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馬鹿な女の怨み節 - 2004年08月29日(日) BridgeのBBSでここのURLを残して来たのに、こんな事を書くのは 気がひけるけれど、自分の心に蓋をする事は出来ない。 私は、渋谷陽一氏が好きだ。 彼のROCKに対する愛と情熱の深さに尊敬の念を抱いている。 吉井和哉を見守る愛のまなざしに感謝している。 けれど今、BridgeのBBSで「渋谷さん、THE YELLOW MONKEYのインタヴューを ありがとうございます!」と感謝の声が溢れているのを見ると、 「あなた達、4人の其々の解散インタヴューを目にしてもまだ 『感謝してます』って言えるの?」と思って仕舞う。 渋谷氏は、吉井和哉の才能をとても愛して呉れているかも知れないけれど、 正直THE YELLOW MONKEYというバンド自体に対しては、どうだったんだろう。 私は、2000年秋、彼らが活動休止を発表した時からずっと、 「あの98〜99年の119本にも及ぶパンチドランカーツアーがバンドを疲弊させ、 活動休止に追い込んだ元凶だ」と思って来た。そう思おうとして来た。 けれど、本当は違うんだよね? 98年春、アルバム「PUNCH DRUNKARD」が発表されて、ROCKIN'ON JAPANで 表紙・巻頭インタヴューが載った時、既に渋谷さんは、彼ら4人へのインタヴューで、 THE YELLOW MONKEYの(特に吉井さんの背負ったモノの重さ)問題点に 気づいてたよね? 《「PUNCH DRUNKARD」というアルバムで吉井は全面的なプロデューサーとして 力を奮ったけれど、他のメンバーは「バンド的なサウンドへの変化」という事に 意識的な自覚は無かった。》 これって、凄く重大な事じゃないですか? メンバー達の吉井への全面的な信頼に、渋谷さんは、危惧を抱いた筈だ。 吉井の孤独を見抜いていたよね? Bridgeでの吉井へのソロインタヴューでも、問い質していた。 吉井自身の答えは、「うん・・・大丈夫だと思いますけどね。」だったけれど。 全然、大丈夫じゃなかったじゃないかあ! 結局、渋谷氏は気づいていた。吉井はなんとか理想に近づこうと足掻いた。 メンバーは、一丸と為って闘った。 一年間のツアーを終え、多くのモノを手にし、そして失くしたモノも多かったろう。 あの時もっと休めていたら?そう考えるのは、結果論に過ぎない。 外部プロデューサーを付けての試行錯誤・・・そして活動休止に至り・・・ 3年半という時間は、虚しく過ぎた。 もうあの4人でのTHE YELLOW MONKEYには帰れない。そういう事だ。 渋谷さんに、「あんなに前から気づいてらっしゃったのに、何とか為らなかったのですか?」 だなんて、筋違いも良いところだ。 でも、私は「ずっと見守っていてくれてありがとうございます。」だなんて 言えない。 聞き分けの無いファンでごめんなさい。 耳を塞いじゃいけないね - 2004年08月25日(水) 9月30日発売予定の次号「bridge」に 『4人はなぜ今解散を選んだのか?全てを明らかにする超独占インタビュー』 が載るのだそうだ。 THE YELLOW MONKEY解散が発表されて以来、 「bridge」や「rockin'on Japan」のBBSでも、渋谷社長に メンバーへの取材を望む声が多かったものなあ。 渋谷社長が一体どんな風にメンバー4人に斬り込んでいるのか興味ある。 けれど、本当の気持ちを言えば、「解散」の詳しい経緯を 別に無理して話してくれなくても良かったのにとも思う。 『敗戦の将、兵を語らず』って言うよね。 今の日本の音楽業界という戦場で、THE YELLOW MONKEYは力尽き敗れ去った。 戦に負けたのだ。敗戦の過程やら責任やら、私はそういう事柄を聞きたくはない。 