風のひとり言
kaze

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■ 娘

15歳を迎えた娘に、どうやら気になる男子がいる様子である。
毎日のように帰宅しては、娘の口から彼の名前が飛び出すものの、
出てくるのは悪口ばかり。
やれ「睨まれた」だの、「意地悪された」だの。
しかし話を聞いてみると、やはり『気になる存在』であることは間違いないようだ。

ところが先日の父母会に出席した女房が、衝撃的な話を聞いてきた。
なんとその彼が、5月中旬に行われる修学旅行を最後に、
親の転勤に伴ってニューヨークへ行ってしまうというのである。
しかも、本人がまだ友達にも知らせたくないと言う理由から、
親同士の間で口止めがなされたのである。

この話には正直困惑してしまった。
修学旅行でも同じ班員として過ごす娘のことを考えれば、
本当のことを伝えてやり、良き思い出を作ってほしいと思ってしまう。
一方で親同士の「言わないで」という約束と、
彼の「まだ言いたくない」という気持ちが頭をよぎってしまう。

女房と何度もこの件で話し合い、そして幾人かの友人や同じ世代の姪などにも相談してみた。
結果は・・・全員が同じ答え「伝えてやる」であった。

娘は嘘をつけない性格。
というよりは隠し事が顔に出てしまうタイプ。
そこの部分に若干の不安を感じながらも、結局は娘に伝えた。

話を聞いた娘はあくまでも「好きじゃない」と言い張りながらも2階の自室にこもり・・・
数十分後、涙目で「私ってわかりやすいの?」と聞いてきた。
「俺の娘だもんな・・・」

その後、彼と一緒に学校生活を送れる日数をカウントダウンし始めた娘に対し、
「自分の気持ちに素直になって、告ってしまえ」と、
あるいは、「去っていく彼のために、クラス全員でしてあげる事、その発起人になれ」
と何度言ったことか。。。
世間一般的に、我が娘に対し「告ってしまえ」という親がどのくらいいるのか定かではないが、
あまりいるようにも思えない。。。
がしかし、行動せずにほっておく事は、後々後悔の念にかられてしまう。
後悔ほどつまらない感情はない。
後悔するくらいなら、行動するほうが、余程自分自身のためにもなる。
自分が今まで過ごしてきた人生で、数多くの後悔をしてきたことを振り返ってみると、
だからこそ・・・娘には後悔して欲しくないと思ってしまう。

「今」この一瞬一瞬を大切にする気持ち。
人に対して思いやりをもって接する気持ち。
今回のことに限らず、そうした気持ちをこれからも育んで欲しいと願うのは、
娘に中学時代の自分を投影している、己の反省なのかもしれない。





2004年04月28日(水)

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■ PC

そういえば久しくチャットをしていない・・・
かつては毎晩のようにチャット部屋に入り、
色々な人と話をしていたもんなのだが・・・

そういえば久しくメッセもしていない・・・
かつては睡眠不足になるくらい、
色々な人と話をしていたもんなのだが・・・

メッセはHOTメールアカウントが切れない程度に立ち上げるものの、
タイミングが悪いのかみんな既に卒業したのか、
ほとんど話す人が見当たらない。

お気に入りを開いてみると、
かつて行き付けていたチャット部屋が存在している。
いまだにリンク切れせず、それはあった。
少しROMをしてみたが、知ってる名前は一つもない。

みんなそうなのかもしれない。
チャットにしろ、メッセにしろ、一時的な流行病のようなもので、
ある日突然目覚めれば、何もしなくなる。

とはいえ、そのチャットを通じ、色々な友人と知り合いになったのは事実。
現在でも互いにチャットやメッセをしなくても連絡を取り合い、会うこともしばしば。。。
そんな友人たちに出会えたことに関しては、そのチャットに感謝をしている。

