月のシズク
mamico

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■ 花を活ける

初めて、お正月用の玄関の花を活けました。
これは毎年祖母の役目で、なんというか、とても大切な儀式のようなものでした。
冷たくしんとした玄関で、パチンパチンと松の枝や花を切り、確実な位置を定め
剣山に刺し、ひとつの完結した空間を作りあげる技。芸術というより、お正月を
迎えるための儀式、という表現が的確かしら。

なのですが、今年は活ける花の種類について母と祖母の間で一悶着あって(苦笑)
「わたくしはもう知りません」と匙を、いや鋏を投げてしまわれたのです。
ガラス台の上に取り残された、罪のない花々よ(苦笑)・・・で、恐る恐る
「私がやってもいい?」と聞いたところ、母は眉間にシワを立てて咎めたけれど、
祖母は「やってみなさい」とあっさり鋏を渡してくれた。言っておきますけれど、
私、お花なんて活けたことないんですよ。でも祖母から許可が出た嬉しさで、
緊張しながら生まれて初めて活けてみました。

「意味を考えなさい。この松がここに在ることの意味を。
 この千両が在ることの意味を。
 そうすると花の立ち位置はおのずと決まるのです。」

という祖母の呪文のような言葉を思い出しながら、庭木から切った松の枝を、
祖父が植えた千両とシンビジュウムを、白百合の葉を、活けましたさ。
中央後方に三本の松。それを取り囲むように両側にも枝が湾曲した松を。
千両は左奥のオアシスに背の高いものを、手前に低く水に這わせるように。
シンビジュウムは右手に・・・などなど。

ほら、わたくし、空間把握能力がゼロなので、瞬発的な想像力(よく言えば感性)
を駆使するしかない。それに失敗したら、お正月さんをお迎えできないわけです。
そのプレッシャーがいい感じに作用して、思いのほか楽しく生けることができま
した。完成品を見て、祖母が「いいわね。とてもいい」と言ってくれたときには、
心の底から嬉しかったです。いやー、日本の文化は奥が深い。
だからその深淵をのぞきたくなるし、触れたくなるんですよね。


それにしても、祖母の「意味を考えなさい」という言葉、背筋が伸びる思いです。






2001年12月31日(月)

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■ 似顔絵

そもそも私は自分の顔が好きでも嫌いでもない。
取り立てて誰かのものと取り替えたいと思ったこともないし、手を加えようと
したこともない。まぁ自然発生的に備わってしまったこの顔と死ぬまで
うまくやっていくつもりである。

でも人の顔って変化するんですよね。
歳とともに老化する皮膚なんかは当然だけれど、心持ちで表情が様々に変わる。
だから、表情によっては誰でも恰好良くなれるし、美しくなれる。
骨格やらパーツなどの美的要素はある種、運命的なことだから潔く諦めましょう。
人工的にいじるのは個人の責任として、ね。

で、生まれて初めて似顔絵を描いてもらった。
写真なんかは瞬間の美学だけど、絵ってその人を描く15分なり30分なりの余裕が
ある。初めて前に座ったときの視覚的イメージ、じっとしていない表情、
にじみ出てくるその人の内面。そんなのすべてを「描き出す」のが似顔絵だと
今回思い知らされました。

だってね、にこりとも笑わない眼鏡の中年男が、絵の中ではふんわりと笑って
いたのです。眼鏡の奥の眼もおだやかな光を放っていて。
ああ、この人はこんなふうに笑うんだ、と納得してしまいました。
絵を描く人の感性って素晴らしいですね。と側で見ていて思いました
(いったい何人分眺めていたのだろう)。

で、このワタクシ。以前、芸大生の友に「デフォルメした顔でいいから私のカオ
描いてよー」と頼んだとき「描きやすい顔と描きにくい顔があるの。
君は後者だからダメ」とあっさり断られた経験あり。
そこで、まったくの他人が無言の短い時間内で読みとり、
描き取った私とは・・・


うーむ、電信柱にぴらりと貼られている
「この人を捜しています」のアレに似ていなくもない。。。





2001年12月29日(土)

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■ おせち料理

お料理教室で、お節の基本の四品を作った。

・栗きんとん
・筑前煮
・田作り
・関東風お雑煮

どれも意外に簡単で、きんとんなぞはくちなしを使わなくても、サツマイモを
煮た美しい黄色で色づけできた。私が通うベター・ホームは全国展開している
ので、各地方のお雑煮のレシピも一緒になっていた。
先生曰く「これでどこへなりともお嫁に行けますわね」。
そ、そういうことなのかっ!?

