LORANの日記
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| 2006年03月31日(金) |
札幌すぴこんへ出発します。 |
明日は札幌へ向かいます。
第1回札幌すぴこんへ出店するためです。
また新しい出会いがあることを期待しています。
昨年8月以来ですから、半年振りの札幌です。
3年前にお引越した息子夫婦と一緒に食事できることが何よりの歓びです。
今回のすぴこん会場は大通り公園の北側にあります。
大通公園西端にある北海道資料館の「おおば比呂志記念室」が目の前です。
札幌へ行く楽しみの一つは「おおば比呂志記念室」へ行くことです。
おおばさんの作品が並んでいて、わくわくさせてくれます。
飛行機や飛行船、風車など、空を自由に飛びまわるイメージが気に入っています。
おおばさんは陸軍飛行隊へ入隊していましたから、きっと空が大好きだったのでしょう。
今回残念なのは、今月初めから11月まで休館になったことです。
HPで休館日を確認しようと見て知りました。がっかりです。
札幌開拓時代の古い建物を保存利用していますから、大修理も必要でしょう。
また来年になったら行きたいと思います。
明朝羽田へ向かいます。帰着は4月4日AM1〜2:00ごろです。
4月2日に札幌すぴこんが開催されます。
先ほど時間指定で荷物を会場へ発送しました。
札幌は昨年8月に息子のところへ行ってきて以来、半年ぶりです。
飛行機に乗れば約1時間30分で到着します。
昨年は福岡と熊本へも行きましたが、殆ど同じ時間で到着しました。
日本の大都市は東京から約1時間半の距離にあります。やっぱり狭い国なのでしょうね。
昨年まではすぴこんに出店することに力を入れてました。
いまは自然が豊かで気持ちがいい場所に行って、瞑想やワークをしたいと思っています。
6月に愛媛すぴこんが開催されますので、その前後に室戸岬か足摺岬へ行きたいと思っています。
環境を変えることが、感性を刺激するチャンスです。
葛飾北斎は90歳の生涯に数十回の転居を繰り返したと伝えられていますが、そのためだったのでしょう。
安定や変わらないことを求めるのは、その点ではお勧めできない考え方です。
お年寄りならまだしも、若い人までが安定志向が多いのに驚かされます。
| 2006年03月29日(水) |
自分の意思で生きていますか?? |
「自分の意思で生きていますか?」と尋ねれば、誰でも「もちろん。」と答えるでしょう。
しかしあなたの中から、あなたの言う言葉と違う声が聞こえます。
「ちぇ、もう少しでうまくいくところだったのに・・・」
「こいつさえ居なければ、うまくいくのに・・・」
あなたの中でつぶやいているのは誰でしょう?
これもあなたでしょうか?
あなたがこのような言葉を言うはずがありません。
ではあなたでなくて、誰があなたの中で言っているのでしょう?
これはあなたの中に居る存在です。
この存在には2種類があります。
一つは、あなたの感情です。
あなたが生まれてから、いままで溜めてきた感情のエネルギーの総体です。
ですから、あなた自身でもあります。
しかし、恨みや憎しみ、悲しみ、怒り、羨望、呪いなどが何十年分も溜まり、凝縮された
エネルギー体ですから、その否定的な感情は強烈です。
「これ以上改善を続けるなら、殺すぞ。」と脅された人も何人かいます。
もう一つは、外部からの侵入者です。
あなたが溜めた否定的なエネルギーに、引き寄せられてきた侵入者のことです。
亡くなるとガイドが現れて、天国や極楽、あの世とか呼ばれる世界へ案内してくれます。
しかし案内を断って、この世に執着する霊があります。
これが引き寄せられて、ルームメイトになって,多数いることが多いのです。
せっかく快適な(否定的な)生活をしているのに、改善されたら居られなくなります。
これはその存在達には重要な問題です。
それで一致団結して、改善を阻止しようとします。
改善に行こうとすると気持ちが悪くなったり、事故を起こさせたり、遅刻させたりします。
自分の中から、「行かないほうがいいよ。どうせ無駄だよ。」と声が聞こえたりします。
このように自分の意思で生きていると思っていても、内部のルームメイト達と一緒に
生活しています。
あなたはいつになったら、本当の自分の人生を生きるのでしょう。
あなたは誰ですか?
名前は両親や誰かが命名してくれました。
では本当の名前は?
あなたはどこから来ましたか?
お母さんのお腹の中に10ヶ月いたことは分かります。
ではお母さんのお腹に来る前はどこにいましたか?
あなたはいまここに居て、どこへ行こうとしていますか?
行き先はどこですか?
そこへ行くためにはどうすればいいのですか?
そのときが来るまで、あなたはこの世界でなにをするつもりですか?
あなたがこの世界へ来た目的はなんですか?
あなたがいま認識している「あなた」とは誰ですか?
あなたは誰かの評価を自分と認識しているだけではありませんか?
たとえば、「優しい人」、「頭がいい人」、「勇気がある人」など・・・
でもその評価は「誰かよりも」という比較に基づいていませんか?
評価していない、そのままの「あなた」は誰ですか?