PCに理解のない人たちにとっては、
こういった出会いを全否定する人も少なからずいる。
何か事件が起こるたびに、PC使用者を悪く言う人もいる。
しかし、こんな出会いもある。
IT文明が発達してきた現代において、
これもまた新しい人とのコミュニケーションツールとして
その存在意義は高いように思える。

使い方さえ誤らなければ、これだけのツールを活用しない手はないだろう。
つくづく・・・そう思う。




2004年04月21日(水)

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■ 夢

最近・・・という訳でもないが、よく夢を見る。
夢は、ほとんど毎晩といって良い程に見るし、
起きた後もその夢の残像が脳裏にこびりつく。
その内容は様々。
仕事のことであったり、友人たちと楽しげにしていたり。
勿論よい夢ばかりではなく、悲しい夢、怖い夢なども見たりする。

ところが最近見る夢は、今までと少し違う。
何が違うかといえば、その登場人物。
ほとんど記憶の片隅に追いやられ、
思い出すことすらないであろうと思われていた、
かつての友人などが出てくるのである。
それもランダムに・・・
中学校、高校時代の友人や先生たちが夢に現れるのである。
その夢の中で何をしているのかといえば、
普通に当たり前のように接しているし、会話をしているのである。

かつての日本。
源氏物語が執筆された頃の日本では、
夢に人が現れた場合、その相手が自分を想っている・・・と言われていたらしい。
そう考えてみると、結構モテている自分がここにいる(笑)
もっとも女性だけでなく男性にもだが。。。(汗)
まぁ、今はそんな考えなどなく、おそらく心理学的に言えば、
深層心理の中でどこかその相手に思いがある表れ・・・とでも言われるのだろう。
しかし・・・
深層心理だろうが、突然に思い出すその相手の出現に対し、戸惑う自分がいる。
およそ思い出すはずもない相手を、なんのきっかけもないままに思い出すものなのか?

「人間の記憶領域というものはとてつもないもの。
人間は一度見たもの、聞いたものは決して忘れてはいない。
ただ、記憶した場所からそれを取り出すことが出来ないだけだ。」
・・・かつてこんな事を聞いたことがある。
己の学業不振を、
「馬鹿なんだもん」の一言で片付けようとする長男に対しても、この話をしてやった。
いずれにしてもその記憶の引き出しをうまくコントロールできる人が、
記憶力がよい・・・ということになるのである。

さて、そうなると自分の夢の話の続き。
記憶されている過去に関わった人間関係が今、突然に記憶の引き出しから出てきた・・・
しかも本人の意思とはまったく関係なく現れたということは、
自分の記憶領域が暴走しかけていることなのだろうか?
容量オーバーが近いとか、あるいは・・・死期が近いのか????(汗)<おい

なんとなく、夢の中での再会に懐かしみ喜ぶ感情もなく、
朝が来て目覚めると、釈然としない気持ちになってしまうこの頃である。








2004年04月16日(金)

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■ サイクリング

「ねぇ見て!白いタンポポだよ!」
背後から聞こえてきた娘の声に、
ペダルをこぐ足を緩めた。

快晴の日曜日。
久しぶりに家族総出でサイクリングと洒落込み、
10�卍�離れた都立公園に向かう途中の出来事だった。

「白いタンポポって東京では珍しいんだよ」
学校の勉強そっちのけで、花のことには妙に詳しい娘の説明に、
半ば頷きながら、家族全員がその小さな花に目をやる。
「本当珍しいね。私も見たことなかった」と女房。
「白いタンポポだぁ〜」とはしゃぐ次男。
「・・・」興味なさ気にただ見ている長男。
反応は様々あるものの、こうしたひとコマも、
「家族」として大事な瞬間かもしれない。
そんなことを思いつつ・・・
「自転車こぎながら路傍のタンポポを見つける娘って・・・」
まぁ周りに気を配ることはいいことだけれど、
決して自転車の運転が上手といえない娘の、これからに一抹の不安もよぎる(笑)