ちなみに私は北陸の出身だけど実家で作るお雑煮は、昆布とかつおぶしで
ダシを取った関東風ということが判明。餅は四角いものを使っています。
うむ、料理ってやはり奥深いのう。




2001年12月28日(金)

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■ 不具合

ひどいいちにちだった。
もうこの世の終わりかと思うくらい体調が悪くて、夕方までずっとベットにいた。
音楽でも聴けば少しは楽になれるかと思ったが、CDもラジオもやたら耳障りで、
けっきょく無音状態の部屋の中に自らを閉じこめてしまった。

仕事では、納品メールの最後にいつも「今回が最終納品になりますので、
なにか不具合がございましたらお知らせください」と書く。
具合が悪い今の私は、不具合という言葉と一致しているのではないか、
とベットの中で思った。いったい誰に知らせれば楽になれるのだろう。

いちにち三回、白い錠剤をふたつづつのんで、ベットにへたりこむ。
それと大量のポカリスェットの水割りを胃に流しこむ。


間断なく届く迷惑メールなんていらないから、
赤くてみずみずしいいちごが欲しい。





2001年12月27日(木)

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■ ちらり

今年最後の授業を受けに行く。
後期の授業は先週ですでに終了しているので、キャンパスはがらすか。
おまけに北風がびゅーびゅー吹き荒れていて、さらに寒々としていました。

ところで、昨日の晩に放映していた『温かなお皿』(原作:江國香織)の
録画を見ていたら、うちの大学のキャンパスが使われていましたね。

正門から本館に続く並木道、左手にある赤レンガの一号館。
等距離に配置されている緑色のゴミ箱。
どれも見覚えがあったのでちょっとびっくり。
でも、ありのままの美しさが損なわれることなく映し出されていたので
なんだか嬉しかった。

それにしても、今井美樹さんはいくつになってもそのたたずまいが美しいですね。
それとにっこりと笑ったとき、口角がきゅっとあがるのがいい。
本当に笑顔の美しい女性だなと再確認しました。






2001年12月26日(水)

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■ 第九番交響曲

お恥ずかしいながら、生まれて初めてのナマ第九を聴いてまいりました。
大学の先輩(現在、桐朋のCbディプロマ在籍)が東京フィルのエキストラで
初仕事なさるというので、いそいそと出掛ける。
おまけに業界に強靱なコネを持つ友が、サントリーホールのそれはそれは
よろしい席を確保してくれた。持つべきものは顔のひろい友なり。

クリスマスの夜というお日柄のせいか、会場はぎっちりの満席。
つめかけたお客さんの高揚した空気が、会場の雰囲気をさらに
華やかにしていました。

そして本番。
若手指揮者、阪 哲朗氏のはつらつとした指揮がぐいぐいとオーケストラを盛り
上げてゆく。後ろから彼の姿を見ていて、指揮のビートとは身体表現であること
を再確認する。柔軟な膝、指先の繊細な動き、しなやかな背中の反り返り。
彼の動きに従って、オーケストラの音色が変化するさまは本当に興味深かった。

そして問答無用の迫力を見せつけてくれた、東京オペラシンガーズの合唱。
後で聞いた内情によると、当日の「合唱の方は好きなように並んでください」
という指揮者の発案により、合唱団は男女入り乱れてごま塩+でこぼこ状態に
整列。実はこれって難しいことなんです。だって違うパートの人がバラバラに
配置しているということは、自分の出す音のピッチを完璧に歌えなければなら
ない。その自信と結果の両方を持っていなければとても危険なので、こんな
配置はできません。ほんと、すっごい。

(これも指揮者の意向だったらしい)ハイスピードの四楽章が始まり、
おなじみの第九のテーマが演奏され、ソリストに続き、すくっと合唱団が
立ち上がってパーンと歌い始める。まるで右手の拳を高く突き上げるような
パワーのある肉声。その迫力に観客は圧倒され、さらに音楽は高みを増し、
ホールの天井を突き破るかと思いましたよ、私は。

もう、合唱の歌詞やその内容なんか完全に抜け落ちてしまって、ただただその
音声に魂を持っていかれました。人間ってすごいですね。すくっと立って声を
出すだけで、立派な音楽を奏でる楽器にもなれる。ほんとにすごい。
感動しました(最近よく感動するなぁ)。

私の初第九体験、大成功です。
これからは「年末?だいくぅ??」なんて醒めた考えはやめて、
恒例行事にでもしたい気分。すごいよな、ベートーベン。
やっぱアンタはすごいです。






2001年12月25日(火)

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■ それぞれの・・・・

愛する(ほんまかいな)家族にメリー・クリスマスを言おうと電話をかけたら、
祖母の明るい声が出た。ひとしきりご挨拶を終え「で、父と母は?」と聞こう
としたとき、「ああ、そうそう。パパさんとママさんは、神戸に、リル、ルリ、
えっと、イルミネイション?を見に出掛けてますのよ。おばあちゃま、お家を
しっかり守りますわね」と。

