以前、靴ベラのような、バターナイフのような形の金属製の栞を使っていると書いた。 その時は、よく引っ掛けて落としてしまう、と書いたけど 実はまだその栞は使っていて、大分慣れて、引っ掛けても落とすまでは行かなくなった。 本来は今も、カード型で上に平紐がちょんと結んであるタイプのものが一番いいと思うけど、悪くはないな、と。
何でそうなったのかなとちょっと考えたら、「気をつける」の一言だった。鞄に本そのものや他のものを傍に出し入れする時、ちょいと押さえてみたり、そうでなくても少なくとも手元を見ながら作業する。 それは手間かもしれないけど、無ければ越したことがなくてその分楽になるけど、 無ければそれは、気遣いの無いがさつで粗忽なことだと思う。
実はこれ、時代劇を見ていて思ったことだったりする。 おかみさんが知り合いのお爺さんに一杯だけお酌をする。その時に袂をちょっと押さえる。そんなシーン。 まぁ和服なら当たり前の所作なんだけど。 和服の袖、袂と言うのは本当に非実用で要らないように感じてしまう。 でも何かちょっとするとき、押さえたりちょいと帯に挟み込んだり、長引きそうならひょいと襷がけにする。そのちょっとした動作に品や時には艶気を感じる。
それとおなじ事。 ちょっとばかり女っぷりが上がるかな? そんな、ささやかなちっぽけな、野望だったりする。
合掌
VIVA DEMOCRACY! くたばれ皇帝!!
毎年恒例の6月1日の雄叫び(笑) 今年はCSで放映している銀英(日曜版)で、ちょうど昨日魔術師が逝き、なんて出来すぎな展開なんだろうと思いつつ涙したのでした。
今年もつつがなくこの日を迎えられたことに百万の感謝を
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