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2009年07月25日(土) ■
堀井雄二「『ドラクエ6』発売からが本当に長かった……」

『週刊ファミ通』(エンターブレイン)2009/7/24号の記事「ふたりのキーマンに聞く!〜『ドラゴンクエスト9』トップ2インタビュー」より。

(『ドラゴンクエスト9』のゲームデザイナー・堀井雄二さんとプロデューサー・市村龍太郎さんへのインタビュー記事の一部です)から。

【――最後になりますが、本作を心待ちにしている読者の皆さんにひと言お願いします。

市村龍太郎:『ドラクエ9』はこれ以上なく、DSの限界までたくさん詰め込まれた作品です。容量はもちろん、アイデアとか想いとかも含めて、これだけいろいろなものが詰め込まれている『ドラクエ』はいままでになかったかもしれないですね。まずはいつもどおり、自分なりに遊んでいただいていいと思います。そして、ふと立ち止まったときにまわりを見渡して「ちょっとほかの人ともいっしょにやってみようかな?」って思えるときがきたら、勇気を出してまわりの人たちと遊んでくれるとうれしいですね。そんな勇気を持ってくれたら、『ドラクエ9』でいままでにない『ドラクエ』体験が楽しめると思うので、ぜひ体験してみてください。

堀井雄二:初めて『ドラクエ』を作ってから、もう20年以上になります。『ドラクエ6』を発表したのが1995年ですから、そこまでは10年かかっていないんですね。でも、そこからが本当に長かった……。今回やっと『ドラクエ9』にたどり着きましたが、本作では、多くのスタッフたちのアイデアがてんこ盛りのように入っていて、いろいろ新しいことにも挑戦しています。でも、遊べば「やっぱドラクエじゃん!」と感じてもらえると思います。テレビを見ながらチマチマ遊んでもいい。難易度が高めのクエストもありますが、わからなくなったら友達に聞いたり、ネットで調べるのもオーケーです。その行為自体が、すでにゲームの楽しみのひとつですから。エンディングを迎えた後も、末永く遊んでもらえるとうれしいです。そしてもし、駅やマクドナルドなど、どこかで仲間を募集しているとき、ボクが乱入していっても、そのときは逃げ出さないでくださいね(笑)。】

〜〜〜〜〜〜〜

 これは、『ドラゴンクエスト9』発売直前に『ファミ通』に掲載された、堀井さんと市村さんへのインタビューの一部なのですが、僕としては、やっぱり「ドラゴンクエストシリーズの生みの親であり、生き証人」の堀井さんの言葉がとても印象に残りました。
 『週刊少年ジャンプ』で「ゆう帝」としてファミコンゲームの紹介をしていたり、『OUT』の読者コーナーを担当していた、「ちょっと面白い編集者」だっ頃から堀井さんの存在を知っていた僕にとっては、『ドラクエ』を作ってから、もう二十年以上になる、ということは……と、自分の年齢を再確認せずにはいられません。

 『ドラゴンクエスト』の『1』がファミコンで発売されたのは、1986年5月27日のことでした。当時は、「ロールプレイングゲームがファミコンで売れるの?」という懐疑的な見方のほうが多数派で、『週刊少年ジャンプ』で懸命にプロモーションをしているのを見ても、「ファミコンだし、子供だましみたいなゲームなんじゃないか?」と僕も思っていました。
 しかしながら、「1」は、シンプルながらもポイントを押さえた素晴らしいゲームで、鳥山明さんのキャラクターやすぎやまこういち先生のドラマチックな音楽で、ファミコンゲームに革命をもたらしたのです。「たいようのいし」が見つからなくて友達に聞いたのを、いまでもよく覚えています。

『ドラゴンクエスト2』の発売は、1987年1月26日。『1』の発売のわずか8か月後のことでした。『ドラゴンクエスト』のスタッフたちは、当初は「パーティ制のRPG」を考えていたそうで、本来は『2』のようなRPGを出したかったけれど、当時のファミコンユーザーにRPGの面白さを伝えるために、シンプルな『1』をまず発売した、という話を後に聞きました。
 この『2』から、ドラクエ名物の発売日の行列が生まれたのです。

 『ドラゴンクエスト3』のファミコンでの発売日は、1988年2月10日。
 これも、『2』の発売から、たった1年しか経っていません。当時はそんなに「次から次へと出る」という感覚はなかったのですが、いまから考えると、すごいハイペース。
 『ドラゴンクエスト4』の発売は、1990年2月11日。ここで2年間空きます。当時は、「けっこう待たされたな」という記憶がありました。
 スーパーファミコンにハードを移した『ドラゴンクエスト5』の発売は、1992年9月27日。前作から2年半。
 『ドラゴンクエスト6』は、1995年12月9日。ついに前作から「3年超え」です。それでも、堀井さんの感覚としては、「ここまではまだ順調」だったようです。もちろん、「7以降に比べたら」ですけど。

