LORANの日記
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| 2004年05月31日(月) |
世界の軍事費でできること |
メルマガの記事をコピーしました。 私たちが本気で子どもたちの未来を考えるなら、軍隊を廃止するだけでいいのです。 それができないのは、私たちは自分自身が無力と信じているからです。 今回の人生でまた失敗して、後悔しないようにするためには、自分自身の無力化を やめなければなりません。 自分自身が自分の人生を創造していることを信じ、創造に責任を持たなければなりません。
◇世界の軍事費総額(7980億ドル)でできること
●途上国(重債務貧困国)の債務をなくす、、、、4010億ドル アフガニスタンカンボジアなど「低所得国」61カ国の対外債務は4010億ドル。ベトナム、エチオピア、ソマリアなど「特に借金の返済が困難な国(重債務貧困国)」は40ヶ国の対外債務は約2200億ドル。巨大な債務がなくなれば、医療や保健、福祉などの国内での整備も可能になる。 ●世界中の兵器を廃棄する、、、、、、1720億ドル ・核兵器の廃棄 600億ドル ・化学兵器の廃棄 500億ドル ・化学兵器に汚染された地域の環境浄化 500億ドル ・通常兵器、小型兵器の廃棄 120億ドル (米モントレー国際研究所資料) ※アメリカの軍事費のおよそ半分で全ての兵器を廃棄できる。
●世界のすべての埋まっている地雷の撤去、、、330億ドル 現在世界中にある地雷は1億1000万個。地雷1つを除去するために300ドル以上かかる。 世界中の全ての地雷を除去するためには、最低330億ドルあれば、可能。 アフガニスタンの国内の地雷は1000万個、30億ドルで除去できる。 ●すべての地雷被害者に義足などを贈る、、、約3億ドル 地雷による被害者は25万人(死者を含めると50万人) さらに毎年2万5千人の犠牲者が出ている。 2億5千万ドルでこの人たちに義足を贈ることができる。 ●アフガニスタンの復興 、、、、、250億ドル (UNEPなど) アフガニスタンの難民は、国内外合わせて、750万人。 この人々も含め、全てのアフガニスタンの人々が安心して生活できる ようになるためには、 250億ドルが必要といわれている。 日本の軍事費の約半分、アメリカの10分の1でこのことは可能になる。 ●世界の飢餓に苦しむ人(約8億人)の1年分の食糧援助、、、980億ドル (国連世界食糧計画)
●世界中の約2000万人の難民支援用テントや毛布を援助、、、1億ドル (国連ユニセフ他)
●世界中の人々に基礎的な教育を受けさせることができる、、、60億ドル (ワールドウォッチ研究所)
●世界中の子供達をビタミン不足による失明から救う、、、、2千万ドル (国連WHO) ●世界中の人々に安全な飲み水と下水設備を提供できる、、、90億ドル (ワールドウォッチ研究所) ●世界中の女性の出産に関わる保健衛生費として、、、、、120億ドル (ワールドウォッチ研究所)
●世界中の砂漠化の防止、、、、、87億ドル (国連砂漠化防止条約)
2001年度の主要各国の軍事費 グラフ作成:環境総合研究所

日本の軍事費は約5兆円です。(国民一人当たり約4万円です。)
� .▲瓮螢�による捕虜虐待に対してEUとラテンアメリカ首脳会議が非難
メキシコのグアダラハラで二十八日開幕した第三回欧州連合(EU)・ラテンアメリカ首脳会議は、米軍によるイラク人虐待を強く非難する最終文書「グアダラハラ宣言」を採択しました。 五十八カ国の首脳が合意した宣言は、「イラクの収容所で拘束者に対して行われた虐待という事実に憎悪を覚える。こうした虐待は、ジュネーブ条約をはじめとした国際法に違反する」「あらゆる虐待、拷問、その他の非人道的待遇を強く非難する」とのべています。
�▲縫紂璽茵璽�・タイムズ紙、イラク戦争発端となった記事を訂正
二十六日付のニューヨーク・タイムズ紙は、「タイムズとイラク」との見出しで、米英によるイラク侵攻前に同紙が大量破壊兵器の問題などで間違った報道をおこなっていたとして釈明する記事を掲載しました。 ニューヨーク・タイムズ紙は、イラク戦争前の問題の記事の多くが、チャラビ・イラク国民会議(INC)代表ら反政府亡命者の情報に基づいて書かれたものだったと告白。「正確ではなく、あってはならないものが幾つもあった」として、記事を書いた記者だけでなく、編集者にも責任があったとしています。しかも、その後の取材で間違いが分かったのに修正してこなかったとしています。 間違った報道としているのは、二〇〇一年十月二十六日付の、イラク国内にテロリスト訓練所と生物兵器製造所があったとする記事、同年十二月二十日付の、バグダッドのサダム・フセイン病院地下に大量破壊兵器の施設が存在するとの亡命者の話を伝えた記事、二〇〇二年九月八日付のフセイン政権は原爆製造を模索したことを伝える記事など五本です。
開戦1年を迎えたイラク戦争の、先日発表されたアメリカ兵戦死者数は706人です。
706人のうち、ブッシュ大統領が大規模戦闘の終結を宣言した昨年5月1日以降に511人が死亡。戦闘による死者も終結宣言前が109人だったのに対し、宣言後は398人。先月4月だけで99人です。
サダム・フセイン大統領を逮捕すれば、戦争は終結するとアメリカは思っていたでしょう。 しかし、そうならなかったばかりでなく、かえってテロ攻撃は増加しています。 アメリカの考えが誤っていたことを証明しています。
アメリカは国連を動かして、アメリカ支配に応じないイラクに経済制裁を課しました。 この14年間の制裁という経済封鎖により貧困層や老人、幼児が最初の頃だけで100万人も死亡したと伝えられます。この制裁に日本も当然、加担しています。
クエートへのイラク侵攻をそそのかしたのはアメリカだとも言われています。 相手を自分の土俵へ引き出して叩こうという策謀でした。
今回、米英連合軍のイラク統治の委譲について論議がされています。
日本はイラク駐留の理由を作ることに熱心と伝えられています。
道路建設など土木工事会社のような業務でイラク復興を支援していると言っています。 戦場へ正規軍が来て安全な仕事に専念しますというのですから、現地ではこのような一人よがりな理論をあきれて、冷ややかに見ています。