どうにもこうにも往生際悪く、『いつの日かまた4人で』という夢を 捨て切れないでいる者にとって、『全てを明らかにする超独占インタビュー』は、 「解散」というリアルな現実を喉元に突き付ける非情な刃にしか捉えられない。 己の弱気の虫が憎い。 吉井和哉の「解散コメント」に書かれている 『別れ際にみんなと笑顔で握手をしました。 ・・・心の底からの笑顔で握手をしたのは結成以来、初めてだったと思います。 なんか凄く清々しい気持ちでみんなと別れました。』という文字が、 あれからずっと気に為っている。 何故「握手してさよなら」なの? 「作法心得」というHPに「握手」の歴史や心得が詳しく載っていた。 アテネ武士は、武術の試合のあと、右手の剣や槍を左手に持ちかえ、 あいた右手同士、握りあったという。 これが今日、儀礼的な習慣としての「握手」が行われるようになった始まりらしい。 THE YELLOW MONKEYは音楽業界という戦場で共に戦った戦友であり、 と同時に各々が 一人のミュージシャンとして全身全霊で闘った戦士同士でもあったんだろうなあ。 「bridge」インタヴューを読むのが怖い、自分の受けるダメージを思うと辛い・・・ そう思っていたけれど、 志半ばで敗れ去った(THE YELLOW MONKEYで天下獲りたかったんだろ?吉井さん!) バンドの敗戦の弁をメンバーが語ってくれようと言うんなら、 こちらも覚悟して正座して聞かせて貰うよ。 言い訳にすぎないとか、誰かの所為だとか、色んな非難も嫌ほど浴びるだろうに、それでも 我々ファンに伝えようとしてくれるその姿勢を愛しく思う。 つらつら書いていたら、"Petticoat Lane"からのお知らせで、 『9月1日発売 ROCK JET EMMAさん連載インタビュー / THE YELLOW MONKEY 解散について』だそうだ。 エマさんが一番に話してくれるんだ! あと一週間。 解散コメントでの 『話し合う中で、逆に今は「この四人」だから無理なのかな?とも感じさせられました。』 このエマさんの言葉が一番私には、重かった。 怖い・・・けれど真摯に受け止めたい。 ソロとバンドと - 2004年08月23日(月) CROSSBEAT最新号に載ったジョン・フルシアンテのインタヴューを読んだ。 『音楽は美しいものだから、俺は音楽をやるのさ。・・・ 音楽は純粋に美しいし、音楽を愛してるからこそ、俺はその努力を 惜しまないんだよ。それ以外の理由なんてないと思うな。』って言ってる。 脅威的な創造力に溢れた今の状況を『こういう状況になる為に凄く頑張った。』と 『この5年間、音楽を聴くこと、曲作り、ギターの練習、音楽について考えることに 全ての時間を割いてきた。』・・・こう言い切れるジョンの純粋さが眩しい。 文字通り全身全霊を音楽に打ち込んで来たからこその発言だろう。 『俺の使命は・・・心から音楽を愛してるから音楽をやってるんだってことを みんなに知ってもらう事。その気持ちを込めて作る音楽はどういうものかっていうのを みんなに聴いてもらう為にやっている』 『チリ・ペッパーズは間違った理由で音楽をやってはいない。』 『そのバンドの一員である事を誇りに思っている。』 レッド・ホット・チリペッパーズのファン、そしてジョンのファンは、 これを読んで本当に嬉しかったのじゃないかな。 私のようについ最近彼に惹き込まれた人間にとっても、これらのジョンの言葉は 大きな力を持った。 ジョンは次々に湧き出してくる曲のアイディアをバンド用・ソロ用に 自在に振り分ける事が出来るのだという。 歌詞のアイディアが既にある曲が出来た時は自分用に、タイミングを見計らって バンドの為に取って置く事もあるのだそうだ。 インタヴューは「音楽の可能性」についてのジョンの考察に及ぶ。 