沖縄ボーイズ 〜前回までのあらすじ〜
晴美の自分への想いを理解しながら、はぐらかし気のある素振りをちらつかせることを止めない凛。一方永四郎も相変わらず、体を重ねた相手に対して特別な感情を抱くことができない。
長い間そんな永四郎を想い続けていた知念はついに永四郎を抱き締める。しかしあっさりと体を開こうとする永四郎に「欲しかったのはあんたの心だ」と言い残して去る。チームメイトとして自分なりに気持ちを傾けていた知念に核心を突かれ永四郎はショックを受ける。
誰かを愛せない永四郎に自分自身を重ねていた凛は、永四郎の動揺を癒そうとするように彼を抱く。それ以来、晴美に対する思わせぶりな態度を一切止め永四郎とだけ体を重ねるようになる凛。永四郎も別の相手と関係を持つことはなく、二人が付き合うことで平穏が訪れるかに見えた。
凛を思い切ることができない晴美は、隠りがちになり一層酒に溺れる。そんな晴美の元へある日永四郎が訪ねてくる。晴美の投げやりな生活を放っておけない永四郎は度々アパートへ通い食事や身の回りの面倒を見始める。それが永四郎の、凛に対する愛情からの行動だと知りつつも、晴美は次第に立ち直っていく。
凛自身も永四郎が自分に特別な気持ちを持っていることに気付く。同時にその感情が永四郎の望む「たった一人への恋愛感情」ではないことも感じていた。やがて卒業を迎えると凛と永四郎の仲は自然に疎遠となる。凛は新しい恋人をつくり、永四郎も前のように奔放な一夜の恋を繰り返す。
しかし永四郎の火遊びが刃傷沙汰に発展。腹部に重症を負った永四郎は意識不明の状態となる。意識が回復して数日後、凛がひとり永四郎の病室を見舞う。
■第11回「めぐる夏」
「突っ立ってないで」
自分でも信じられないほど心は落ち着いていた。
「入りなさいよ、平古場クン」
わずかに開いたドアの向こうの廊下は青く薄暗かった。凛の長い髪が銀細工のように暗く光って見えた。永四郎は腹の上で畳んであった眼鏡を掛け、凛を迎える準備を整えた。
「今が来たんだよぅ」
「昨日もいたでしょう」
「‥‥はぁヤァ」
ずるずると、引きずるように凛は扉をくぐった。乱雑に置かれた椅子のひとつに手をかける。座るとすぐ、ぽとりと落ちるように、凛は永四郎の膝に頭を預けた。
「気付いてたのかよ」
「いや、カマかけたんだけどね」
「あ?!」
「昨日はほら、晴美が来てたから」
その姿を見たらきっと凛は病室へは入って来ない。確信というほどじゃない何となく、そんな気がしただけだ。けれど凛にすれば見透かされたということになるだろう。照れくさいのか、単に居心地が悪いだけか、不機嫌なうなり声が洩れた。
「いんちき‥‥」
鼻先をシーツに擦り付ける、小さな頭は猫のようだった。
町で何度か見た。高校の先輩か大学生か、男と親しそうに並んで歩く亜麻色の髪を、通りの向こうに見つけた。同じ道でばったり出会さなかったのはそれが自分達の運命のように思う。宿命と言った方が上手いか。とにかく、凛は自分とはちがうのだとその時、感じた。根本はもしかして同じなのかもしれないが、少なくとも恋人をつくることができる。移り気に何度取り替えても、同じ相手をしばらくは隣においておける。
本当は、そうだから晴美とも付き合うことができたのかもしれない。顧問と部員、教師と生徒の関係が解消されてしまえば、ごく普通に恋人のように会ったりしたのかもしれない。それは長く続いたとは思えないけれど、紛いなりに恋人として別れたのなら、二人の間はもっとありきたりな感傷で済んでいたのかもしれない。
「てゆうか、今の自体がひっかけ」
「何は?」
「まだ晴美のこと避けてるの」
ソンナンジャネーヨ、と言った凛の声はまるっきり聞こえなかった。ああ、言ってないのか、と永四郎は気付いた。凛は言ってない。言いたかっただけだ。言おうとしただけ、それがあまりに不出来で吐くのがためらわれた嘘なのだ。
「あいつが」
一年ぶりに手の届くところにある、日に焼けた髪に触れたいと思った。
「ハルミが泣いてっと、俺のせいなよーな気がするんさー」
「うん」
「まだよくわかんねー。あいつはもう俺のこと好きじゃないんだ、とか」
「うん」
「もう俺のことずっと見てるわけじゃないんだとか、だから」
「うん」
「今でも、」
「泣いてるのは君でしょうが」
永四郎は凛の頭に手を置いた。懐かしい匂いが立ちこめるようだった。髪の手触りまで覚えるほど繰り返し抱き合ったのは彼だけだ。愛しいと感じてこの髪に口付けた。恋と呼ぶようなものでなくとも、その時のせつなさは本当だった。
凛の涙は白いシーツに吸い込まれていった。ただ静かで、自分の腕に繋がれた点滴のようだと永四郎は思った。
(続く)
続かねーよ!
