ロマンティスト・テイスト...jovanna

 

 

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カヴァーを歌うこと - 2009年02月28日(土)

友川かずきが「朝日のあたる家」を歌っているというので聴いてみた。
「朝日のあたる家〜アヴァンギャルドヴァージョン」と書かれている。
どうやら英詩らしい。
というのも、今まで聴いたどんな「朝日のあたる家The House Of The Rising Sun」
とも違っていたからだ。
これがアヴァンギャルド=前衛というものかと思い知った。
アニマルズ、ボブ・ディラン、ジョーン・バエズ、
あのMUSEだって正しくMUSEの音になっていたけれど、メロディはちゃんと
「朝日のあたる家」だったし、浅川マキの「朝日楼」も、
大好きなちあきなおみの「朝日楼」も、歌い方の違いこそあれ
原曲は、ちゃんと形を保っていた。
でも、友川かずきの「朝日のあたる家」は、娼館の少年少女の
悲哀や故郷への郷愁なんて言葉で言い表せる程の生易しいものではなく、
パックリ口を開けた暗闇に呑み込まれそうな、そんなもの凄さがあった。
ドリフターズや氷川きよしが歌って良く耳にした「ズンドコ節」が
“ズンズン ズンドコ”と友川かずきが歌うと、
胸のうちがゾワゾワして来るようなエモーショナルな歌に変わっていた。
“明かりをつけましょ ぼんぼりに”の「ひなまつり」でさえ、
友川かずきの歌声を通して、雪洞の灯りがチラチラ
お内裏様とお雛様、そして段飾りのお人形達に
何やら妖しい・怪しい影を帯びさせ始めるようだ。
こういうカヴァーもあるんだね。

昨日UPされたムック逹瑯さんとの対談で
吉井和哉は、最近良く話題にしている『歌謡曲のカヴァーアルバムを作りたい』
という話で、『メジャーな曲ではあるけど、ロックの人はそれカヴァーしないでしょ!
っていう曲』の例として『城卓矢の「骨まで愛して」をカントリーで』
『北原ミレイの「ざんげの値打もない」や「石狩挽歌」をプログレで』と語っていた。
少し前から吉井和哉が「ジャズ」とか「ブルース」とか「洋楽」を
強調しているのを、実を言うと少しばかり引っ掛かりを覚えていた。
そんなにも洋楽コンプレックスに捉われているのかと。。。
けれど、今日この友川かずきの凄まじいカヴァーを聴いていたら、
何だかもうそんな小さな事なんて言ってられなくなった。
吉井和哉が思うように、演りたい音を鳴らして歌えば良いのだ。
好きに演り切ればいい。
「生きてさえいてくれれば」「歌ってさえいてくれれば」
新しく変化し続ける吉井和哉を自分が果たして
受け止めて行けるのだろうかと不安に為っていたのだろうと思う。
それでも、丸ごと全部を受け止める事ができなくても、
吉井和哉の音楽に触れられるだけで幸せなのだもの。
吉井和哉の紡ぐ音や色が描き出す世界のどこに自分が惹かれるのか、
その時自分はどう感じたのかを、
これからもひとつひとつここに記して行けたらと願う。






ありがとう絆と先々の長い願い - 2009年02月27日(金)

今この文章に出逢えた事は、必然であったのだと思う。

捨てることは、抱え込むことより更に大きな力を必要とする。
だからこそ、その場にとどまるのではなく未明のかなたに
自分を投げつける第一歩となり得るのだ。
そして、表現者にとってまず捨てなければならないものは、
自分の血であり肉である、故郷なのかもしれない。……
12世紀のドイツの哲学者、聖ビクトル・フーゴーの言葉にこのようなものがある。

「故郷を甘美に思うものは、まだくちばしの黄色い未熟者である。
あらゆる場所を故郷と感じられるものは、すでにかなりの力を蓄えたものである。
全世界を異郷と思うものこそ、完璧な人間である。」

故郷を甘美に思うものは、一度故郷を捨てたつもりになってもどこかに
「思い出」として抱え続ける。いつも自分の帰る場所を確保することで、
停滞してしまっている人のことだ。
あらゆる場所を故郷と感じられるものは、自分のよって立つ場所をどこにも求めず、
一度すべてを捨て切ることを知っているもののことだ。
そして、全世界を異郷と思うものは、本当の意味で他者とであったことのある人間である。
自分で自分を限定することなく新たなる世界へ、
自分を投げ出すことのできる勇気をもったもののことだと思う。
   「友川かずき/Live-MANDA-RA Special」   ライナーノーツ大関直樹


