町”とか、ローカルな町を周ることになるんです。

インタビュアー:振り返ってみて、ブレイクとは何だったのでしょうか?

ダンディ:さすがにブレイクが終わった直後は、マスコミに利用された感じがしてテレビが嫌いになったこともありましたが、最近はむしろ好きになって、よくテレビを観て他の芸人さんが何をやっているのかチェックするようになったんです。ブレイクしたということは自分の中では大成功だったと今では思います。毎月、毎日お笑いを目指す人が生まれ、その道をあきらめざるを得ない人も生まれている中で、一瞬でも輝くという場面があったことは、この芸能界という世界での大成功です。こうやってブレイクとは何ぞやという特集で、ブレイクの代表者としてインタビューを受けているわけですしね。

インタビュアー:ブレイクから学んだことは?

ダンディ:欲張るといけないですね。僕も事務所も含めてやり過ぎはいけないと思います。僕たちが経験したことは、後に続く後輩たちの役に立っていると思います。

インタビュアー:最後の質問ですが、もう一度ブレイクしたいと思いますか?

ダンディ:したいって思いますけど、あの(過密な)スケジュールと同じだったら嫌ですね。どのような芸風でいくかはルー(大柴)さんに相談に行きます。】

〜〜〜〜〜〜〜

 あの「ゲッツ!!」で一世を風靡し、あっという間に姿を観なくなってしまったダンディさん、まさに「ブレイクを駆け抜けた男」のタイトルにふさわしい人ですよね。そういえば、最近またちょくちょくテレビに出演されているのを目にするようになった気もするのですけど。

 この貴重なインタビューを読むと、芸人にとっての「ブレイク」の実像がとてもよく伝わってきます。「
 同じ時間帯でオンエアされている番組に出ずっぱり」「あっという間に銀行の口座の数字が上がっていく」一方で、「どの番組でも基本、ほとんど同じことを求められる」「2〜3日寝なかったこともあるくらいで、考える暇もなかった」という状態では、すぐに飽きられてしまうことも目に見えているはずです。結局、同じことばかりを繰り返していて、工夫する時間もなければ、それを求められてもいないのですから。
 長い目でみれば、「露出をおさえる」ほうが正しい戦略のような気もするのですが、実際にブレイクしている最中っていうのは、芸人本人も事務所も「このまま波に乗るしかない! 行ける高さまで登ってやろう!」という感じなのでしょうね。長期戦略を立てたとしても、時代がそれに付き合ってくれるとは限りませんし。

 ダンディさんの場合は、比較的つつましい「ブレイク生活」を送っていたことが、今でもそれなりに「生き延びている」理由なのではないかと思います。
 それにしても、一度「ブレイク」すると、実はその後、テレビでの仕事が減ってからの「地方の営業」で一稼ぎできて、その後も営業先のランクを落としながらも、しばらくは営業でやっていけるという芸能界のシステムは、なかなかうまくできているものですね。
 一度でも「ブレイク」すると、やはり、芸能界で生きていくのにかなり有利であることは間違いなさそう。
 「一瞬でも輝くという場面があったことは、この芸能界という世界での大成功です」
 一度でも輝かないと、「消える」ことすらできませんしね……



2008年07月18日(金) ■
「左右対称じゃない靴」を大ヒットさせた男たち

『なぜ、あなたの会社にはこれが作れなかったのか?』(夏目幸明著・小学館)より。

(「アキレス」の大ヒット商品『瞬足』の開発秘話。登場人物は、シューズ事業部商品企画開発部長・津端裕さん、シューズ事業部量販一課課長・久住登さん、シューズ事業部商品企画開発部・大滝慎一さん)

【シューズの販売を担当する久住登が話す。
「子供の運動会で私の娘の出番が終わり、学年別のリレーが始まったときでした」
 運動会のリレー。それは選ばれた者の戦いだ。かけっこに自信のある子がクラスのヒーローになれる日……。だが、彼の目の前に映った光景はあまりに残酷だった。
「知人の男の子が3番走者として先頭を争っていたんです。が、トラックのコーナーで足を滑らせて転び、そのクラスは結局、最下位に落ちてしまった」
 見れば転ぶ子はあとを絶たない。ある子は悔しさのあまり木の陰で泣きじゃくり、親が無言で子供の肩を抱く、というシーンもあった。
 帰り道、考え込んだ。シューズにできることはないのだろうか?
「考えてみれば、校庭のトラックって左回りばかりなんです。ならば、ソールの左側にグリップを付けて、左に曲がりやすい靴を作ったらどうか?」
 しかし、彼は自分の発想の突飛さに、自分でも呆れていた。
「でも、そのシューズ、左右対称にはならないよなぁ、と(苦笑い)」

 ものの形には合理性がある。デザインを担当する大滝慎一も久住の話を聞いて呆れた。
「その靴だとまっすぐ歩けないんじゃないですか? と言いました。靴の構造は左右対称。これほど当たり前の前提って、なかなかないですよね(笑い)」
 だが、久住がこの案を思いついて半年後、異動してきた津端が部員を集めて自由に案を出させると、彼が手応えを感じたのは久住の案だった。明確な理由があった。
「差別化ってイージーな言葉ですよね。よく、仕事で他の業界の新商品発表会に行くんですが、『ここを差別化しました』って説明を聞くと、たいてい使う側から見れば大した差じゃない。その点この案、周囲に理解してくれる人がいないほどでしたが、実はこれこそが本物の”差別化”じゃないのか?」
「作ろう。やってみる価値はあるはずだ」ここで津端は部員にハッパをかけた。それは要約すると、リレーのバトンはもう自分たちに渡されている、という話だった。
「会社は変わらなければならない。僕らは僕らの時代を走らなければならないんです。そして単純なことだけど、”今、自分の胸が熱く躍るものを作る”それが時代とともに走るって意味だと思うんですよ」
 津端の挑戦的な言葉に、若い大滝らは共感した。だが、開発は難易度が高かった。靴の左端にスパイクを付けると、大滝が直感したとおりまっすぐ歩くとき影響が出る。そこで、ストッパーに適度な強度を持ったラバーを使った。土のグラウンドではグリップ力を持つが、アスファルトなど固いところを歩くときは曲がって沈み込み、他のシューズと同じようにソールのゴムが着地する仕組みだ。ここで興味深いのは、彼が原点に戻って研究を続けたことだ。
「デザインも一から変えました。子供たちってカッコいいシューズが好きだからゴテゴテと機能が付いているものばかりだったんですが、これを思い切ってなくした。軽いほうが速く走れる。そして、速く走れるシューズこそが本当にカッコいいはずなんです」
 だが設計が終わると社内から妙な反応が来た。中国の工場へ試作品を発注したときだ。
「設計図が間違ってないか、と電話があったんです。『合ってます』と伝えると、今度は現場の責任者からも連絡があって『設計図どおり作りますが、責任はとれませんよ』と言われてしまいました。
 だが、津端はこの話を聞き、心のなかでニヤリと笑ったという。
「1シーズンに20〜30万足は堅い、と確信を持ったのはこのときです。差別化を考えているのにスーッと行ってしまうほうが、よほど怖いでしょ。関係者が驚き、理解できないという声が出るくらいでないと”斬新”などと言えないはずだ」