今我々が存在する次元とは全く異なる次元に、いわば精神世界と言うべき世界に、 我々の自己は存在していて、全てのアーティストはその次元の自己と接触して アートを生み出す・・・絵を描き出したり、音楽を作り出す・・・ 『音楽の核にあるものは実際に曲を書く前から既に存在している・・・ 曲の魂、絵画の魂は俺たちが手掛ける前から既に在るものなんだ。』 ジョンの主張は実に興味深い。 怖いくらいにピュアな人なんだろうなあ。 「シャドウズ・コライド・ウィズ・ピープル」の前のジョンのソロアルバム、 「トゥ・レコード・オンリー・ウォーター・フォー・テン・デイズ」が 明日届く予定だ。 ジョンの音に触れる事が楽しくて仕様がない。 この人の才能にリアルタイムで触れられる事が(LIVEでは無い事が残念だけど) CDやDVDという手段ではあっても、同時代であることが、とても嬉しい。 ジョンのインタヴューを読んでいて、どうしてもTHE YELLOW MONKEYと 吉井和哉の事を思わずにいられなかった。 何故YOSHIIは、バンドを活動休止にしたままソロ活動を続ける事が出来なかったのか? ヒーセは、THE YELLOW MONKEY休止中のHEESEY WITH DUDESでは いられなかったのか? やっぱり、悲しいけれど「音楽性の違い」だと言うしか無いんだろうな。 そんな事を思いながら、CROSSBEATのアンソニーに耳打ちされて少年のような笑顔を 綻ばしているジョンのフォトを見たら、涙が出て来た。 ライブバンド - 2004年08月19日(木) レッド・ホット・チリ・ペッパーズ の2枚組みライブアルバム 「ライヴ・イン・ハイドパーク 」を聴いた。 詳しい感想は、『時の谷間』に書いたけれど、 ブックレットを拡げ、ロンドンにあるこの東京ドーム約30個分、 約140万�屬發遼�かな緑地を持つこのハイドパークを埋め尽くす 10万人もの観客、夕暮れの会場のステージで眩い照明に 照らし出されるメンバーの姿、そして何よりこのライブアルバムに 込められた圧倒的な音の凄まじさを耳にして、 バンドの放つパワーの大きさを感じた。 昨日私は、ジョン・フルシアンテの最新ソロアルバム、 「ザ・ウィル・トゥ・デス」に感激していた。 ギターの響き、味わい深いヴォーカル、全てがジャストに心に迫って来て、 ノックアウトされていた。 でも今日、レッド・ホット・チリ・ペッパーズ というバンドの ジョンのギター、フリーのベース、チャドのドラム、アンソニーの ヴォーカル、4人が合わさった音を聴いて、正直敵わないと思って仕舞った。 ジョンは、歌もギターも素晴らしい。 けれど、レッド・ホット・チリ・ペッパーズにおけるジョンは、ソロでの彼以上の存在だ。 やっている音楽が違うのかも知れない。けれど、このバンドは、 4人が合わさる事でミラクルを興しているのだと感じた。 ブックレットに『俺たちの間には、ずっと魔法や奇跡が存在してるって、 いつも感じてるよ。この4人で一緒にプレイするのが楽しくて、 ただそのスピリットの為にプレイしてるんだ。それこそが俺たちの 一番本質的なところなんだろうな』 ヴォーカル=アンソニー・キーディスの言葉が記されている。 何て幸せな事だろう! ジョンは、今年まだあと5枚ものソロアルバムを発表する予定だという。 片や、レッド・ホット・チリ・ペッパーズ本体では、 6月にこのロンドン・ハイドパーク・ライブ、 つい先日のRock Odyssey 2004での日本公演、新曲も次々に 湧き出ているようだし、本当に素晴らしいパワーだ。 羨ましい。。。 最愛のバンドの終焉を時間差で知らされるしか出来なかった今年の夏、 結成20周年、幾多の苦難を乗り越え、雄雄しくライブの華を咲かせ続ける モンスターバンドの音に触れる事は、少し複雑な思いも呼び起こす。 『僕たち、ライブバンドだからね。』って、何とも言えない位の笑顔で そう言ってくれた事なかったですか? THE YELLOW MONKEYのくびきを離れた貴方達4人は、 一体どのように進まれるのですか?教えて下さい。 