えっ、えええ!
それって「(はるばる)神戸にルミナリエを見に行ったってこと!?」と驚く私。
なんとロマンティックな両親。イブの夜に神戸の夜景を見に旅行に出ちゃう
なんて、粋だわ、素敵だわ。
うぅううっ、やられたり。

夜、母がうきうきした声で電話をかけてくる。
「んもーぅ、きれいだったわぁ(はぁと)。しっかりパパと腕くんで歩いちゃった
(はぁと)」とのろけられる。今日は北野の異人館界隈を散策し六甲のホテルに
泊まって、明日は大阪の海遊館に行って来るそうな。もしかしてジャマイカ行き
が流れたリベンジかしら、と思うがそんな野暮な質問はもちろん控える。

「で、アナタは?」と振られ、私は食卓を振り返る。
中央にどっしりとした石狩鍋、たち吉の薄手の湯飲みには上撰の松竹梅が
なみなみと注がれている。おおよそロマンティックなイブとは程遠い光景。
おまけに風邪気味で、外なんか出歩く気がさらさらない格好。

よし、私もかっこいい中年をめざすわよ。
ということで、ぜんぜんいけてないムスメは放置しておいてください。





2001年12月24日(月)

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■ 余裕

昨日の本番でとりあえず今年度の(参加側の)オンガク生活はおしまい。
早くも来年度のお呼びを方々からかけて頂いてますが、3月のアンサンブル大会
(チェロ四重奏!)以外はすべて保留とさせてもらってます。
というか、わたくし音楽に関しては今までかんなりテキトーな態度で、
それもインターバル空きまくりでしたので、今年の(自分的には)激しい
動きようは異例なのです。すみません、よわっちくて(苦笑)

それでもね、時間的・体力的にはキツイこともあったけれど、心にはいつも
小さな隙間のような余裕がありました。なんでだろ、って考えてみたら、
私にとって音楽的生活はいつの間にか、苦痛の少ない、純粋な楽しみに変質
していたのです。仕事のような責務もないし、研究室のような四角張った
緊迫感もなく、のびのびと、実に自由にやらせてもらった。
そのことが余裕を生み出していたのだな、と今さらながら実感しております。

ほら、車のハンドルにあそびの部分があったり、タンクのバルブを開ききった
あと少し戻して破裂を防いであげたりしますよね?あの無駄でありながら、
実は生死をも左右する「ゆるゆる」の部分が、私にとってのチェロであり
オーケストラだったのです。とりあえず、今のところはね。

なんだかそのことがはっきりして、勝手にすがすがしくなっています。
来年のことは、また来年、考えましょ♪




2001年12月23日(日)

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■ 女はいつオバサンになるか

という話を、出勤途中のバスの中で友(前夜、しこたま遊んでウチに
転がり込んできた女友達)とした。まずはオバサンの定義付けから。

�仝斉阿�厚かましくなる(傷付く能力の著しい低下)
��外見に無頓着になる(服装、髪型、お化粧など、恥じらいの消滅)
�J�事を深く考えなくなる(生きることに図々しくなる。感動と好奇心の忘却)

�,鉢△呂�なり近いかな。しかし、歳を重ねて「人生なんてこんなものよ。
ラララ〜」と楽観的に考えるようになることと、「は?人生?なにを今さら」
と捉えるのでは大きな落差がある。前者には、生きる上でのおかしみのような
ものが残像としてあるのでまだ救いがある。後者はもう壊滅的だ。思考すると
いう行為が欠落しているし、生きることに無感動になってしまっている。

歳を取るということは同時に、生きてきた時間と経験の蓄積、
そこから生まれる思慮深さと潔さなのです。

歳月は実に、流し素麺のようにするするすると経過してゆく。
皮膚のキメは失われ、髪は薄くなり、歯は抜け、肉はたるんで重力に逆らえ
なくなる。もちろんこれは生き物の宿命的な老化現象であるから抵抗しても
無駄である。生あるもの、いつかは必ず衰える。でもね、日々の小さな感動
をちゃんと受け止めることで、オバサンになることはくい止められると思う
のです。いかがでしょう?