 その後、プレイステーションで発売された『ドラゴンクエスト7』は、前作から5年近くかかって、2000年8月26日発売。
 プレイステーション2で発売された、『ドラゴンクエスト8』は、2004年11月27日発売。『8』って、出るまでにものすごく待たされた記憶が僕にはあるのですが、実際は、『6』から『7』のときよりも、少し短い間隔で出ています。
 この頃になると、もう「ドラクエは1ゲーム機に1作」、「オリンピックの開催と同じくらいの発売間隔」といわれるようになってきました。
 そして、現在大ヒット中の『ドラゴンクエストIX 星空の守り人』は、2009年7月11日発売。「なんとか5年は超えないように頑張っている」というのが、近作の発売ペースのようです。
 出せばまちがいなく売れる商品ですし、周囲の期待も高いので、開発期間が長くなるのは、しょうがないことではあるのでしょうけど、「このままだと、僕が死ぬ、あるいは主要スタッフの誰かがゲームを作れなくなるまでに、あと何作遊ぶことができるのだろう……」という気分にもなってしまいますね。
 ああ、でも『7』以降は、作っている堀井さんたちにとっても、やっぱり「長かった」のだなあ……

 あと、このインタビューのなかで興味深かったのは、堀井さんが、【テレビを見ながらチマチマ遊んでもいい。難易度が高めのクエストもありますが、わからなくなったら友達に聞いたり、ネットで調べるのもオーケーです。その行為自体が、すでにゲームの楽しみのひとつですから】と仰っておられたことでした。
 僕が最初に『ドラゴンクエスト1』で遊んだ1986年には、インターネットでいつでもゲームの攻略サイトにアクセスできる時代が来るなんて想像もつかず、行き詰ったら「友達に聞く」か、「ゲーム攻略本を読む(といっても、全部答えが書いてあるとは限らない)」か、「雑誌などにヒントが載るのを待つ」くらいしかありませんでした。そういう時代の「ゲームの難易度設定」というのは、いまの時代よりもやりやすかったはずです。
 「自分ひとりの力で、どのくらいの人が解けるのか?」というデータを集めればよかったのですから。

 いまは、「攻略情報」を得ようと思えば、ある程度の人気ゲームなら、ネットで簡単に「答え」を知ることができます。僕自身、ゲームの謎解きで悩んだとき、25年前なら一晩中考えていられたのに、最近は1時間くらいで、「時間がもったいないし、攻略サイト見ようかな」という衝動に駆られます。
 ゲームを作る側からすれば、「プレイヤーは、攻略サイトを見る可能性が高い」ことを想定せざるをえない状況です。
 攻略サイトを見ながら遊んだ人に、「こんなゲーム簡単!」なんて言われては、もうどうしようもないですよね。「攻略サイトを見る人基準」の難易度だと、「見ない派」にとっては、とんでもなく難解なものになってしまうでしょうし。

 堀井さんは、「わからなくなったら友達に聞いたり、ネットで調べるのもオーケーです。その行為自体が、すでにゲームの楽しみのひとつですから」と仰っておられますが、これは、20年以上『ドラゴンクエスト』を創ってきて、ゲームの「難易度設定」について悩んできた堀井さんの「自分自身へのひとつの答え」なのでしょうね。
 創り手の都合に合わせてユーザーが動いてくるわけではないのだから、現実に行われていることは、それを受け入れて「ゲームの一部」にしていくしかない。本当は、「自分の力で解いてみてね」と言いたくても。
 こういう堀井さんの「柔軟な発想」こそが、『ドラクエ』をずっと支えてきたのではないかと思います。
 とはいえ、僕自身は、「れんきんがまとか、めんどくさいなあ」とも、つい考えてしまうんですけどね。



2009年07月20日(月) ■
ウィキペディアの「アグレッシブな滝川クリステル」

『週刊SPA!2009/7/14号』(扶桑社)の「トーキングエクスプロージョン〜エッジな人々」第539回、『ニュースJAPAN』のキャスターとしておなじみの滝川クリステルさんのインタビュー記事の一部です。取材・文は古葉俊明さん。

【インタビュアー:そういえば以前、映画に出られたこともあるとか?

滝川クリステル:全然ないですよ。噂がどこからか立ってまして……。ウィキペディアにも、そう書かれているんですよね。そのせいで広まってしまったと思うんですが……。映画の出演歴はないんですよ。

インタビュアー:ウィキペディアの滝川さん情報……となると「趣味はスカイダイビング」というのも、ずいぶんアグレッシブな人だなぁと思ったんですが、もしかして?

滝川:違います違います(苦笑)。スカイダイビング、やったことないですもん。「いつか一度、やってみたい」とは思ってますけど……。ほかにもバンジージャンプが趣味とも書かれてて、取材で一度やったことはあるんですけど、”趣味”ではないですから!