(中略)

 実は発売に至るまでにも紆余曲折があった。販売店がなかなか商品を置いてくれないのだ。だが、営業も兼務していた津端が必死に口説いて回った。口説き文句は、ただひとつ。「これが新しいスタンダードになりますよ」。なんとか確保できたのは全国300店舗。個人経営のスポーツ店などを、津端や彼の部下が一軒一軒訪問した成果だった。
 ところが、2003年4月に商品が販売されると、状況が徐々に変わり始める。最初の売れ行きはまずまずだったが、9月に異変が起こった。
「通常、シューズは春に売れるんですが『瞬足』は運動会シーズンを前に一気に売り上げを伸ばした。開拓できたのは”運動会用のシューズ”という新しい需要でした」
 しかも、子供たちはその後もこぞってふだん履きのシューズとしても『瞬足』を選んだ。速く走れる。それは何よりカッコいい。翌年にかけて販売店舗が3倍以上に伸び、大滝らがさらなる軽量化、グリップ力の強化を続けると、売り上げは津端らも驚くカーブを描いた。年間の売り上げ、約300万足。小学生は全国で600万人程度というから驚くべき数字だ。】

参考リンク:アキレス『瞬足』

〜〜〜〜〜〜〜

 僕はこの本で『瞬足』のことをはじめて知ったのですが、小学生の子供を持つ親たちには、もうすっかりお馴染みの商品なんでしょうね、これ。
 【津端さんが娘の小学校で下駄箱を見ると、3足に1足は『瞬足』だった】というエピソードも紹介されていますし。

 この「左右非対称の靴」、こうして大ヒット商品になってしまえば「なるほど!」と頷かざるをえませんが、商品化され、起動に乗るまでは、かなり大変だったみたいです。
 F1の世界では、車はサーキットを同じ向きにずっと回っていくので、左右のタイヤの磨耗に差が出ることが知られています。そこで、少しでも速く走り、また、タイヤを効率的に長持ちさせるために「左右違う堅さのタイヤを装着して走る」というのは、当たり前の戦略になっているのです。
 でも、それはあくまでも「1000分の1秒を争い、莫大なお金が動くモータービジネスの世界の話」。特定のスポーツのための専用シューズならともかく、「運動会のため」に、まっすぐ歩けるのか疑問になるようなシューズは買わないだろう、と考える専門家たちのほうが、「常識的」だったと僕も思います。もちろん、『瞬足』がこんなに大ヒットしたのは、「運動会のときに速く走れる」だけではなく「普段の履き心地も良くなる」ように、妥協せずに研究したからなのでしょうけど。

 僕がこの話のなかでもっとも印象に残ったのは、津端さんの【「差別化を考えているのにスーッと行ってしまうほうが、よほど怖いでしょ。関係者が驚き、理解できないという声が出るくらいでないと”斬新”などと言えないはずだ」】という言葉でした。
 実際は、専門家や関係者に「おお、これならわかる」「これならいいんじゃないか?」と頷いてもらえるような「差別化」を目指して、そこをゴールにしてしまう場合がほとんどです。
 しかしながら、その程度の「差別化」というのは、要するに「専門家たちにとっては、想定内」だし、「誰かがどこかで思いついたことがあるくらいのもの」です。
 逆に、専門家が「何だそれは?」「そんなのダメだよ……」と言うくらいの「常軌を逸した」ものじゃないと、素人目からすれば、「本当に新しいもの」じゃないんですよね。
 もっとも、『瞬足』の場合は見事に大成功を収めましたが、こういうのは大きな「賭け」であることも間違いありませんが。

 ところで、この話を読んでいて、僕はオリンピックの「水着問題」を思い出してしまいました。
 『瞬足』は、開発者たちの熱い気持ちが込められた素晴らしいシューズなのですが、その一方で、「『瞬足』を履いていると、明らかにかけっこで速くなる」ということであれば、「『瞬足』を買えない子はどうするんだ!差別だ!」との声が出てくる可能性もありそうです。
 子供たちからすると、「『瞬足』を履いていないだけで圧倒的に不利」というのは、やはり、あまり気持ちの良いものではないでしょうし。速く走れても「シューズのおかげ」、逆に「『瞬足』を履いても遅い」子だっているはず。優秀すぎる道具というのは、スポーツの世界では、ある意味「問題児」なんですよね。
 「運動会用シューズ」がこんなに売れる国、日本。
 なんのかんの言っても、まだけっこう豊かなんだなあ、という気もしてきます。



2008年07月15日(火) ■
某芥川賞作家の「芥川賞を受賞して変わったこと」

『文学賞メッタ斬り! 2008年版 たいへんよくできました編』(大森望, 豊崎由美著・PARCO出版)より。

(大森望さん、豊崎由美さんの「メッタ斬り」コンビが、『猛スピードで母は』で、第126回の芥川賞作家・長嶋有さんを迎えてのトークショーを収録したものの一部です。長嶋さんが芥川賞を受賞されたときのことを振り返って)

【豊崎由美:(芥川賞の)受賞を知らされた時はどうでした?

