風のひとり言
kaze

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■ 無事

無事帰国<違
無事帰京しました〜
思うことは数々あれど、
それはまた今度(っていつだ??)の機会に

取りあえず帰京報告のみ〜

さぁて・・・ねるべ




2003年03月30日(日)

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■ 風邪

えと・・・
風邪引きました・・・
この期に及んで・・・
このくそ忙しい時期に・・・
はぁ・・・
たるんでるんですかね<精神

ともあれ、そんな訳で更新できません。。。
と言いつつ更新してるじゃん!なんて意見は却下(笑)

ちなみに明日明後日と関西に出かけます。
本当は今日お通夜だったんですが、
仕事の都合がどうしてもつかず、
やむなく明日の告別式に出席です。

それにしても退社目前の社員が、
何故こんなに遮二無二働いているのか???
やってる本人がよくわかってません(自爆)
ま・・・あとの事は知らないですがね<無責任
心を鬼にして無責任を通すしか、
わかってもらえそうにないのが本音ですが。。。
それでもわからないで、去った後に悪口だけが残るんでしょうけど。

はぁ・・・飽きれる毎日・・・
もう・・・いやっ!



2003年03月28日(金)

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■ 伯父

私の母親は三人姉妹の末っ子だった。
長女夫妻と次女夫妻が、自分の母親と関西で一緒に暮らしていた。
その祖母が今年の正月に亡くなった。
そして・・・

長女の旦那さんである伯父の訃報が舞い込んだのは、今朝の10時過ぎ。
解離性大動脈瘤の破裂により、
一度も意識を回復することなく逝ってしまったようだ。

長年にわたって義母の面倒を見てきた伯父は、
正月にその大役からようやく解放され、
これからやっと夫婦の時間を持つ事が出来る矢先の出来事。
残された伯母の心中を考えると、
かける言葉も見つからない。

伯父の人生はどうだったのか。
定年後の人生に待っていたものは、
心豊かな老後ではなかったのではないだろうか。

8年前に突然襲った阪神大震災により、長年住んだ家を追われた。
それまでも義母の面倒を見続けていた夫妻は、
一念発起して家を建て、階上に義妹夫婦を住まわせた。
そして3年程前・・・
まず妹夫婦の旦那さんが倒れた。
そして今年の正月に祖母が逝き、
今回運命の矢は、伯父本人に向けられたのだ。

伯父の人生に物申すつもりもない。
伯父の人生であり、自身がその選択を行ってきたのだから、
そこには間違いなどあるはずがない。
そしてまた、色々と悔いが残ったであろうと言われる中で、
そんな悔いなど残らず、伯父自身の天寿を全うしたのだと考えたい。

人生に起きる出来事は全て偶然のようでありながら、実は必然である。
おそらく伯父の死もまた、なるべくしてこうなった結果であると・・・
将来においてその必然の意味が解明されないとしても、
少なくとも自分はだけはそう思っていたい。

人はいつか必ずその時を迎える。
人によってそれが早いか遅いかはあろうが、それもまたその人の天寿。
そう言いつつも、年老いた自分の両親を見るにつけ、
その時が確実に迫っているのだという思いもある。
もっともその時を迎えるのに、確たる順番など存在はしないが・・・

伯父の冥福を心から祈る・・・




2003年03月26日(水)

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■ 卒業

今日は長男の卒業式だった。
会社を午前中のみ欠席し、式に参列をした。

昨日の温かい陽気とはうってかわって冷たい雨の降りしきる日。
いかにも長男の卒業式らしいと感じた(笑)
肝心な時に雨を降らす長男も、
無事に小学校を卒業することになった。

彼はこれから中学校に進む。
彼の先にはどんな未来が待っているのだろうか?
そう思いながら息子を見ていて、ふと心に去来するものがあった。

女房に言わせれば、ここ1年、息子の様子がおかしかったと言う。
やけに怒りっぽくなったり、急に塞ぎ込んだり、物にあたったり・・・
思春期にありがちな、成長過程においての本人の焦りや葛藤、
ジレンマなどがきっとあったのだろうと想像できる。
6年生と言う最高学年に身を預け、与えられる責任と無言の重圧、
そして卒業を控えての級友たちとの別れや、
中学に進むにあたっての期待と不安など。
そんな色々な感情が彼を包み込み、
それに押しつぶされまいともがいていたのではないか?
自分の前ではそんな姿を微塵も見せていなかったのは、
単に父親である自分が無関心であったのか、
それとも彼が苦悩を背負い込んでいたのか・・・どちらかであろう。
少々父親として反省しなければいけないかもしれない・・・