インタビュアー:確かに”バンジージャンプが趣味”って、どんだけアグレッシブな人物なんだ!?ってなりますね。

滝川:ウィキペディアだと私、すごい人物像になっちゃってるんですよ(苦笑)。あれって修正できるんですか?

インタビュアー:できますよ。今日ここで真実を聞けましたから、誰かが直してくれますよ!

滝川:すみません、ぜひお願いします(笑)。】

参考リンク:滝川クリステル(Wikipedia)

〜〜〜〜〜〜〜

 このインタビューが直接影響しているのかどうかはわかりませんが、現在のWikipediaの「滝川クリステル」の項では、「趣味は、テニス、ゴルフなど。運動が大好きで運動神経もよいとのこと」となっています。ちなみに、映画出演に関する話やスカイダイビングやバンジージャンプについての言及は全くなし。
 これで滝川さんも、いきなり仕事で「趣味のスカイダイビング」をやらされることもなく、一安心といったところかもしれません(もっとも、ご本人は、「やってみたい」とおっしゃっていますし、平然と飛んでしまいそうなイメージがあるんですけどね、なんとなく)。

 ネットで簡単にさまざまなキーワードに対するまとまった情報を得ることができるWikipedia、僕もよく利用しています。「Wikipediaには、けっこう嘘の情報が含まれている」という話は耳にするのですが、そういうのは政治的なキーワードに対する「編集合戦」が行われている場合や、特殊なケースが誇張されているだけなのではないか、と思っていたんですよね。
 「Wikipediaを信頼している」というよりは、「Wikipediaに書いてあることは信用できない、という前提になると、自分で調べなければならないことが多すぎる」から。

 しかしながら、この滝川クリステルさんのケースをみると、「本人でさえ、なぜそんなことが書かれているのか思い当たる節がないような話が、『既成事実』として掲載されている」ことが、けっこうあるのではないかという気がしてきます。
 まあ、滝川クリステルさんの趣味が間違っていたら、誰が困るのか?と問われれば、「本人が困惑しているくらい……かな」としか答えようがないのですが、いくら有名人とはいえ、「自分に関する嘘の情報」が多くの人に「事実」として流布されているのは、あまり良い気分ではないはず。

 Wikipediaは、ものすごく便利である一方で、まだまだ「虚実入り混じった世界」であることを、あらためて思い知らされたインタビューでした。
 それにしても、誰が、何を根拠に書いたんでしょうね。この「滝川クリステルさんの趣味」。
 注意書きがない項では、利用者には、その情報の「信頼性」はわからないからなあ。
 「そんなに気になるんだったら、自分で編集するしかない」のだとすれば、有名人って本当に大変ですね……
 



2009年07月17日(金) ■
『ファイナルファンタジー11』で痴話げんかが多い理由

『ネトゲ廃人』(芦崎治著・リーダーズノート)より。

(日本を代表するオンラインゲーム『ファイナルファンタジー11』についての話)

【あるベテランの女性ゲーマーが、こんな話をしてくれた。
「6人で敵を倒しに行くので、他の人と技術的なレベルが乖離すると、一緒にゲームができなくなるんです。そのために、こちらのレベルが上がるのを待ってくれる男性が現れたりする。すると、『この人、私のことを気にしてくれているんだわ』と、すぐにわかります。ほかにも、『これ、ゲームのクリアに必要だからね』といって、武器や装備品をくれたりする。ものをあげるって原始的な愛情ですよね。自分のことを気にかけてくれているって、すごくわかる。『好きだよ』って言われなくても、ゲーム中に相手の気持ちがわかるんですよ。ドキドキします」
 これは、実際にあった彼女の知り合いの話だ。
 8年間、同棲していたカップルがいた。男性のほうがゲーマーで、女性はゲームをやっていなかった。彼のライフスタイルは結婚しない主義。彼女のほうが結婚を望んでいた。
 ある日、彼が、「コントローラーで、簡単にできるからやってごらんよ」と、『ファイナルファンタジー11』を彼女に勧めた。
 ところが、ゲームを始めて、ネット上で出会った男性にすぐに口説かれ、彼女は出て行ってしまう。
「結果的にすぐに破局してしまうんですけど、ゲームを始めて2、3週間で、ネット恋愛に走るケースがすごく多かったんですよ」
 また、こんなケースもあった。
「知っている若い男の子が、旦那さんのいる女性を好きになったんです。主婦は暇だから、昼間から若い男の子の悩みを丁寧に聞いてあげるんですよ。ゲームをやる子は彼女のいない人が多いから、ついつい年上の主婦にはまる。奥さんのほうも旦那さんがネットゲームを見てないのをいいことに火遊び感覚で、付き合う。二人はプラトニックでしたけど、じっさいに外で会っていましたね。男の子のほうは、もう誰も目に入らないくらい本気で好きになっていた」
 それにしても『ファイナルファンタジー11』で痴話げんかが多いというのは、何が原因だったのだろうか。
 初期の頃から、ネットゲーム事情に詳しい人の話である。
「米国製のネットゲームは、ゲーム内で友だちが、今どのへんで何をしているかが、わからない。ところが日本のゲームは検索機能が付いていて、ゲーム内のどこにいても、誰と一緒にいるかが発見できる。『ファイナルファンタジー11』では特に、どのエリアで、どのレベルで誰が何をしているか全部わかるようになっている。推測ですが、ゲームクリエーターは親切心で、友人がどこで遊んでいるかわかるような機能を作ったのでしょう。ところが、実際の使われ方は、そうじゃない。相手がどこで何をしているのかを監視するために使われていた」
 ユーザーに、ネット恋愛中のカップルやリアルの恋人同士、現実の夫婦、恋愛目的にゲームに参加するファンが多かったせいで、よくこんなチャットが飛び交っていたという。
「俺の彼女に、手を出すな」
「私が仲良くしているAさんと一緒にいるなんて許せない」
「おまえ、ほかの男と何している!早く帰って来い」
 キャラクターはゲームの中で動き回っている。だが、キャラクターを操作しているのは、所詮、生身の人間同士だ。ネット恋愛だけでは飽き足らず、リアルで不倫に走るケースも稀でなかった。】