でも、お金を支援してくれる国ということで断るわけにもいかないのが本音です。
いま必要なのは治安の回復と難民対策で、危険が伴うのは当然です。 ボランティアで若い女性が単身、命がけで活動していることの方を評価しています。
この戦争で、イラク国民が日本を尊敬してくれるかどうかは、とても疑問です。
1868年の明治維新からバブル経済の1980年代まで、日本は近代化を目指して努力してきました。対ドルの円レートが戦後360円の固定レートから200円を割り込むようになりました。 欧米に追いつけと100年間以上に渡り、政官一致してがむしゃらに奮闘した成果でした。
国民所得も西ドイツを抜いて、アメリカに次いで世界代2位に躍進し、テレビ、エアコン、マイカー、住宅等生活物資も豊かになりました。
1989年にはベルリンの壁が市民の手で壊されると、ソ連が崩壊しドイツが統合されました。
日本ではバブル経済が崩壊し、戦後最大の大不況時代が到来しました。 銀行、保険、証券会社など金融機関が相次いで倒産整理されたのは記憶に新しいです。
これは第1次大戦後の世界恐慌時に酷似した状況です。 当時は今ほど政府・日銀の支援介入がなかったので恐慌に突入しましたが、今回も政府・日銀の支援介入がなければ凄まじいパニックに陥っていたことは想像に難くありません。
以上の流れを見ていると、歴史の流れが大きく変わったことに気づきます。
国、民族、宗教などに束ねられた時代は終わったのでしょう。 決められた箱の中に自分の位置を求め、適合して生存しなければならなかった時代は終わりました。
いま、これから始まる時代は、人類がまだ歩いたことのない世界です。 人が人として生きる時代、人が尊厳を持って生きる時代が始まります。
今まで屈辱に耐えてきた人たちには、努力が報いられる世界が待っています。
今まで他人を搾取し犠牲の上に快適を享受してきた人たちは、それを取り上げられます。
これはイエスが言った言葉どおりです。 貧しい者たちは富み、お金持ちは貧しくなると。
価値観が大きく変わり、なにを信じていいかわからない人が急増するでしょう。 新しい価値観になれるまでは、試行錯誤が繰り返されるでしょう。 それも10〜20年間のうちには、収斂されていくことでしょう。
農業や漁業、林業などは見直されて繁栄するでしょう。
銀行や保険、証券など金融サービスは大きく衰退するでしょう。
自衛隊・軍隊や警察は最小限にまで縮小されるでしょう。
病院は来院する患者数が激減して、経営が困難になり減少するでしょう。
学校は高校以上は目的意識で選ぶことになるでしょう。そのために、中学卒業後、 低開発国で2年間のホームステイのボランティアが義務付けられるでしょう。 その費用と高校、大学、大学院の授業料は完全に免除になるでしょう。
いま、日本人が基本においている考えかたは、無残にも否定されるでしょう。 「平等主義」という幻想は終わりです。誰もが100mを10秒0で走れません。 誰もがスーパーモデル並のサイズではありません。誰もが視力2.0でもありません。
学歴は何の価値もなくなり、何ができるか、何を提供できるかが問われるでしょう。
個人には個人の良さがあり取り得があります。それを発揮すればいいのです。
人が個として生きていくためには、自分の責任能力、生存能力と他人への献身が求められます。
自分の利益だけを主張してきた人たちは、大きな試練を通らなければなりません。
私たちは真実を知っているのでしょうか? 真実に基づいて判断しているのでしょうか?
そう聞かれたら、殆どの人が「いいえ」と答えるでしょう。
それなら、真実を知る努力を毎日しているでしょうか?
新聞を読むとか、テレビのニュースを見ると答える人が多いでしょうね。
それでは真実を知ったことにはなりません。 そこには新聞社・テレビ局の思惑(おもわく)や取材者の主観が入っているからです。
真実を知るためには、現場へ行き自分の目で確かめる方法が一番です。 なぜ彼らがそう思い、そう行動している原因を知ることができます。 それでなければ、現地在住の方に聞く以外にはないでしょう。
ここに1冊の本があります。 9・11同時多発テロ以後のパキスターンでの生活を20年以上現地在住の日本人女性が 日記風に書き綴ったものです。アフガニスタン空爆の現地の様子もリアルです。
表紙にデモ風景があります。 アサマ・ビン・ラディン氏の大きな写真がプラカードへ貼ってありますが、とても やさしい顔です。(ブッシュ米大統領の悪党面とは全くちがいます。) 彼は宗教者(イスラム教)ですし、アラビアの名家の出身です。 単なるテロリストではないと思います。彼らにとっては聖戦なのでしょう。
9・11同時多発テロだけで、アメリカが中近東ほかでやってきた支配と犠牲を免罪にはできません。ニューヨークでは5000人でも広島では20万人以上の犠牲者です。
イスラム教国は中近東からアフリカ大陸に多くあります。 第2次大戦が終結するまで、そのほとんどが西欧の植民地でした。 大戦後は、アメリカとソ連の冷戦の影響下にありました。 ソ連崩壊後は、アメリカの経済・軍事力による世界支配の中にあります。
そこに暮らす人々が、自分自身の自由な活動を希望しても権力が妨害します。 権力はアメリカに隷従して、自分の利益を獲得しようとする連中ばかりです。 もっとも、そうしなければアメリカに潰されてしまいます。
マスコミは権力に抵抗すれば圧力をかけられてしまいますし、取材も制限されます。 つまり、お上に対しては服従せざるを得ません。商業紙の泣きどころです。
真実を知ることを権力は望みません。 そんなことになったら、支配構造は崩壊してしまいます。
「知らしむべからず、依らしむべし」(真実を教えてはいけない、依存させろ) 江戸時代の言葉は、いまも真実です。
参考図書: パキスターン発 オバハンからの緊急レポート 督永 忠子著 創出版
今朝は4時半ごろ起きて海岸へ行きました。 早起きの漁師さんたちは、海岸から100mも離れていないところで網を入れていました。 雲の上に太陽が昇ってきました。 この瞬間がとても荘厳な気持ちになります。 早起きした人だけにプレゼントされた至宝と思います。