向日葵の首飾り - 2004年08月17日(火) 11年前、たった一晩だけTHE YELLOW MONKEYに現れたジョアンナさん、 「最後のワンピース」の主人公だ。 1993年8月、吉井和哉が魔の8月と呼んだ26歳の8月、THE YELLOW MONKEYは rockin'on JAPAN主催のイベント「THREE DOG NIGHT!」に挑んでいた。 日清パワーステーションで行われたそのイベント第一夜は、 8月3日GROOVERSが対バンの「無害の狂犬DAY」 8月10日マルコシアスバンプが対バンの「パトラッシュDAY」 そして8月17日イエローモンキーワンマンの「ドーベルマンDAY」だ。 『THREE DOG NIGHTへようこそ。今日は最終日なんで、皆さん、ぶち切れて下さ い。』と言って始まった「DORASTIC HOLIDAY 」。 気合十分、ノリの良い曲を畳み掛けるように演奏していく。 「VERMILION HANDS 」「RED LIGHT 」と『jaguar hard pain』の曲も既に 演奏していたんだね。 「RED LIGHT 」の後、ロビンがおもむろに語り出す。 あんたたち、誰だい? まあいいや。あたしはさぁ、ジョアンナっていうんだよ。 よーく覚えといてよぅ。 ちょっと前にさぁ、ジャガーって男に会ったんだよ。 いい男でさぁ・・・・。どこまでいったか教えないよぅ。 なんかさー、ジャガーはさぁ・・あたしの事をマリー、マリーって呼ぶんだよ。 あたしはそのマリーって女に似てるのかい? ほぉぉぉ〜。 そりゃあ、たいした美人じゃあないかぁ。 でもさぁ、なんか聞くところによると純情ぶった女だそうだねぇ。ふっ・・・。 ところがさぁ、ジャガーはそれっきりさあ・・・あたしの前に姿を現わさないんだ。 しょーがないからさぁ、あたしはうちで一人でパズルをして遊んでるんだよ。 でもねぇ・・・どこを探してもねえ・・・最後の1ピースが見つからないんだ・・・。 “・・・・・・ あなたはイヤな奴さ くちびるを返して あらしの夜にかけた 魔法が解けない 恋人同士が 口づけしてるよ あたしのパズルは夜を埋めるのさ・・・ 夢かもしれない 嘘かもしれない どこかに消えた 最後のワンピース ・・・ 真実の瞳は 夢中を掻き立てる 見えない蜘蛛の糸は 私の首を絞める ・・・ 向日葵の首飾り ・・・ どこに失くしたの 最後のワンピース” マリーを求め彷徨うジャガーがたった一晩だけ夜を慰めたジョアンナさん。 ジャガーが自分に恋人マリーの面影を視ていたと知ってもなお、 恋しい人を待ち続けている女性。 私は、このジョアンナにソフィア・ローレンが演じた映画「ひまわり」の 主人公ジョヴァンナの凛とした強さと深い哀しみを感じた。 だから私のハンドルネームは、Jovanna 。 私の誕生花はひまわり、『あなただけを見つめる』。 それにしても、おネエ言葉が実にサマになってますねえ。 ロッカーでここまで表現出来るのは、吉井さんだけじゃないかしらね。 40歳台のマリーさんは、さぞ迫力ある事だろう。 いつかオリンピックイヤーの「メカラウロコ」で年輪を重ねたマリーさんに逢える事を 本当に楽しみにしてたんだけどなあ。 太陽に向かって - 2004年08月16日(月) 灼熱の太陽に向かって、黄金色の花びらを懸命に開く。 堂々と、誇り高く。 ありのままに自分を開き切って 生の歓びを歌おう。ひまわりの花。 SLIPKNOT “VOL.3 - 2004年08月14日(土) YOSHII LOVINSONがコラムで教えてくれた『最近どんな音楽を聴いているのか』に 挙げられていたCDのうち、まず「SLIPKNOT “VOL.3」を聴いてみた。 菊地兄弟がやっていたラジオ「英ハウス」でもアニーがSLIPKNOT好きって 言ってたので、馴染みがあったから。 ちなみにYOSHIIのコメントは 5.SLIPKNOT “VOL.3(THE SUBLIMIAL VERSS)” 実はスリップノットは激フェイヴァリット。 