公園に着くと、あちらこちらに桜の絨毯が敷かれている。
今年の桜の開花期間が例年より長かった(らしい)せいで、
散り際の花見を楽しむことも出来た。
風に舞う桜の花びらを追いかけながら娘、
「飛んでくる花びらを手で取ってお願い事をすると、それが叶うんだって」
それを受けて女房、
「そうそう。でもその花びらを誰にも見せてはいけないんだよ」
どうやら昔より有名な話らしい。
が、ここで次男が一言。

「花びらが願い事を叶えてくれるわけないじゃん」

次男@先月5歳になったばかりは、妙に現実的というか、夢がないというか・・・
まぁそれを聞いて爆笑したのは言うまでもない。

休日となると、車で近所まで買物が定番であった我が家において、
こうして家族全員で遊びに出かけることは、数える程度でしかなかった。
それをあからさまに「不満」とする者がいなかっただけに、
自分もその生活に甘えていたのかもしれない。
が、こうして家族全員で自転車で出かけ、路傍の花に見入る姿は、
やはり「今」しか得られないものであると確信する。

「今」しか出来ないことを「今」やる。
それは仕事においても私生活においても通じるものであり、
事に子供と接する時間というものの大切さを、痛感した思いでもあった。
お金をかけるだけが「遊び」ではない。
勿論子供たちは「遊園地」や「動物園」、「旅行」や「ボーリング」などにも
行きたいであろう。
しかし「遊び」はそれだけではない事、
何より「一緒に同じ事をする」事が大事であるということを、
それぞれがわかってくれればと願う。

「たかがサイクリング。されどサイクリング」である。




2004年04月12日(月)

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■ HP

いやぁ・・・それにしても焦った。。。
古い手帳に記されていた、昔のHPのURL。
それに何気なくアクセスしてみると・・・
なんと生きているのである!

かつてのコンテンツが、それぞれにネット上で存在していることはわかっていたが、
実は一番最初に作ったGOOのHPそのものが生き残っていたのである。

記憶をたどってみると、
確かHP所有者に対してGOOから、
○月×日付けを以ってHPがなくなります。
継続される方は手続きをして下さい・・・(だった気がする)
といった内容のメールが届いたはずであった。
使用していく上で少なからず不満を感じていた自分は、
あっさりと別のサーバーを借りて引っ越したはず。
以降、トクトク、使えるネットを経て、現在の1POINTに落ち着いたはずだった。
それなのに・・・

なんで生きているんだろう?
「閉鎖」はどこに行ったんだろう?
そんなことを思いつつも掲示板を覗いて見ると、
新しい書き込みがあるではないか!!
いったい・・・

結局こうして放置していた自分にも責任はあるものの、
奇しくも時を止めたままのHPが、
広大なインターネット空間で存在し続けていたことには、感慨深いものもある。
こうやって放置され続けているファイルが、
一体どのくらいあるのだろうか?

放置された瞬間から時を止め、
いつか再び動き出すのをただじっと待っていたのかもしれない。
その健気さには涙を誘われる・・・<おい

懐かしさに読み進めた我が初代HP。
お役御免として、もうインターネット空間に漂わなくてすむように
しっかりと成仏していただきました。
さて、他にも漂っていないかどうか、色々調べてみようっと!




2004年04月09日(金)

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■ 体重計

業務連絡!
新宿歌舞伎町に存在していたあのオフ会場!
(ってもどこだかわかんねーよ・・・)
えとえと、あなぐら的雰囲気があって、
昔のちゃぶ台や和箪笥があったり、
ノリのいい手品師が微笑んでくれたり、
洞窟で煙に巻かれたり・・・
(わかる人にはわかる・・・はず←少し不安)
あそこがいつのまにかパチンコ屋に変身してました!

