晴れも褻も
〜ハレもケも、と読みます。私らしいかなと。
- 2009年08月17日(月) サン・サーンス 交響曲第三番 オルガン付き
他人の期待に応えるということ
親の期待に応えるということ
もうすぐ30にもなるのに、って言われるかもしれないけれど、
時折ある
「あなたはお母さんとの約束を守らなかったから」
という言葉に鬱々とした気持ちになる。
開き直ることもできないし、かといって今から改めて約束を果たすこともないと思う。
私は頑張るべきときに頑張らなかったんだなぁ、
じゃぁ、今から、どうしたらいいんだろうと右を悩み、左を悩み、
更にいえば今から進みたい方向にあのひとは不満を言うのだろうと思ってもしまえば
もう何もかもいいじゃないかと振り捨てたくなる。
人と比べることで自分の位置を確認するんじゃなくて、自分がどうかで認識するべきでしょう、
そう思ったところで暖簾に腕押しだろうと黙ってしまう自分もいる。
女性は選択することができる。
すなわち、仕事を続けることと、仕事を辞めることと
続ければ続けたで、「子供が不憫だ、かわいそうだ、あなたのエゴだ」という(たぶん自分の)視線に出会い、
辞めれば辞めたで、自分が作ってきたものはいったん捨ててしまわなければならない
(母との「約束」を守れば捨てることにはならないというのだけど、どうだろうと思う)
選べるということは、そこに責任を持つということだ
まだ結婚するわけではないけれど、その先にある母との関係を思うと、
今からもう泣きたいような気持ちになる。
おかしいなぁ、私はちゃんとした大学を出て、ちゃんとした会社に勤めて、ちゃんと働いているじゃないか
それじゃいけないんだろうか。
どこかで自分を否定する気持ちを感じながら生きていかなければならないんだろうか
私は要所要所で手を抜いてきたから仕方ないんだろうか
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読み返して思ったこと
もう、諦めればいいじゃない
母が望んでいることは私が幸せになることだと、そっちだけを見ればいいじゃない
頑張らなかったことのツケが定年を迎えるまでに訪れるのならば、
その中で頑張って、(頑張らなかったことへの)責任を取っていけばいいじゃない
それでいいんだと
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