あなたは自分の感情を「自分」と誤解していませんか?
感情や思いなどは実体がありません。ですから「あなた」ではありません。
では「あなた」とは誰ですか?
あなたが「あなた」でなくて、どうしてあなたの人生を生きられるのでしょう。
HPやブログで多くの記事と出会います。
すべては波動です。すべてに波動があります。
書いた記事には、筆者の波動が吹き込まれています。
読者は記事の内容を読んでいるだけではなく、筆者の波動の中にいます。
筆者と同じ波動を持つ人は共感できますので、心地良く感じます。
反対の波動を持つ人は、とても心地が悪くなります。
これは宗教でも思想でも同じです。
同じ波動を持つ人同士が集まっています。
多くの記事の中に感情が隠されています。
特に急速に多くの読者を集めている記事に、顕著にこの特徴が表れています。
何かをターゲットにして、それをみんなで攻撃します。
相手は悪であり、自分たちは正義と思っています。
自分の行動の原因の正当性ばかり言っていますから、本当の原因がわかりません。
その原因は自分の感情です。その感情は妬(ねた)みと怒りです。
妬(ねた)みと怒りはエネルギーですから、自分の中で少しづつ溜まっていきます。
自分を正当に評価してくれない、認めてくれない、思うようにならない・・・
それに反して、自分よりも能力が無い人が成功している・・・
自分にはお金も、人脈も、支持者もいない・・・
こんなに真剣に、一生懸命に、相手のことを考えているのに・・・
なぜ自分は認められないのか・・・
なぜ自分は愛されないのか・・・
こんな仕打ちは不当であると怒りの炎が燃え出します。
こんな世の中やシステムはぶっ壊してやると怒りが爆発します。
そして共感を求めます。
同じ思いの人々はすぐに共感して集まります。
でも違うのです。
相手を攻撃しても、事態は決して変わりません。
もしあなたが認められたいと思うなら、先ず自分の怒りを静めましょう。
怒りは怒りの反撃を呼び、一層大きな怒りへ拡大するだけです。
それで戦争にもなることがあります。
あなたが他人に認められたい理由はなんですか?
あなたは自分が寂しかったのではないのですか?
それでみんなが自分に愛情を注いでくれることを期待して、努力してきたのではありませんか?
決してそれが間違っていたわけではありません。
ただあなたは解決を外部へ求めただけなのです。
あなたは自分へ愛情を注ぐことに気づかなかったのです。
自分を愛することは自己愛だからと禁止されたからです。
愛とは自己愛のことです。
愛がある人とは自分が愛で満たされた人のことです。
それに気づいたら、相手を攻撃したりして傷つけ合うことを止めましょう。
毎日自分と向き合いましょう。
傷ついている自分に気がついたら、優しく声をかけましょう。
「ごめんね。もう傷つけないからね。大好きだよ。」と。
もし多くの人が攻撃を止めて自分を癒したら、世界はすぐに平和になります。
日本人は島国で他の民族との交流に乏しい特徴があります。
同じ顔、同じ言葉、同じ文化、同じ宗教(戦前は天皇を頂点とする宗教国家でした。)に慣れています。
そのためすべてを均一にしなければ気がすまない傾向があります。
北海道のアイヌ、沖縄、台湾、朝鮮半島、中国の満州など植民地にすると、すべてを日本色に染め替え
なければ気がすみません。
個人の名前や山の名前も日本名に換え、言葉も日本語を強要し、宗教も天皇崇拝を強制しました。
これを同化と言います。同化しなければ排除することが当然と考えています。
この同化思想は世界的に見て、最も排他的で危険な思想です。
自分の民族以外の存在を認めないのですから。
大陸は国境が戦争の度に変更されます。
土地には多くの人々が住んでいます。ですから国名が変わるのですが、文化はそのままです。
お互いがそれぞれの文化や宗教、慣習を認め合うように幼児教育から徹底されています。
日本人は違いを見つけると、同化しないことを責めていじめます。
親がいつもそうしているのですから、子どもはそれを当然と受け止めています。
それで仲間といつも同じでいようと努力しなければなりません。
沖縄、アイヌ、在日朝鮮人は元より、最近では中国、ブラジル、イラン、イラクからの労働者
家族が差別やいじめの対象になっています。
これではいくら対外経済援助をしても、海外で尊敬されることはありません。
1国の総理大臣が自分の主張だけにこだわって靖国神社へ参拝しても、他国の理解を得られなければ
単なるトラブルメーカーに過ぎません。つまりリーダーとしては不適格人物です。
このように自分のことだけで、相手の意向に配慮できなければ友好は成り立ちません。
かってモンゴル帝国が世界制覇をしたとき、相手の宗教や文化を変えるように求めませんでした。
日本軍が占領地政策で行った同化の強制とは反対でした。
報道の自由を守り、記者の安全を守うと「国境なき記者団(RSF)」というNGOがあります。
発表された「2004年度報道の自由度マップ」によると、欧米諸国が「良好」であり、アフガニス
タンなどの紛争国やアルゼンチンなどの軍事独裁国が「やや問題あり」です。日本は韓国と同じく、
中南米、南米、コンゴ、ガーナなどのアフリカ諸国並みの「やや良好」です。
日本人の政治センスは残念ながらこんな程度なのです。
| 2006年03月24日(金) |
「幸せ」になりたいですか? |
「幸せになりたい。」と人は言います。
「この幸せが続きますように。」とも人は言います。
「幸せになりたい。」はこれから幸せになるのですから、いまはあまり幸せではないのでしょう。