この後退院した永四郎は凛と、比嘉中のテニスコートに忍び込んでテニスをします。
真っ青な空の下で激しく打ち合う二人。永遠に続くかと思われるラリー。
その強靱な肉体の動きと巧緻なラケットさばきに感嘆の声をあげる部員たち。
そして駆け付けた晴美の、得意満面の笑み。青春だなあ。
2006年06月13日(火)
■明け星ララバイ■
「橘くんはあんな風にはしなかった」
一呼吸にそう言った後、不二は素早く俺を見た。その目は殴って欲しそうな、殴られるのを期待していたような色だった。実際俺は殴ってもよかったし、殴れるような気持ちになっていたけど、ちょっと違う。そういうことは不二、忍足とかに言うべきなんだ。うん。忍足ならきっと殴ってた。
それにしても、青学の不二は後ろ回し蹴りも凄かった。
『悪かった』
跡部は言ったけど、俺は跡部が無理やり不二にキスするところを見たわけじゃない。ばちんと破裂するような音がして、少し前屈みに横を向いた跡部がいて、不二は振り下ろした(だろう)手をもう一度(たぶん)振り上げた。その掌はそのまま跡部の顔に向かって、きっと造作もなく跡部の手がそれを遮った。今度はぱしりと軽い音がした。思い込みでもそれは暖かい音だった。
そして回し蹴り。後ろへ半回転した不二の踵は跡部の横っ尻にきれいに決まった。跡部は、何をしたのか分からないけど、とにかく上手くその衝撃をどこかへ逃がして受け止めた。そして二の太刀がないことを確かめると、いつもみたいに綺麗に背筋を伸ばした。
悪かった。不二は別に、と言った。
「ジュース、買わないの」
不二が言った。さっきのが不動峰の橘のことだとようやく俺は気がついた。
「跡部って不二のこと好きなの?」
僕に訊かないでよ、という顔を隠しながら不二は多分、と答えた。本当は、たぶん、口に出した「多分」が本当の答えだ。なのに不二はそういう顔をする。僕に訊かないでよ、そういう顔は不二の虚勢だろうか。きっと怖いんだ。そうだろう。跡部なら俺だって怖い。
「じゃあさあ、橘はなんて言ったんだ?」
不二はじっと俺を見た。俺はジュースを買いながら、なるべくその顔を見ないようにしながらそう聞いた。不二が責めてるのは跡部の『悪かった』だ。無理やりのキスなんかどうってことない。
「君ってやっぱりちょっと変だね」
不二が笑った。俺は嬉しかった。
「お前がしてほしそうな顔してるから、って言われた」
「不二してたのか?」
「してた」
不二はまた笑った。これは勘だけど、不二は今は橘のことそんなに好きじゃない。
俺は二つ買ったジュースの片方を不二に渡した。ごめんね忍足。
「手〜冷やしな」
だって跡部なら俺だって怖い。好きになったら忍足より怖いと思う(ごめんね)。でもそれじゃあいつまで経ってもあいつはひとりぼっちの王様で、それは困るんだ。俺たちの大事な王様だからさ。
不二はつまらなそうな顔をして、温めるみたいに両手でジュースの缶を包んで転がした。
ね、これはわいろだよ。
(了)
2006年06月07日(水)
■ラビットキス■
この年頃の女の子に比べて男はこどもだなんて言うけどそんなこと全然ない。そういうこと言う時点で彼女たちは幼いのだ。こっちがこどもだと思えばなめてつけあがる、そうだと思っておかなければ安心していられない、そんなことでいいのか。大体こどもの話は真剣に聞くものだ。
千石の同意は得られなかった。
「せいちゃんはだからもてないんだよ」
「せいちゃん言うな」
先々月まで俺はいっこ下の女とつきあっていた。それが山吹の女子だったのは偶然でもなんでもなく、千石に紹介されたからだ。
最初会った時千石は真田のことを「真田くん」と呼んでいて、オエーと思ってたら俺のことも「幸村くん」と呼びはじめたのでウゲーと思って幸村でいいと言った。それから次会った時に彼女を紹介してもらって、三度目に会った時千石は俺をせいちゃんと呼んだ。いっこ下の彼女がそう呼んでるのを知ってたからだ。
しばらく俺はその子とつきあってその間千石は俺をせいちゃんと呼んだが、やがて別れて、俺たちが何もなく電話で話したりするようになって俺がせいちゃんはやめろと言った。千石はやめなかった。
電車を待つ二十代の女二人が男の身長の好みを一センチ刻みで吟味している。千石は自分のスポーツバッグの上に座り込んでいる。
「せいちゃん年上とつきあったことある?」
「自慢だけど、ないよ」
「俺もないけどね」
日曜の昼下がりは時々これが俺の人生であることを忘れそうなほど、俺を長く待たせる。電車は来なかった。千石は座り込んでいる。
「でもいいじゃない、年上好みのファザコン女より、可愛げがあって」
「お前のその言い方もうざい」
「俺はおとなぶってないしおとなでもないよ」
千石は真面目に言った。
「めんどうくさがりなだけ」
それからそう言って笑ったのが、なるほどもてるのかもしれない、ちょうどよく軽薄そうでなおかつ切実そうだった。
判で押したようにOL風の彼女たちは相変わらず身長の話をしていて、どうやら千石は少し小さいらしい。だからこいつは立ち上がらないのだろうか、と思ったが、そうじゃないだろうと思った。こいつはきっと背の高い男が好きな女とつきあう。
「そういえばせいちゃん、俺のことキヨって呼んでもいいよ」
俺は千石の座っているバッグを思いきり蹴った。
「いや、呼ばない」
「えーなんだよ。そしたら俺、きみのことちゃんと呼んであげるのに」
俺は急に、別れなければよかったと、彼女のことを思い出した。俺が彼女を好きになったくらい彼女は俺を好きだったろうか。そうじゃなかったら悲しいと思う。つきあっていた時にもっとそんなふうに思えばよかったのだ。恋なんて大体そんなものだ。
それでも俺はそこまでこどもじゃないし、そんなにおとなにもなれない。
(了)
2006年06月05日(月)