2001年1月THE YELLOW MONKEY最後のシングル「プライマル。」が出た時、
“VERY GOODだいぶイケそうだ
 旅立ったら消せそうじゃん
 今度は何を歌おうか?
 卒業おめでとう ブラブラブラブラ”

あっけらかんと“振りきったら飛べそうじゃん”と歌われて、
何だか肩すかしを喰らったような、そんな割り切れない気持ちをずっと抱いたままだった。
けれど、このライナーノーツの文章に出会って、そして「プライマル。」を思い浮かべて
聴いていたら、わだかまりがストンと落ちた気がした。
吉井和哉は、もう本当に『全世界を異郷と思うもの』に為っているのだろうねえ。
「全世界を異郷」といっても、変に片意地を張るのではなく、物事を新鮮に、
柔軟に受け止めて、おおらかに凛々しく歩き出す姿が目に浮かぶ。
「プライマル。」を本当に理解するのに8年も掛っちゃったわ。時間かかり過ぎ!(笑)





“ここ こきょう 見棄てられた夢よ” - 2009年02月22日(日)

「VOLT」発売までが長過ぎて、「聴きたいのに聴けない」という
フラストレーションが溜まっている所為だと思う。
雑誌インタヴューで語られる「VOLT」の曲達を語る
吉井和哉やインタヴュアー達の言葉が、もどかしくて
気に為って堪らないからだろう。
JAPANで語られていた、吉井和哉がひたすらHAPPYなレコーディング
だったという「VOLT」の音を自分がしっかり受け止められなかったら?
という不安に、勝手に追い詰められた気分に為っている所為かもしれない。
けれど、正直思って仕舞った。
「今年の夏、ジョシュ・フリーズやジュリアン・コリエル、
そして吉井和哉が素晴らしいと思うベース・プレーヤーやキーボーディストに
来て貰って、夏フェス出れば良いじゃないのと。
ハッキリ言っちゃえば、どれだけお金を掛けてだって、
フジロックへ出して貰えば良いじゃないの。
そうしたらキッチリ、カタを付ける事が出来るのじゃないかと思った。
でも私が芯から思うのは、それでは本当の解決ではないと思う。
THE YELLOW MONKEYの4人でなくては駄目だと思う。
時を重ねて経験を積んだ彼らが再び同じ夢を見る事が出来るように為った時、
またそこから新しい音楽を作り出せる状況が整った時、
それを世界に発信しようと決意出来た時、
その時初めて「フジロックのトラウマ」を克服する事が出来るのだろうと思う。
けれど、JAPANで『バンド』を強調している吉井和哉の言葉を
目にしていたら、どうにもこうにも何とも言えない気持ちに為った。
殆ど全部吉井和哉自身がギターを弾いて歌って、JOSH FREESEがドラムを叩き、
CHRIS CHANEYがベースを奏で、PATRICK SANSONがキーボードを弾く。
確かに「バンド感」なのだろうが、本当は、勿論「吉井和哉」のソロアルバム
であって、バンドでは無い。(山崎洋一郎氏も仰っていたけれど)
その辺のところを吉井和哉本人は、どう捉えているのだろう。
たとえ「架空のバンド」であろうとも、思い通りの音が得られて
満足なのだろうかなあ。
私は、その音をどう受け止めるのだろう。
山崎洋一郎氏や井上貴子女史が『最高級のロック』『大人のロック・アルバム』と
評しておられるけれども、私のアンテナは、どう反応すのだろう。
ここ何日か私は、第二次「友川かずき」ブームが来ていて、
「生きてるって言ってみろ」や「一切合財世も末だ」をヘビロテしている。
彼の歌に凄まじいマグマを感じている。
こういう嗜好の私が、吉井和哉の「VOLT」の電撃を感じる事が出来るのだろうか。




真っ赤でいて、醒めないで♪ - 2009年02月20日(金)