もう一つ思い当たる節がある。
それは昨年の今頃に行った、引越しによる転校。
親の都合によった転校が、想像以上に彼を苦しめたのかもしれない。
卒業を1年後に控え、5年間一緒にいた友人たちと強制的に離されることは、
口では理解をしている風を装っても、
頭の中では割り切れない、納得できない部分があったに違いない。

そういえば・・・とさらに考える。
自分自身も親の都合により、小学校5年生に上がる時に転校をした。
幼稚園から仲間だった友人らとの別れが、この時であった。
両親は、
「○○はすぐに誰とでも仲良くなれる性格だから大丈夫だよね?」
「別に外国に行くわけではないのだから、会おうと思えばいつでも会えるんだし」
「新しい友達が増えるんだよ」
などと口々に言う。
それは、ともすれば抵抗をしそうな子供に対しての、抵抗を無くすための説得。
自分でも単純に親の言うことに「そうか」と半ば納得したものの、
何か割り切れない思いをしたことを思い出した。
結局、子供のそんな本当の気持ちを察しず、
親としてそうなることを強要するために、詭弁を繰り返していただけで、
何の解決にもならなかった。
案の定転校後・・・かつての友人たちとは中学入学を境に、コンタクトが途切れた。
勿論これは自分のせいでもあるんだけど・・・

結局・・・自分も両親から受けたことと同じように、子供に強いた。
同じような詭弁を吐き、納得してもらうように努めてしまった。
その結果が・・・子供の心の中までを充分に理解してやれなかったということなのだろうか?

一体・・・どんな選択が正しかったと言うのだろう・・・
それは今でもわからない。
子供は年々成長して行くし、3人の子供のよきタイミングを計ることなど、
事実上不可能だった・・・(と思う)

過ぎてしまった過去を恨み、固執し、悔やんでいても前には進めない。
だからこそせめて息子には、
過去を振り返らずに、前を向いて歩いて行って欲しいと強く願うばかりである。

卒業おめでとう。




2003年03月25日(火)

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■ 週頭

4日ぶりに会社に出社したところ・・・
机の上には仕事のメモばかり。。。

おいおい・・・
あと1週間ほどで俺はこねぇ〜ぞぉぉぉ〜〜〜
一体どこまで人に依存しているんだろうか・・・

など内心思いつつも、取りあえずお仕事消化(笑)
だって自分がいる間はせめてクライアントとはいい関係でいたいもんね(爆)
とまぁそんな訳で、一生懸命お仕事しました週の始めです。

それにしても・・・
退社を年末に決心をし、年頭には会社に意思表示をしたはずにも関わらず、
俺の仕事の引継ぎは誰にすればいいのか、
今日を迎えてもいまだわからないのって・・・なに??
どういうこと??
俺の仕事なんか誰も引き継がないってこと???
あ〜〜〜わかった〜〜〜
引き継ぐ内容が高尚過ぎて、誰にもできないんだぁ〜〜<嘘
てかさ・・・
冗談抜きに、現状誰に引き継ぐか見当もつかない。
一体どうなってるんだろうなぁ

これで仕事がもらえなくなった時、
辞めた人間に対し毒舌を吐き、人のせいにするんだよな。
全てお見通し!
2月には各クライアントに連れて行ったにも関わらず、
それ以降一切顔を出してないし、電話すらしていないことくらい、こちらにもわかってる。
人間関係ってそういうもんじゃないでしょう〜
まして仕事なんて、待ってて来るもんじゃないと思うんだけど・・・ちがう??
一体全体あなたがたは、今までどんなスタンスで仕事してきたんだ???
今更ながらに、今日まで会社が存続していたこと自体不思議に思う。
そんなやり方しているからこそ、
信用を無くすし、悪評も立つんだよ(笑)
少しは考えたほうがいいよぉ〜〜