約2年前に作った曲がありました。 作詞がいまいちぴったりしなかったのですが、今朝、完成しました。
「船出」 作詞・曲 LORAN
伝えてよ 風よ 明日に すべての綱を 放して かもめに 別れを告げて いま 船を出す
マストへ 白い帆を上げ 朝日が 船を包んで わたしは 光に溢れて 舳先に 立つ
星が 夜空を満たすと きらめきの音が 聞こえる すべてを祝う 歌声 夢路に 誘う
愛の歓びに 輝き 光の世界 目指して 自分を 愛し信じて 船は行く
「 どれだけ他人を喜ばすことができたか、 失意にある人間をどれだけ励ますことができたか たった、これだけなんや。 これだけできた人間はみんな百点満点もらえる資格がある。」 昨年9月逝去された青木雄二さんの本(絶筆)を読みました。 「ナニワ金融道」で講談社漫画賞をとり、その後手塚治虫賞も受賞しました。 青木さんはとても正義感が強く、勉強熱心な方で講演やエッセイを発表してマルクスの 伝道・啓蒙に活躍されました。 58歳の人生を存分に生きられたと思います。
青木さんの本の中でとても鋭い指摘がありました。
「資本主義のご主人様はお金自身や。資本家も厳密な意味では主人公ではない。 例えば1000万円の資産を持っていても、厳密な意味で持っているのではない。 1000万円の資産が、ある人間を「自らの管理者」として雇っていると言えます。 その人間が死ねば、その資産は自身の管理者を代える。ただそれだけのことや。 人間はいずれ死にますが、お金は決してこの世からなくなることはないということや。」
「競争原理は少数の富める者と、多数の貧しい者を必ず生み出します。 それが資本主義の恐ろしさや。資本という怪物がやがて人間の手に負えなく なる事態というものをマルクスは敏感に感じていた。 社会の主人公はお金ではなく、やっぱり人間でなくてはならんのです。 お金や物の所有がかりそめのものである以上、人間が完全に勝ち取ることが できる所有物は知恵ということになるでしょう。 最終的に人間を救済できるのは人類の知恵だけや。」
ガンの再発が発見されて亡くなるまでの数ヶ月の間に書かれた作品です。 青木さんの魂の叫びが聞こえてくるようです。 青木さんの警鐘を本気で聞かなければなりません。
参考図書: 「僕が最後に言い残したかったこと」 青木 雄二著 小学館
感情とはなんでしょう?
この物質世界では、私たちは五感(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚)を使って自分の周囲の環境を知ります。 この五感で得たデータから、感情が湧いてきます。
感情には嬉しい、楽しいという「喜びの感情」と、悲しい、苦しいという「つらい感情」があります。
感情は自然に湧いてくるものですから、表現することは当然です。 しかし、世間では、感情を表現することを禁止する傾向にあります。 そのため、感情を溜めてしまって障害を起こす人が多くいます。
喜びの感情を止める人はいません。 つらい感情を溜めることが問題です。
感情を溜めていると、刺激を受けたときの反応が溜めた量に比例します。 ささいな言葉や態度に過剰な反応をする人がいますが、溜めた感情が原因です。
最も分かりやすい感情は「怒りの感情」です。 バカにされた怒りを溜めていた人は、バカにされたと思ったとき、溜めていた怒りの爆薬に引火します。逆上して相手を殺してしまうことさえあります。
「妬み(ねたみ)、嫉妬、恨み」もとても厄介な感情です。 中でも、「呪い(のろい)」は最も厄介な感情です。 「呪い」の感情など持っていないと思っている人がほとんどですが。
他人の幸せを素直に喜べないのは、他人に対する「呪い」があるからです。 週刊誌やテレビのワイドショーは「呪い」の人々で視聴率を稼いでいます。 優越感や劣等感は「呪い」の感情に起因しています。 こう考えると、ほとんどの人が「呪い」の感情を溜めていることに気づきます。
これらの感情を肯定していて仕方がないと思っている人は、感情に支配されている人です。 犬の散歩をするとき、犬に引き回されている人と同じです。
感情に支配されないことが、自分らしく生きる第一歩です。
地球はそれ自体が大きな生命体である。 全ての生命、空気、水、土などが有機的につながって生きている。 これをGAIA(ガイア)と呼ぶ。
「ガイア理論」を唱えた生物物理学者・ジェームズ・ラブロックの言葉です。 西洋的な感性から言えば目新しいかもしれませんが、東洋的な感性ではきわめて当然のことです。
龍村仁監督の「地球交響曲」シリーズはこの理論を映像化したものです。 間もなく第5作が発表になると聞いていますが、これだけ支持されているのは現代人の心の空しさを反映しているのでしょう。
私はすべては生き物と考えていいと思います。 光、風、空気、水、大地、火、山、川、海、雲、草、木、石や砂にまで生命があると思います。
当然、地球にも、月にも、他の星にも、宇宙全体にも、またそれを包含する巨大な意識にも。
私はすべては光であり、光はエネルギーであり、意識であると思います。
意識は生命であり、魂であり、宇宙は意識の集合体であると思います。
生命を人生の生きている期間にだけに限定して考えれば、死=無になります。 死=無であると考えるのは西洋の宗教的な考え方です。
日本人にもこの西洋的な考え方の人が多くいますが、死に対して過剰な恐怖感を抱いています。無になってしまう死を受け入れられないのでしょう。
東洋的な(ヒンドゥー教、仏教などの)考え方では、魂は不滅です。 回転する車輪(チャクラ)と考えています。 死は単なる生命(魂)の移動です。海外旅行か宇宙旅行のようなものです。
森羅万象(宇宙、自然界のすべて)に、生命(魂)があるのは当然と考えます。
そのすべてにいつも感謝と祝福を捧げるなら、心安らかに生きることができます。
驚きました。 台風2号が接近しました。この季節に台風なんて。 大きな被害がなくてよかったですね。
今ごろの気圧配置がおかしいようです。 日本上空にいるはずの高気圧がいないので、台風が接近してしまうそうです。 これも異常気象なのでしょうか?