厨房の調理台の上に寝そべって魅せる吉井和哉がヤバい。
シンクにシャワーで水を注ぎこんでいる吉井和哉の
ドラゴンを覗かせた手首が艶めかしくて、堪らない。
「VOLT」発売まで、まだ25日もあるのに、
『鳴りましたねえ』『鳴っちゃいましたねえ。』とか
言ってるのを目にすると、待ち遠し過ぎて
ムカついて来ちゃったりもするのだけれど(笑)
山崎洋一郎氏の鋭く核心を突くインタヴューで、
吉井和哉が何故この新アルバム制作時からずっと、
「ブルース」と言っていたかの訳が判った。
『若干淡谷のり子さんも入ってるような』
『日本のブルースも混ぜた、吉井和哉のブルース』を、
ということだったのだねえ。
《吉井和哉にとってこの「VOLT」がどういうアルバムか》と
問われて、『もういいかな?』『もうないわあ!』と
発言していたのが、私には、一番大きく響いた。
「吉井和哉、大人に為っちゃったんだなあ」って。
「取り残されちゃったのかなあ」と。
まだ「VOLT」本体を聴いていないのだから、
判りっこ無い話なのだけれども(汗)
山崎氏が『前作で足枷の時代は終わって、
今回は依存からも脱けたという感じがすごくする』と
仰っているけれど、これは、物凄く大きな事だろうと思う。
『自分の中で、なにかのけりがついたのかなあ』と
吉井和哉自身も認めている。
『もう悲しいのは当たり前だったんだけど。笑って弾きましょう、みたいな』
だそうだ。
山崎氏が『海外のロックのようだ』と感じた、そういう作品を
『日本でリリース』するのだ。
《ソロ・吉井和哉の『SICKS』ではあるけれど、吉井和哉側から見た時に?》
いわゆる日本の音楽シーンに、どう受け止められるのだろうねえ。
まあ、私にとっては、セールス的にどうあろうとも、
吉井和哉が自信を持って送り出して来る新アルバムを
ちゃんと自分自身のアンテナでズギュン!と
キャッチ出来るかどうかという事が重要なのだけれども。
井上貴子さんが書いてらっしゃる
『大人のロック・アルバム』というものの凄さを
自分も感じ取れると良いな♪





ハビタブルプラネット 生命を育む惑星 - 2009年02月19日(木)

別冊カドカワ「布袋寅泰」特集号
吉井和哉「VOLT」インタヴュー
有賀幹夫氏撮影のモノクロフォトの吉井和哉が滅茶苦茶格好イイ。
共同プロデュースでエンジニアのジョー・バレシとやれたことが大きかった。
『音楽的な波長も合うし、僕の中にあるブリティッシュな部分も
歌謡曲の部分も理解してくれるので安心感があった
新作の特徴・・・バンドサウンドにこだわった。
歌とギターは吉井和哉、ベースはクリス・チェイニー、ドラムはジョシュ・フリーズ、
曲によってキーボードやギターが加わるという固定したメンバーでのレコーディング』
『バンドという形をしっかり見つけていかないと、先に進んで行けない。
バンドというものについて再認識した』
2曲目のフロリダに“アメリカで本当のロックが鳴っちゃったんだよ”
という歌詞があるそうだが、
ソロになってから《右往左往して試行錯誤しながら》
《一時期は嫌いだった自分の歌い方の癖、バンド時代によくやってた歌い方も
芯を持ちながらできるようになった》
年末の武道館にEMMA(菊地英昭)が出たことについて
《武道館での一番の目玉は『CREEP』『天国旅行』『シュレッダー』ト言う流れで、
ここを表現するにはEMMAがいないと無理だった。・・・
イエローモンキーの情で一緒にやったわけではなく、
普通に必要なミュージシャンとして出て貰った。》
ソロになってから吉井和哉の口から初めて「何故EMMAを」の訳を聞けた!
「VOLT」収録の各作品についても、少しずつ語られているのだけれど、
それぞれ興味深い言葉が載せられている。
発売まで、まだ1か月もあるなんて辛過ぎる。
本当に焦らし過ぎなんだから(笑)
吉井武道館で披露してくれた『SNOW』についての言葉が深く心に残った。
《『SNOW』の歌詞は当初、若い頃の自分の恋愛を思い出して書いてたが
人は結局、同じ生まれ変わりの人としか出会わないのかもしれないなって思って》
《人間の魂ってどこにあるんだろうと考えながら》
《この2曲(「ビルマニア」と「SNOW」)は、自分の中で繋がってる。
地球が凍ってた時代があって、スノーボールアースというのだが、
その氷を溶かしたのが地球自らのマグマだった。噴火して溶かした。
そうやって凍ったり噴火したりして、地球も生まれ変わっている。
人間も同じじゃないかと思った。人間関係も文明も繰り返していく。
大昔、ビルが立っていたかもしれないけれど、またゼロに戻っていく。
そこが今回のアルバムのテーマ。》だと吉井和哉は、述べている。
《スノーボールアースの氷を溶かすのは、内面のエネルギー、
ボルテージだってことで『VOLT』にした。思い付きで付けたけど、
�垢�5枚目だからちょうど良かったかな》
昨日この別冊カドカワを読まれたお友達から、
この「スノーボールアース」というキーワードを教えて貰って、
自分なりに色々考えていた。
まずこのスノーボール現象というものは、
約23億年前と8〜6億年前、銀河の内部で無数の恒星の誕生と死滅が起き、
大量の宇宙線が地球に降り注いだ。
その為地球上の雲の量が急増し寒冷化が起こり、
地球はすべてが凍結されていたというものなのだそうだ。
大量に降り注いだ宇宙線は雲量を増大させるばかりでなく、
生物の遺伝子の突然変異を進め、約20億年前に起こった真核生物の誕生や
約5億5千年前のカンブリア紀の進化の爆発の起因になったのではと
考えられているのだという。
スノーボールアースは一気に凍り、そして一気に溶けたらしい。
溶けて生まれてまた凍って・・・
地球が生きている間中、私達の魂もずっとそうやって
繋がっていくのかもしれないね。
監督・吉井和哉が語る「ビルマニア」MVで、
《山田くんへのリクエストは「芹沢多摩雄でお願いします」》
だったというのが、非常に吉井和哉らしくて面白かった。
同じ遺伝子を感じただけのことはあるわね♪
山田孝之さんのコメントが、とっても情に溢れてて、益々好感が湧いた。
良い出逢いがあって良かったね!