と・・・魂の叫びをがなりたてる週の初めです。
はぁ・・・なんだか今週は思いやられそう・・・
ふぁいとだ〜〜〜<自分




2003年03月24日(月)

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■ 息子

今日は息子@長男についてのお話
まずこの話をする前に使用アイテムの説明を(笑)

�。鈎淵戰奪函憤貳峅爾涼覆魯織ぅ簓佞撚�に出して使うタイプ)
�▲潺法璽泪Ε垢里未い阿襪漾�全長140cmくらい
��ミッキーマウスのぬいぐるみ@全長120cmくらい
�つ甲法�12歳・・・今春中学生のよてい(笑)<身長140弱

で・・・どんな話しかといえば・・・
3段ベットの下に物が落ちてしまい、それを取ろうとした長男。
ベットの下では隙間が狭いので、下段ベットから手を伸ばして拾うことにしました。
ベットに横たわった時点で、父親は親切にもベットをしまいこみます。
起き上がることは不可能なものの、寝返り程度なら出来るくらいの隙間で
長男は無事に物を取り終えました。

さて・・・ベットから出ようとした際、
こちらで抑えているのでベットを動かすことが出来ない。
仕方がないのでベットの中段と下段の隙間から出ようと考えます。
しかしどうにも体がうまく動かせなく、なかなか出ることができない・・・
ここで考えた長男は、ミニーマウスを使いそれを隙間から出してみます・・・

でた!

ミニーはそのデッカイ顔を窮屈そうに歪めながらもなんとかはいずり出てきました。
そして長男の番・・・
あ・・・顔が挟まってます(笑)
「で・・でれないよ・・・おかしぃなぁ・・・ミニーは出れたのになんで俺は出れないんだろう」と長男
爆笑しながらも「いや、ミニーは顔ゆがめてたよ」と父
「そか!じゃぁこんな感じ?」
えと・・・長男が顔をゆがめてます(爆)
「だめだよ・・・でれないよ・・・」と歪んだ顔で泣き言を言ってます。
「・・・・・・・・・・・」
しばし沈黙のあと・・・突然に名案が浮かんだ様子。
「そうだ!じゃぁこっちのミッキーを使って足から出てみよう!」
「・・・・・・・・・・・」う〜ん・・・どこまでも研究熱心な長男だ・・・
と言うことで名案を思いついた長男は今度はミッキーを足から出してみます・・・

でた!

ミッキーもまた、とがった鼻が引っかかりながらもなんとか出てきました。
長男「てことは足からも出れるんだよね」
 父「でも・・・けつが挟まらない?」
長男「そうだよね・・・きっと挟まる・・・と思う」

と言うことで4〜5分問答したのちようやくベットをずらして出てきましたとさ(爆)

それにしても・・・
この春本当に中学生になるんですが・・・
何か間違っている気がするんです・・・
現在の教育制度が間違っていると言おうか・・・
それなりの年数が経過したというだけで中学生にする必要もないような・・・
中学生レベルに達してないと思うんですが・・・
そんな長男を見ながら、父としては一抹の不安を感じています・・・




2003年03月23日(日)

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■ 会社

今日は土曜日・・・
世間的には昨日、今日、明日と3連休なのでしょうがぁ
ごめんなさい。。。
4連休してます。。。
木曜日に会社を(ずる)休みにしまして、結果4連休にしております。
連休って何?休みって何?と問われる方には本当に申し訳ない!(笑)

一応退社日が4月15日に決まりまして、出社が3月末まで。
残りは貯めに貯めた有給休暇なるもので消化しようという魂胆なんですが・・・
実は会社から意味不明の通告?を受けました。

『月の半分も出社しないのなら、基本給しか出さないし、それも満額は支払わない』

えと・・・
確か有給休暇というのは、労働者の権利とも言うべきものであり、
しかと労働基準法にうたわれている権利のはずですよね?
で、呼んで字のごとく「有給休暇」ですから、当然給与が有る休暇ですよね?
有給休暇を使用しないもしくは、休暇日数の足りない社員が、
何らかの事態により出社できない状況・・・
例えば怪我をしたとか、具合が悪いとか。
そんな場面でならそのような発言は納得がいくのですが、
有給休暇が丸々残っている社員がその権利を行使するにあたって、
それはないでしょう〜〜〜と思うのですが・・・
そりゃ残業代出せとか、食事代出せとかは言いませんが、
基本給満額は当然でしょう?
それでも基本給が安いおかげで、毎月の手取りの半分近くになってしまうんだよ??
おかしいなぁ〜って思うんですがね@その言い分
ま・・・そんな訳で、出社しても無駄じゃん!なんて思った勢いで木曜休んだんですけど(笑)
で、もう一つおかしな話をついでに・・・