長嶋有:どう思ったかな。ふつうにうれしかったですね。

豊崎:で、その後モテるようにはなったんですか? モテという面からいくと、芥川賞効果ってどんなもんなんでしょう。

長嶋:うーん、モテかあ……。じぶんのモテの何割が芥川賞効果なのか、よくわからない。でも、ものすごいがんばらないとモテないから、やっぱりだめなんじゃないかな。でも、不動産屋で物件を借りやすくはなったよ。

豊崎:やっぱりねえ。

長嶋:履歴に作家って書いて、これですと言って本を見せて、芥川賞と書いてあるとものすごく信頼される。

大森望:「ALWAYS 続・三丁目の夕日」の時代から変わらない。まともな社会人としての作家生活は、芥川賞受賞からはじまると。やっぱり、取材は殺到したんですか。

長嶋:それはどの方も言うけど、すごかったですね。僕は受賞者の中ではわりと地味なほうだったと思うんだけど。あのときは、直木賞が、山本一力さんと唯川恵さんのダブル受賞で。何となく家族もの小説みたいに括れる三作だったんで、どのメディアもそういうふうになるべく大きくわかりやすく括ろうとするんだよね。それにうまく尻馬に乗っけてもらった感じで。『あかね空』と『肩ごしの恋人』のついでに僕もいますよーみたいに(笑)。地味な受賞のつもりだったわりには、ずいぶん取り沙汰してもらえた。

豊崎:具体的に、「芥川賞を受賞するとこんないいことがありますよ」というのは?

長嶋:仕事が増えますよ。

豊崎:原稿料はどうなんですか。

長嶋:上がりますよ。相撲でいうと金星みたいなもので、横綱に勝つとそれ以後、必ずその人の給料が一生涯上がるみたいに。でも、わからないか、これからまた下がるかもしれない。

豊崎:おおっ、原稿料も上がるんだ!

長嶋:うん。今、当然のことみたいに言ったけど、僕もちょっと驚いた。だって、デビュー二作目で芥川賞をとったから、ひとつしかギャラを知らないんですよ。で、何か見たらちょっと上がっていて。

豊崎:あと、とってないよりとったほうが執筆の自由が利くのかなと想像したりするんですけど。書きたいものが書けるようになるとか。長嶋さんは、二作目ですぐとってしまわれたから非芥川賞作家の時期が短くて、とってない期間の状況がよくわからないかもしれませんが。】

参考リンク:芥川賞・直木賞と作家の「生涯賃金」(活字中毒R。(2006/7/11))

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 今日、第139回芥川賞・直木賞の選考結果の発表が行われ、芥川賞は楊逸さん、直木賞は井上荒野さんが受賞されました。
 「ノーベル文学賞」は別格として、「日本でいちばん有名な文学賞」である芥川賞・直木賞というのは、ある意味「日本で唯一、広く社会的に認知された文学賞」でもあるんですよね。最近では「本屋大賞」などもかなり頑張ってはいるのですが、まだまだ「読書好きの人たちのあいだではメジャー」というくらいの存在です。三島由紀夫賞、山本周五郎賞、すばる文学賞、江戸川乱歩賞などの「読書好きにとっては知られた文学賞」も、世間的には「何それ?」って感じですよね、たぶん。
 「芥川賞作家」「直木賞作家」と言われるだけで、なんだかもう「有名作家」って感じですし、こんなふうに賞の名前が作家としてのポジションを語ってくれるのは、いまのところ、この2つの文学賞だけです。

 「芥川賞を受賞する」なんていうのは、まさに、ごく一握りの人にしかできない経験なわけですが、ここで長嶋さんが語られているような「芥川賞作家になったこと」による、さまざまな変化というのは、「取材がものすごかったこと」を除いては、そんなに「劇的」なものではないようにも思えます。
 もちろん、本人にとっては、「不動産が借りやすくなった」とか「原稿料が少し上がった」というのは、ものすごく大きな問題ではあるんでしょうけど。
 しかしながら、参考リンクには【編集者によると、直木賞を受賞すると生涯賃金が2、3億円上がるらしいですよ。】という石田衣良さんの発言があります。もちろんこれは作家としての「本業」だけではなく、講演会などの「副業」での収入込みではあるのですが、「即効性」には乏しいとしても、長い目でみれば、芥川賞・直木賞というのは、それだけの影響力がある「看板」なのです。そりゃあみんなが、喉から手が出るほど欲しがるでしょうし、伊坂幸太郎さんが「予備選考を辞退」されただけでも話題になるのもわかります。

 この話、作家って、芥川賞・直木賞を獲って(あるいは、テレビに出たり、大ベストセラーを出して)ようやく「普通の社会人として扱われる」くらいの「社会的信用」しかないのか……と考えてしまう面もあるのですけどね。



2008年07月13日(日) ■
「ゆでたまご」が語る「『キン肉マン』でいちばん気に入っているワザ」

『オトナファミ』August 2008 No.13(エンターブレイン)での「『キン肉マン』生誕29周年特集」より。『キン肉マン』の作者・ゆでたまごの嶋田隆司先生へのインタビュー記事の一部です。ちなみに、「ゆでたまご」は嶋田さんと中井義則さんの二人を合わせたペンネーム。

【インタビュアー:ゆでたまご先生は作画と原作に分かれてお二人で作業されていますが、何故そのような手法に?

嶋田隆司:最初は大阪の公団住宅を借りて、ふたりで描いていたんです。ストーリーも画も共同作業で。相棒で画担当の中井義則は小学校からの友達なんで気心も知れていたんですけれど……ひとつ屋根の下で住むと、最終的には、箸の上げ下ろしまで腹が立つようになるんですよ(笑)。それで、1回ボクから「もう『キン肉マン』をやめたい」って、連載を始めてホントに間もない頃に思いまして。編集さんに相談したところ、「ストーリーと画を分けてみたらどうか?」と。ボクはストーリーを作るのが好きだったし、中井のほうが画は上手かったので、5〜6話くらいから別々にやりだして、それからはスムーズに進みましたね。

(中略)

インタビュアー:プロレス方向へシフトしたことで、苦労したことはありますか?