《ストックがたくさんあって・・・ボツ曲も・・・記録されているんですが、
今だったら全然再生できるよっていう自信がある。
どんなガラクタでもピカピカにしてやるから来い!って(笑)》
この言葉が一番嬉しかった。
痺れました♪




吉井和哉版歌謡曲カバー? - 2009年02月15日(日)

from YOSHII KAZUYAの更新が
『もしわたしが歌謡曲のカバー集を作ったら興味ありますか?』
というものだった。
この質問がUPされたのが今日の日付に変わったばかりの頃で、
それ以降モバBBSでは、会員たちの、
「賛成!是非この曲を」の数々、そして中には、
「吉井和哉のオリジナルにしか興味ない」、
「安易なカバーに為って欲しくない」等など、様々な意見が殺到した。
私は、と言えば、『吉井和哉自身が歌いたい曲をどう選び、
吉井和哉がどのように表現するかが興味深い』と書きこみつつも、
ちあきなおみの「朝日楼」と阿久悠が作詞し井上忠夫が歌った
「水中花」を吉井和哉が歌ったならどうなるものか是非聴いてみたいと
お願いして仕舞った。
大勢のファン達がそれぞれの意見を述べる中、
お昼の2時に為って、吉井和哉からの新たな書き込みがあった。
まず『VOLT』発売前であるにも関わらず『変な質問をしてごめんなさい』と
謝って下さっている。(別に謝らなくて良いと思うけれど)
『ずっとやりたい曲が何曲かありまして』
『VOLTみたいな音で「歌謡曲を元ネタである欧米に逆輸入した」
みたいな形で洋楽的にアレンジし直せたら、面白いかなぁ』
……思い出した!
もう10年以上も昔に、これと同じような事を吉井和哉は、既に発言していた。

歌謡曲完全攻略ガイド【’68-’85】という本の巻末に
吉井和哉インタヴューが掲載されている。
95年から96年にかけて吉井和哉がDJを務めていたオールナイトニッポンで
“吉井和哉文庫”というコーナーがあった。
『吉井和哉のオールナイト・ニッポン』(95年10月〜)でかかった曲の一部
石橋正次/夜明けの停車場
ファースト・チリアーノ/私だけの十字架
チャーリー・コーセー/ルパン?世その1(エンディング)
ペドロ&カプリシャス/ジョニイへの伝言
あべ静江/みずいろの手紙
郷ひろみ・樹木希林/林檎殺人事件
フィンガー5/恋の大予言
弘田三枝子/人形の家
水前寺清子/ありがとう
フォーリーブス/急げ!若者
豊川誕/星めぐり
西城秀樹/ブルースカイブルー
堀江淳/メモリーグラス
岸田智史/きみの朝