幸せになることを期待していますが、具体的な行動の予定は未定ですから、達成は幸運によるのでしょう。
「この幸せが続きますように。」は今の幸せが長く続くことを期待していますから、いま幸せなのでしょう。
でも今の幸せを維持しようとする意図がありますので、大きな変化を求めないでしょう。
このように「幸せ」を求めても幸運を待つか、大きな変化は歓迎していません。
これではなかなか「幸せ」を現実化することは困難でしょう。
もし今の「幸せ」に満足していても、将来への不安はあります。
自分も家族も成長し、いつか年をとっていくことは確実です。
また病気やけがや天災や失業など、不安の要素はいっぱいあります。
自分の体力や気力は衰弱し、いまの美貌もいつか輝きを失うでしょう。
そして自分は相手から無価値な存在になることを恐れています。
これでお金が無ければ、誰も相手にしてくれないと思っています。
ですから、年をとることは恐ろしいことになります。
しかも自分という存在が消えてしまう「死亡」は、最も恐ろしいことです。
このように絶対逃れられない「死亡」が将来に待ち構えています。
「死亡」の恐怖と戦いながら生きる人生はとても苦しい人生です。
高齢化社会とは、この「死亡」と戦う苦しみの期間が長くなったことを言います。
人生が苦しいものであるなら、長寿社会は歓迎される社会ではありません。
このように「幸せ」になることは簡単ではありません。
このままの状態を維持することでさえ、殆ど不可能に思えます。
それならどうすればいいのでしょう?
どうすれば少しでも「幸せ」になれるのでしょう?
いまの状態では「幸せ」になれないのですから、いまの状態をやめるしかありません。
いまの「幸せ」にしがみついていることをやめて、積極的に「幸せ」になることに努力しなければ
なりません。
そのためにはいままでの生活パターンや価値観を変えなければなりません。
自分にとって必要なことだけに専念しなければ、時間は無駄に過ぎて行くでしょう。
自分にとって必要なことを知るためには、真実の自分を知る必要があります。
他人から見た「自分」ではなく、思い込みを排除した「自分」のことです。
もし本当の「自分」を見つけることができたなら、後はそれほど難しくありません。
本当の「自分」にとって必要なことだけに専念する人生を送ればいいのですから。
他人の評価を気にして生きることはなくなるでしょう。
自分がきらいな相手と付き合う必要もなくなるでしょう。
自分がいやなら今の仕事はやめるでしょう。
お金だけのために仕事をする必要もなくなるでしょう。
自分が好きなことに専念して、楽しく人生を暮らすでしょう。
そんな楽しい仲間が、あなたの周りに集まるでしょう。
そしてあなたは「幸せ」な人生を生きるでしょう。
そんなに外見は豪華でなくても、シンプルで豊かな人生を暮らすでしょう。
間もなくそんな社会が来ると思います。
そうならなければ人類は「幸せ」になれないからです。
| 2006年03月23日(木) |
「私になりなさい。」 |
昨日の早朝、日の出を見ながら瞑想していました。
私の中の不用なエネルギーを取り出して捨てました。
朝日を体内へ取り入れました。
その後、自分の中で動いた大きな存在がいました。
その存在は、先ずゆっくり左の肩を上げました。
次に右の肩を上げ、そして頭を持ち上げました。
それからゆっくりと立ち上がりました。
堂々とそそり立つとても大きな存在でした。
まるで観音さまの立像のように見えました。
私が「どうぞお名前を教えてください。」とお願いしました。
すると第三の目に痛みのような衝撃を感じました。
「智積菩薩」と文字が浮かんできました。
「私になりなさい。」という言葉が聞こえました。
「智積菩薩」さまは、仏教では多宝如来さまと共に居られる菩薩さまです。
多宝如来さまは、お釈迦さまの説法を賞賛応援された如来さまとして知られています。
「智積菩薩」さまは智恵を積むと書く菩薩さまですから、智恵を使うことと関係があるのでしょう。
今まで「勢至菩薩」さまに助けていただいていましたが、「勢至菩薩」さまは智恵を持って人を
救うといわれる菩薩さまでした。
いまの時代は科学知識や科学技術が評価されています。
科学がこれほど発達しても、その発達が人類の福祉にどれほど貢献しているのでしょう。
19世紀の戦死者数は1980万人でしたが、20世紀は1億人以上に急増しました。
科学が発達して戦死者数は5倍以上になったのです。
この事実は科学の発達が人間の意識を越えて、暴走していることをあらわしています。
自然環境破壊、エネルギー資源の枯渇、産業廃棄物による汚染などの問題を未解決のまま、
景気対策のため消費を増加させようとする政府や経済団体の暴走は狂気でしかありません。
このような危機的な状況にあって、「智積菩薩」さまは智恵を持って危機を克服するように
とメッセージをくださいます。
私はこのメッセージ通りの人生を送るつもりです。
| 2006年03月21日(火) |
アーユルヴェーダ合宿を終えて |
19日から21日までの3日間、伊豆高原のペンションを貸し切ってアーユルヴェーダ合宿を開催しました。
体質別に食事の献立やマッサージクリーム、運動メニューなどを用意し、いつでも温泉に入ることもでき
ました。また宿便を排泄し、消化機能を向上させるようにしました。
近くの城ヶ崎海岸で海から昇る日の出を見ながらの瞑想を2日間しました。
好天で美しい太陽を見ることができました。
食前の感謝の祈りや制限の開放、自分自身との和解などのワークや瞑想を繰り返しました。
