LORANの日記
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| 2005年04月29日(金) |
ゴールデンウィーク開幕 |
今日から5月のゴールデンウィークが開幕しました。 10連休という人もいます。 どこもかしこも人人人・・・。 空港も駅もテーマパークもアミューズメントもレジャーランドも・・・。
大渋滞を覚悟でなければそこまで行くこともできません。 それでも家族サービスとやらで、決死のお父さんは休養どころではありません。
会社でも必死に働き、お休みでも必死で家族サービス。 日本のお父さんは本当に偉いと思います。
マイホームパパという言葉ができたのは、もう数十年前のことです。 クリスマスを家庭でという傾向になってからだろうと思います。
それまでのお父さんは厳格で怖くて対等に話もできなかったのです。 お母さんはそんなお父さんのご機嫌を損なわないように気を遣っていました。
いまそんなお父さんがいたら無形文化財です。貴重な存在と言えます。
時代が変わって、お父さんの出番がなくなりました。 戦争が無くなったからでしょう。 お父さんが家庭も、国も命がけで守っていた時代は終わりました。
ただ給料をもらってくるだけのお父さんに成り下がってしまいました。 お父さんの光は雲ってしまいました。
いまお父さんの出番はゴールデンウィークで必死で家族サービスすることです。 家族はそれを見ても当然と思っています。お気の毒ですね。
世のお父さん、お疲れ様です。 あまり物分りが良すぎると、家族の学びになりませんよ。
「学ぶ」は「まねる=まねをする」ことからできた言葉だそうです。
「親の背中を見て育つ」という言葉は、親の生き方を学ぶことです。 親が子どもを教育するには、親の生き方を見せるしかないのです。
親がいかにテレビや本で読んだことを自説のように話しても、子どもにすぐに見破られてしまいます。なぜなら子どもは親の生き方を毎日見て学んでいるのですから。
その時だけ尊敬されようと思っても、毎日の生活や行動が子どもにとって尊敬に値しなければ、尊敬されるはずはありません。
おとなは子どもにとって学ぶ対象でなければなりません。 それなのに毎日報道されるのは、官公庁や一流企業のトップの不正です。 これでは子どもに一生懸命勉強していい会社や官公庁へ入れと言っても、お手本がお粗末で子どもにあんな人になりたいという夢を与えることができません。
いまの時代は先行きが見えない「不透明の時代」と言われますが、誰を、なにをあてにして生きればいいかが分からない「目的喪失の時代」と言った方が適当でしょう。
学ぶことは生き方からですから、美辞麗句は必要ありません。 言葉はツールですからその時に応じて使い方が異なります。
「ばかやろー」という言葉が限りない愛情から言われることもありますから、ただ言葉だけをみたら真実は分かりません。ですから相手の生き方から学ぶことだけが真実を学ぶことになるのです。
宗教では聖書や経典、コーランなどの言葉を絶対視する傾向があります。 神学や教学で学ぼうとしますが、言葉だけでは学べることは少ないでしょう。
お釈迦さまの生き方、イエスの生き方を自分がどこまでまねできるかが学びでしょう。 すべてを捨てて生きることを彼らは教えているからです。
どう思い、どう生きるかが私たちの人生にとって大事なことですが、それは子どもにとっても学ぶ対象としてとても大事なことなのです。
| 2005年04月22日(金) |
中国反日暴動と文化大革命 |
最近の中国大都市の反日暴動について気がついたことを書いてみます。
私たちは現在の状況にのみ関心があり、その歴史については殆ど無知です。 中国と言えば共産党の1党支配が続く封建的な国と思っている人も多いでしょう。 それは日本での報道や教育がアメリカ寄り(支配)になっているからです。
60年前の戦争で日本人の戦争犠牲者数は300万人と言われています。中国は戦場に なり無差別殺人が日本人兵士により行われたため、犠牲者数は1000万人と言われて います。 それでも敗戦後の東京裁判(極東国際軍事裁判)という戦争犯罪を裁く裁判で、日 本人の罪を許し賠償を求めないことを表明しました。これは中国人の大きな度量を 感じさせることでした。逆に日本人ならどうだったのでしょう。