『退職金は分割で払わせて欲しい』

はいっ?なんでしょう??分割ですって???
なんと言うか、会社の経営状況が苦しくて支払うのに大変だと言うのなら判るんですが、
退職金一時所得の免税範囲内に収まる程度の金額ですよ?
その程度の金額に窮しているほどの会社が、
何故にわれわれが離職したあとで、事務所の大幅な改造や新たな機材の導入を出来るんですか?
そんなもん認められるわけないでしょう〜
せめて退職者に対しても、きちんと責務を果たした上でやりましょうよ〜
なんなら・・・分割を認める代わりに、利息をとってもいいですか?<トイチくらいで(爆)

まぁ・・・これら全て悪い考え方をすれば、会社側に騙される危険があるよなぁ。
何もこちらが知らないと思って、平気で陥れられそう・・・
退職金を分割することで、退職所得が一時所得にすりかえられ、結果税金がかかります・・・
そんなこともありえない話ではないのかなぁ。
労働基準法や税金に詳しい方!是非そのあたりご教授くださいね〜(笑)

しかし。。。
結局退社を決意してからの会社側の対応には呆れてしまうことばかり。
長いこと勤めた結果、充分に愛着があるので、円満退社を望んでいたが、
どうもそうすんなりとはいかないようだ。
あまりにごねるようなら・・・やりあうしかないんだろうなぁ・・・

それにしても何が残念と言えば、
自分の気持ちの中で「その程度の低レベルな会社であった」と認識してしまうこと・・・
そう思ってしまうこと・・・
それはあまりに自分自身の今まで築いたものを蔑ろにされている気分・・・
それが悔しくもあり、残念でしかたがない・・・





2003年03月22日(土)

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■ 戦争

懸念していた戦争がとうとう始まった。
今日午前11時過ぎ(日本時間)に開戦の火蓋が切って落とされた。

今回の戦争は疑問なことが多すぎる。
開戦前から反戦運動が高まることも過去に例がないし、
国連という場所で要人が集まり、
戦争をするかしないかなどと議題に上ることすら例がないだろう。

それにしても解せないのは、アメリカ。
国連決議を無視し、反対国に圧力をかけている様子。
最後まで反対を貫いたフランスは、今後アメリカとの関係修復に務めるのだそうだ。
中国やロシアも、開戦後の声明ではアメリカ批判をするものの、
自国へのアメリカの影響を考え、あまり強い姿勢が取れないらしい。

これでは世界はアメリカに隷従しているのではないか?
そう思えてきてしまう。
自国(アメリカ)のいうことを聞かない国に対しは、徹底的に報復する。
それが経済制裁であったり、政治的圧力であったり、そして武力であったり・・・
世界の警察などと自らが語っている様子は、
権力をかさに相手国を押さえつけるだけでしかない。

かくいう日本はと言えば、アメリカの51番目の州とでも表現できそうなほどの従順ぶりを発揮。
第二次大戦で唯一被爆国となった日本こそ戦争の悲惨さを訴え続け、
武力行使による他国への干渉を抑制させる役目を担うべきでなかったか?
日米協定はわかる。
が、結局は敗戦国としてアメリカに隷従し続けてきた結果が、
対して何も言えない立場になってしまった。
今回のことで、改めて日本がアメリカの属国であることを世界に表明したにすぎない。

今後の戦争の展開次第によっては、戦火がアジアにも・・・
あるいは世界的に広がる可能性も皆無ではない。
この時期にあたり、アメリカの属国日本が北朝鮮から攻撃を受ける可能性も考えられる。
その場合日本はどうするのか?そしてアメリカの対応は?

今回の戦争は、
まさに「正義」という言葉の意味を考えさせられるものだと言うことは間違いない。
とにもかくにも、今はただ早期に解決されることを願いたい・・・








2003年03月20日(木)

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■ 近況

10日近くお休みした挙句、昨日いきなり更新したわけで・・・
この間、何がどうなっていたのかをご説明しましょう〜
(聞きたくないとか言うなっ!これもネタだいっ!)