その結果、頑丈なブロックが崩れて、ようやく自分自身と和解することができました。
標高580mの大室山山頂で「愛の光のワーク」をしました。
とてもすばらしい体験でした。
帰る途中にある日帰り温泉で疲れを流して帰宅しました。
大勢の参加者の皆様に心から御礼申し上げます。
| 2006年03月19日(日) |
他人を基準か?自分を基準か? |
私たちがなにかをしようとするとき、その行動の選択の基準は他人(自分以外)か自分かです。
ただし、自分といっても殆どの人は自分を理解していませんので、本当の自分の基準がわかりません。
しかし自分にとって快適か、快適でないかは判断できます。
他人を基準にすることは、他人の評価をいつも気にしていることになります。
成功し、お金持ちになり、名声を博すことはすべて他人に認められたい、愛されたいことが基準です。
決して他人基準が悪いとか言っているのではありません。それも選択肢の一つに過ぎません。
健康が優れないのも、家庭問題があるのも、環境破壊や戦争があるのも、すべて他人が基準だからです。
もしあなたが自分(本当の)を基準にするなら、自分が苦しむような生活をするはずがありません。
他人に認められたくて、無理にいやな仕事や付き合いをするはずがありません。
世間や社会が気になって、テレビや新聞、雑誌に夢中になるはずがありません。
世間体ばかり気にして、いまの生活や仕事にしがみついているはずがありません。
自分のかわいい子どもたちに寂しい思いをさせても保育園へ預けて、働くはずがありません。
環境破壊が深刻化しているのに、生活程度を下げるよりも上昇させようとするはずがありません。
このように自分が基準でないことが、すべてのトラブルの原因です。
でもそれを改めないのは、すべての他人がそれを止めないからです。
自分を基準と言っても、本当の自分に気づくことは簡単ではありません。
夜眠るときにハートへ手を置いて、「今日は楽しかった?」と尋ねてください。
「楽しかった。」と答えてくれたらOKです。
「楽しくなかった。つらかった。」と答えたら、
「ごめんね、明日は必ず楽しくするね。」と約束してください。
これが自分を基準にした生き方です。
みんながこのような生き方をしたら、世界は今日から平和になります。
| 2006年03月18日(土) |
「統合」と「神人合一」 |
昨日早朝瞑想していたとき、自分の内部で声がしました。
「大いなる光と統合する。」
その言葉が難解も繰り返されました。
自分の中で大きなエネルギーが動いていました。自分が変わったことが分かりました。
次に「大いなる意識と統合する。」と声がしました。
その言葉が難解も繰り返されました。
また大きなエネルギーが動き出しました。さらに自分が変わったことが分かりました。
自分と「宇宙の光」、「宇宙の意識」が一つになりました。
目を瞑ると自分が光でしかないことがよく分かりました。
昨夜友人をヒーリングさせていただいていたときです。
「神と一つになる。」と自分の内部で声がしました。
神と自分は同じであると思っていました。
しかし思うだけで、神と自分は無限の距離を隔てて存在していました。
ですからこんな声を聞いても半信半疑でした。
「神と自分が一つになれるなんて、まだまだ」とどこかで思っていましたから。
自分と何かを隔てている白いカーテン状のものがありました。
私はその右端を持って、引き抜き始めました。
しばらくその長い白いカーテン状のものを抜いていました。
それを引き抜き終わったとき、自分の前になにか大きな存在がいました。
私はその存在と一つになりました。私がその中に溶け込んだのでしょう。
一瞬にして巨大な存在になりました。
自分が宇宙と一つになりました。
いままでも瞑想中に宇宙と一体化していましたが、今度はそれと比べようがありません。
全くの一つですから、自分の存在感が桁外れに巨大なのです。
いままでの「ワンネス」が紙切れのように薄っぺらに感じました。
これが「神人合一」でした。
ここまで私を導き育ててくださったすべての存在に心から感謝します。
そしてここまでよく付き合ってくれた自分自身に心から感謝します。
誰でも自分の家族を愛します。
自分の妻や夫、子どもを愛します。
自分の両親、兄弟姉妹、一族を愛します。
自分の生まれ故郷、生まれた自然環境を愛します。
自分が生まれ育った故国を愛します。
それは当然です。
自分が愛する家族の一員であることが、大きな支えになります。
同じ仲間が頑張っている、サッカーのワールドカップに熱狂します。
オリンピックで金メダルをとれば、我がことのように喜びます。
この一体感が、自分を支える柱にも大地にもなります。
このような一体感はしばしば問題を起こします。
熱狂したサッカーのサポーター同士が、競技場内外で乱闘することもあります。
自分たちがサポートしているチームが負けたりすると、相手チームへ嫌がらせをすることがあります。
これは自分勝手な感情がすることですが、大勢になると暴徒化することがあります。
1923年の関東大震災発生時には、暴徒化した東京都民がデマを信じて数千人の朝鮮人を殺したそうです。
戦争は民族対民族の戦いであることが多く、いわゆる民族という名の血の戦いの様相を呈します。
いかに文明や科学が発達しても、精神的な面では蓄積ができません。
生まれてから肉体の成長に合わせるように、精神的に成長していきます。
100年前、200年前、500年前、1000年前と比べて、現在はどれほど成長したのでしょう?