1960年からの10年間、中国に文化大革命の嵐が荒れ狂いました。 経済政策の失敗で多く(数100万人)の餓死者を出して実権を失っていた毛沢東らが 紅衛兵を組織し、劉少奇や��小平といった実権派から権力奪取をしようと企てた暴 挙でした。
実権派の同調者とみなされると中傷キャンペーンが行われ自己批判を強制されました。 極端なマルクス主義の思想教育が行われ、儒教や仏教と言う以前からの文化や伝統的な芸術も批判の対象となりました。寺院仏閣は破壊され、多くの貴重な文化財が 失われました。抵抗した僧侶などはリンチまがいの殺戮が行われ中国全土で犠牲者数は数100万〜2000万人ともいわれています。 チベットの寺院は最も徹底的な破壊の対象となりました。ブラビ主演の「セブンイヤーズ・イン・チベット」というダライ・ラマのインド脱出の映画でも有名です。
これらのことは1868年に明治維新を起こした日本とよく似ています。 明治政府による天皇制導入のために神仏混淆を廃し、廃仏毀釈が行われました。 多くの寺院が壊され、貴重な仏像や仏画が破壊され海外へ持ち出されました。 明治政府を正当化するために天皇のみを信仰の対象とする神道が奨められました。旧勢力の象徴だった城郭はこのとき全国で破壊されてしまいました。ですから姫路城のような立派なお城は殆ど現存していないのです。 明治以前の教育も医療も西洋かぶれの若い明治維新の志士たちによって廃止されました。インド、チベット、中国と渡ってきた東洋医学は無残にも否定され、医療を 続けることはできなくなりました。医師を西洋医学のみと決めたのですから。
このように日本では明治維新という名の文化大革命が、なにも学問を知らない若い 志士(坂本竜馬のように32歳)たちによって起こされましたが、その後の対処がなされていません。明治以前の宗教、教育、医療などの名誉回復がなされていないのです。中国は4人組裁判として旧文化の名誉回復がなされたのと対照的です。日本は依然として明治政府によって作られた法制をそのまま墨守しているだけです。いつになったら以前の文化の名誉回復がなされるのでしょう?文化人の怠慢ですね。
このように中国が政治的に遅れているだけではなく、日本は文化的にはさらに遅れているのです。自らの不明や誤解を訂正し修正しなければ、到底文化国家などとは言えません。
国家が教育に口出ししてはいけないと福沢諭吉は私塾・慶応大学をつくりました。 オランダは教育に一切干渉しないで、自由教育を推進しています。ノーベル賞受賞 者数の人口比率では世界一です。日本人の人口にすれば180人にもなります。
単に感情的に中国反日暴動を捉えるのではなく、その底流にある文化の相違と日本 人の文化観について検証する必要があります。
夜明けが早くなって、日の出を見るには早起きをしなければなりません。
浜辺はすっかり緑が濃くなりました。
潮風も冷たくなくなり、手袋も要らなくなりました。
今朝も小さな漁船が浜辺から20〜30mほどのところで漁をしていました。
帰りながら見ると、一面に「ハマエンドウ」が咲いていました。
台風や冬の木枯らしに耐えて咲く可憐な花の逞しさに尊敬の念を覚えました。
「よく咲いたね。 えらいね。 綺麗だね。」

昨日は第3回福岡すぴこんでした。
前回の第2回から出店させていただいています。 前回の前日と当日は福岡に宿泊しましたが、今回は所用があり日帰りでした。
福岡は好天に恵まれ、ワークショップのコーナーは燦燦と陽射しが降り注いでいました。 今までで最高の「光の卵」を作ることができました。 事務局の平野さんに感謝しています。
福岡でも多くのすてきな皆様にお目にかかることができました。 これからも福岡へ寄せていただきたいと願っています。
日本中で多くの人が精神世界に興味を持っていることに驚かされます。 その中でLORANが皆様のお役に立てたら嬉しいです。
前回の名古屋すぴこんからLORANのグループは2店出店しています。 来月の第1回愛媛すぴこんと、翌日の第2回神戸すぴこんも2店出店します。 第1回横浜すぴこんも2店出店の予定です。
LORANのメンバーが多くの会場に出店できたらとても楽しいです。
今週末は名古屋で「1日リラックスワーク」を開催します。 名古屋すぴこんでお目にかかった皆様と会えたらとても嬉しいです。