地球はとても大きくて、数十億人の人類がいても影響しないと思われていました。 戦争で爆弾や砲弾をいくら落とそうと、影響などないと信じられていました。
今から約60年前に原爆が2発投下され、その後、水爆実験で第5福竜丸が被爆して、初めて机上の計算値より遥かに大きな原・水爆弾のエネルギーが認められました。
研究者が予想していたより巨大な破壊のエネルギーを手に入れてしまいました。 地球に対しての影響も、とてもデリケートであることがわかりました。
しかし、人類の自分勝手な生活で環境破壊や汚染が拡がっています。
炭酸ガスの温室効果などで海面温度がほんの僅か上昇するだけで、海面の水分蒸発量が増大し、集中豪雨が降り水害が発生します。他方では、雨が降らなくなり熱波で人や家畜が死亡します。旱魃で作物は枯れ、砂漠化が進行します。
その被害を最も深刻に受けるのはいつも開発途上国の貧しい人々です。 その度に数十万人もの犠牲者を出しています。
それでも、私たちは飛行機や自動車に乗ることを止めません。 エアコンを止めようとしません。深夜までテレビを見ることを止めません。
商品を売っているのだから、買って自由に使うことは当然の権利であり、他の人もやっているのだから、自分がやめる必要はないと言う理屈です。
いまの生活を楽しむことが、子孫へ地球を残すことより優先しています。 まったく、正気では考えられないことです。
いつになったら、自分の足元を見るのでしょうか?
「自分を愛せない人は、他人を愛せない。」と言います。
自分を過少評価しかできない人は、自分を変えることはできません。 自分が無力だと思っている人は、他人や力のあるモノに依存します。 お金や会社、肩書き、権力、宗教などです。
自分が無力と信じている理由は、自己否定にあります。 子どもの頃から両親に叱られたり、誉められなかったり、否定されたりしたからです。 その結果、なにをしても認めてもらえないと信じてしまったのです。 なにをしても愛してもらえない、私は愛されないと信じてしまったのです。
親もまた、否定されて育てられてきましたから、それが当然だと思っています。 こころから愛したり愛された経験がないのでわからないのでしょう。
このような生き方を続けていると、その人のエネルギーは否定的な方向へ向かいます。
嫉妬、ねたみ、恨み、憎しみが大きくなり、いじめや差別につながります。
他人の幸せは嫉妬の原因になるだけで、自分には不幸をもたらすものになります。
それで週刊誌やテレビのワイドショーの人気があるのです。 あの有名人が非難され評判が落ちるのを快感に感じるのでしょう。
他人の幸せを望まない人が幸せになることは不可能です。 なぜなら、自分自身は幸せになることを実行せずに、不幸の仲間が増えるのを望んでいるからです。
病気になって相手の同情を求めることをやめましょう。 不幸になって相手を不幸の仲間に引きずり込むのをやめましょう。
もう、不幸でいることをやめましょう。 自分が幸せになることを自分に許しましょう。
自分の幸せを喜びましょう。 いまの自分を祝福しましょう。 いまの自分を褒め称えましょう。 いまの自分を抱きしめましょう。 いまの自分のこころの声を聞きましょう。
きっと幸せになれます。 それにはだれの力も借りる必要はありません。
子どもはおもちゃが大好きです。 食事も忘れて夢中になって遊びます。 大きくなってテレビゲームに夢中になります。これもおもちゃです。 運転免許を取ってマイカーを手に入れます。毎日磨き上げます。これもおもちゃです。 スキーやスノボー、サーフィンやヨット。スポーツですがこれもおもちゃが必要です。
「人、酒を飲み、 酒、酒を飲み、 酒、人を飲む。」と言います。 最初は人がお酒を飲みますが、酒の勢いが強くなって酒に飲まれてしまいます。
おもちゃで遊んでいるうちに、おもちゃに遊ばれるようになります。 おもちゃなしでは遊べないようになったら、おもちゃに遊ばれています。
テレビも家もすべての商品が、実はおもちゃなのです。
おもちゃを与えておけば、人はおもちゃに夢中になります。 新しいゲームやおもちゃを手に入れるために必死で働きます。
おもちゃを手に入れることが幸せになると信じています。 おもちゃを手に入れるための「お金」があれば幸せになると信じています。
おもちゃを売ることが商業主義です。資本主義、自由主義とも言います。
イラク戦争もおもちゃの兵器を持ったアメリカ軍がイラクを攻撃しています。 兵器もまた、権力者を夢中にさせる道具=おもちゃなのです。 そのおもちゃで多くの犠牲者が本当に出るのが困ったことです。
すべてはおもちゃに夢中になっていることが原因です。 精神的に幼児性から成長できなくなっています。
テレビや新聞、雑誌などマスコミは、おもちゃに夢中になるように仕向けています。 幼児性から成長できないようにマインドコントロールしています。 テレビをつけっぱなしの生活では、抜け出すことは不可能です。
おもちゃなしで幸せに生きることが必要です。
おもちゃ放(ばな)れをするためには、精神的に成長する必要があります。
本当のおとなにならなければなりません。お金やおもちゃに依存しないのがおとなです。
テレビや新聞、雑誌などを見ないで、騒音を放れた自然の中で心豊かに暮らすことが大切です。
それができなければ、おもちゃを使いすぎて人類は滅亡します。
今日、5月18日は南方 熊楠(みなかた くまぐす)の誕生日です。
南方熊楠は植物学、博物学、民俗学ほか天文地理から細菌発見に至るまで、天才の名を欲しいままにした大学者です。
南方熊楠は慶応3年(1867年)、明治維新の前年に和歌山城下に生まれました。 小学校の頃、友人の家にあった和漢3才図会(図入り漢文百科)全105巻を暗記しては帰宅して5年で筆写しました。中学時代は漢訳一切経3300巻を筆写し、欧米の人類学や解剖学の原書を読みふけるという神童ぶりを発揮しました。
東京大学予備門(旧制1高)に入りましたが飽き足らず、退学して20歳でアメリカへ渡りました。ミシガン州の農学校に入学しまいたが、レベルに満足せず直ぐに退学しました。フロリダの食料品店で働きながら植物類を採集して研究する生活をしました。さらにキューバへ渡り採集と研究をしました。超人的な記憶力で、この頃には18ヶ国語に通じていたと言われます。
26歳で世界の頂点と言われた大英帝国の首都ロンドンへ渡りました。到着早々、英国の最高権威を誇る週刊科学誌「ネイチャー」が星宿構成について募集していた論文に応募しました。世界各国の天文学者や大学教授を抑えて、熊楠の論文は最優秀に輝きました。熊楠の名は世界中に知れ渡りました。
国立ロンドン大学長ディキンスは「最も博学で剛直無偏の人」と讃えました。