ほとんど成長していないように思われます。いや、年々幼稚になっているように思われます。
マスコミが情報を氾濫させているので、自分がなにを信じているのか分かりません。
テレビや新聞の論調が、まるで自分の考えになっているように洗脳されています。
1年間に読む本の数がテレビが普及する以前よりも遥かに少なくなっています。
これでは自分が誰であるかを追及することさえ不可能です。
ということは、マスコミの言うなりになることを意味しています。
自分が判断できないことは、とても危険なことです。
このように民族主義は国、マスコミという支配者によって扇動されます。
国は民族が無ければ成り立たないからです。民族対立を煽っているように見えます。
小泉首相の靖国神社参拝などはいい例です。
私たちはこのような扇動に影響されることなく、自分の意思を持って生きなければなりません。
誰でも自分の家族を愛するように、相手もまた自分の家族を愛しています。
ですから対立ではなく、お互いが理解しあうことがたいせつです。
自分を捨てたら困ります。
自分をたいせつにしなければならないことは当然です。
ここに大きな問題があります。
「自分」とはなにかという問題です。
「自分」とは「自分」です。これも当然です。
しかし「自分」がいま考えている「自分」は、本当の「自分」でしょうか?
この肉体は「自分の本質である魂」が地球で活動するための宇宙服です。
違う言い方をすれば肉体は「乗馬用の馬」で、乗り手が「自分の本質である魂」です。
「肉体」または「乗馬用の馬」の考えは、実は「宇宙服」か「馬」の考えということになります。
それでも構わないのですが、「自分の本質である魂」が不在では本来の目的を達成することはできません。
ここで言う「自分を捨てたら・・」の「自分」とは、「宇宙服」か「馬」の「自分」のことです。
「宇宙服」か「馬」の「自分」の勝手な考えを捨てたら・・という意味です。
いつまでも「自分が信じ込んでいる自分」に振り回されています。
その「自分」は、両親や友人、先生、マスコミなどに教え込まされた「自分」であり、
真っ白な正絹のブラウスを、墨汁のバケツに漬け込まれたように染められています。
世界中で数千年間も戦争が続くのは、民族、宗教、文化などの違いが、違う色に人々を染め上げて
いることが原因です。
この違う色に染めたことが差別になり、対立を起こし、攻撃が戦争へ発展します。
日本国内でも朝鮮半島の人々や中国大陸の人に対しての差別が根強くあります。
このように「自分」と考えている「自分」は、思想的にも色づけされた「自分」です。
幼少の頃から「あれがダメ、これがダメ」とできないことを烙印された「自分」です。
周囲からの評価を信じ込んで、落ち込んでいる自分のことです。
この「自分」は、先ほど言った「宇宙服」か「馬」の「自分」です。
このような「自分」は、本当の「自分」ではありません。
しかしこの「自分」を信じている限り、本当の「自分」の出る幕はありません。
それでこのような「自分を捨てたら・・」という言葉が出てきます。
自分と思い込んでいる自分を捨てたら、すばらしい「自分」が現れるでしょう。
あなたも試してみませんか?
| 2006年03月13日(月) |
スピリチュアルなことをしていれば神様は見捨てない? |
ある著名な方のメルマガにそう書いてありました。
確かにその方も、きっとスピリチュアルなことをしてきたのでしょう。
スピリチュアルなことをしていれば何とかなるのでしょうか?