嶋田:ボクたちのマンガって必殺技がすべてだと思うんですよ。”いかに格好いいワザを考えられるか”という部分は、連載時にすごく苦労しました。ワザの開発のために仕事場にいつもフィギュアを置いていて、それを組み合わせて新ワザを考えて。ふたりで実際にワザを掛け合ったり、なんてこともしてみました(ワザ)ボクはね、必殺技を”超人だから何でもアリ”という方向にはしたくなかった。読んでいる子供の視点に立って……学校でマネしたくなるようなワザを登場させたかったんです。キン肉バスターにしても、パロスペシャルにしても、そういう意識があったからこそ生まれたんですね。まあ、怪我をされて問題になったり、なんてこともありましたけど(苦笑)。

インタビュアー:ちなみに先生がいちばん気に入っているワザは何ですか?

嶋田:やっぱりキン肉バスターでしょうね。シンメトリーになっていて綺麗なんですよね。ほかにもいろいろなワザを考えましたけど、キン肉バスターは超えられなかったですね。返し技のキン肉バスターは、ふつうなら”リバース・キン肉バスター”とかになるんでしょうけど、そこに子供たちの好きそうなウンチクを入れたかった。それで出てきたのが「6を9に」なんですよ(笑)。

インタビュアー:今回発売されるDVD−BOXに付いているキンケシも一世を風靡する大ブームになりましたね。

嶋田:近くのデパートに行ったとき玩具売り場にガチャガチャがあって、子供がすごく並んでいるんですよ。「何にこんなに並んでいるのかな?」と思って、自分で並んでみたんです(笑)。それで、いざガチャガチャの前にたどり着いたら、自分の描いているキン肉マンのだった。その時に”これは何かが来るぞ!”って、体が震えましたね。

インタビュアー:そういうヒットの手応えは連載時ではなかったですか?

嶋田:そうですね。キンケシのときが初めて受けたショックだったと思います。もちろんその後、毎週何万通って来る超人投稿でも感じましたけどね。実はね、あの投稿で本当に床が抜けたんですよ。連載して4年くらい経っていたころかな? まだクリーニング屋の2階に下宿していたんですよ。そこに投稿が詰まったダンボールの箱が毎週のように届いて、それを置いていたら床が抜けて。それで下宿をやめて引っ越すハメになったんです(笑)。】


参考リンク:キン肉バスター(Wikipedia)

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 『キン肉マン』生誕29(ニク)周年、というこということで、今年はアニメのDVD−BOX発売など、さまざまなイベントが予定されているようです。現在は、『週刊プレイボーイ』で、『キン肉マン�鏡ぁ戮�連載中。

「キンケシ」が大ブームになったのは、僕が小学校の頃で、まさに「直撃世代」ですから、とても思い出深いマンガでもあるんですよね。「キンケシ」を友達同士で交換したり、超人たちの必殺技を真似したりしたものでした。
 ここで嶋田さんが仰っておられるように、『キン肉マン』の超人たちの必殺技というのは、プロレス技をモチーフにしたものが多く、実際にマネすることが(ある程度は)可能なものがたくさんあったので。

 そんな数々の「必殺技」のなかで、作者「ゆでたまご」の嶋田さんが「いちばん気に入っているワザ」は、やはり(と、当時の読者は、みんな思ったはず)「キン肉バスター」でした。「キン肉バスター」が作中にはじめて登場したのはウォーズマンとの「超人オリンピック」決勝なのですが、その後、このワザはキン肉マンの代表的な必殺技として長い間君臨し続けることになります。
 「7人の悪魔超人編」で「キン肉バスター返し」を駆使するバッファローマンとの激闘は、シリーズの中でも最も盛り上がった記憶がありますし。
 その後、キン肉マンの新必殺技として、「キン肉ドライバー」が登場したのですが、こちらは「普通のパイルドライバーみたい」で、あまりインパクトがなく、マンガ『キン肉マン』の人気も、少しずつ下火になっていきました。
 いまから考えてみると、『キン肉マン』の栄光の歴史は、「キン肉バスター」とともにあったような気がします。
 実際に使ってみた人(プロレスラー)によると、「キン肉バスター」は、相手の体重が肩や腰に一度にかかってくるので、「ワザをかける側のほうがはるかにダメージが大きい」らしいのですけど。




2008年07月10日(木) ■
某大手コンビニエンスストア・チェーン店の「オーナー店長」の哀しい現実

『使い捨て店長』(佐藤治彦【編著】・洋泉社)より。

(この章の筆者・立川健四郎さんが、都内のイベント会場で開かれていた「チェーン店の独立開業相談会」に参加して聞いた話の一部です)

【最後に、大手コンビニエンスストア・チェーン店のブースで話を聞いてみた。
 その店舗も、数日の研修を受け、ある程度のお金を出せば、オーナー店長として店を持つことができる。
 実際に営業を始めるまでの研修は、研修施設に5泊6日の泊り込みで、経営の講習会と商品管理の説明を受けた後、実際に営業している直営店でのトレーニングを7日×2回で、合計20日。研修が終わる頃には自分の店が用意されていて、商品さえ入れれば、いつでも営業できる体制になっているのだという。
 オーナーになると決めたら、契約時に「チェーン加盟金」157万円と、「出資金」150万円を合わせた307万円を用意する。さらに、「開店準備金」として50万円ほどが必要だが、それだけで新しい店をオープンできるのだ。
 この「出資金」とは、店頭に置くべき商品の代金を一部払っておくということである。コンビニの棚には、平均すると全部で約300万円ほどの金額の商品が並べられているのだが、これはもちろん、本部から自動的に支給されるものではなく、日々入れ替えなければいけないもの。いわば毎日店長が買っている商品だ。だから、「出資金」の150万円とは、オープン時の商品の半分をあらかじめオーナーに買わせておくためのお金なのだ。
 また、「開店準備金」は、本人が研修中に、本部側が着々と店を作っておくための本部人員が動く人件費や営業許可料、酒税申請に使うお金やレジの釣り銭などに用いられる。念のため付け加えておくと、研修が始まってから、店がオープンして数ヶ月間は給料が入ってこないので、その期間の生活費は別途必要である。
 ちなみに、平均すると一店舗あたりの月の売り上げは1500万円くらいだという。粗利益が売り上げの30%ならば、450万円。そして、驚くべきことに、その450万円の利益のうち、チェーン店本部の取り分(ロイヤリティ)は半分。残りがオーナーの利益額なのだ。半分なんて暴利なのではないかと思うが、どうやら当たり前のことらしい。
 さて、オーナーとしては、ロイヤリティを引いた残りの225万円から、