いやぁ〜なんだか寂しい感がありますね。
やっぱり家賃とか高かったんでしょうか?
それともマフィアに狙われたとか<おいっ
時は流れている。
形あるものはいつか消えてなくなる。
想い出にひたっていては、前に進めなくなる・・・
などなど頭をかすめつつも、(長い)業務連絡終了〜〜

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さて。
久しぶりに体重計なるものに乗ってみた。
家に体重計があったことすら忘れるほどに、自分で計った記憶がない。
会社勤めしている頃は、毎年健康診断という名の下に色々と検査もしていたのだが、
辞めてからはずいぶんご無沙汰していたものだ。

我が家の体重計@パチンコの景品(笑)
乗ると針が動くタイプではなく、
両手に持った表示機を水平に掲げて乗るタイプ。
しかも「体脂肪」などという余計なお世話なものまで表示されてしまう。

「よいしょ・・・」
いや、別に体重計ごときに掛け声など必要ないのだが、
悲しきかなおやじの習性はここにまで及ぶ。
と・・・ずいぶん前置きが長くなった。

その体重計で我が身を計ってみると、そこには恐るべき数字が表示されていた!
なんと全盛期(っていつだよ)よりもかなりプラスされている!!!

いやぁ〜考えてみると、失業中は動かなかったしなぁ〜
最近身体が重いと思ったらこういうことだったのかぁ〜〜
など、悠長なことを考えてばかりではいけない。
これは由々しき事態である。
もともと筋肉太りの傾向があったのだが、
今やかつての筋肉もなんか柔らかい気がする。。。(泣)

うーん・・・どうしたものか・・・
ダイエットって言ってもなぁ・・・
幸い(?)娘も肥満気味であるから、一緒にダイエットに励んでみるか???
なんか楽に効果的に痩せる方法はないものか・・・
そう考えている自分は、オヤジを通り越し、おばさんになっているか?(汗)
ともあれ何か対策を見つけないことには、このままではまずい気がする。
ベスト体重に持っていってこそ、身体も楽になるというもの。
そこまで減量●キログラム ・・・
道のりは長いのかもしれない(泣)

ちなみに・・・最近「タバコをやめろ」とよく言われる。
が、よく言われるのがタバコをやめると太る・・・
とすれば、今はやっぱりタバコをやめるわけにはいかないのです!←いいわけ







2004年04月07日(水)

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■ 回転ドア事故 考察

ここ数日、テレビのニュースなどを見てふと思うことがある。
それは六本木ヒルズで起きた事故。
5歳の少年が、回転ドアに挟まれて死亡するという痛ましい事故であった。
しかも事故直後から森ビル側やドアメーカーは、互いに責任のなすりあいをし、
テレビや週刊誌など、マスコミメディアがこぞってその醜態を報道している。
なんだか騒ぎ過ぎであるような気がしてならないが、
ワイドショーのコメンテーターなども、一様にその責任を糾弾しており、
誰もが森ビルやメーカーに対して怒りを覚えていることだろう。

ところがである。
ふと冷静になって考えてみると、この事故の責任の所在はもう一箇所あるのではないか。
子供が手を振りほどいたとはいえ、手を離した親にも責任の一端がないだろうか?
当然のこととして、報道する全てのメディアはこの事実に気が付いているだろう。
しかし、あえてその部分についてコメントする人がいないのは、
亡くなった少年の冥福を祈る心と、残された遺族への配慮なのかもしれない。
が、その部分を曖昧にしていいものかどうかも考える。
異常とも思えるほど過熱するマスコミ報道によって、
森ビルやメーカーの100%の非と受け取る人が出てくるかもしれない。
それが果たしてよいのだろうか?