〜〜〜〜〜〜〜

 これは、あくまでも「極端な例」なのかもしれませんが、こういう話を読むと、「オンラインゲームも、所詮、現実の延長でしかないのだ」ということを思い知らされます。むしろ、「どんなにあからさまな態度をとっても、キャラクターを消してしまえば良いから、リアルよりも正直に行動できる」という面もありそうです。「レベルが上がるのを待ってくれる男」や「武器や装備品をくれる男」なんて、「下心アリアリ」じゃないか!としか思えないのですが、「ゲームの中だったら、純粋な愛情表現だと感じる」のでしょうか?

 この話のなかで、もっとも興味深かったのは、「日本製とアメリカ製のオンラインゲームの違い」でした。
 僕の感覚からすると、アメリカ製のゲームに「友だち検索機能」がついていないことのほうが不思議な気もするのです。
 やっぱり、毎回知らない人たちとコミュニケーションをとってパーティを組んだり、毎回ゲームを終えるたびに次の待ち合わせをしたりするのは、ちょっとめんどくさいし、何よりも、せっかく友だちになったのだから、ずっと一緒にゲームできればいいな、と思うでしょうから。
 でも、その機能を実際に搭載してみると、ある種の人たちは、それを「監視」に使うようになっちゃうんですね……
 それでゲーム内の世界が狭苦しくなってしまうのであれば、いっそのこと、「検索機能」そのものをやめてしまえばいい、はずなのですが、一度そういう世界を体験してしまうと、それが無い、「友だち(あるいは恋人)がゲーム内で何をしているのかわからない世界」というのは、不安でしょうがなくなってしまうのかもしれません。
 携帯電話が登場したとき、「どこにいても電話がかかってくるなんて、束縛されている感じでイヤだ」と言っていた人がたくさんいましたが、「持っているのが当たり前の世界」を体験してしまうと、「携帯電話を持たないこと」のほうが、よっぽど忍耐力かポリシーを必要とするようになりました。
 たぶん、この「友だち検索機能」も、「あるとめんどくさいけど、無くなると不安になる」のでしょうね。

 ここまで「現実的」になると、「みんな、何のためにゲームをやっているんだろう?」と、ちょっと疑問にもなるのですが。



2009年07月12日(日) ■
「著者の方って、アマゾンのレビューでついた1つ星をすごく気にする人が多いんです」

『TVBros。 2009年13号』(東京ニュース通信社)の記事「『ウェブはバカと暇人のもの』著者と編集者がネットと自身を丸裸!〜赤裸々全裸対談」より。

(『ウェブはバカと暇人のもの』(光文社新書)の著者・中川淳一郎さんと光文社新書の編集者:柿内芳文さんの対談記事です。中川さんは、以前『TVBros。』の編集者として活躍されていたそうです)

【柿内芳文:最近、デキ婚した友人の話なんですが、彼は子供の名前は普通がいいって言うんです。ネット社会で匿名性が保てなくなるからって。

――それはなんだかひどい話ですね。

中川淳一郎:名字が”鈴木”だったら”一朗”にしろと。そうすればマリナーズのイチローが代わりに引っかかってくれる。なんで自分の名前を捨てなくちゃいけないのか? 本来自由だと思っていたネットが、これほどまでに不自由なものになるとは!

(中略)

中川:自分がもし毎日セックスしていて、年収が高くて忙しかったら、ブログだの書き込みだの誹謗中傷だのはしない。現に今、俺はモテモテだし年収も高いから…

――ブログをやっていないんですね。

中川:そう。タレントは、たとえば新婚アイドルだったら、毎日作った料理をアップしていたらママドルとしての仕事が来るかもしれない。芸能人は自分の経験が金になるからね。でもそれと同じことを一般人がやってどうなのか?