親切な友は、私が出した財布を見て「コイン入れの部分がガバッと開くのも、
オバサン的お財布よ」とありがたい助言をしてくれた。ふん、いいですよーだ。
だってコインが取り出しやすいに越したことはないんだもん、と言うと
「それもオバサン的発想」だってさ。くしゅん。




2001年12月21日(金)

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■ G.P

G.P=General Program(原語のドイツ語ではどう言うんだろ)
(★追加修正:「Generalprobe」(ゲネレルプローベ)だそうです★)
ヨミ:「ゲーペー(ドイツ語)」または「ゲネプロ」
意味:総リハーサル、または通し稽古

に参加してきました。まぁ、GPの内容は別として、単語の頭文字を取って
読んだり、極端に短縮したりするのって現代の傾向ですよね。
たとえば上記の「GP」だって音楽関係者以外の人が聞いて「ははぁん、アレね」
と即時納得できる人って少ないと思う。GPを理解できるコミュニティと
それ以外にわかれてしまう。もちろん、IPがわかるコミュニテイとか、
TMを使えるコミュニティとかいろいろあるわけで。同じ母語を使っていても話さ
れる言語の種類によって、世界ってどんどん細分化されてくんだな、と感じます。
その点、音楽の言葉は万国共通言語であり、ナチュラル・ランゲッジだから
普遍的だし心休まるんですよね。

・・・というのも、さっきからジャック・ラカンを呼んでいたら、
どんどん言葉の意味するものから遠ざかっていくような感触がして、
アタマの中が言語の大渋滞を起こしています。
こういうときはぜひ音楽を聴きましょう。




2001年12月20日(木)

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■ 体温

電車に乗り込むと、小学校中学年くらいの兄と低学年くらいの妹が
ふたりならんで腰掛けていた。見ると、ふたりはぎゅっと手をにぎりしめている。
小さなお兄ちゃんが「おまえの手は冷たいな。これ持ってな、あたたかいから」
と缶の紅茶を渡す。小さな妹は「うん」とうなずき、もみじのようなちっちゃな
手で缶の紅茶を包み、それを兄のてのひらにのせた。その光景がなんだか
懐かしくて、私は小さな兄妹をしばらく熱心に見つめてしまった。

私もまだちいさかった頃、ああやって兄によく手を温めてもらった。
子供の頃から冷え性で冬になると冷たい手足をしていた私は、
祖父にも祖母にも、父や母にも、彼らの体温をわけてもらった。
母は私の手をさすりながら「かねころちゃん」と呼んだ。

語源やその意味なんか知らないけれど、ギンギンに冷えた
「かねころちゃん」は、誰かに温めてもらうことのできる
幸福な子供だと思っていた。

そして大人になった今でも、私の手足は相変わらず「かねころちゃん」です。




2001年12月19日(水)

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■ 500円玉貯金

友が「10万円貯まる貯金箱」がいっぱいになったので開封したそうな。
で、詰まっていた500円玉を数えると、なんと14万1千円也。
(カンカンの中に、ぎっちぎちに詰め込んでいたらしい)
うわっ、これぞ塵も積もれば何とやら。

重いのを頑張って会社まで持参して、近くの銀行でピン札に換えてもらった後、
「なんかお得な増やし方ある?」と(メールで)聞かれた。いや、このご時世、
どこも金利は悪いし株だってリスキーだから宝くじなんかは!?と、
はかない夢を託してみる(えっと彼女はかしこく定期貯金に回すそうな)。

ところで、実は私もやってるんです。新500円硬貨貯金(旧500円を仲間に
入れてあげないとこがケチですね)。新500円が出回り始めた頃、
きっぷ売り場や自販機では使えなかったので、キャンドルグラスに
ぽいぽい投げ込んでいました。そのうち手狭になったので、
大きめのグラスに移して今やっと半分くらい。
時々じゃらじゃらと数えてます。

さて、このグラスがいっぱいになったとき、この500円ちゃんたちの
使い道はどうしましょ、と考えてみる。当初はピアノ(クラビノーバ)
購入資金にしようと思っていたけれど、この話は流れそうだし。
いきなり全部を株に回す度胸はないしなぁ。
来年のジャマイカ行きのチケ代ってのが妥当かしら。
ビバ、カリブの太陽!

でも目に見える貯蓄って楽しいですね。
特に硬貨だと重みがあるから、そのずっしり感に励まされる。
で、いくらたまったかって?もちろんナイショです。(笑)




2001年12月18日(火)

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■ 豚汁

イライラしているときや、落ち込んでいるとき、
気分転換には単純作業が最適である。
たとえば皿洗う、たとえば洗濯物をたたむ、たとえば野菜を刻む。

で、豚汁を作った。
ごぼうは皮をこそげ3mmの厚さに斜め切りに、大根と人参をいちょう切りに。
里芋の皮をむき輪切りに、ネギは小口切りに。こんにゃくは縦半分に切って、
5mmの厚さにスライス。豚肉も食べやすい大きさに切る。肉と野菜を炒め、
だし汁を加え、煮立ったら灰汁を取ってコトコトと弱火で煮る。
野菜がやわらかくなったら味噌をとき入れ、味をみてしょうゆを数滴落として
できあがり。時間にして約30分。