大英博物館でダニエルという閲覧者が、熊楠に嫌がらせを繰り返しました。東洋人蔑視があったのでしょう。日清戦争後の三国干渉で遼東半島を手放したととでからかわれた熊楠は、「祖国を侮辱することは許さない。」と言って、皮靴で蹴りを入れ顔面に頭突きをくらわせました。 勇気と正義感は誰にも負けません。
博物館の仕事をしながら寄稿をしたりして糊口をしのいでいましたが、「ボーア戦争」で国家予算が窮屈になり、大学の日本学講座の助教授の枠が無くなりました。
アメリカ在住6年、ロンドン在住8年、20歳で海を渡った熊楠は34歳になっていました。
1900年9月1日、リヴァプールを丹波丸で出発し帰国の途につきました。
開国したばかりで西洋に遅れていた日本人の中に、熊楠のように劣等感をもたず、自分自身に自信と誇りを持った大人物がいたことを知り、嬉しくなりました。
南紀熊野の豊かな自然の中で自由人として独自の学問を展開しました。 親交のあった柳田国男氏も「日本人の可能性の極限」と賞賛しました。
世界でもトップクラスの知能の所有者を当時の学会のレベルでは理解されずに埋もれさせてしまったのは、人類の進歩にとってとても残念なことでした。
熊楠のような破格の自由人が、現代の管理社会からは生まれないのが残念です。
資料抜粋 = http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h14/jog247.html
2000年3月13日、世界を驚かせたニュースがありました。
史上初めて、カトリックのヒエラルキー(位階制)の頂点にいる法王が懺悔をしたのです。
ヨハネ・パウロ2世が12日のミサで懺悔した内容は以下の通りである。 1.歴史上、あなたがた神の子(ユダヤ人)を苦しめた行為を深く悲しみ、許しを求め、 真の兄弟愛を誓う。 2.(十字軍遠征、異端審問などでは)異端に対する敵意を持ち、暴力を用いた。 これらカトリック教会の名誉を汚した行いについて謹んで許しを求める。 3.(アフリカ、米大陸などへの布教では)人種、民族的な差別に基づいた排他的な行い があり、罪深いふるまいがあった。異人種の権利を迫害し、彼らの伝統的宗教や 文化に対する侮辱的な態度を取った。(毎日新聞3月13日付けより)
世界の宗教の中でもキリスト教は最大であり、しかもその中でカトリックは最大です。 法王が2000年間の大きな罪を認めて謝罪したことは画期的な出来事でした。 しかし、それまでの歴代263人もの法王が自らの罪を認めなかったことは問題です。
人は自分を正当化して、相手の非を責める傾向があります。 信者に毎週懺悔に来ることを強要しながら、牧師が自らはしないのは一方的に過ぎます。
いつも思うのですが、アメリカ大統領が宣誓式で聖書に誓いますが、イラク戦争などの作戦で敵味方双方に多くの犠牲者を出した懺悔はどうなったのでしょうか?
その後、法王が認めた人種や民族的差別などに基づく過ちは正されたのでしょうか?
明日、1920年5月18日は、ヨハネ・パウロ2世の誕生日です。 この文章を書き終わってから、明日の暦を見て驚きました。

毎朝行く海岸に、「はまひるがお」が咲いています。
その小さな、淡いピンクの花はとても可憐です。
広大な海岸の砂地にひっついたようにグリーンの島が点在し、そこに たくさんの「はまひるがお」が花を開いています。
誰にも知られなくても、見てもらえなくても、ひっそりと、でも堂々と咲く 「はまひるがお」はとてもすてきです。
時々、その海岸をサーファーの4WD車が砂を巻き上げて行きます。
海岸は生き物の聖域です。 私たちは、その邪魔をしてはいけません。
| 2004年05月15日(土) |
インド・不可触民・佐々井秀嶺上人 |
佐々井秀嶺上人(1935年生れ)は、東京都八王子・高尾山薬王院からの派遣でタイでの2年間を過ごして1967年8月、インドへ入りました。 それ以来、12年間の参篭(外へ出ない)行のつもりが37年にもなってしまいました。 この間、日本へ帰っていないそうです。
独立インド政府の初代法務大臣を務めた、故・ババサヘブ・アンベードカル博士の遺志を継いで、不可触民の仏教への転向を進めました。
インド(人口10億2700万人・2001年調)ではヒンドゥー教徒82.7%、イスラム教徒11.2%、キリスト教徒2.6%、シーク教徒1.9%、仏教徒0.7%、ジャイナ教徒0.5%です。
信者が圧倒的に多いヒンドゥー教の教義にカースト制度という身分制度があります。 カースト制度の4階級の外に「不可触民」と言われる貧民層があり、「見ても、思っても穢れ、触れれば生涯穢れる」と牛、豚以下の扱いを受けていました。
前述のババサヘブ・アンベードカル博士は「不可触民」の出身でしたので、彼らにも「自由と平等」を与えようと憲法の制定をしたのですが、差別はなくなりませんでした。
お釈迦様は仏教の僧伽(サンガ)と呼ぶ信者集団の中に身分制度を持ち込ませず、階級制度もなかったことを博士は知りました。
博士は「不可触民」をヒンドゥー教から仏教へ転向させることで、ヒンドゥー教社会での差別から脱却を図りました。仏教社会にはカースト制度の差別はありません。
1956年10月14日、ナグプールで博士は60万人の「不可触民」を仏教へ転向させることに成功しましたが、ボンベイでの改宗式の2ヶ月前に65歳で急死しました。
博士が亡くなって10年後に佐々井秀嶺上人がその地に入り、遺志を継いだのでした。
佐々井秀嶺上人は「不可触民」と同じ部落に住み、生活を共にしています。 夏には日中は50℃になり、夜でも40℃にしかなりません。 土間にごろ寝しながらの生活を続けながら、この活動を発展させてきました。
排他的なヒンドゥー教徒の激しい抵抗に遭いながらも、「不可触民」の仏教への転向を通して人権の回復を目指すことに専念されています。
そのかいあって、仏教徒は400万人(1981年調)から、公称700万人、実際には1億5000万人以上へ増加したと言われています。
「不可触民」は仏教に転向したことにより、自分の人間性の尊厳を回復できたと言っています。
佐々井秀嶺上人は1995年までに、50のお寺と2つの小学校、1つの診療所を建設しました。
1994年9月24日には、第10回Dr.ババサヘブ・アンベードカル国際賞を受賞しました。 この賞は毎年人類の平和に寄与した人に贈られていて、ダライ・ラマ、マザー・テレサ、アラファト、ネルソン・マンデラ氏などが受賞しています。
佐々井秀嶺上人の生き方を見て、「大きなことをやり遂げる人のエネルギーはとてつもなく大きい」と思いました。上人は日本の仏教会という枠からはみ出してしまったのでしょう。
佐々井秀嶺上人の一途な正義感が、重戦車のように困難な障害を押しつぶし、道を切り開いていったのでしょう。
参考図書:「インド・不可触民の開放をめざして」白鳥早奈英著 かのう書房 「不可触民と現代インド 」 山際 素男 著 光文社新書
よく雨が降ります。 沖縄が梅雨入りすると同時に、こちらも梅雨入りしたのでしょうか?