柿内:そうだ!

中川:お前らが盛り上がるのは”草��ネタ”だろ!? 結局、テレビが作った情報だ!

柿内:テレビで話題になると、2ちゃんねるにすぐスレッドが乱立します。なんだかんだ今でもテレビなんです!

(中略)

中川:暇つぶしとしてネットをやっているだけならいい。ただ、ネットがプロの価値をおとしめているのが許せない。プロが書いたものに対して「俺もできる」とか「そんなの前から知ってた」とか言うな! じゃあお前書けよ!

柿内:その通り!

中川:そしてプロはいちいちネットでの評価を気にすんな!

柿内:著者の方って、アマゾンのレビューでついた1つ星をすごく気にする人が多いんです。ネットがあることによってスル―できなくなった。

中川:本来、目に見えてなかった戯言が、ネットによって簡単に見えてしまうようになってしまったからね。

柿内:僕も編集者になりたての頃は検索ばっかりしていましたけど、今は真に受けなくなりました。いい評価だけを見ればいいんだと思います。

中川:”テレビブロス”スペース”おもしろい”とか”最高”とかで検索すればいいんだ。いちいち客の反応に振り回される必要はない。

柿内:とあるコンビニ店長から聞いた話ですが、ある客から「おでんを買って車に乗ったら、おでんがこぼれてしまった。土下座して謝れ!」って言われたんですって。

――すごい言いがかりですね。

柿内:それでその店長は土下座しちゃったんです。僕が「よく土下座なんてできるなあ」って言ったら、店長は「土下座で済むなら…」って言ったんです。一回そういう風になるともう麻痺しちゃう。

中川:いい加減、日本人は三波春夫とスマップの呪縛から解き放たれるべきだ。もっと謙虚になれ! そして、いいサービスには自信を持て! 作り手はもっとプライドを持て!】

参考リンク:『ウェブはバカと暇人のもの』(琥珀色の戯言)

〜〜〜〜〜〜〜

 中川さんと柿内さんが全裸(もちろん局所は隠されていますが)の写真入りで登場している、この異色の対談記事。『ネットはバカと暇人のもの』も既読でしたので、興味深く読みました。この対談の内容も、その新書の内容の焼き直し的な部分が多かったのですけどね。

 『ウェブはバカと暇人のもの』なんて扇情的なタイトルを目の前にすると、ネット大好き人間である僕は、憤りを感じずにはいられないのですが、実際にここで2人が語っていることは、「ネット社会の一面の真実」ではありそうです。
 「検索避け」のために、有名人と同じ名前をつけろ、なんていうのはさすがに乱暴だし、「有名人と同姓同名」っていうのもけっこうストレスになりそうですが。
 僕の知り合いに、某イケメン若手俳優と同姓同名の男がいるのですが、彼は、病院や銀行で名前を呼ばれるたびに周囲からの視線を感じ、自分の姿を確認されたのちに、「そりゃ、あの人がここにいるわけないか……」という失望に満ちた顔をされるのがイヤでイヤでたまらないそうです。
 こればっかりは、親が名づけた時点では存在しなかった同姓同名の有名人がいきなり登場することもあるので、どうしようもないのですが。

 いわゆる”DQNネーム”の子供たちも、将来ネットを使うようになって自分の名前を検索してみたら(誰でも一度はやりますよね)、「○○(自分の名前)っていうDQNな名前をつけた親がいる!」なんて書かれている、ということが十分に予想されるわけです。それって、どんな気分なのだろうか?

 ウェブ日記や個人サイトが流行りはじめた時期は、「ブログで友達を作る!」とか「お金を稼ぐ!」なんて見出しを雑誌でよく見かけたものです。
 ところが、最近はそういう記事を目にする機会はほとんどありません。
 ブログがそんなに目新しくなくなった、というのも大きな理由なのでしょうが、「無名の人がブログを書いても、行きつく先は、無名のまま埋もれていくか(こちらが大多数)、派手に炎上するかのいずれかしかない」ということが実感されてきたのも事実だと思います。

 ネットって、やたらと「否定したがる人」が多いような気がします。
 専門家が書いた内容については、厳しいチェックが加えられ、「プロのくせにこんなことも知らないのか?」「そんな当たり前のことをわざわざ書くな!」という罵声が浴びせられるわりに、「見返り」は少ない。
 挙げ足をとることに専念している「名無しさん」は、文字通り「失う名前もない」ので、勝手な思い込みで他人を罵倒しても、(責める価値もないため)誰からも責められません。
 なんらかの理由で名前を売りたい人や、初期からネットにいて、「既得権益」を持っている人以外には、「リスクばかりが目立つ」のが現状です。
 いまや、mixiに「友人のみ」に書いた内容でもさらされ、叩かれてしまう世の中。
 Amazonの「1つ星」なんて、ネット以前には、著者にそんな感想が届くことはなかったはずです。面白い本の著者に感動を伝えたいという気持ちで手紙を書くことはあっても、つまらない本の著者にわざわざ文句を言うために手紙を書くというのは「面倒で、割に合わない」ものですし。
 現代の作家には、昔よりも「バッシングへの耐性」が要求されるはず。