デビューアルバムからのファン。メタルの血が騒ぐ。 鋼鉄と土と精子の匂いがプンプンする真のメタル (因みに自分はパンテラも大好きだ)しかも今回はプロデュースに リック、ルーピン(レッチリでお馴染み)で全体に重く大人っぽい。 ファンは不評のようで「もう終わりだ」とか言われてるらしいが、 このアルバムで彼は5年は寿命を延ばしたと思う。 *** ともかくCDを聴いてみる。 へヴィーだ。「デュアリティ」のメロディは美しく、畳み掛けるように 盛り上がっていく様は快感だ。「サークル」でのアコースティックギターの始まり、 コーラスの重なりが綺麗で聴き入った。 「ヴァーミリオン・パート2」も穏やかで優しげな弦が奏でるメロディと コーラスにこれが「スリップノット」なのか?とビックリさせられた。 それが次曲「ネイムレス」で激しいビートに包まれたかと思うと、 美しいメロディが挿入されたりと変化に富んでいる。 最終曲「デインジャー・キープ・アウェイ」は情感溢れ余韻に浸れる。 日本のみボーナス曲「スクリーム」の疾走感が心地良かった。 ちゃんと聴く前は、とにかく「ヘヴィロック」だという印象だったが、 思っていた以上に魅力的な音だった。 ライナーノーツの冒頭に 『スリップノットは完全に混乱をきたし、内部や周辺にネガティヴな雰囲気を 強く、そして大きく放ちまくっていた・・・・・・』と書かれている。 バンドの危機は2001年から2003年に掛けて続いたらしい。 その間、メンバーの解散を示唆する表明まで飛び出し、 全世界のファンを驚愕させたのだとか。 でも彼らは9ヶ月間9人全員が共同生活を営んで、このアルバムを作り上げたんだね。 混沌の中から、新たな絆を見出し、バンドの新たな姿と進むべき道を見据えた 湧き上がるエネルギーを感じる。再生するパワーって素晴らしいものだ。 YOSHIIさん、教えてくれてありがとう。 自由がここにある - 2004年08月07日(土) “救いだった神にすらもう SAY GOOD BYE SAY GOOD BYE SAY もう誰のせいにもしないって” 「SWEET CANDY RAIN」のフレーズが頭の中で何度もこだましている。 「bridge」で渋谷氏がこの「SWEET CANDY RAIN」を作る為のアルバム 「at the BLACK HOLE」だと仰っているが、今こうなってみて改めて、 この曲の持つ意味の大きさを噛み締めている。 そうか《リセットする歌》なのか。 “「ありがとうありがとう 私に流れた色んな人たちの血」” あなたを生み育て形作って来てくれた全ての人やものや全ての存在に 《ありがとうそしてさよなら》 そういう旅立ちを歌った歌なのかも知れないね。 『“SWEET CANDY RAIN”は・・・ちゃんと公共の場では説明しないですけどね ・・・結構自分の中では、いろいろ意味があるかなあ』 YOSHIIがそう言っている。 この曲がアルバムの中で『最後です。一番最後』に出来た曲だという 『SWEET CANDY RAIN』この曲を初めて聴いた時、もの凄い衝撃を受けた意味が 今更ながらに判った。 この曲が出来て、そしてようやく次の段階に進めたのだね。 2004年7月7日、吉井和哉、菊地英昭。廣瀬洋一、菊地英二この4人が集まり THE YELLOW MONKEYという唯一無二のバンドに終止符を打った。 四者四様という言葉に誰が存続を希望したのか、誰が強く解散を望んだのかという 詮索は必要ない。四人が決めた事実。それが全てだ。 一つの時代が終わりを告げ、また新しい時が刻まれて行く。 それでも『峠』で私の胸に刻まれたあの映像=広い荒野を歩む四人の道が やがて一つに交わって巡り合う、その光景が現実になるようにと夢見続けたい。 ただ一筋に「待つ」と言い続けた事が、メンバーを苦しめたのかと、 当初、罪の意識に苛まれていたけれど、バンドを遣る遣らないはメンバーの 責任であり自由だと同時に、バンドを愛するのはファン自身の問題だ。 