小さな作業をやり通したという小さな充足感が、小さな勇気を与えてくれる。
それにさっぱりした気分になる。あたたかくて栄養バランスが取れた豚汁は
心にも体にもやさしくておいしい。

「いただきます」を言う頃には、完全に元の、安定した私に戻っている。
調子にのって野菜を切りすぎちゃって、
鍋にはたっぷり3日分は残っているんですけどね。









2001年12月17日(月)

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■ 宗教

そういえば昨日アーサーがおもしろいことを言っていた。
アメリカでは無神論者は政治家になれないそうだ。
キリスト教でもユダヤ教でもイスラム教でも、何でもいいから
「私はこの神を信じています」と示さなければ議員にはなれないそうな。
いったいこの体系が意味することは何だろう?

自分の信教がない者は、国民も信ずることができないというのか。
そもそも「神を信じる」という信念が、大国アメリカを構築しているのか。
ギモンはたくさん湧き出てくる。

ちなみに、アーサー氏は実にあっけらかんと言った。
「ボクは政治家になれないよ。だって無神論者だもん」と。
そんなこと言ったら日本の政治家は、アメリカで政治家にはなれないだろう。
日本の政治家なんて、さしずめ去勢された黄色いサル、かしらねぇ。





2001年12月16日(日)

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■ 逆カルチャー・ショック

まだ子供だった頃、アメリカへ行って帰ってくると
しばしば逆カルチャー・ショックになった。

それまでの母国の生活で当然と思っていた風習や文化などが、
「えっ、うそ。そんな・・・」と新鮮に、残酷に、不恰好に見えてくるのだ。
その後しばしの忘却。放置しておけばじきにもとの生活になじむけれど、
あの「あれっ」と打ちのめされる瞬間は、自身がぐらりと揺れる。

アーサー・ビナード氏の詩とお話、それに彼の多国籍な仲間たちによる
民族楽器のコラボレーションには、わたしがぐらぐら揺れた。
ああ、わたしって何年間日本人してるんだろ、と悩めてしまうくらいに
彼の日本語は素敵だったのです。そしてオンガク!

竹製のバリ楽器のジュゴク(木琴みたいな形)のような「ジュンベ」の響き、
ドラムのようなビートを刻むタンバリンと弓道の弓と見まごう一弦の楽器
(石で音を出す)。そして日本の楽器なのに日本人に馴染み薄い尺八。
その音はフルートのような繊細さと、人の声のような奥深さがある。
それに鳥のさえずりような口笛!
(私は口笛が吹けないので、心底うらやましかった)

どれもこれもが久々の逆カルチャー・ショックだった。
わたしって、日本人失格じゃない!?なんて恥ずかしくなっちゃう。
身体と心と脳味噌にじんわり染み入る日本語って・・・
ほんと、なんなのかしら。

お誘いくださったのは、昔の恋人のお母様。この方も相当素敵で、
私は会うたびに参ってしまい軽度の逆カルチャー・ショックを受けてしまう。
人として魅力的な方はみんな、私にとって(よい意味で)
ショッキングなんだな、これが。





2001年12月15日(土)

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■ よーぎゅると培養

「はいっ、これです」と手渡されたのは、180ml入りの幼児牛乳の紙パックだった。
「はい、こっちが説明書です。かわいがってくださいねっ」
とコピー紙もいただく。

はて?このちびパックからほんとうにヨーグルトを作れるのかしら。
ヨーグルトブリーダを名乗る友は、京都大学の病理学者→解剖学者の経路から
このヨーグルト培養を始めたという。カスピ海沿岸のグルジア地方には、
自家製ヨーグルトのおかげで長寿の村として有名な地区があり、
そこから持ち帰ったらしい。おおぅ、おまえは外国生まれなのね。

グルジアのヨーグルトを食べると、インターフェロンの活性が高まるという。
インターフェロンとは癌の末期治療法のひとつとして注目されている免疫物質の
ひとつで、抗ガン物質のような役割を果たすという。すっごい優秀じゃない!
そしてこのよーぎゅるとくん、いったん培養を始めると半永久的に生成できる
らしい。これで私も病気知らずの長寿をまっとうできるのかしら。
大変すばらしい!





2001年12月14日(金)

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■ トシ

ひどく身体が痛む。
「なんか筋肉が痛むんですよ」と背中から腰のあたりをさすっていると、
親ほどの歳の離れた教授に「それ、トシのせいよ。そうやって身体の衰えを
実感して歳だって気付くのよ」と言われて返す言葉も失ってしまった。
ええっ、だってわたくし、まだ20代半ばよ。
それってトシのせいになっちゃう年齢なの!?