しかし私はそれだけでは甘いと思います。
私たちが大きな間違いをしているのは、神様を見ないで人を見ているからです。
神様の声を聞かないで、人の話ばかり聞いているからです。
神様を感じないで、人のうわさや評価を気にしているからです。
神様がこんなに困っている自分を助けてくれないはずがないと思っています。
こんなに小さな子どもを助けないはずがないと思っています。
これは人情とという人間だけの感情ですから、神様には通用しません。
しかし神主や僧侶は人情で話をします。それがまるで神仏の気持ちを伝えているような
誤解を生んでいます。
人情は人間だけの感情です。
「かわいそう」という感情は人間だけの固有の感情です。
人間は人情をとても巧妙に自分本位に使います。
ペットならかわいそうでも、魚や植物はかわいそうではありません。
自分が食べるときはおいしいと言いますが、自分が食べられるのは困ります。
かわいそうを連発する人は、自己憐憫な人が多いと思います。
こんなに自分がかわいそうだから、みんなに優しくしてもらいたいと言いたいのです。
自分に優しくしてくれることを要求していますが、優しくしてくれなければ攻撃します。
このように人情はとても身勝手です。こんな身勝手な要求を神様が聞いてくれるはずがありません。
それなのに毎朝神仏に手を合わせて、ああしてくれ、こうしてくれと要求ばかりしています。
そんな身勝手な人を神様は遥か高いところから慈愛の眼差し(まなざし)でみてくれています。
それは「お前たちを信じているよ。だから自分で幸せになりなさい。」との思いです。
私たちは神様の子であり、分身でもあります。
どんな現実でも現実化できるのは、自分が創造神だからです。
ですから神様は私たちが幸せになると信じて見てくれています。
「所詮人生自己満足」というタイトルで書いてみました。
「言葉は意を尽くせない」と言います。
読者は言葉を自分の感覚や感情で判断します。自分と他人は感覚が一致するとは限りません。
「愛」という言葉も「異性愛」、「母子愛」、「家族愛」、「人類愛」などなどいろいろです。
「愛」と聞いただけで勝手に空想されてしまいます。これでは伝えたい意は伝わりません。
「自己満足」という言葉もまた、聞く人によっては様々に受け取られるのでしょう。
多分、「自分勝手に満足すること」であり、「他人から見たらたいした満足ではないような程度
の満足」と思われるのでしょう。
しかしここでいう「自己満足」とは満足度のレベルをいうのではありません。
自分自身が満足したことを表す言葉です。
ですから他人の評価とはまったく違うものです。
「自分が満足したなら、それを他人がなんと評価しようと構わない」という意味です。
ですから人生は、その人の「自己満足」に間違いありません。
他人の評価に関係ない、自分が満足を感じる人生を送るだけのことです。
そして神様はじっと人の人生を見ておられます。
深い慈愛の眼差し(まなざし)で。
昨日まで今年2回目の九十九里浜ツアーに行って来ました。二泊三日でした。
ここは全長60kmという全国でも有数の美しい海岸線と、雄大な太平洋が魅力です。
「一望千里」という言葉がありますが、どこまでも平坦な風景はとてものどかです。
工場もほとんど無く、ゴミ焼却場の煙突しか見えません。
温暖な房総半島の風はとても緩やかです。
太陽の日差しもとても豊かです。
かってはいわし漁で栄えた浜辺はサーファーの遊び場所となっています。
海岸保護のため、車両の乗り入れ禁止は当然と思います。
(わが富士市は海岸へ車両が乗り入れています。)
自然豊かな九十九里浜にも悩みはあるようです。
浜辺沿いの道路に車を走らせると、3〜4軒に1軒位の割合で空き家が目立ちます。
土地柄、リゾート用の別荘も多いのでしょうが、永年使用していない空き家が目立ちます。
工場や産業の誘致と自然保護はお互いに矛盾を持ち、難しい課題です。
2箇所のガソリンステーションで給油しましたが、老朽化した建物と初老のオーナーが一人で
営業されていました。私はこれでいいのだろうと思いますが、当事者はどう思うのでしょう?
2〜3ケ月に1回の割合で、自分のワークへ行くつもりです。
田舎の農家の4男として生まれた私には、とても肌にあう場所です。
| 2006年03月10日(金) |
ただいま帰宅しました。 |
九十九里浜から帰宅しました。
1月に行って来てから、変化が加速されていました。
今回二泊三日のツアーでした。
昨日の日の出は犬吠崎、今朝は光町木戸浜でした。
あいにくの曇りで朝日を直接見ることができませんでしたが、目を瞑ればいつもの朝日が
見えました。感謝と祝福をおくらせていただきました。
朝日が見えなくても数百、数千メートルの厚さの雲の上には太陽が必ず存在しています。
雲は水蒸気で水の粒子ですから、光はその間を通過して来ます。
ですから雨が降っていても、朝日を浴びることは可能です。
蓮沼海浜公園とそれに連なる浜辺はとても雄大でした。
この付近には数々のリゾート施設が軒を連ねています。
国道や県道からさらに海辺に近い道路沿いですので、いまの季節は閑散としています。
地元の皆さまにはお気の毒ですが、過疎の方が自然環境が豊かでうれしいです。
産業や工場を誘致して雇用を作っても、空気や海が汚染されたら大変です。
1昨日、湾岸線で川崎を通過したときに痛感しました。
今回もいろいろな気づきがありました。
これから具体的な方法について検討していきます。
| 2006年03月08日(水) |
いまから出発します。 |

いまから九十九里浜へ出発します。