ま・・・一言で言ってしまえば、「考える事をやめてた」訳なんですが
てか、「考えられなかった」・・・が正しいかもしれません。
えと・・・
ご存知の通り私こと○○○○(←本名ね)は、
来月15日を以って会社を退社するんですが、
出社は一応今月末まで。
4月に入ってからは有休消化って奴なんです。
で、当然のことながらあと残り僅かな出社期間のため、
身辺整理をし始めなきゃいけないはずなんですが・・・
これがちっとも出来ていない(汗)

2月末で上司が退職した途端に、
反上司であった政府軍(会社の経営陣)が強引な進行を展開し、
残党(われわれのことね)に対し
嫌がらせとも受け取れる仕事を回してきまして・・・
上司という堰がなくなった今、怒涛のように仕事が押し寄せてます。。。
結果、その仕事処理に終われ、何も自分のことができず状態・・・
物事を考える余裕すらありませんでした。

更に言ってしまえば、退職した上司・・・
自分の机を整理しただけで、
「あとの事は○○(←しつこいようですが本名です)に任せるから〜」
「どこそこに送ってくれればいいから〜」
など、かるぅぅぅぅい調子で頼まれてしまいました。
(これもようやく今日片付け終わり、箱にして25箱!<おいおい)

ってことでここのとこ考える事が出来なかった
 ↓
何も思いつかない
 ↓
しかも忙しく毎日帰宅も遅い
 ↓
さらに疲れきって帰宅後は放心状態
 ↓
結果更新できず・・・

のような公式(公式か??)が成り立つわけです(笑)

それにしてもなぁ・・・
うちの会社の将軍様の勢いはすさまじく・・・
そこの国民が哀れに思ったりして。。。
って・・・そう考えると、退職者である自分らは、
差し詰め自由な天地を求める亡命者か?

まぁそんな訳で、今しばらく忙しい日々は続きそうな気配です。
もっとも目まぐるしい程の忙しさからは、
少し落ち着いてきた感じではありますけど。
ようやく自分のことが出来そうかなぁ〜〜
ふぁいとぉ〜〜>自分

あっ!
本名だといってる○○には漢字が入りますから〜
まさか・・・本当にそのまま○○が本名とは誰も思わないよね(爆)

また更新が滞っていたら、「忙しいんだな」って思ってやってください〜







2003年03月18日(火)

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■ 決断

長年続けてきた事に終止符を打つ場合、
そうするためには少しの勇気が必要に思う。
自分の仕事しかり、昨年閉鎖したサイトしかり・・・

その決断は自分でするものであるが、
他方で自分の意思とは関係なく、
ある日突然やってくる場合もある。

今日、娘がまさにその日を迎え、
終止符を打つべきかの選択を迫られる局面に立たされたようだ。

小学校3年生以来今日まで約5年間、
一日たりとも学校を休まなかった彼女が、
体の不調により学校を休んだ。
無欠席という勲章が彼女の誇りであったため、
「休む」と決断するまでに相当悩んだに違いない。
あと1週間・・・そうすれば今学期も無事に終えるはずだった事が、
余計に悩ませたかもしれない。

物事を続けるにあたり、それがいつまでも続く事はほとんどない。
全ての物事には必ず終局面がくると言ってもいいだろう。
それでも、出来る限り続けられるに越した事はないかも知れないが、
そうする事で自分の定めたルールに縛られてしまい、
更に自分を苦しめる結果になってしまう。

そうなる事は、父親である自分自身が良く解っているため、
娘に電話を入れ、「気にしないでゆっくり休め」と伝えた。
もっと気の効いた台詞が言えればいいものの、
継続する事だけを目標に頑張ってきた娘に対し、
それを止めなければならない選択をした娘に対し、
一体どれ程の言葉をかけてやれるだろうか?