でもまぁ、人生の先輩に言われたんならそうなのかもしれない。
ここ最近、楽器のハードケース(約8kg)を持ち歩く機会が多かったから
きっとそのせいだろう。右側ばかりで持つので、骨やら筋肉のバランスが
崩れたのかもしれない。


でもさ、トシ、トシって連呼されると乙女も意気消沈しちゃうわ。>誰がじゃ!




2001年12月12日(水)

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■ 星空

仕事の後、学芸大学さんの練習に参加した。
丁寧な音づくりのオーケストラに感銘を受け、心地よい疲労を感じながら
外に出て驚いてしまった。見上げると満天の星空。
学内は街灯が少ないので一寸先は闇状態。
なんども躓きながら、夜空を仰いで帰路につく。
夜の冷気がほてった心を冷ましてくれました。

そして、タイミングよく「ごはんたべよ」と誘ってくれた友と
いつものメキシカン・バーへ。

私がチェロを担いでる姿を見て「どーしたの?めっちゃヤル気じゃん」
と本気でびっくりしてくれた。そーです。私もやるときはやるんです。
だって今になって、やっと音楽が楽しいと肌で感じられるようになったんだもん。
そんな私は遅咲きの桜なのさっ、とは言い過ぎかな。
そんなに美しいもんじゃない、ってね(笑)






2001年12月11日(火)

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■ 組み立て能力

「脚の取り付け方:本体のトッキに脚の角穴を合わせてのせ、
 つまみがカチッとはまるまで、→側に動かす」

これ、コンパクト電気ストーブの脚の取り付け方の説明。
解説はコレのみで図はなし。
脚はひとつ。本体もひとつ。さて、アナタならどうする?

とりあえず中央でしょ、と感覚的に判断し、トッキらしきものを探す。
左右にひとつづつ、中央にひとつ。とすると、やっぱ中央でしょ、
とはめ込む。・・・はめ込めない。それでもねじこむ。・・・ねじこめない。

ということを延々と繰り返すこと30分。
部屋は冷え込む一方で、私はどんどん途方に暮れる。
悔しいからエアコンと電気カーペットのスイッチを押して、
電気ストーブの脚に取り組む。なぜなのだーーーーー!と
叫びたくなるのをガマンして右手に脚、左手に本体、せっせとはめこむ。

世の中の女の子の大半は「組み立て」が苦手だという。
空間把握能力も男の子より低いらしい。
子供の頃した知能テストを思い出す。
ブロックが立体的に積まれた図を見て数を当てる。
縄の結び目の絵がいくつかあって、ほどけるものをひとつだけ選ぶ。などなど。

ぜんぜんダメなのよね、このテのこと。
実生活に関係ないやいと思いきや、ストーブは組み立てられない、
グリル(受け皿と網が複雑に重なっている)を取り出して洗っても
元の位置に戻せない。などなど。

はぁっ(大きくため息)

すっかりカラダが冷えたので、お風呂に入ってから再度チャレンジ。
・・・・なーんだ、脚がもひとつあったのね。
とりあえず本体の左側のトッキにはめこめました。
でもね、右側の脚になるはずの部品、紛失しちゃったみたいです。
傾いて、それでも何とか立ってる不具な電気ストーブ。
あああっ(小さく叫び)




2001年12月10日(月)

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■ ハモン本番!

うっそマジっ!?ってかんじでした。
なにがって?いやー、個人的なことで申し訳ないのですが、今日の一曲目
(「ペトルーシュカ」)で最初のフレーズを弾いた直後にA線(チェロで一番
高い音が出る弦)が糸巻きから緩んでしまったのです。
触れるとたふたふたに落ちていて、D線(次に高い線)でカモフラージュ
していたのですが、限界!しょうがなく長めの小節休みに慎重に、
目立たないように左手で糸巻きを巻く。
ここで弦が切れちゃったら更に事態は悪くなるから、もう冷や汗でまくりでした。

音感の悪いあたし。
でも本番中に隣りのひとに「A(ラ)ちょうだい」とも言えない。
日頃チューナーまかせで調弦していたのが裏目に出ましたね。
やっとのことで不確かなチューニングをして何とか乗り切る。
でもね、驚いたことに後でチューニングしてみたら、このA、
ぴったりだったのです。ああ、おどろき。私の耳、やるじゃん。

ペトは本当に曲が最後まで通るかドキドキだったけれど、それなり、かしら。
ブラームスとアンコールのプッチーニの曲は楽しかったな。

わたし、本番が楽しいと思えるようになったのはごく最近になってから。
一瞬、ほんのワン・フレーズだけどオーケストラの音色が完璧に一致する
瞬間がある。それぞれの楽器とそれぞれの人の心がぴたりと重なり合って
共鳴を生む。その快感をもっと知りたくてオケに参加しまくっている
最近のわたくしです(やや自虐的)。