この他、文中には、『キューティー・ハニー』のエンディング「夜霧のハニー」
『ガンバの大冒険』のエンディング、「白い蝶のサンバ」森山加代子、
『エメラルドの伝説』テンプターズ、『花の首飾り』タイガース、
山口百恵、作曲家・山下毅雄、アレンジャー・馬飼野康二・・・への
吉井和哉の思い入れがたっぷり語られている。
吉井和哉にとって、『歌謡曲は血みたいなもの、つまり細胞として体に入ってる』
のだという。
吉井和哉は、歌謡曲の構成に惹き付けられるのだそうだ。
『曲展開がずっと聞いてきた洋楽にはない展開なの。唯一グラム・ロックというか
シアトリカルなロックと呼ばれるものとは近いんだけど。で、これだけ構築されてる曲展開って
いうのは何なんだろうと研究してて、確かにロックとしては成り立たないんだろうけど、
これをロックに変換させることは可能だっていうのを、確かめるために歌謡曲を聞いてました』

この頃から考えていた、歌謡曲の元ネタとしての洋楽を今の吉井和哉が
音を鳴らし歌う事で新しく輝かせることが出来るのじゃないかな。
『オリジナルアルバム以上に濃い世界が頭の中で鳴っちゃってるんです』
素晴らしいなあ!
3年以内にって、何て頼もしいのだろう。早く音を聴かせて下さい!
この本の中で吉井和哉は、
『僕が好きな昭和40年代の歌謡曲っていうのはすごくしたたかで、
危険なものだと思うんです。・・・したたかであり残酷、かつすごく温かくてバカなものだと
思うんですよ。聞き手をまっしぐらにドン底に落っことしてくれる感じとか、禁止用語で
人を野次ったりする豪快さとか、おセンチなところはとことんセンチにさせちゃうところとかね。』と
語っていた。
これって、正に吉井和哉の音楽そのものだと思える。
皆で《一緒に愛していけたらいいなぁ》♪




ドラゴンの宝珠 - 2009年02月14日(土)


今日は、吉井和哉さんの右手首のドラゴンちゃんの2歳のお誕生日だ。
あの時は、「あの白くて綺麗な吉井さんの肌に刺青なんて!」と
驚いたものだけれど、一番最初にあのドラゴンを目にした時には、
「線彫りだけ?何だか格好が変かも?」などと思って仕舞って
本当にごめんなさい、と思うほど、吉井和哉の右手には、
無くてはならない位に大事な存在だと思えるようになった。
大きく翼を広げ、3本鉤爪の腕でしっかり掴んだ宝珠は、
何の象徴なのだろうね。
当時吉井和哉は、『このタトゥーは、「戒めのタトゥー」で、
「いろんな意味で悪い癖みたいなものを封じ込めていて、
我が強い部分とかのバランスをとってくれる」という意味がある。』
と語っていた。
後に自伝「失われた愛を求めて」が出版されてから、
あの時吉井和哉が語った意味を理解出来るようになった気がする。
吉井和哉の音楽著作権の出版者名は、「3CLAWS DORAGON」だ。
アーティスト吉井和哉の才能の源、マグマ、愛の源泉でもあるかしらね♪

ところで去年Dragon head Miracle tourの始まりを記念して購入した
このドラゴンストラップのラブラドライトの珠を失くして仕舞った!
《ラブラドライトの放つ光は、銀河系の他の惑星から地球上で
この石を持つ人に発せられたある種の情報であると言われている》そうで、
幻想的な青や黄緑の輝きをもの凄く気に入っていたのになあ。
本当に残念だ。
私だけのドラゴンのお守りをまた見つけようっと。




Talking Rock! 2009年3月号 - 2009年02月06日(金)