・従業員数名の人件費
・見切り処分(期限切れによる廃棄)
・棚卸し時の不足分(万引きなどされた商品)
・水道光熱費
・消耗品代
・通信費
・清掃代(業者に頼む場合)

 これらをさらに引かなければならない。そこで残った金額でもまだオーナーひとりの所得にはならない。このチェーン店では、店舗経営者は、「オーナー」と「専従者(マネージャー)」という形で、二名を設けなければならないと決められており、それが契約の必須条件らしい。そのため、粗利益から全ての諸経費を引いたお金(=店長の取り分)をその二人で分け合うということになるようだ。担当者の話では、月の売り上げが1500万円の店舗の場合、店長の取り分は、二名合計で52万円くらいだという。コンビニ・チェーン店の多くは、オーナーに夫婦での独立開業を勧める。夫婦で52万円は決して高いとはいえないが、生活していけない数字ではない、という言い分である。
 ただし、これはあくまで概算であり、売り上げは1500万円より下回ることはもちろんあり得るし、むしろそちらのほうが多いだろう。その場合、生活はみるみる困窮する。また、オーナーが最初に手にする225万円のうち、「水道光熱費」「消耗品代」「通信費」「清掃代」は、どんなに売り上げが下がっても削ることはできない。そこでいきおい、「従業員の人件費」「見切り処分(期限切れによる廃棄)」「棚卸し時の不足分(万引きなどされた商品)」を切り詰めることに精を出さざるを得ないわけだ。
 しかし、万引きはなくならない。一説では、一店舗あたり年間100万円ほど、1ヶ月で8万円強の万引きが発生しているともいわれている。また、「廃棄」を出さないように納入品をぎりぎりに抑えようとすると、「商品が少ないから」とお客が離れる原因にもなる。そこで、自分が働くこととアルバイトを少なく効率的に使うことでの人件費削減に奔走するしかないのだ。
 担当者は言っていた。「うちの会社では、24歳の若い友達同士ふたりが独立開業したこともあります。ただし、ふたりとも実家住まいで、ふたりの月収が40万円でもやりくりができたからです。軌道に乗るまでの1年くらいは、死ぬ気で頑張るしかないでしょう。その後、地域に店が定着して、お得意さんが増え、二号店三号店と、複数店舗のオーナーになれば、うまみがでてくるはずですよ。
 果たして、そんなに待てるものなのだろうか。】

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 24時間営業のコンビニを僕がはじめて見たのは、大学に入り、一人暮らしをするようになってからでした。
 高校時代は寮に入っていたこともあり、「真夜中にも空いていて、生活必需品がひととおり売られている店」の存在は、非常にありがたかったのをよく覚えています。
 同級生や先輩との飲み会の途中で、よく買出しにも行ったし、試験勉強に煮詰まったとき「気分転換」と称して、コンビニに向かったりもしていました。
 僕の大学の近くにはじめてできたコンビニはかなり商売がうまくいっていたらしく、その店のオーナーのものらしき車が、次々と高級車に買い換えられていき、最初は制服姿でレジに立っていたオーナーの姿を店内で見ることがなくなっていった記憶があります。
 そんな変化を見て、コンビニって儲かるんだなあ、と当時、みんなでささやきあっていたものです。
 あの頃はそんなに競争も激しくなかったし、僕、あるいは僕のような立場の学生たちでにぎわっていた店内からすると、定価販売ということもあり、実際にかなり儲かっていたのだろうな、と思います。

 しかし、この話を読んでみると、いまの時代、コンビニ経営もラクじゃないなあ、と嘆息せずにはいられません。ちなみに「ロイヤリティ50%」というのは、このチェーン店本部がかなり暴利を貪っているような印象を受けるのですが、この章には、「他のコンビニチェーンもロイヤリティは同じくらい」であることが記されています。

 他人に使われる仕事にうんざりして、「何か自分で商売をはじめてみたい」という人はけっこう多いでしょうし、大手コンビニチェーンの一員になれば、まず、「成功は約束されたもの」「バイトを働かせて、自分はときどき店の様子を見に行くくらいで悠々自適の生活」などという幻想を抱いている人もいるのではないかと思うのですが、そんなに甘いものじゃないというのが現実のようです。
 350万円あまりで「起業」できるというのは魅力的に思えますが、「月の売り上げが1500万円の店舗の場合、店長の取り分は、二名合計で52万円くらい」という話を、どう考えればいいのでしょうか?
 これが「最低保証」であれば、「いまの御時世なら、悪くない」のかもしれませんが、1500万円というのは、あくまでも「一店舗あたりの売り上げの平均」です。つまり、「二人で52万円」というのは、あくまでも「店長(+マネージャー)の二人を合計した月収の平均」ということです。
 コンビニチェーンは、夫婦、あるいは家族での「起業」をすすめるそうなのですが、確かに、「店長」という仕事のキツさ(急に休んだり辞めたりするバイトの穴埋めや仕入れなど、本当に大変みたいなんですよ、店長って。少しでも自分の取り分を増やすためには、自分で働くしかないみたいだし)を考えると、「夫婦で52万円」ならなんとか耐えられても、「どちらか一人で26万円」であれば、ちょっと「割にあわない」ですよね。年齢や役職にともなって、「昇給」するわけでもないし、退職金が出るわけでもない仕事としては。
 それに、「稼ぎの半分はロイヤリティ」という状況では、「オーナー店長」というのは名ばかりで、実質は、「チェーン店本部に年貢を搾り取られる小作人」みたいなものでしょう。

 僕が大学時代に見たような「ものすごくうまくいっている例」も中にはあるのだとは思うのですが、いまやコンビニは過当競争の時代ですし、コンビニ「経営」をはじめた人のなかには、「これならサラリーマンのほうがよっぽどマシだった……」と嘆いている人が少なくないはずです。
「地域に店が定着して、お得意さんが増え、二号店三号店と、複数店舗のオーナーになれば、うまみがでてくるはずですよ」
と、担当者は話していたそうなのですが、逆に、複数店舗のオーナーになるくらいのところまでいかないと、「うまみ」が無いというのは、あまりにもハードルが高すぎるように思えます。実際にそこまで辿り着ける人って、どのくらいいるのだろうか?