今回は、指揮者の先生も若くて笑顔で指揮を振ってくださったので心から
リラックスできました。ご一緒できたみなさま、
聴きに来てくださったお客さま、みなさんに感謝します。
終演後のビールがんまかったっ(へへっ)。

次回のマーラー(7番)、正直のろうか迷っています。
あの壮大な音源と向き合う勇気、わたしにはまだないから。






2001年12月09日(日)

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■ 上野の土地性

練習場所が東京文化会館だったので、お昼は外に出てみた。
指揮者の先生がこの街のおいしい処に詳しいというので、のこのこ付いてゆく。
ずんずん進みアメ横をかすって、どこかの角を曲がって突然地下に降りてゆく。
慌てて後をついてゆくと、威勢のよい中国語が飛び交う油くさい
中華料理店だった。おおっ、Where am I now?

上野とか御徒町などの土地性は昔からちっとも変わっていない。
そりゃお店が入れ替わったり新しいビルが建設されたりするけれど、
基本的な「上野臭さ」は街に深く染みついている。雑踏を行き交う人の
種類や雰囲気、昼どきになると出される屋台や街の喧噪、
どれも高度経済成長期の昭和を思わせる(まだ生まれてないっちゅーに)。

すごいな、と思う。
東京の街はどこも猛スピードで変貌を遂げてゆくのに、ここで流れている
時間はどろんと停滞したままだ。悪い意味で言ってるんじゃないですよ。
変化しない街があったっていいじゃないか、と思うのです。
そこには私たちが忘れてしまった、人情深くて人なつっこい笑顔が
あるじゃないですか。そんな場所、なかなかあるもんじゃないよ、きっと。




2001年12月08日(土)

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■ I am Lost

朝起きたら腕時計が止まっていた。
12:05を指したまま、三本の針はぴたりと動くのをやめてしまった。

それはどおってことのない腕時計だった。
学生の頃、香港の免税店で買った高くも安くもない、
どこにでもありそうな時計だった。

文字盤のガラスには細かい傷が無数に付いていたし、鎖の部分は重すぎた。
なんとなく手にとり、なんとなく左手首に付けていた。
時間を確かめるために見られることもあまりなく、会社でも家でも
すぐに外された。なんというか、私はとても失礼な扱いをしていたと思う。

しかし、その時計がひっそりと息を止めてしまった今、
私は少し戸惑っている。24時間でぐるりと一回りする針は、
私の代わりにずいぶんと時を刻んでくれていたように思う。
確実に動き続けるそれは、実のところ私をしっかりと支えてくれていた。

その事実を知って、私は朝から途方に暮れている。
やけに軽い左腕が寒々しいのは気のせいだろうか。




2001年12月07日(金)

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■ 同居人

ジャマイカに住む兄からエアメールが届いた。
アメリカでのテロのせいもあって、長旅を余儀なくされた白い封筒は、
かなりぐったりしたご様子だった。
とりあえず今年一枚目のクリスマスカードである。

表紙の"For My Sister, My Friend"から始まり、
"I'm thinking of the happy times we've spent with one another,
Sharing little talks and special secrets with each other...."
というくだり、Yes, me too!であります。

というのは、むかし兄と私はふたり暮らしをした経験があるのだ。
なんというか、あの二年間は不思議な安定感のある日々だった。
兄はルームメイトとしては完璧だった。彼の得意分野は洗濯と皿洗い、
ゴミの分別出し。洗濯物はシワひとつなかったし、食器棚に並べられた
グラスにはくもりひとつなかった。いつまでもゴミ出しの曜日を
憶えられない私の代わりに、彼はきっちり毎日ゴミを出してくれた。

互いのプライベートには一切関わらなかったが、互いの友人が遊びにくると
よく一緒になって真夜中のドライブや食事をした。
休日にはふたりで食料や日用品の買い出しに出たし、
時間が空くとバカな映画を観に行っては悪評をたたいてビールを飲んだ。
兄妹でありながら、わたしたちは仲のよいトモダチだった。
きょうだいっていいもんだな、と思えた。

個人的には、わたしの生活空間に誰かが入ってくるのは好きでない。
だからこの先、結婚などして誰かと四六時中(ということはないと思うが)
一緒に生活するなんて、考えただけでぞっとする。
ああ、本当に兄は同居人として完璧だったな、と今になって実感するのである。




2001年12月06日(木)

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■ 武蔵野文庫

ひさしぶりに、がっつりしたカレーが食べたくなって、
武蔵野文庫(という名前のお店)へ行った。
文字通り山盛りサラダとデガ皿カレーをたいらげて
満腹中枢をマヒさせて帰ってきました。うっぷ