私は、THE YELLOW MONKEYを愛し続ける。遠い未来にいつか必ず四人のLIVEを、と 夢見るのもその辛さを充分自覚した自由だ。 8月5日深夜ラジオ生出演 - 2004年08月05日(木) やまだひさしの「ラジアンリミテッドDX」にYOSHIIがゲスト出演していた。 今この時期でのラジオゲストと言う事で、聴くのが怖い思いがして、 始まる前から緊張でドキドキしていた。 録音かもと思ったり。でも番組冒頭でのやまださんの「今夜のゲストは YOSHII LOVINSONです。」という紹介の仕方が「大丈夫かなあ?」とか 何だか遣り辛そうで、彼が登場するまで、いや、登場してからも、 ずっとハラハラしてた。やまださんにつられたかのような早口と1トーン高い喋りが 無理しているみたいで、二人の掛け合いに笑いながらも複雑な思いだった。 大雑把に要約すると、 「YOSHIIさん殆どのものが忘却の彼方に為って行くでしょ?前のバンドの事覚えてないでしょ?」 『いえ、覚えてます。(笑)』 『最初は「PINK」のタイトルだったのが、自分的に「飛ぶように」にしたいと 思ったから変えたいと思ったが社長に「間際で変えるな」と怒られて メールでスタッフに聞いてみてからとか言われた。最終的にカタカナの「トブヨウニ」に出来て良かった。 「TALI」も「TARI」かどちらかで喧嘩した。』 『バンドだとバンド全員がセッションするから、暗い曲やるのに根が明るい人がいると 遣り辛いでしょ。ヒーセなんか貧乏ゆすりしてた。』 『自分の暗かった事を歌にして聴いた人が「自分にもこんな事あるなあ〜」と 共感して貰えると良いと思ったけど、もうちょっと何か希望を感じられるものにして欲しいという 意見が多かったので、これからは気を付けます。』 曲の感想をメンバーから言われる事はあるのかと訊かれて 『ヒーセとは、良く電話しますねえ、ざっくばらんに褒めてくれるし、 ちょっとどうかなあと言ってくれたりもする。』 メンバーの事が気になるかと問われて 『気になる。でも気になるけど、もうみんな40近くのおやじを心配してもどうかかなあ。 色々複雑ですからねえ理解して頂きたい。』 今後の予定を訊かれて 『今はどんどん曲を貯めている。豊作だ。左門じゃないよ(笑)』 『ライブは来年やりたい。』バンド形式かと問われて 『勿論。ライブは一人じゃ遣る訳にはいかないからね』 解散について一言も触れていないと黄猿公式で嘆いている人も多かったけれど、 直接には言わずとも、YOSHIIさん言葉を選びつつ結構言っているじゃない。 やまださんは流石だなあ。この人がDJで良かった。 THE YELLOW MONKEY解散発表直後で大変な状況の真っ只中にいるYOSHIIさんを 上手く盛り立てて呉れていた。YOSHIIを「気さくなハンサム」とか「あの人馬鹿だもん」 「馬鹿な話をするのが好きな人だもん」と評してたのがとても嬉しかった。 この放送を聴けて良かった。やっと眠る事が出来た。 追記 今更解散ライブを開いて欲しいとは私は全然思わない。 けれど1月4日と1月8日のあの二つの「メカラウロコ8ライブ」は 映像として残すべきだ。大阪ドームだってカメラ入ってたじゃない。 東京ドームはWOWWOWで放送されたけど、ファンでさえ観れていない人は一杯いる。THE YELLOW MONKEYを知らない人にだって、映像として発売されれば 今からだって触れる事が出来るだろう。 これだけはどうしても叶えて貰いたいとオフィシャルBBSに書いてみたけど、 見事に反応無かった。皆、もう求めていないのだろうか? 意外だ。4人バラバラに為っている解散を決めた今の4人のLIVEなぞ何故 求める?私は、あの2001年休止直前に最後の気力を振り絞ってやり遂げた 彼らの勇姿を胸に刻みたい。 