 やっぱり、「起業」ってラクじゃないみたいです。
 結局、店長になる人たちは「オーナー」って言葉に惑わされているだけで、本当に儲かっているのって、チェーン店本部だけなのでは……
 



2008年07月07日(月) ■
「僕は長年連れ添っている夫婦に、どうすれば結婚を続けられるのかと訊かずにはいられなかった。答えはみんな同じだ」

『最後の授業〜ぼくの命があるうちに』(ランディ・パウシュ+ジェフリー・ザスロー著、矢羽野薫訳・ランダムハウス講談社)より。

(膵臓癌の転移で46歳の若さで余命半年と診断された、カーネギーメロン大学教授、ランディ・パウシュさんの大学での「最後の授業」について書かれた本の一部です)

【僕は普通より1年早く就寝在職権を認められた。それはほかの若手を感心させたようだ。「早かったじゃないか。秘訣を教えてくれよ」
 そう言われて僕は答えた。「簡単なことだよ。金曜日の夜10時に僕のオフィスに電話してくれ。そうしたら教えるから」(もちろん、当時の僕にはまだ家庭がなかった)
 近道を探す人はたくさんいる。僕は、最高の近道は長くかかることを知っている。一生懸命にやること、それだけだ。
 僕の考えでは、人より長い時間働けば、それだけ多くのことを学べる。より効率的になり、有能になり、幸せにさえなれる。一生懸命にやることは、銀行口座に複利がつくようなものだ。見返りは、より早く貯まる。
 同じようなことは仕事以外の人生についても言える。大人になってからずっと、僕は長年連れ添っている夫婦に、どうすれば結婚を続けられるのかと訊かずにはいられなかった。答えはみんな同じだ。
「一生懸命にやってきたから」】

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 「学問に王道なし」という言葉がありますが、このパウシュ教授の話を読んでいると、本当にそうだなあ、と痛感させられます。
 この話、仕事に関しては、正直、「まあそうだろうねえ」と、ちょっと食傷気味で読んでいたのですが、最後の「長年連れ添っている夫婦の『結婚を続ける秘訣』」については、すごく感心するのと同時に、反省もさせられました。
 とりあえず好きだから結婚したのだし、なんとなく、結婚すれば幸せになれるだろう、と思っていたのに、現実は……ということって、けっして少なくないはずです。
 いままでの生活習慣が異なる「他人」と一緒に暮らしていくというのは、そんなに簡単なことじゃないんですよね。
 「結婚がうまくいかなかった理由」として、「性格の不一致」や「親族との関係」などが挙げられることが多いのですが、もちろん、そういう要素はあるとしても、「うまくいっている(ように見える)夫婦」のほうが、よりいっそう「一生懸命に努力している」ことは、知っておくべきなのかもしれません。
 「相性」や「直感」で結婚することはできても、それを続けていくためには、やはり、それなりの「努力」が、お互いに必要なようです。
 ダイエットと同じで、この「一生懸命にやり続けること」がいちばん難しいからこそ、みんな「近道」を求めてしまうのですが、結局のところ、「人間関係にも王道なし」ということなのでしょう。




2008年07月04日(金) ■
ブログは、”彼”を止められたのか?

『週刊SPA!』2008/7/1号(扶桑社)の鴻上尚史さんのコラム「ドン・キホーテのピアス・672」より。

(秋葉原での通り魔事件について、鴻上さんが考えたこと。「”彼”を止めたかもしれない、ブログの可能性」というタイトルがつけられています)

【犯人が、もし、短い文章ではなく、長文で自分の現状を嘆いていたら、ひょっとしたら、ネットの闇からなにかが返ってきたのかもしれなかったと思います。
 犯人は、何度も自分のことを「不細工」と書きます。「不細工だから無視されて当然」とかね。
 ここに、まず、「ぶさいく村」の僕はひっかかったのです。
 僕は「ぶさいく村」出身として、何度も悔しい目に会ってきました。だから、合コンで負けないように、言葉を覚えました。「ハンサム村」出身の奴らが遊びほうけている間、本を読み、文章を磨き、やがて「言葉の愛撫師」というニックネームをもらうまでになりました。えっへん。
 もちろん、最初はうまくないです。何度も失敗します。でもね、口説くのも友達を作るのも、全部、技術なのですよ。人間関係を作るのは、全部、技術、テクニックと言っていい。悪い意味で言ってるんじゃないですよ。スポーツはすべて技術でしょう。一部の天才をのぞけば、いえ、イチローのような天才であればあるほど、技術がどれだけ重要か分かっていて、そのための毎日の練習を欠かさないでしょう。で、技術は、練習すればするほど上達するのです。 
 でも、人間関係も技術だと僕は知っているのです。友達を作るのがうまい人、口説くのが得意な人、みんな練習ですよ。失敗して、言葉を獲得して、感性を豊かにするいろいろな映画や小説や芝居などを見てシミュレーションして、テクニックを向上させてきたのです。練習をしない人間関係の天才なんているわけない。
 でも、「ぶさいく村」出身は、この練習の機会がものすごく限られています。ベンチにずっといる選手どころか、甲子園で三塁側の応援スタンドでユニフォーム着たまま応援している三年生ぐらいに、実戦を体験する機会が少ないの。ために、ものすごくたまに女性と話す機会が来ると、あんまり久し振りなもんだからガクガクブルブル緊張して、必ず失敗します。
 そんな時にね、ネットの長文は、表現力を磨くいい場所になるのです。長文じゃないと意味ないですよ。だって、長文だから、技術が向上するわけです。短文だと、俳句みたいなもんで、どれが上手いか下手か分かんないでしょう。事実、俳句は芸術かどうか、なんて論争が昔、あったんですから。
 短文は、ただ、自分の心情をそのまま吐露したものが多くて、読者としては面白くもなんともないですからね。
 少なくとも、毎回、2000字前後の長文を書いていたら、間違いなく、表現力は向上します。「不細工は死ぬしかないんだよな」なんていう短文じゃダメですから。で、向上すれば、きっと、読者の一人か二人はつくのです。