怒りは自然の感情です。
子どもでも思い通りにならなければ怒ります。 玩具売り場の前でひっくり返って泣き喚いている子どもがいます。
怒りを表現することは自然の摂理です。 しかし、はしたないとかみっともないという理由で禁止されてしまいます。 その結果、感情を外へ出さない、表現しないで生活するようになります。
先日、私は真っ白な世界へ行きました。 その世界は「無(む)」の世界でした。 自分という存在の肉体もありませんでした。 ただ自分の意識だけがありました。
その世界から帰ってきてから、自分の心の深いところにあった感情が表れました。 その感情は怒りでした。
自分ではどうすることもできない無力な自分に対する怒りでした。
その怒りの中に悲しみがありました。 どうすることもできない無力な自分に対する悲しみでした。
そして今朝、怒りと悲しみが自分の中から立ち去っていきました。 私は子どものころから一緒にいた怒りと悲しみに訣別しました。
いま自分の中はとても穏やかです。 やっと平和な自分に戻れました。
自分に感謝しています。 導いてくれたすべてに感謝しています。
「神様のつぶやき」にこのタイトルで書きました。
なにもなくても幸せと思う人は少ないでしょうね。 テレビや雑誌、新聞などの広告媒体は絶えず消費を煽っています。 サラ金はいくらでもお金を貸してくれます。ローンやクレジットもあります。 有り余るほどの服やモノに囲まれている私たちは、本当に幸せなのでしょうか?
私が生まれた時は敗戦の1年前でした。 小学校の入学式の記念写真に写っている子どもたちの服はお粗末でした。 靴を履いている子どももいますが、下駄やぞうりの子どもたちが多くいました。 子どもたちの食事がないので、学校給食が始まりました。
そんな時代におもちゃなど買えるはずもありません。 私は亡くなった母が2〜3歳の私に作ってくれた小さな足袋(たび)を大事に持っています。 こはぜの横に私の名前が縫い付けてあります。
そんな時代は本当に不幸だったのでしょうか?
テレビやCDやおもちゃがなくても、子どもたちは朝から遅くまで近所の子どもたちと一緒に自然の中で遊んでいました。 確かにお肉やケーキを食べることは少なかったのですが、みんな健康でした。
1955年ごろ高度経済成長が始まると、電化製品が家庭に入ってきました。 洗濯機、掃除機、冷蔵庫は「三種の神器」と呼ばれ、主婦の労働を助けました。
その後はクーラー、マイカー、マイホームとより快適な生活を目指しました。
子どもたちが上級学校へ進学することが多くなり、支出が増えたため主婦も働かなければならなくなりました。
進学率を上げるためにはより効率のよい授業をする必要があり、お荷物だった「智恵遅れ」と呼ばれた子どもたちは「特別教室」へ集められました。
こうして異常な社会が異常な教育を推し進めていきました。 義務教育期間中から子どもの選別という差別が行われたのです。
学校が荒れ虐めが横行するのは、学校教育がそれをしているからです。
テレビのお笑い番組でタレントがしている芸は、相手を侮辱し虐めているだけです。 それで笑いをとるのですから、子どもたちが真似をしても当然です。
こんな社会を作ってしまった責任は、この世界に生きるおとな全員にあります。 しかしおとなは自分に責任があるなどと考えたこともありません。
自分を正当化し、責任を相手に押し付ける傾向が横行しています。 国会中継などを見ても政策論争ではなく、相手の責任追及しかしていません。
テレビや雑誌、新聞などを見ないで、自然の中で家族と過ごしてみましょう。
おむすびやサンドイッチを作って野山や海岸で1日を過ごしてみましょう。
テーマパークやアミューズメントなどで時間を浪費しないで、家族でゲームをしてみましょう。
電動おもちゃなどではなく、父親が木とのこぎりでおもちゃを作ってみましょう。
いつか子どもたちが成長したとき、きっといい思い出になるでしょう。
「月に群雲(むらくも)、花に風」といいます。
昨日の強風と雨は、正にこの喩え通りでした。
満開の桜を心配する人がきっと多かったのでしょうね。
桜花爛漫の季節、昨日は私の孫も幼稚園へ入園しました。
なにも知らないではしゃいでいる孫と、晴れがましい若い両親の対比が面白かったです。