BOWINMANからの手紙 - 2004年08月03日(火) 何も知らずに、BOWINMANからの手紙の封を開けた。 予感など何も無かった。いきなり目に飛び込んで来た『解散』の 二文字に血の気が引いた。あれから5時間、まだ真空状態から抜け出せないでいる。 『THE YELLOW MONKEYは、2001年1月8日の東京ドーム公演終了後休止に入り、 各自ソロとして活動をしてまいりましたが、 2004年7月7日をもちまして解散することになりました。』 7月7日!?ひと月近くも前に『解散』が決められていたというのか? 私は、時間は掛かろうともTHE YELLOW MONKEYはいずれ必ず活動を再開すると 思い込んで来たから、今この時期に『解散』を発表するなど、 全く予想もしていなかった。 2001年1月8日の東京ドームから3年7ヶ月の時間の経過も、ヒーセとYOSHIIの 其々のソロ活動も表にはまだ表れては来ていない菊地兄弟の活動も 全て未来のTHE YELLOW MONKEY活動へ続く道だと思っていた。 一途に信じ続けて来た。けれど今思えば、活動休止発表前後から現在に至るまでの メンバー、特にYOSHIIのインタヴューやラジオでの発言で、たまに気になる発言が あったのも事実だ。気づかない内にそれらを無理やり封じ込め、「復活」を 思い込もうとしていたように思う。 何年後かに彼らは帰って来るのだと、その日を待つ事が私の支えだった。 YOSHIIは『期待を裏切ってしまったことを許してください』 菊地英昭・エマは『休止中、再活動を待っていてくれたファンの方々、スタッフの方々に 大変申しわけない気持ちでいっぱいです』 廣瀬洋一・ヒーセは『再始動を熱望してくれていた皆さん、 こういう結果になり誠に申し訳ありませんでした』 菊地英二・アニーは『再活動を心待ちにしていた方々の期待に添う事が出来ず、 申し訳ありませんでした。』 私達ファンは、待てと言われたから待っていた訳じゃない。 私達にTHE YELLOW MONKEYが必要だから待っている(いた?)んだ。 謝らないで下さい。 私達の願いがメンバーを苦しめ続けて来たのかと思うと、申し訳ない気持ちで一杯になる。 『活動休止』のまま実質『解散』という道もあったであろうに、今この時期での 「解散発表」は、メンバーの誠実さと優しさの現われなのだろう。 大阪ドームでロビンが言った「必ず戻って来ます」は、あの時本当にそう願っていたに違いない。 この3年7ヶ月間、ソロワークに取り掛かりつつもずっとYOSHIIは葛藤し続けて来たのだろう。 YOSHIIの『別れ際にみんなと笑顔で握手・・・心の底からの握手・・・凄く清々しい気持ちで みんなと別れました。』 この結論を出すまでYOSHIIが抱えて来たものの重さを思うと胸がつぶれる思いがする。 『逆に今は「この四人」だから無理なのかな?とも感じさせられました』という エマの文面に納得出来る自分もいる。 ヒーセの『このバンドで得た経験や感動は一生忘れられないものとなるでしょう』 アニーの『メンバーそれぞれのこれからの活動にとって、前向きな解散であったと思っています』の 言葉にも、本当に仰る通りだと思う。 THE YELLOW MONKEYに出会えた事、THE YELLOW MONKEYの楽曲は、 私にとって最高の宝だし、 この先ずっとこのバンドを好きな気持ちは変わらないだろう。 思い出にはしないし「好きだった」などと過去にはしない。 「今までどうもありがとうございました」なんて別れの挨拶はしない。 もしこの先いつか、「やっぱり4人で音楽をやりたい」とか 「4人でのLIVEの快感が忘れられない」とかで 出戻っても全然格好悪くないからね。我慢しないで良いんだよ。 もうじき夜が明ける。今日は泣かないでいられると良いのに。
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