 本当に怒ってもいないのに、「あいつは最近調子に乗っているから…」と言いがかりをつけて「炎上」させようとするネットイナゴたちと、本当は自分が悪いと思っているわけでもないのに、謝るポーズをしてみせるブロガーたち。
 最近は、「何が本当に謝るべきことなのか?」が、どんどんわからなくなってきています。

 そういう「閉塞感」が、いまのウェブをつまらなくもしているし、日頃目にしている「叩かれている人たちのむごい姿」が、明らかな言いがかりに対しても「土下座で済むなら…」という発想につながっていくのでしょう。

 発信する側も、受信する側も、なんだかちょっと麻痺してしまっているのが、いまのウェブなのかな、と僕は思います。
 ウェブくらいは、バカと暇人のための「最後の砦」であってもいいのかもしれないけれども。



2009年07月09日(木) ■
村上春樹さんに「そんな残酷なシーンを書くべきじゃない」という抗議のメールがたくさん来た小説

『翻訳夜話2 サリンジャー戦記』(村上春樹・柴田元幸共著:文春新書)より。

(J.D.サリンジャーの『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を翻訳した村上春樹さんと翻訳家の柴田元幸さんとの同作品についての対談の一部です)

【村上春樹:僕は『海辺のカフカ」という小説の中で、猫を残酷に殺す男の話を書いたんです。そうしたら抗議のメールがけっこう来ました。そんな残酷なシーンを書くべきじゃないって。でもね、僕はこれまで小説の中で人を殺すシーンをいくつか書いてきたんです。しかしそれに対する抗議はそんなには来なかった。少なくとも猫を殺したときほどは来なかった。それは考えてみたら変なことですよね。要するに猫というのは我々人間より弱い者であって、イノセントであって、だからそういうものをいじめているやつがいると、感情的にアプセット(動揺)するし、かわいそうだと。それに比べると、人間というのは自分に脅威を与えかねないものであって、そういうものが殺されることに関しては、とくに同情はしないということなのかな。
 このあいだインドネシアのタンカーが火事になって、乗組員はみんな船を捨てて逃げたんだけど、雑種犬が一匹あとに残されたんです。それを救出しようと、アメリカの動物愛護団体が寄付を募ったら何十万ドル集まって、それでボートをチャーターして助けに行きました。あれ、犬だからそれだけ集まったんですよね。

編集部:タマちゃんにはほいほい住民票をあげるんだけどという感じで。

村上:うん、だから、そういう気持ちって、まあ、わからないでもないんだけど、よく考えると、価値基準としてはやはりいささか不安定じゃないかと。】

〜〜〜〜〜〜〜

 現実世界では、「そりゃ動物愛護も大事だろうけど、そのお金を人間に使ったら、何人助かるのかな……」と考えてしまうような「感動のストーリー」が頻繁に繰り広げられています。
 同じ「野良犬」でも、少し前に話題になった「崖っぶち犬」みたいな「付加価値」があれば、喜んで引き取ってくれる人が出てきますしね。
(もっとも、徳島の「崖っぷち犬」は、最初に引き取った人が体調不良で飼えなくなり、結局は動物愛護センターで飼われることになったそうなのですが)。

 この村上春樹さんの話を読んでいると、「現実」だけではなく、フィクションの世界に対しても、「人間はどんなに悲惨な殺され方をしても許すけれど、かわいい動物たちを虐待するような描写は受け入れられない、という人がけっこういるのだということがわかります。
 実際に起こった事件や事故(あるいは、明らかにそれをモデルにしている作品)に対して「抗議」するのはわかるけれども、フィクションに抗議するというのは、僕にはちょっと理解不能なのですが……

 村上春樹さんの『ねじまき鳥クロニクル』という作品に、「皮剥ぎボリス」という拷問のエキスパートのエピソードが出てくるのですが、これはもう、「あまりに残酷で気持ち悪くて、読むのがつらい」と僕は感じました。まあ、結局は最後までちゃんと読んだんですけどね。

 動物のなかでも、「猫」については、とくにそういう「拒絶反応」が出やすいような印象を僕は持っています。
 猫好きって、ネットでも本当にたくさんいるんだよなあ。
 僕は猫にそんなに思い入れはないのですが、小説のなかでも、人間がどんどん残酷に殺されているにもかかわらず、猫に対する「虐待」のほうが、はるかに抗議が多いというのは、あらためて考えてみると、ものすごく不思議な話です。ちょっと待ってくれ、みんな人間よりも猫のほうが大事なの?