日本の降雨量は年間、1700�个任后�これは世界平均降雨量の970�个量� 2倍です。 この大量の雨も日本の国民一人当たりに換算すれば、世界平均の 5分の一です。
過疎化する農村部には使い切れないほどの豊かな水があるのに、人口が集中する 都市部は給水が不足することになります。
水は地球の生命にとって欠くことができません。 地球の表面積の 70%は海面です。 人の体重の 70%も水です。その水も海水と同じ 3%の生理的食塩水です。
私たちは水、または海と呼ぶ方が正確でしょう。
日本の森林面積は約 2500万ヘクタールで日本の国土の約 67%を占めます。 面積割合では世界でも指折りの森林国といえますが、人口1人あたりの森林面積としては 0.2ヘクタールで、決して多いとはいえません。なお、世界の平均は 0.7ヘクタールです。
雨を嫌う人がいますが、雨は私たちに図りきれない恩恵を与えてくれます。
アジサイのつぼみが大きくなりました。 田植えが終わった水田に曇り空が写っています。 カエルが一日中、合唱しています。 この自然の恵みに感謝しています。
国土面積当たりの森林面積率

戦後の日本国憲法で、基本的人権として「自由と平等」が保障されています。 「自由と平等」は普通、考えているようなものではないと思います。
言葉の意味は誰でも知っていますから省略します。 しかし、ここで言う「自由と平等」は単なる言葉ではなく、それが持つ意味が問題です。
欧米では、「自由と平等」を獲得するために多くの血を流しました。 フランス革命やアメリカの独立戦争、ロシア革命など国民が戦って獲得したものです。 第2次大戦後、植民地支配から独立したアジアやアフリカ諸国も血を流しました。 日本が支配していた中国、南北朝鮮、台湾なども多くの犠牲を払いました。
ですから、「自由と平等」は血と涙で勝ち得た貴重な成果なのです。 これを侵害されたら、命がけで戦います。
日本は革命が起こったことがない、とても不思議な国です。 日本では権力者が入れ替わるだけの歴史が続いています。 135年前の明治維新も、60年前の敗戦も、権力者が入れ替わっただけでした。
血で血を洗う抗争が無かったことはとても幸運だと思います。 しかし、権力者に従順に従うだけの無気力な国民であることも事実です。
敗戦で焦土と飢餓に苦しんだのもつかの間、朝鮮半島で戦争が起きると日本は特需景気にわきました。 戦後、実施された農地解放で小作農家は労せず貴重な田畑を手に入れることができました。高度経済成長で農地の宅地化が進むと、一気に大金持ちになりました。
ただ従っていれば「棚からぼたもち」でいい思いができると思ったのでしょう。 このような国民性では、占領軍の指示で得た「自由と平等」は無用の長物でした。
「自由と平等」の根底にある「燃えるような自己主張」が存在しないからです。 まるで去勢(気性を穏やかにするためにオスの睾丸を切りとること)された家畜のようです。
外部世界へ向わないエネルギーは内部世界へ向います。 内部世界、即ち社会や家庭内の陰湿なイジメや差別へ変わります。 子どものイジメはおとなの世界でしていることを写しているのに過ぎません。
また、自分の無気力を肯定する傾向を生み、自分の責任を認めません。 「みんながやっているからやった。」 「命令されたからやった。」
自分が無知であることさえ、恥じるどころか居直っています。 無気力、無知であっても、今まで生活できたことで当然と思っているからです。
「自由と平等」は無気力で自己責任をとれない人には意味がないのです。 日本国民は政治家も含め、「自由と平等」は無用の国民です。
17世紀半ばに産業革命が起こり、中世の宗教支配が終わりました。 それまでは天災も病気も悪魔の仕業とされていました。 数十万人が魔女とされて殺されました。まったく根拠の無い理由でした。
宗教支配からの開放は反動として神からの乖離(かいり)になりました。 自然や宇宙の運行は引力などのエネルギーによるもので、「神の手」ではなく 数学で証明されることになりました。 証明されるもののみが正しいという評価を受け、支持されることになりました。
20世紀は科学が花開いた時代でした。 科学の恩恵は商品の発明という形に結実しました。 電化製品や自動車、飛行機、宇宙ロケットなどが次々と発明され、生活は便利で快適になりました。
便利で快適なことはそれだけで良いことでした。 所得が増え、生活水準が高くなることは良いことでした。
20世紀末になると世界的な公害が問題になりました。 炭酸ガスや環境破壊、人口爆発、資源・エネルギーの枯渇などの問題が放置できない状態であると認識され始めました。 科学万能という神話はこれらの問題の発生で崩壊しました。
科学万能時代は終わりに近づいています。 欧米先進国では科学の粋を集めた原子力発電所を全面的に廃止する傾向にあります。
風力、太陽熱などによるスローな(自然にやさしい)発電に切り替えが始りました。 ごみの分別収集など、資源の再利用が進み始めました。
しばらくはこの傾向が続くと思われます。 科学と自然との妥協点を探ることになるでしょう。
その後は「意識」または「超意識」の時代になるでしょう。 高次元についての理解が深まり、モノやお金から脱却した意識による生活が実践されるでしょう。
意識が高い人が多くなり、高次元の存在とコンタクトがとれるようになるでしょう。 その結果、科学以上の「意識」・「超意識」が生まれ、今までとは全く違う科学になるでしょう。 「意識」が原子レベルの変化をもたらし、結合や融合、組換えができるようになるでしょう。