子どもは些細な事でも意地になったりするもの。
記録なんて必要ないのに、そんなに頑張らなくてもいいのに、
自らのキャパ以上に無理をしたり頑張ったりするもの。
そんな無理しなくていいのに・・・と思う事がよくある。

これで娘も自らに課していた呪縛から開放されたと思う。
心の中では良かったと思う部分と、
緊張が途切れた娘の今後を憂えう部分が交錯している。
ま・・・そんな事をおくびにも出さず、帰ったら娘に向かって
今までよくやったねと言ってやる事にしよう・・・






2003年03月17日(月)

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■ 悪い友達

先日友人との会話の中で、「悪い友達」について話をした。
「悪い友達ってどんな友達を指すんだろう」
という疑問が発端・・・

色々考えてみると、なかなか「これっ」というものが見つからない。
例えば悪さをそそのかす友達・・・
これは確かに悪い。
犯罪まがいの事柄をそそのかし、それを実行させる場合などがあるかもしれない。
がしかし、これはそそのかされる側も悪いわけで、
一概に相手だけが「悪い」と決め付けられない。
ましてそこに主従関係・命令などが含まれていては
これは友達ではないはずだ。

考えた挙句行き着いた先は、
結局「悪い友達」というものはあくまでも第三者から見たものであり、
本人は決してその友達を「悪い」とは思っていないのではないかということ。
仮に本人が「悪い部分もある」と言うことを認めていたとしても、
それにも勝る「良い部分」があるからこそ
友達という関係を続けていられるのではないか。
「悪い」と思うだけでは付き合わないだろうし、
まして友達関係にはなりえない。
さらに言えば、その相手の持つ「悪い部分」を本人が認めていたとすれば、
それを是正させるだけの手段を講じることが、本当の友達ではないか。

人は言い訳にもよくこの「悪い友達」を引き合いに出す。
「悪い友達に誘われて・・・」
「悪い友達が巻き込んで・・・」
「悪い友達の影響で・・・」
これらの言い訳はあくまでも本人が「良い子」という前提にあり、
誰かを悪者にすることで本人の立場・地位を確保しようという詭弁ではないだろうか。
やはりどう考えても、「悪い友達」というのは
その関係を見ている第三者の判断に過ぎないと思う。

友達に「良い」「悪い」は存在しない。
本人が友達と思うなら、それはそういった杓子定規で計るのではなく、
本人の判断を尊重してやる心のゆとりも欲しいものだ。




2003年03月05日(水)

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■ 出張

その街に行けば心が落ち着く。
その場の空気を味わうだけで、何故かホッとする。
東京で生まれ育った自分にとって、田舎と言える場所はなく、
どういうものなのかを感じることも叶わない。
が・・・故郷とはこういう感覚なものなのかもしれない。

久しぶりに出張に出かけた。
2月末で退職する上司とともに、
かつて何度となく足を運んだ某市に。
もう何年も行ってなかった気がして、
古い手帳を見返してみると、実に7年ぶり。

思い返してみれば昭和60年から平成6年までの10年間は
本当にしょっちゅうその市に出かけていた。
多い時で1年の2/3を過ごしたこともある。
ま・・・これじゃ子供に顔を覚えられなくても当然と言えば当然かも(笑)

今回の目的は挨拶回り。
1ヵ月後に退職する自分もまた、
この18年間お世話になった人たちに挨拶をしたくて出かけた。

その街には仕事上で知り合った多くの人たちがいる。
上司といつもセット?で歩きまわった街は、
所々昔の名残を残しながらも、色々な変化も見られた。

街を歩いているとあちらこちらから声をかけられる。
それほどまでにこの街に浸透し、10年間の功績があったということか。
自分にとって、これもまた財産。
年齢・性別・職種・地域が違っていても、
まぎれもなく自分とその人たちの関係は、18年たった今でも変わっていない。
こうした人脈こそ無形の財産に思う。

「○○さんが辞めるなんて思いもよらなかった」
「さびしくなりますね」
「思い返すと色んなことがありましたよね」
そんな言葉をいただく度に、感傷的な気分にもなってしまった(笑)

もっともそんな気分に浸り続ける間もなく、
後ろ髪ひかれる思いで1泊して帰京。
月曜日からあと1ヶ月の業務が残っている。

思い出というものは、時間の経過とともに色褪せていく。
嫌な出来事、辛い出来事もまた色褪せ、風化した後、
笑って話せる内容に変化して行くものだ・・・
今回の出張でつくづく感じた。



2003年03月01日(土)
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