 人間が自暴自棄にならないで生き延びるためには、たった一人、いればいいんです。一人の人が見ていてくれると思えば、死なないのです。
 でね、問題は、長文なんだけど、今の自分が、「ありたい自分」とあんまり違っているから、とりあえず今の自分を守ろうと思って書いている人の文章です。じつは、自分の価値を守ろうとすればするほど、自動的に、見るもの・聞くもの・読むものを否定するようになります。
 本当につまらなく感じるようになるのです。自分の価値を守ることと、周りを否定することは正比例するのです。
 僕たちは、残念なことに幸福より不幸に敏感です。肯定より否定が得意です。なにかの作品を否定することの方が、肯定するよりはるかに簡単です。で、そういう方向なら、長文は簡単に書けるのです。そういう文章には、残念ながら熱心な読者は一人もつかないでしょう。
 だって、みんな否定にうんざりして、じつは、肯定をずっと求めているんですから。
 インターネットの時代になって、自意識が数値化されるようになりました。僕の二十代、否定だけを居酒屋で語り続ける奴は、周りからただ無視されたり嫌われたりしましたが、現在のように「コメント(0)」とか、一日のヒット数が表示されるなんていう、「数字によって冷酷に知らされる孤独」なんてものがありませんでした。えらいこってす。
 このメカニズムが、ますまず、僕たちを肯定より否定だけを、楽観ではなく悲観だけを見つめるようにさせるのです。】

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 この文章、けっこうツッコミどころはありますよね。「短い文章じゃダメ」っていうけど、短い文章でも技術は必要だと思いますし、俳句が芸術か?という論争が起こったのは、かなり昔の話です。

 ちょっと脱線しますが、僕が調べたかぎりでは、昭和21年に桑原武夫さんが、俳句は「第二芸術」だと仰ったのがきっかけだったようです。もっとも、「たった17文字の組み合わせが『芸術作品』なのか?」というような疑問は、それ以前にも多くの人が持っていたのでしょうけど。結局、この論争には決着らしい決着がついたわけではないのですが、それでも、多くの人に賞賛され、記憶される句をつくるには、技術が必要であることはまちがいないでしょう。言葉としてありえない組み合わせもたくさんありますが、50音の17乗ですから、「たかが17文字」とはいえ、ものすごい数の組みあわせになるし、日本語というのは、同じ音でも違う意味になる場合がたくさんありますしね。

 本題に戻って、ここで鴻上さんが書かれている「人間関係は技術だ」という言葉には、僕も深く頷いてしまいました。
 僕も「ぶさいく村」だったので、「福山雅治みたいなルックスだったら、こんなに人間関係に苦労しないで済んだのに」とか、ずっと思っていたんですよね。
 でも、年を重ねるにつれ、「モテる、愛されるっていうのは、ルックスだけじゃない」ということがわかるようになってきました。
(誤解されるといけないので書いておきますが、僕は福山さんのことをルックスだけの男だと思っているわけじゃないですよ。トーキングFM愛聴してますし)
 「人間関係の達人」たちは、清潔な身なりで、気配りができ、コミュニケーションに対してマメなんですよね。これらは、「本気でトレーニングすれば、誰にでもできること」です。もちろん、「モテる」という点だけで言えば、けっこう「ルックスが良いだけの酷い男」が女性をとっかえひっかえ、という事例もあるんです。でも、「多くの人と、ある程度の期間、良い人間関係を保っていく」という点においては、顔の造型はそんなに重要ではないのだと思います。

 ただ、鴻上さんが書かれているように、【「ぶさいく村」出身は、(とくに十代〜二十代前半の時期に)この練習の機会がものすごく限られている】のは間違いありません。そして、【ものすごくたまに女性と話す機会が来ると、あんまり久し振りなもんだからガクガクブルブル緊張して、必ず失敗する】のですよね。ああ、これはすごくよくわかる。
 そして、失敗することによってさらに萎縮してしまい、次の機会を積極的に作る勇気もなくなっていくという悪循環。

 そんな負の連鎖に陥ってしまっているとき、「ネットに長文を書く」というのは、本当に「有効」なのかどうか?

 実際には、コンスタントに「ネットに2000字の長文を書く」なんていうのは、けっこう大変なことなんですよ。書くことに慣れた人ならそんなに負担にならない分量かもしれないけれど。
 もちろん、そのくらいの「トレーニング」すらしないのであれば、「技術」が身につくわけないじゃないか!と言われれば、まさにその通りです。
 ただ、これはやっぱり、万人にあてはまる「解決法」ではありませんよね。
 僕の場合「文章を書くこと」であれば抵抗はないのですが、「1日5km走れ、そのくらいなら『可能』だろ?」とか言われたら、「可能だけど、やりたくない」ですから。

 それに、「一人の人が見ていてくれると思えば、死なない」かというと、別にそんなこともないですし。南条あやさんの場合のように、多くの人が見ていて、応援しているのに(だからこそ?)死への欲求に引き寄せられるということもあるのです。

 それでも、ここで鴻上さんが書かれていることが「役に立つ」人は、必ずいるのではないかと僕は考えています。
 ここまで、鴻上さんが書かれていることについて、否定的な見解を多く書いてきましたが、こういうのがまさに【自分の価値を守ろうとすればするほど、自動的に、見るもの・聞くもの・読むものを否定するようになっている】のですよね。
 ネットで誰かが何かを言うと、必ず「否定的な見解」「例外的な事例」を挙げて「それは間違っている」という人が出てきます。
 それは、ある意味「正しい」のだけれども、じゃあ、この鴻上さんの話を「間違っているところがあるから」と全否定することによって、秋葉原で暴走した”彼”を止められるのか?