発売日の朝に届けて下さってありがとうございます。
通販で申し込んでおいて本当に良かった!
表紙巻頭20ページにもわたる特集記事に感激だ。
セピア色のフォトが凄く良い。
「NO PHOTO PLEASE」って張り紙の前ですまして映っていたり、
ソファに凭れて柔らかく笑っていたり、頬杖ついていたり。
吉川尚宏氏の取材を受けたのが、2000年8月以来だということで、
その間の吉井和哉について、じっくり聞いて下さっている。
THE YELLOW MONKEY活動休止を決めた経緯、休止後の心境、
ソロ活動開始の頃の状況、YOSHII LOVINSONという名義にした理由、
デビューアルバム「at the BLACK HOLE」そして2nd「WHITE ROOM」、
THE YELLOW MONKEY解散を決意した訳、YOSHII LOVINSON名義の封印と
「吉井和哉」活動開始、「39108」から「Hummingbird in Forest of Space」へ、
この4thアルバムとその後のツアーで吉井和哉が掴んだものの大きさという事を、
これだけの時間の流れの中で浮かび上がらせてくれた。
先日の「bridge」インタヴューでは、やはりどことなく吉井和哉が
渋谷陽一氏のカウンセリングを受けているという印象があったけれども、
今回のこの「Talking Rock」では、上からの視点ではなく、
判り易い言葉でお互いが会話しているという印象で好ましかった。
「VOLT」についても語ってくれているけれど、
それぞれの曲についてところどころ歌詞も挙げられているのが
非常にもどかしい。発売まであと40日もあるというのが
じれった過ぎる。本当に凄いアルバムに仕上がっているのだねえ。
焦らし過ぎだわ♪

裏表紙には、タワーレコードの「NO MUSIC,NO LIFE?」ポスターが掲載されている。
タワレコブログに載っているポスターとは少し図柄が違うのだね。
何種類あるのだろうか。
『今はとりとめのない時代だけれど、本物の音楽は、
人々のまぶたの裏に光を見せる。』吉井和哉
格好イイ!




「VOLT」詳細告知 - 2009年02月05日(木)

「VOLT」詳細が発表された。
初回限定盤、アナログ盤にポスターが封入されるそうだ。
《初回限定盤、アナログ盤に封入されるポスターのヴィジュアルは異なります!》
昨日、モバで吉井さんから「VOLT」のジャケットのお知らせがあって
小学6年生の時に書いた富士山の油絵を下地にして、
『レコーディングで使ったギターやスピーカーや、
プロデューサーのJOEのスタジオのドアとかをコラージュ』したという
そのジャケットがあまりにエキサイティングなので、
もう吉井和哉自らが『名盤オーラバリバリ』という事が
ジャケットからして一目瞭然だ!
【初回限定盤DVD】
「YOSHII BUDOKAN2008」
01. ビルマニア
02. I CAN BE SHIT, MAMA [THE YELLOW MONKEY]
03. Do The Flipping
04. 黄金バッド
05. SIDE BY SIDE
06. ルーザー
07. BLOWN UP CHILDREN
08. NAI [THE YELLOW MONKEY]
09. CALL ME
10. TALI
11. 天国旅行 [THE YELLOW MONKEY]
12. シュレッダー
13. SNOW [新曲]
14. バッカ
15. WEEKENDER

「ビルマニア」VIDEO CLIP
「ビルマニア」の作り方(MAKING&INTERVIEW)
「VOLT」SPECIAL INTERVIEW
トータル約117分収録!!

「崖の上のポニョ」は、権利関係で難しいだろうと
案じていたが、アンコール全部がカットされているのは、
とても残念だ。
「くちびるモーション」や「見てないようで見てる」 [THE YELLOW MONKEY]が
凄く格好良かったのになあ。
「ビルマニア」メイキングと「VOLT」インタヴューは、有難い。
このお値段でこのDVD特典というのは、本当にお得だよね。
こうなると尚更、シングル・アルバム連動キャンペーンレアCDが貴重になってくる。
是非とも聴かせて頂きたい!