 正直なところ、僕自身は、そういう「不安定な価値基準」というのが、「人間が他の動物とは違うところなのかな」という気もしますし、「殺されるのが人間であっても、あまりに残酷なシーンは苦手」なのですけどね。

 でもほんと、「猫」って、ちょっと他の動物とは違った入れ込み方をされている動物なのではないかと思われます。
 僕はネットをやってはじめて、世の中にはこんなに猫好きが多いのか、ということを知ったんだよなあ。
 



2009年07月04日(土) ■
緒方恵美さんが語る「碇シンジの初体験と『新劇場版』への困惑」

『CONTINUE Vol.46』(太田出版)の「第1特集・ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」の「スペシャル対談:緒方恵美×中田敦彦(オリエンタルラジオ)」より。文は志田英邦さんです。

【中田敦彦:どうやって主人公の碇シンジ役についたんですか?

緒方恵美:実は、私は最初『エヴァ』のオーディションを受けられなかったんですよ。『エヴァ』の頃は、私が絶頂に忙しい時期で。アニメーションの収録が週に9本、ラジオが3本あったんです。アニメーションは1本収録するのに5〜6時間抑えられるので、1日に2本が限度。つまり、もういっぱいだったんですね。それもあって、当時のマネージャーがオーディションをお断りしてしまって。そうしたら、ある日『美少女戦士セーラームーン』の番組旅行があって、庵野秀明さんもいらしたんです。そこで初対面の庵野さんに「なんで、あなたは僕の作品のオーディションを断ったんですか? 僕が嫌いなんでしょうか?」と聞かれて(笑)。

中田:きっと緒方さんに演じてほしかったんでしょうね。

緒方:「まだキャストが決まっていないので、2次オーディションにぜひ来てください」と言っていただけたことがきっかけで、シンジ役につけました。

中田:シンジ君の繊細な声と緒方さんの声が結びついて、もうそれ以外考えられないですよ。

緒方:シンジは繊細ですよね。私はもともとミュージカルの役者だったんですけど、腰を悪くして、声優に転向したんです。アニメーションの演技って、絵にあわせるために誇張しないといけないことがよくあるんですよね。「させるかよ!」も「すゎすぇるぅかぁよぉ!」みたいに(笑)。もちろん、それは大事な技術なんですけど、もっと自然に演ってみたいと思っていた。そんなとき、庵野さんに「『エヴァ』ではすべてを取り払って演技してほしい」と言われたんです。「ぼそぼそしゃべってもマイクがちゃんと拾ってくれるから」って。

中田:声を張らないですもんね、シンジは。

――中田さんは、シンジにかなり感情移入していたそうですね。

中田:過去に、シンジみたいな主人公っていなかったし、会話のトーンも珍しかった。ある世代が太宰治に感情移入するように、僕らの世代はシンジに感情移入していました。シンジは自分自身のことだと思っている人は多かったと思います。いま見ると、思春期の感情がよみがえってくるんですね。父ゲンドウに対するコンプレックスだとか、性的なことだとか。
 そういえば、以前の「劇場版」でシンジがオナニーをするシーンがあったじゃないですか。あれはどうやって収録したんですか?

緒方:ははは。当たり前ですが、私にとって初めての経験でした(爆笑)。女性だからといって「間違ったらいかん!」と思って。ゲンドウ役の立木文彦さんに、「父さん、初めてだから、うまくできるかわからないんだ。間違ったら間違ってるって教えてね」(シンジの声で)って。

中田:ははは!

緒方:収録が終わったら「どうだった、父さん?」「よくやったシンジ」「やった、父さんにほめられた!」って(笑)。

中田;いやー、あのシーンは強烈に覚えているんですよ。

――やっぱり『エヴァ』の収録は大変だったんですね。

中田:大変なシーンがたくさんありますもんね。痛いシーンや苦しいシーン……特にシンジは感情がうねる役じゃないですか。

緒方:テレビシリーズのときはどうだったかな。あまりよく覚えていないんですけど、『新劇場版』は……いろいろありました。『序』で第6の使徒がエヴァ初号機に加粒子砲を放ってLCLごとシンジが沸騰してしまうシーンがありますよね。シンジは「うわあ」って叫ぶんですけど、アドリブで台本5〜6ページ分、叫び続けなくちゃいけなかったんです。

中田:そんなに叫ぶんですか?

緒方:テレビシリーズのときは音響がステレオだったし、NERVの本部にシーンが変わったら叫び声を切っても良かったんですけど、『序』は音響が6・1CHだし、本部のモニターにシンジが映り込んでいるから、ベタに叫び続けていないといけない。それで、ずーっと叫び続けていたら、次の日に喉の調子が変になってしまったんです。声帯に詳しい先生に相談したら「声帯そのものは異常はないけれど、あなた昨日、何したの?」と言われて。気管の内側が火傷している、と。

(中略)

――2007年から『新劇場版』がスタートしましたが、おふたりはどんな気持ちでしたか?