こうして世代は代わり、次の時代が始まるのだと思いました。
一昨日の日曜日は名古屋すぴこんでしたが、土曜日は福岡すぴこんです。
1週間に2回のすぴこんはとても多忙です。
5月14日は愛媛すぴこん、15日は神戸すぴこんと連日で開催されます。
皆様とお目にかかれる幸せに心から感謝しています。
福岡すぴこんでは主催者の平野さんのご好意で、ミニワークショップを1時間いただきました。
普通は30分ですので、その分内容のあるワークができます。嬉しいです。
もし、時間のある方はどうぞお出かけください。
AM 11:00 〜12:00 で開催します。
今回も「光の卵」のワークです。
福岡では初めてですが、東京と名古屋では3回づつ開催しました。
とても反応が大きいのでどうぞご期待ください。
いま、桜が満開です。
桜の花の下を新入生が入学式に登校していきます。
若い両親に手を引かれた子どもたちは、見ていても晴れがましさを感じます。
今年は3月の初めに寒い日が続いたせいか、桜の開花が遅くなりました。
「花は桜、人は武士」などという言葉があるように、日本人は桜には特別な思い入れがあります。
桜は国花であり、学校や機関の紋章に使われています。
花見といえば桜に決まっています。
桜が満開時のあでやかさは、ほかの花にはないからなのでしょう。
真っ青な空に咲く桜の淡いピンクの花びらを見るのがとても好きです。
また夜桜が暗闇に白く咲いているのは、妖艶な美しさです。
この時期には山のあちこちがピンクに染まっていて、桜が存在を示しています。
以前東京から深夜国道246線を帰って来たとき、小山町と御殿場市の間の山合いで
真っ暗な道路にハラハラと桜の花びらが舞っていました。
見回してもトンネルとコンクリートの壁が高く続くだけの場所でしたが、ずっと上に人知れず咲いている桜があるのでしょう。
その桜を見ることもできないけれど、花びらは桜の存在を雄弁に物語っていました。
誰にも知られず、だれにも認められないで咲く桜に、心から感動しました。
桜の季節になるとライトの中で舞っていた、あの花びらを想い出します。
昨日、遠隔ヒーリングを送っていた時のことです。
ふと気がつくと、まったくの静寂の中にいました。
ただ真っ白な世界でした。
自分だけが存在していました。
私の中で考える声だけが響いていました。
「ここはどこだろう。
どうしてここにいるのだろう。」
ただ、自分だけが存在していました。
自分の声だけが響きました。
いままで宇宙と一体になったり、魂のホームへ帰ったりする経験をしました。
そこでは圧倒的なエネルギーがあり、自分という存在が溶けて消えそうでした。
まったくの愛のなかに包まれる至高の歓びがありました。
今回はそれらの経験とはまったく別の次元でした。
「無(む)」。
なにもない世界がありました。
歓びや愛や感傷などが入り込めない世界でした。
この幸運に感謝します。
私を導いてくれたすべてに感謝します。
ヨハネ・パウロ2世が亡くなりました。 高齢とはいえ、世界中のカトリックの信者にとって大きな損失でしょう。
ポーランド人の法王はイタリア人以外では455年ぶり、スラブ人では初めてという快挙でした。法王は積極的に世界平和と戦争反対への呼びかけをし100回以上の海外渡航と120カ国以上の国を訪問しました。バチカン外交と呼ばれました。
2000年には、過去2000年間のカトリック教会が犯した罪を認め、許しを乞いました。�.罐瀬篆佑肇罐瀬箒気稜�害 �⊇住�軍のイスラム教迫害 ��アメリカやアフリカ先住民に対する迫害についてでした。
ガリレオ・ガリレイに対する1633年の異端尋問の名誉回復もなされました。 360年もたってなにを今更とも思いますが、前任の法王はカトリック教会の間違いを認め改めなかったのですから、勇気ある行動と言えます。
この勇気が母国ポーランドの自主管理労組「連帯」の支持表明につながり、トルコ人による暗殺未遂事件で重傷を負うことにもなりました。
尊厳死や避妊を認めないという頑固さもありますが、精一杯よく活躍された法王であったことは万人が認めるところです。
法王のご冥福を祈ります。
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