ちなみに、このお店には古美術関連の本がたくさん置いてあります。
あと、陶芸品ややきものも売っている。古めかしい店内と、
小さなボリュームで流れているクラシック音楽(トリオやカルテッド)が、
いかにも吉祥寺っぽいお店であります。


女の子がひとりでふらっと食事できるお店、ポイント高し。




2001年12月05日(水)

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■ ごほうび

こうやって一日の終わりに言葉を綴ることは(勝手ながら)誰のためでもなく、
わたしへのごほうびだと思っている。これらが無気力な感情の垂れ流しと、
苦痛のみによって排出されているとしても、その日を生きた証拠として
言葉を生む、それは喜び。

深夜残業や翌日の授業の予習を終えて、使い古したボロ雑巾のような心持ちでも、
ベットにもぐり込むまでのほんのしばらくの時間は、確実にわたしだけのもの。
その喜び。

私が生きた時間を思い出し、ココロにじっと耳を傾け、アタマの中を
駆けめぐっていた言葉を慎重にひろってゆく。そして、私のパーツを
積み重ねてゆく。言葉という道具を使って、私はわたしが存在した時間を、
自分で再構築してあげる。

とても不器用な人間だから、私はそうすることでしか自分を知ることができない。
カラダやココロで感じたことを、いちいち言葉に置き換えなければ、
私は自分が何者であるかわからなくなる。いとも簡単に自己を喪失してまうのだ。

だから、いちにち頑張って生きたごほうびをあげる。
アナタはねこんなこと感じていたのよ、とワタシに教えてあげる。

もし、私が言葉を無くしてしまったら、
きっと同時にわたしも消滅してしまうだろう。







2001年12月04日(火)

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■ シンボル

雅子さま(うちの母も同じ名前)が女児出産なさったことで、気がかりなのは
皇位継続のこと。中学生の頃の社会科の教科書「現代社会」を思い出してみた。

「皇室の基本法である「皇室典範」の定めでは、皇位継承資格を男系男子の
皇族に限っている。今回は女児誕生のため、皇位継承順位に加わることは
できない。・・・皇族女子は、天皇及び皇族以外の者と婚姻したときは、
皇族の身分を離れる。」(12/3 Asahi.comより)

とすると、お生まれになった女王は天皇の子でありながら、娘であるため、
皇位継続の資格がないわけである。フェミニストならずとも、
こんなマッチョな法律は時代錯誤だろう。
個人的にはぜひこの法律を改正して、女帝になっていただきたい。
そんな時代があってもよろしかろう(でしょ?)。

さておき、気になったついでに「天皇」についても調べてみた。
私は右の羽を持った人でも、左の羽を持った人でもないが、
歴史的に見ても天皇の地位って不明瞭ですね。大化の改新の頃は、
中大兄皇子(天智天皇)が即位することなく、皇太子のまま実権を
握っていたし(天皇不在)、12世紀の院政の時代には、白河院が上皇となり、
幼少の堀川院に位だけを譲っておき、実権は白河院自身が握っていた。

頼朝の開いた鎌倉幕府もまた「将軍不親政」状態だったという。
そして明治憲法ができると「立憲君主制」のもとでの天皇の時代が始まり、
その後は「教科書・現代社会」がごにょごにょと教えてくれた
「象徴としての天皇」の誕生に至る。(ああ、長い長い)

でね、不可解なるは「天皇=象徴」ということ。
のみならず、「天皇は日本の象徴」であるということ。
今更ながら小学生のようで恥ずかしいのだが、これは一体なんじゃらほい。
アタマの弱い私には、ぜんぜん意味がわからない。

広辞苑によると「象徴」とは「単に抽象観念を指示するだけでなく、
それ自身の固有の形象的な価値の中に、全体的なイメージを凝縮し具象化
することによって、その表徴となるものを指す」と言っている。
あのね、天皇というシンボルが私たち国民の全体的なイメージって、
どういうことかしら。戸籍(アイデンティティ)や選挙権(参政)を
剥奪されたお方をわたしたちの象徴と見なすにはギモンが湧くわけです。

つまるところ、この国の頂点にあるのは「リーダーの不在」なのかしら。
小泉さんは象徴ではないからね。
日本という国家、その不安定さ、ああ摩訶不思議なり。



2001年12月03日(月)

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■ 展示品

今日の練習場所は、江東区文化センターの展示室。
なんとこの部屋は全面ガラス貼り。
おまけに暖房が効いてなかったので寒々していました。

あまりにすけすけしていて、音も姿も外にもれもれ。
動物園の檻の中のどうぶつたちの気持ちがすこしわかりました。
そう、私たちが生きた展示品さっ






2001年12月02日(日)
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