中田:子供の頃から見ていて、いまだに熱いものって他にないんですよ。『序』が始まったときも、12年ぶりという意識がありませんでした。

緒方:私としては正直、迷っていました。『エヴァ』って12年間封印されていたわけじゃなくて、何本もゲーム等が出ていたんで、私たちは休みなく『エヴァ』を演じてきていたんです。でも、だんだん自分が自分自身の物まねをやっているような気持ちになることもあって。正直、もうテレビシリーズの声を二次使用してもらえないだろうかって思っていたときもありました。

中田:『エヴァ』は巨大になりすぎちゃったんですね。

緒方:でも『序』の庵野総監督の所信表明を読んで、本気だ、と思って。実際の台本を手にしたときに「全然違う、これが本物だ」と震えがきたんです。当たり前ですが、やっぱり庵野総監督が作るものこそが『エヴァ』。監督の目指す世界に、自分もぜひ参加したいと思った。だから『序』から改めて私の中の『エヴァ』が動き始めたんです。

(中略)

――『破』のアフレコはいかがでしたか?

緒方:大変でしたよ。『破』のアフレコは数日間に分けて行われて。最終日はずっと叫んでいた感じで。

中田:そんなに!

緒方:最後にはへたり込んで立てなくなり、スタジオの床でへばっていたら、庵野総監督が来て、一緒に地べたに座ってくれて。座り込んだまま
「ありがとうございました」「こちらこそありがとう」って握手して(笑)。そう、今回初めて庵野さんにほめられました。

中田:初めてですか!

緒方:とっても嬉しい言葉を、ふたついただきました。ひとつは「キャラクターの気持ちを、13年間ずっと変わらずに維持してくれて、ありがとう」。

一同:おお〜っ!

緒方:もうひとつは「そのうえに13年分の君の経験を、いまのシンジに足してくれて、ありがとう」。

一同:おおおお〜っ!!】


参考リンク:映画『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』感想(琥珀色の戯言)

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 僕もつい最近、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』を観てきたのですが、基本的にテレビ版を踏襲していた『序』に比べると、新たなストーリー展開も含めて、アニメーション映画の金字塔として、さらに刺激的ですばらしい作品になっていると思います。次の『Q』(?)で終わってしまうのがもったいないくらい。
 ちなみに、この対談のなかで緒方さんが仰っておられるのですが、今回の『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』は、スポンサーをつけず、庵野総監督が自身で出資されているのだとか。そのおかげで、「本当に監督が作りたい作品を作ることができる」とのことなのですが、映画をつくるのにかかるお金を考えると、これは大変な「冒険」なのではないかと思います。『破』の公開も当初発表された予定より、だいぶ遅れていますしね。僕などは、自分でお金を出すとしたら、「とにかく安く早く」みたいなことを考えてしまいそうです。

 この緒方恵美さんとオリエンタルラジオの中田敦彦さんの対談、本当に興味深く読むことができました。
 緒方さんが「碇シンジになったきっかけ」の話を読むと、庵野監督は、最初から、緒方さんを碇シンジ役として考えていたのではないかと思われます。もしかしたら、リップサービスが結果として幸運な出会いを生んだのかもしれませんけど。
 そして、『エヴァ』の登場人物の声が聞き取りにくいシーンが多いな、と感じたのは、庵野監督が、意図的に「そういう声の演技」を求めていたからだったんですね。僕は最初に観たとき、「これ、録音ミスなんじゃないか?」とか思っていたんだよなあ。
 「劇場版」の「例のシーン」での、緒方さんと立木さんとのやりとり、シンジとゲンドウの声で再生しながら、僕も大爆笑。たしかに、それは「初体験」だったに違いありません。庵野監督や碇ゲンドウは、「演技指導」したのでしょうか?
 シンジはテレビ版・映画版ともにかなりひどい目に遭っているのですが、それを演じる緒方さんも、かなり身を削っておられるみたいです。「声だけの仕事」だと思われがちだけど、そんなにラクじゃなさそう。

 今回の「『新劇場版』に対する緒方さんのスタンスの変化」が率直に語られているのも印象的でした。
 あまりに「碇シンジ」が有名になり、ある種の「象徴」と化してしまったために、ずっと演じてきた緒方さんにとっても、「自分で自分の物まねをしているような気持ち」だったんですね……それにしても、「もうテレビシリーズの声を二次使用してもらえないだろうか」とまで思っておられたとは。
 その一方で、これを読んでいると、緒方さんの「庵野監督への絶大な信頼」も伺えます。スタッフにとっては、やっぱり『エヴァ』は、庵野監督あればこそ、なのかもしれませんね。庵野監督自身も、『エヴァ』の大ヒット以降はなんとなく迷走していたように見えるのですが、この『新劇場版』では、水を得た魚のように「復活」されています。

 『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』はたしかに、「13年前の熱さを維持しながら、この13年間に得たものが積み重ねられている作品」だと思いますし、『Q』も本当に楽しみになってきました。
 シンジがさらに酷い目に遭わされるとすれば、緒方さんの身体がちょっと心配ではありますけどね。