高次元エネルギーを利用することにより、資源やエネルギー問題、食料問題も解決するでしょう。 病気はその原因が解明されて病人がいなくなるでしょう。 戦争や対立は最早、存在しないでしょう。
そんな時代が迫っています。
連休が終わって、早いところでは田植えが終わりました。
私が住むところは富士川から灌漑用水を引いています。 戦時中に軍需工場が建設され、戦闘機用のアルミ精錬に大きな電力が必要でしたので発電所を作りました。そのため灌漑用水の取水期間が5月から10月までに限定されています。そう言えばこの付近も終戦直前に陸軍が飛行場を作った跡地でした。
久しぶりにのどかな蛙の合唱が聞こえてきます。 60年前にはここは、今とはまったく違った世界だったことを感じます。
半世紀、1世紀と時代が変われば、世の中も、その常識も変わります。 不変なものはなにも存在しないのが真実です。
「人の心ほど移ろいやすいものはない」と古人は言っています。 ころころ変わるから、心(こころ)だと言う人もいます。
そんなにあてにならない人の評価を気にして生きるほど、馬鹿げたことはありません。 自分が考え、自分が決意し行動することが、すべての基本です。 それが「自由」の本当の意味です。
今年も蛙が鳴いています。 鳴く蛙も、聞く人も、去年と同じではありません。
星を見たことがありますか? 私が見た中で星が一番きれいだったのは富士山の中腹でした。 標高1500mの斜面の火山礫(れき)に仰向けに寝て夜空を眺めました。 季節は9月半ばで、登山期間も終わり空気も澄み切っていました。 満天の星というのはこのことだろうと思いました。 金砂銀砂を撒て、殆ど隙間がないくらい夜空を星が埋め尽くしていました。 天の川の星が一つひとつ輝いていることに感激しました。
もちろん、地球も星ですから他の天体から見れば小さな輝きの一つです。 今の自分がいる地球の光を他の天体の存在が見るまでに、何十光年もかかります。 相手が今の地球の光を見た時には、自分は多分地球上にはいないでしょう。 そう思うと宇宙の巨大さが実感できます。
人が生まれた時の惑星や恒星の位置が性格などに影響を与えることに気がついた先人の知恵には驚きます。 星占いなどは世界中にあります。
マヤ文明に代表されるように、先人は我々が思いも及ばない高度の測定方法を用いて、数千年単位の精密な暦を使用していました。
私たちは先人に遠く及びません。 星のささやきを聞くどころか、星を見ることさえしていません。
テレビや電気を消して、星とつながる世界を取り戻したいものです。
西洋と東洋の考え方はこれほど違うのかと思い知らされました。
東洋は雨が多く、緑豊かで暖かい(暑い)地域です。 そこには多くの生命が暮らしています。植物や動物、魚も多く住んでいます。 それを支える豊かな自然があります。ここでは採集だけでも生きられます。 水や食料の不足で苦しむことは少なく、暮らしやすいといえます。
西洋は基本的に雨が少なく乾燥している地域が多く、宗教が起こった中近東は殆ど砂漠です。 植物を栽培するより、牧草を追って牧畜をする方が理に適っている地域です。 ここでは水や食料を得ることに多くの労力を必要とします。生きるためには努力が必要な地域です。
この環境の違いが考えかたの違いになっています。
中東でボランティアしているとカルチャーショックがあるそうです。
砂漠地帯では水を持っていなければ生きていけません。 その辺で汲んでくればいいという訳にはいきません。 もしそのグループで水が極端に不足したら、生きられない人には分けないで、少しでも生きられる人へ渡すのだそうです。
難民キャンプでは元気の度合いでグループを分けるそうです。 A: とても健康で元気な人たち。 B: 健康も具合も良くないが、食料や医療で回復が見込める人たち。 C: 健康や具合が悪く、生き延びる可能性が低い人たち。
食料も医薬品も不足がちな難民キャンプでは、Aグループの人たちは追い出すそうです。 Cグループの人たちは気の毒ですが、見捨てなければなりません。 Bグループの人たちを収容しお世話をするそうです。
私たち、東洋の人は見捨てることができなくて、よく叱られるそうです。 助からない人は助けない。これは難しいことです。
有ることを前提に考えるのと、無いことを前提にするのでは、話はまったく 違う結論になります。
近くに住む孫に食べさせたくて、柏餅を作りました。 よもぎと餡が柏の葉の香りに包まれて、正に初夏の風情です。 熱いお茶をいただきながら思いました。
私が孫(3歳)の年には、日本は敗戦直後で飢餓に苦しむ人も多くいました。 裁判官が闇米を食べずに餓死したのも、あの頃でした。
今思えば、何もない時代でした。 食べるものがないのですから、他のものは当然ありません。 私は母の手製の子ども用の足袋を大切に保存しています。
1950年に朝鮮戦争が起こると、特需景気がきて飢餓から救われました。 1955年以降、年率10%を超える経済成長が続きました。 この高度経済成長はバブル時期まで続き、経済大国と呼ばれるまでになりました。
1990年の年初に株式市場で暴落が起き、バブル崩壊と呼ばれる大不況が13年間続きました。 いまもデフレーションと呼ばれる価格の低落傾向が続いています。
今日の「子どもの日」に思うのは、私たちは彼らに何を残せるのでしょうか?
わが国が誇る豊かな自然は無傷で残せるのでしょうか? 産業廃棄物だらけの国土をどうするつもりでしょうか? 原子力発電所から毎年出される核廃棄物を青森の六ヶ所村へ積んでいますが、それをどうするつもりでしょうか?
40兆円しか税収がないのに、国債などを600兆円も発行しました。 この始末は我々の時代で終わるのでしょうか?