よくよく考えてみれば、
回転ドアに挟まれたのは親の責任。
挟まれて死亡に至ったのはメーカーの責任。
危険を認知していたにも関わらず、対策を放置していたのは森ビルの責任。
以上3者それぞれの責任が明確であり、何も複雑なことはないとは思うのだが。

子供は興味のあるものに向かっていく傾向がある。
それが危険であるかないかなど二の次であるし、
それらの判断力がまだまだ未熟でもある。
だからこそ、傍に親が付いてそれを教えていかなければならないはずだ。
例えば道路で子供が飛び出した場合・・・
手を離してしまった結果、子供が事故に巻き込まれたら単純に運転手を責めれるだろうか?
状況が違うとはいえ、
回転ドアは大人ですら入るのを躊躇する人もいる。
そのくらいの認識はあってしかるべきだ。
エスカレーターですら、子供はタイミングを取りつつ乗るものだ。
まして回転ドアなど・・・論外。
手を離した責任、日頃子供に対して注意を喚起しなかった責任、
叫んでも止まらなかった子供に育ててしまった責任、
色々な部分において母親の責任を回避できるものではない。

しかしこの母親・・・
通夜の席で森ビル側の来訪を追い返したその姿には、
己の反省を考えず、どこかにその責任を転嫁したいのでは・・・
など疑う気持ちが芽生えてしまう。
また、いずれ起こすであろう賠償責任裁判なども視野に入っているのかもしれない。
(もっとも裁判を起こせば、母親の責任もかなり追及されるはずだが。。。)

別に・・・この母親だけが悪いと言っているわけではない。
一般的に、この手の母親が増え続けているのは確かなのだ。
昨今よく見かけるスタイルとして、親が人のせいにして子供をしかる場面がある。
例えば電車内で騒ぐ子供に、
「みんなに怒られるからやめなさい」とか、
靴を履いたまま座席に立とうとする子に、
「隣の人の服が汚れるからやめなさい」とか。
それは明らかに違うだろう。
みんなが怒るからやめさせるのではなく、服が汚れるからやめさせるのではなく、
静かにすることがマナーであるし、座席に靴のまま立つこと自体が間違っているだろう。
おまけに、子供のせいで自分が注意されたことに腹を立てる母親もいる。
こうした親たちともいえない・・・未熟親が増えていることも事実である。

いずれにしても今回のこの事故は、特別扱いされすぎである。
たまたまテレビ局に向かう途中であったからといって、
日本の総理大臣が、あるいは知事らが続々と献花する姿は、
何かパフォーマンス的なものを感じてしまう。
親にも責任の一端があるこの事故の被害者と、
先日某車メーカーが非を認め、リコール問題となった事故の被害者と、
どちらに落ち度があったのかは明らかである。
そのような理不尽に命を落としていった被害者全般に対してではなく、
回転ドアに挟まれるというその事故の特異性にと話題性に目を向けているだけ・・・
そんな気がしてならない。

今回の問題において回転ドア撤去の話も出ているようだ。
確かに日本の建造物においては回転ドアの必要性は薄いかもしれない。
然しながら、これは普通の自動ドアにも起こりえる事故であるし、
あるいは一般の押し開きのガラスドアに至っても、
前の人が押して入った後の反動により怪我をする人も出てくるかもしれない。
そう考えてみると、事は回転ドアが悪いとかそんな問題でもない気がする。








2004年04月06日(火)

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■ 送信済みアイテム

PCのデーター整理をしている時、
古いメールデーターが残されていた。
しかも送信済みの分・・・
半分懐かしげに、それらを読み進めてみる。
・・・赤面(笑)ではないけど、
なんだか随分なことを人には書いているんだなぁ〜とつくづく思う。

人に対してはどうしてもこんなに真剣になれるのか?
自分が同じ事でつまづいているにも関わらず、
人には真剣に発言している自分がいる。
人に対して結論を出しているのに、何故自分自身は駄目なんだろう???