“痛みが好き” - 2009年02月04日(水)

何故こうまで吉井和哉が発した「復讐」という言葉が
気にかかるのか考えてみた。
きっと、私の中に封じ込めた傷が疼くからだ。
「SWEET CANDY RAIN」が発売されて以降、
“もう誰のせいにもしない”って改めて心に誓ったし、
過去の出来事や人を恨むだり悔んだりする事は、
もうないと自分では思っていた。
けれど、過去の自分自身も含めて、
まだ私は、全てを赦し切っていないのだろう。
だから「復讐」という言葉に、ここまで反応して仕舞うのだろう。
「痛み」・・・
思えば私が一番最初にTHE YELLOW MONKEYに出逢った
曲「太陽が燃えている」も、ただ太陽の陽の光に充ち溢れた
爽やかな明るい歌だったなら私は、惹き付けられはしなかったろう。
痛みと切なさがギュッと詰まっているからこそ、
当時の私のアンテナがキャッチ出来たのだろう。
「GIRLIE」に
“「真実なんてロープじゃ縛れない
 痛みが好き ウソつかないの」”という歌詞があるけれど
その通りだ。
気づくと私は、THE YELLOW MONKEYやYOSHII LOVINSON、吉井和哉の曲の中で
痛みを色濃く感じる曲達が大好きなのだった。
それらの曲達を聴くことによって、自分の傷が刺激され、痛みを覚え、
そしてそれらの曲達に癒されていくような錯覚に陥り安堵して。
それは決して真の「癒し」では、ないのだろう。
だって傷は、以前として胸の奥底に大事に仕舞ってあるのだから。
他者をそうして自分自身をも、本当の意味で
“赦す”とは、どういう事なのだろう。
どうしたらこの「痛み」と折り合いをつける事が出来るのだろう。
傷は傷のまま、無理に塞がなくても良いものだろうか。
「SIDE BY SIDE」のように
“そこ縫ってここ縫って”下さらないかしら♪





復讐するは我にあり - 2009年02月03日(火)

「ビルマニア」オリコンウィークリー第四位おめでとう!
今日昼前に吉井和哉自ら
『皆さんのお陰でビルマニアがオリコンウィークリーで
4位でした➚➚➚➚・・・本当にありがとう。』と
書き込みがあって、仰る通り、TV出演やラジオ出演、
雑誌での露出もあまりなかったにも関わらず、
その上CD屋さんで品切れを起こして仕舞ったという状況でも、
4位という結果は、本当に素晴らしいと思う。
山田孝之さんのPV出演や、シングル・アルバム連動特典の
キャンペーンがあると良い事を考慮しても、
この「ビルマニア」という曲そのものに、
大きな力があるのだと思う。
沢山の人の心に「ビルマニア」が響いて良かったね!
でもね、本当に変なところに拘っちゃう私で申し訳ないのだけれども、
『注文しなかったCD屋さんをいつか絶対見返そう』
判ります、そういう気持ちは。
でも「ビルマニア」の
“踏みとどまらずあいつを絶対見返そう”の「あいつ」って
自分自身のことですよね?
弱かった、優柔不断だった過去の自分自身を指しているのかなと
思っているのだけれど。
実を言うと、「bridge」での『フジロックに限らず、いろんな人への、
言葉悪いけど復讐はあるのかもしれない。
ま、そんな歌詞ばっかりだから、次のアルバムは(笑)』という
言葉に、少しばかり引っ掛かっている。
過去の納得いかなかった事柄に、落とし前をつけるのは大賛成だけれども、
そのことに「復讐」という言葉を使うのは、やっぱり好きじゃないな。
聖書に
『愛する者よ、自ら復讐するな。 ただ神の怒りに任せまつれ。 
録(しる)して“主いい給う。 復讐するは我にあり。 我これを報いん”と』
と記されている。
この「復讐するは我にあり」の「我」とは、「神」を示している。
決して人間を指しているのではない。
《悪を行なった者に対する復讐は神がおこなうものであるから
人間が勝手にそれをすることは許されない》という意味だそうだ。
“神による復讐”とは、悪を犯した人間が罪を認め、
その罪をその罰を従容と受け入れていくまでの過程なのだろう。
最近特に良く感じている事だけれど、
「我こそは正義だ」と思う傲慢さ、
「自分の価値観に合わないものを排除」しようとする集団の怒りのパワー、
これらは、本当に危険だと思う。
私は、やっぱり色んなものにそっと心を寄り添わしていけたらと思う。
心を揺らしながらでも、緩やかに穏やかに。
綺麗事と謗られようと、きっと「最期」は、微笑んでその時を
迎えられるように。





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My追加

 

 

 

 

INDEX
past  will

溶けた砂
時の谷間