【だって、みんな否定にうんざりして、じつは、肯定をずっと求めているんですから】というのは、僕も実感しています。スピリチュアルとかに行ってしまう人が多いのは、「科学的に肯定できるものではないが、目に見えるかたちで否定できるようなものでもない」からなのではないかと。

 「一人の人が見てくれている」としても「十人に否定される」ことも多いのがネットの世界です。
 そして、【現在のように「コメント(0)」とか、一日のヒット数が表示されるなんていう、「数字によって冷酷に知らされる孤独」なんてものがありませんでした】なんていうのは、ネットが生み出した、「新たな孤独」なのかもしれません。
 それでも、「ただその場で嘆いているだけ」よりは、「自分でドアを叩いてみる」ほうが良いのではないかと僕は思います。
 ブログが、”彼”を止められたかどうかはわかりません。
 ただ、「止められた可能性はあった」し、同じような境遇にある人は、ブログを「試してみる価値はある」のではないかと感じています。
 



2008年07月02日(水) ■
内田恭子さんが体験した「シカゴの中学校の家庭科の授業」

『チョコレートと犬とベッド』(内田恭子著・幻冬舎)より。

(元フジテレビアナウンサー(現在はフリー)、「ウッチー」こと内田恭子さんの初エッセイ集から。アメリカ・シカゴの中学校に通っていたときの内田さんの体験です)

【それにしても、アメリカ人は本当によくピーナッツバターを食べる。クッキーやチョコレートに入れるのはもちろんのこと、気がつけば瓶の中に指を突っ込んで、そのまま舐めていたりする。更には野菜にだってつけてしまう。セロリを縦に半分に切って、半円にくぼんだところにたっぷりと塗ってそのまま食べる。りんごにだって塗ってしまう。うげげげげって思ったそこのあなた、今すぐお試しを! セロリのツンとくる苦味やリンゴの酸味と、ちょっぴりしょっぱいピーナッツバターが、結構いいコンビネーションを組んでしまう(個人的には、SKIPPY.がお勧め!)。ちなみに私のお気に入りはりんごとの組み合わせ。気持ち悪いとみんなには言われるけれど、そんなことはちっとも気にしない。だって本当に美味しいんだもの!。
 そんな食文化は、もちろん学校の家庭科の授業にだってしっかりと根付いている。中学校の時の最初の授業は衝撃的だった。包丁の持ち方や切り方のステップなんてのはいっさい習わない。その日の課題はライスクリスピー。お米のパフをチーンで溶かしたマシュマロと混ぜて固めて、はい出来上がり。早っ! 次はチョコレートブラウニー。ブラウニーミックスを溶いてオーブンで焼いて、はい出来上がり。これも早っ! 素晴らしき電子レンジの文化。あんなにたくさんの冷凍ディナープレートが売られているのも分かる気がする。
 でもそんなアメリカ人も、やっぱり自分の体や健康についてはすごくうるさい。スローフードのような、健康的かつ美容的な食事法が流行るのも早いし、太っている人に対する厳しい目もある。自己管理ができていないと見なされてしまうのだ。だから授業でもダイエットのことはしっかりと勉強する。ダイエットと言うと、日本では体重を落とすことを意味するけれど、本来は栄養をバランスよく摂るという意味。バランスよく食べていれば、結果的に脂肪のようにいらないものは落ちていくから、すごく健康的な考え方だと思う。だからどんな時にどんなものを体が必要とするかを細かく習っていく。例えば、長距離を走る前はすぐにエネルギーに変わりやすい炭水化物を摂りましょう。パスタはエネルギーに代わるのが早いです、みたいなこと。その授業のあと、ランチの時間に陸上部の子たちが、みんな揃って塩だけかけたパスタをモソモソ食べていた光景は忘れられない。】

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 これはあくまでも、いまから20年くらい前にシカゴで暮らしていたときの内田さんの経験談で、現在は全く違っているのかもしれませんし、地域や学校によって、授業の内容にも差はあるのでしょう。
 それにしても、ずっと日本に住んでいて、日本の学校の経験しかない僕にとっては、この「アメリカの家庭科の授業内容」は、かなり驚かされるエピソードでした。
 日本の「家庭科」の授業にも料理の時間がありますが(今もありますよね、きっと)、そこで僕が最初に習ったのは、「調理器具の使い方」「ごはんの炊き方」「みそ汁の作り方」だったような記憶があります。もっとも、20数年前でも「かまどで炊く」というようなものではなく、「炊飯器」を使っていましたが。
 そこからスタートするのがものすごく「妥当」なのだろうな、と当時の僕は感じたのですけど(その知識が本当にその後役に立ったかどうかは別として)、アメリカの学校での「家庭科」というのは、いきなり「溶かして固めておしまい」とか、「混ぜて電子レンジでチンして終了」なんですね。僕は「まずはパンの焼き方から」入るものだとばかり思っていました。
 確かに、この方が、より「実践的」というか、「すぐに使える知識」であり、「合理的」なのかもしれませんが、「学校がそんなに合理性ばっかり追求してもいいの?」と感じたのも事実です。
 これがアメリカの食文化なんだ、と言われれば返す言葉もないのですが、調理実習(?)がそれで、「ダイエットの知識」を事細かく教えるというのも、なんだかちょっと矛盾してはいますよね。

 ものすごくジャンキーな食生活をしている人たちとダイエットやスローフードを追求している人たちが同居している国では、結局、「最後は自己責任だよ」としか言いようがないのでしょう。
 まあ、最近は日本人の食生活も似たようなものではありますし、いっそのこと、家庭科で「カップヌードルの作り方」「冷凍ごはんの温め方」を教えたほうが合理的なんじゃないか、とも思いますけど。