1月に行ったところですが、今回は3日間のツアーです。
変化は待っていても起きません。
自分が刺激を与える必要があります。
神に祈っているだけでは変わるはずがありません。
「天は自らを助ける者を助ける」というではありませんか。
変化はすべて意識の問題です。
意識が変われば地上で見るのと、上空から見るほどの変化があります。
宇宙飛行士がスペース・シャトルから地球を見て意識が変わり、人生
が変わったと報道されています。
安定は不安な心が求めます。ですから冒険する勇気が起きません。
希望は勇気を与えます。自分を信じれば希望が湧きます。
| 2006年03月07日(火) |
明日から九十九里浜です。 |
明日から三日間、九十九里浜へ行きます。
1月に犬吠埼へ行って以来、二ヶ月ぶりです。
今回も前回同様に瞑想とワークが目的です。
後は近くの日帰り温泉でゆっくり過ごします。
こんなに忙しく働く(と言っても、世間の皆さまの労働とは比較になりませんが)私に
付き合ってくれる自分に感謝しています。
ですから、なにもしないでのんびり過ごす時がたいせつと思います。
それでも往復640kmありますから、二日目だけが休日のようなものですが・・・
昨年末から急激な変化が続いています。
光と合一する時にはまるで大嵐の中の船のように、細胞がギシギシときしんでいました。
上昇するほど軋みが増えて、ばらばらになるかと思いました。
でもここまで来て中止はできません。
「死んでもいい、死んでもいい・・・」と必死で言い続けていました。
そしてついに「光の世界」を突き抜けました。
いや、そこも「光の世界」なのでしょう。
私は自分を知りたいだけです。
「本当の自分はなんだろう?」と思っているだけです。
それを続けて40年経ちました。
ようやく自分が見え始めたような気がします。
| 2006年03月06日(月) |
優先しなければならないことがあります。 |
自分と他人(自分以外の人)との区別がつかない人が多くいます。
また自分と思っている自分が、感情や思考によって「創られた自分」であることに気づかない人が
圧倒的に多いのも事実です。
このように「創られた自分」は、いつも他人の目を気にして生きています。
自分が他人から批判や非難されることに過敏に反応します。
「何かをしなければならない」と思っても、「仕事を休めない」とか「家族に言えない」と言います。
他人の批判と言っても、十人が十人同じ意見ではありません。
テレビや新聞、あるいは常識といったものを根拠にしているに過ぎません。
かって他人の批判や非難を気にしていた英雄がいたでしょうか?
発明や研究で実績をあげた研究者で、学会や学者の批判を気にしていた人物がいたでしょうか?
自分を見失っていて、感情の固まりを自分と誤解しているのに過ぎません。
そんな自分ですから、どんなに自分のハートや肉体が苦しんでいるかもわかりません。
ハートや肉体が苦しんだら、「魂」は抜け出てしまいます。
「魂」が抜け出てしまったら、肉体は空き家になりますから、その辺でうろうろしている
野良犬が住み着いてしまいます。こうして何十という野良犬が誰の中にもいます。
この野良犬は、亡くなって天国とかへ行かなければならないのに、まだこの世に執着があり
お迎えを断って、数百年もうろうろしている連中のことです。
有史以来無限に近い野良犬がいるので、「魂」が抜け出てしまった肉体は格好の住居になっています。
私はこのことに気づいていましたが、アセンションして初めて上空からこの実態を知りました。
この野良犬を追い出すことは可能です。
私たちは苦しまなければ、このような事態にはなりません。
マスコミと学校教育の影響でこのような状態になっています。彼らの責任は重大です。
しかしいい大人が、自らの人生に責任を持たないことは異常です。
疑問を持ち、それを探求して、自らの生き方を明確にするのは自分の義務でしょう。
誰にも真実があります。
それは誰もが真実であり、生きていることが真実だからです。
その真実とは比較の真実ではありません。誰かと違うとか、聞いたことと違うとかです。
また、真理と呼ばれているものとも違います。
人は一人ひとりが真実そのものです。
その人生は真実そのものです。
ですから一人ひとりの真実は尊重されなければなりません。
たとえその人の人生がどんなに悲しみや苦しみに満ちていても。
「神」はそれをじっと見ています。
「神」はその人が気づくまで、じっと待ってくださいます。
たとえ今回の人生で気づかなくても、決して見捨てることはありません。
何回も失敗を繰り返しても、決して責めることはありません。
そこに大きくて深い慈愛があります。
人情とか同情などという薄っぺらではない愛情があります。
決して見捨てられず責められないのですから、罰を受けることはありません。
罰を与えるのは人であり、宗教団体です。
自分と違う真実であっても、決して非難や批判されるものではありません。
その人は自分の人生を生きることで、真実の責任をとっているのですから。
私たちはそこまで「神」に信じられた存在です。
ですからその信託に応えなければなりません。
私たちが生きる「真実」が「神」の真実と一致するように努めなければなりません。
それができるとか、できないとかではなく、真実を生きなければなりません。
なぜなら、人は最初から真実を生きているからです。
「神」の慈愛に応えて生きることが、最も大切な真実の生き方です。
| 2006年03月04日(土) |
世界が100人の村だったら (動画編) |