そういえば昔からそうだった。
人の悩みに対して自分なりの答えを出そうと、いつも考えていた気がする。
恋愛問題でもそう。
いつもキューピット(死語だよなぁ。。。)役だった気がする。
「○○(←本名)も人の事ばかりでなく、自分の事を頑張れよ〜」
同級生からよく言われた台詞。。。
それなりに自分でもやってたつもりだったんだけどね(笑)
ただ特攻精神で玉砕・・・ってのが多かっただけで(自爆)

ともあれ人に出したメールの中味。
その内容はそっくりそのまま自分に返せる物ばかり。
おかしな話だが、自分の書いたメールに励まされたり納得している自分もいる。

なんなんだろう?自分って。
なんか無責任なような・・・ボケているような・・・
ただ言えることは、人に対して出した回答は自分にも通用するもの。
自分の考えであり、自論であるわけなのだから当然のことだけど。
ただ、自分が迷宮に迷い込んだ時、
かつての自分の答えを探してみる事も必要なのかもしれないと思う。

膨大な量になっている送信済みメール。
それらを削除せずにそのままにしたのは言うまでもない。







2004年04月03日(土)

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■ エイプリルフール

(まずは)懺悔
某駅の「チップ製公衆トイレ」に
パチスロのコインを入れてしまったのは私です。。。すみませんでした。。。
(だってあれ1枚20円するんだよおおお・・・)



さて、ものすごく久しぶりの気がいたします。
皆様いかがお過ごしでしょうか?
閑散とした空気が蔓延する中、時々は覗いて下さった方もいらっしゃると思います。
本当にありがとうございます。
「もしかしたらこのまま閉鎖?」なんて思われた方。
正解です!
と言っても半分正解。
そんな気にもなっていたのは事実です。

ここ1ヵ月半くらい色々なことを考え、色々と悩んだりもしていました。
仕事上のこと、家族のこと、友人のこと、これからのこと、などなど。
その中において、このHP運営というものも私なりの定義を見出していました。

私にとってのここは、精神面において、あるいは生活面において
ある程度安定した位置にいる上で、日常の不満や考えをぶつけていたんだな…という事。
そう。思考はある程度落ち着いた環境下において発揮されるものであり、
不安定要素一杯の地盤の上では、落ち着くことも出来ないのだなと。
これはまぁ実生活にも言えることですね。
不安を抱えて生きていては、何一つ手につかなくなることもあるかもしれない
不安であってもそれを隠し通し、己自身を欺くことで精神的にゆとりが生まれるかもしれない。
そんなもんだと思っています。

んじゃ、なぜ再開したか?
それはまぁある意味↑のようなこと悟った気もするし・・・
何より少し精神的に安定期に入ったかな〜って。
色々な面で不安要素は沢山あるものの、
それを、考えるだけで結論が出せるほど簡単なものじゃないし、
いつまでも立ち止まっていたら仕方ないからね。

そう。
先日、心理テストみたいな感じで唐突に思いついたことなんですが、
目の前に大河が広がっており、あなたは向こう岸に渡りたいと考えています。
左右を見渡しても、見える範囲に橋などはありません。
あなたの脇には自身の子供が不安げにあなたを見上げています。
さて、あなたはどうしますか?
�ヾ萃イ辰同砲�
�△箸蠅△┐査険Δ匹舛蕕�に歩き出し、橋を探す
�M茲親擦魄�き返す
�い修里泙淮�ちすくんでいる
以上の選択肢を考え、自分ならどうするかを考えていました。

結論はなかなか出ないまま時間が過ぎ・・・
ようやく出した結論が
�セ匐,閥�力していかだを作る
でした。
そう。そうなんです。
自分自身のちっぽけなプライドや見栄に縛られたり、
どうしようどうしようと慌てていても仕方がない。
自分には頼ってくれる人もいれば助けてくれる人もいる。
それは家族であったり、大切な友人の一人一人であったり・・・
それを認識した上で、もっと自分に自信を持つべきだし、
きちんと前を向いて歩かなければいけない。

そんな・・・いつも人に言ってるようなことを改めて思い知らされた気がします。

とまぁなんだか支離滅裂な感じもいたしますが、
とりあえず久しぶりの更新終了(笑)
ともあれ私は大丈夫です。
ちゃんと息もしているし、足も二本あります。
都会の喧騒に身を委ねながら、毎日を暮らしていますので、
ご安心ください!<誰にだ???






2004年04月01日(木)
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