私たちは多分、酔っ払っているのでしょう。 これらのことを、まさかしらふで国会で決めたことなどないとは思いますが。
無責任なのは政治家だけではなく、経済界も、すべての国民も同罪です。
私たちは本当に取り返しのつかない愚かなおとなであったことを、反省しなければなりません。
日本ほど戸籍が完備した国は少ないと言われています。 江戸時代、1671年、キリスト教弾圧のために考え出された「宗門人別帳」が基本となって、 明治初年に新政府が「戸籍法」を制定しました。明治5年、初の全国戸籍調査が実施され、 総人口は3,311万人と発表されました。これを「壬申戸籍」と呼んでいます。
この時代まで無戸籍の人々がいました。 町や村に定住していない人々でした。 それらの人々は、主に山間部で生活していました。
その中でも、集団で暮らしていた人々と家族だけで暮らしていた人々がいました。 集団で暮らしていた人々を、「山の民」と呼び、木地屋・タタラ者とも呼びました。 一方、家族だけで個人的に生きてきた人々を「サンカ」と呼びました。 「山家」「三家」「山窩」という字を当てています。
「サンカ」の起源は定かではなく、江戸時代の三大飢饉(天保・享保・天明)のとき、飢餓に苦しんで山に入って生き延びた百姓の末裔ではないかと言われています。
第2次大戦後の1950年代を最後に、その姿を見た者はいないようです。 彼らは、被差別部落へ同化したと考えられています。
「サンカ」は戸籍が無く、国民の義務である「納税・義務教育・徴兵(戦後は参政権)」の枠外に存在していました。 川魚採りや竹製用具の製造・修理が主な生業であったようです。
歴史の外にいたので、その足跡は殆ど残っていません。
この窮屈な日本にも、つい半世紀前までこのように自由な人々が存在していたことが不思議に思われます。
(参考書籍) 「幻の漂泊民・サンカ」 沖浦 和光著 文芸春秋 「風の王国」 五木 寛之著 新潮社
テレビ視聴率が報道されていました。 30%以上の視聴率の番組が激減しているそうです。
下記のグラフが示すように、1世帯のテレビ視聴時間は約8時間です。
睡眠時間8時間、労働時間を8時間とすればテレビ時間8時間は起きている生活時間に 相当します。 つまり、起きている間中、テレビはつけっぱなし状態ということです。
これでは、自分が静かに考えることは不可能です。 自分の考えや信念に基づいて生きることは不可能です。
主体性のない自分の人生ほど無気力で空疎な人生はありません。 まるでお酒に酔っているように見える人が多いのはそのせいでしょう。
著名な評論家・大宅壮一氏がテレビ放映が開始されたとき、「1億総白痴化」と 警鐘を鳴らしたことが思い起こされます。
テレビで毎日言われ続けていると、言われたことが当然のように思えてきます。 日本中の人がテレビと同じ考えを刷り込まれて、同じ考え方になる危険性があります。 これを「マインド・コントロール」と言います。
テレビは生活の必需品のように感じますが、無くても生命に影響ありません。 もし、見るのをやめることができないなら、「テレビ依存症」という中毒状態です。
お酒の好きな人が「休肝日」を作るように、家族全員で毎週最低1日はテレビを見ない日を 作る必要があります。

Asahi Com
来月1日より、新しいEUが発足します。 最初6ヶ国でスタートし、現在15ヶ国に拡大しましたが、今回10ヶ国を加えて25ヶ国に なります。
人口4億5,000万人、国内総生産は世界の4分の1を占め、世界一のアメリカに並ぶ 「大欧州」の誕生です。
政治体制や歴史、文化などが異なる25ヶ国が、政治的にも1つの共同体を作ろうとする 大きな挑戦です。 今後は「EU憲法」を制定し、それを25ヶ国で共有しようとしています。
アフリカ大陸は、1884年にドイツのビスマルクが中心になって欧州列強による分割を決め、 植民地化されました。第2次大戦後に相次いで独立しました。 いま、アフリカの53ヶ国が加盟した「アフリカ連合」を結成する動きがあります。 2010年までの実現を目標としています。
日本を含む「アジア連合」や「中南米連合」などを結成できれば、すばらしい世界になります。
これらの連合の動きは、唯一の超大国となったアメリカの武力・経済の世界支配を 阻止する大きな力になります。
このような動きは、最終的には「世界連邦」にまで発展を期待させます。 戦争がない世界が実現する期待が持てます。
人類の叡智が試されています。 恒久平和を実現する日が来ることを祈ってやみません。
TOPページを代えました。 その文章の中で「食物連鎖」という言葉がありますので、それについて書きます。
中学校で「食物連鎖」について学びます。 私は子どもの教科書や参考書を古紙へ出すように頼まれて、まとめているときに 読みました。
土が植物を生み、植物が動物(魚・鳥)を育て、動物は土に戻るというお話です。 そこまでは知っていましたが、その連鎖サークルの外にただし書きがありました。
「人間はこの連鎖から外れて存在しています。」
私はビックリしました。 「食物連鎖」は地球の生物すべての法則ですから、もし、これから外れたら大変です。 そんなことになったら人間は滅亡するに決まっています。 もし、神様がいたら、そんな存在を許すはずがありません。
ライオンも象もくじらも、死んだら他の動物の食料になります。 その残骸は土に戻ります。
数々の神話に「人は土から作られた。」とあるのは、その理由です。
私たちは一生の間に植物や動物の無数の生命をいただいて生きています。 生命はローソクのローのように、そのままでは燃え尽きてしまいます。
私たちに生命というローを与えてくれた植物や動物は、私たちのローソクに 加えられて燃えています。
私たちはその生命と共に生きています。 わたしたちの生命は「共有」の関係にあります。
ですから、私たちが死んだら、その遺体を他の食料にするのが正しいのです。
もし、遺体を食料にされるのは残酷というなら、他の植物や動物を殺して食べる残酷なこと をやめなければなりません。 でも、それは不可能です。死んでしまいます。
世界中には、鳥葬、水葬、風葬、土葬などがあり、動物や微生物の食料になっています。
火葬はペストなどの伝染病が流行したことと、高僧が煙となって昇天することを イメージして起こったと思われます。
私はかねてから、「私の遺体は海中へ捨ててくれ」と言っています。 多くの魚やプランクトンが食べてくれ、それを大きな魚が食べてくれます。 この世で食い逃げをするのは、自分が借りを残すようでいやだからです。
親鸞は「私が死んだら賀茂河(鴨川・加茂川)に捨てよ。」と言っています。
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