せせらぎの会☆Hozuma☆さんからこのようなメールをいただきました。
どうぞご覧になってください。
http://www.oasisjapan.org/100nin.html
私たちは物質世界に生きています。
そこでは親が子供を生み、DNAは情報を伝えていきます。
人類の先祖のDNAはほんの数人にまで絞られているそうです。
こうしてすべての人は共通であるという認識があります。
このような生物学的な考え方に私たちは大きな影響を受けています。
私たちは一人ひとりが別の意識で生きています。
言い換えれば、一人ひとりは異なった意識の世界に住んでいるとも言えます。
ここで大きな疑問を生じます。
一緒に生活しているのに、異なった世界に同時に住むことができるのかと。
しかし真実なのです。
肉体が生きているのは物質世界という三次元世界です。
意識は物質ではありませんから、高次元世界に住んでいます。
ここで賢明な皆様は気づかれるでしょう。
他の人と一緒にいても、違う世界にいるような感覚になるときがあったと。
そうなのです。一人ひとりは異なった意識の世界に住んでいるのですから、
他の人と肉体的には一緒にいても意識は一人なのです。
ただ、その真実を知ることを避けているのです。
哺乳類は感情を持っていると言われます。
「自我意識」は人類だけが持っているそうです。
この「自我意識」が高次元と繋がっているのです。
言い換えれば「自我意識」によって、人は高次元に生きることが可能です。
これができた状態を「悟り」と言います。
肉体と呼ぶ物質と意識と呼ぶ高次元の存在を、はっきりと区別する必要があります。
| 2006年03月02日(木) |
なぜこんなにつらいのでしょう?(つづき) |
幼少時からの家族環境が問題であったことはわかりました。
これ以外にも原因があります。
1 永い間に作った感情が溜まって大きなエネルギーになります。
人はつらい経験を忘れなければ生きていけません。ですから忘れようとします。
「どんなにつらい経験でも年月が過ぎれば解決する。」と慰めます。
しかし記憶から外しても、自分が創り溜めた感情は日記帳のように克明に記憶し
蓄積されています。
エネルギーは意識体ですから、別の存在として自分を支配します。この蓄積された
感情を自分と思っている人は多くいます。そのためこの感情に支配されて身動きが
できない人がとても多くいます。
2 幼少時に寂しかったり、悲しかったりした時期が長かった場合、同じ感情のエネルギ ーを持った霊的な存在が、まるでルームメイトのように同居してしまいます。
この霊的な存在は、かって亡くなったときに何らかの執着によって「光の存在」の
ガイドを拒否してこの世界に居残りました。何百年もさ迷っていて、誰かの肉体に
ルームメイトとして図々しく居座っています。
このため、本来の主人公である「魂」は体外へ押し出されてしまいました。
3 自分が悲しんだり苦しんだりすることで、自分の魂(神)は抜け出してしまいます。
宇宙の叡智と無関係になりますから、欲望や本能だけで生きることになります。
闘争と競争を繰り返し、意識が向上しない理由となっています。
これを改善するためにはリラックスが必要です。リラックスできれば溜まっていた感情の開放
が可能です。ストレスは軽減され、心身の健康は増進します。
| 2006年03月01日(水) |
なぜこんなにつらいのでしょう? |
なぜこんなにつらいのでしょう?
つらい理由を知っていますか?
つらい理由を見つけるのはそんなに難しくありません。
� ,弔蕕ぞ�態でいるから。
�◆,弔蕕ぞ�態をやめないから。
�� つらい状態をやめる方法が見つからないから。
�ぁ,弔蕕ぞ�態でいた方が、他の選択よりましだから。
�ァ,弔蕕ぞ�態をやめる勇気や他の選択する勇気がないから。
�Α,弔蕕ぞ�態でいた方が、周囲の人の同情を得られるから。
�А,弔蕕ぞ�態を維持することで、相手に復讐できるから。
まだ他にも理由があるのでしょうが、思いつくまま書いてみました。
例え、それが病気やけがなどのトラブルであっても、理由は同じです。
つらい状態をやめることができない理由は
� ー�分にはつらい状態がふさわしいから。
�◆ー�分にはつらい状態をやめる勇気がないから。(前述)
�� 自分に対して愛情がないから。
�ぁー�分に対して価値や評価が低いから。
�ァー�分が幸せになれると思わないから。
�Αー�分の目的がないから。
�Аー�分には能力や学力、お金がないから。
�─ー�分は運が悪いから。
�� どうせなにをしてもムダだから。
このように自分の力=エネルギーを奪ってしまう考え方をしています。
これでは一生、変化や向上することは不可能です。
しかしこうなった原因があります。
� ,い弔睥梢董覆泙燭亙區董砲篝萓犬房犬蕕譴動蕕辰拭�
�◆[梢董覆泙燭亙區董砲篝萓犬傍埖圓気譴拭�
�� 両親(または片親)や先生に他の人と比較された。
�ぁ[梢董覆泙燭亙區董砲篝萓犬頬�められたことがない。
�ァ[梢董覆泙燭亙區董砲龍鮹圓簓塰�をいつも聞かされた。
�Α[梢董覆泙燭亙區董砲篝萓犬冒蠱未靴討眸歡蠅気譴拭�
あまだまだあるでしょうが、このように否定されて育つと、自分を信じる
ことができなくなります。これでは自己評価は低くなります。
どうせなにをしても叱られるだけと思っていますから、現状を改善する
勇気は起こらなくなります。
ですから幼少時の環境はとても大切です。
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