女の世紀を旅する
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2004年08月25日(水) 中国の改革派と保守派の対立,台湾問題

《 中国の改革派と保守派の対立.台湾問題 》

                2004/08/25



北京でホテルの近くで家出少女6人に食事をおごってほしいと,執拗にせがまれた。朝から何も食べていないのだという。可哀想だからハンバークとドリンクをおごってやったが,故郷(安徽省の村)に帰る汽車賃がないからとお金を無心された。これはきっぱりと断った。どうやら,7〜8月の夏休みを利用して地方から働きにくる中学生・高校生が多いようで,その多くは仕事にありつけないから,路上で生活しているようだ。北京に農村からの家出少女が数多くいることに私は,心底びっくりしてしまった。15,16歳ぐらいの少女が多い。

社会主義の中国では,働かざる者は食うべからずといった気風があり,地方から出てきた若い女性たちが,北京のいたるところで仕事を探している。農村では,女性たちは仕事にありつけず厄介者扱いであるから,仕事を求めて遠路はるばる北京までやってくるのだが,ヨソ者が仕事にありつけるほど社会は甘くない。アテネオリンピックでもそうだが,中国人女性は泰然としており,メダルをもらっても,日本女性のように大泣きすることはない。

感心するほど,自立心が強く,毅然とした自我をもち,深い落ち着きをもっており,日本の女性のようにメソメソしたりはしない。甘えが許されない厳しい社会生活の中で性格も鍛えられるのだろう。あの悠々とし,毅然とした中国女性のたくましさには本当に感心させられる。中国に行けば,ひよわな日本の女性はみなお嬢様のように育てられていることがよくわかる。


以下は最新の中国情報を伝えるTANAKA SAKAI氏のリポートである。中国共産党首脳部の対立の図式を具体的に指摘しており,現在の中国の政治情勢の動向をわかりやすく説明している。





●対立を演出する中国の政治

 中国で、インターネットで政治を語るウェブサイトに対する取り締まりが厳しくなっている。従来は、検索エンジンで「自由」「民主」といった言葉で検索した際に出てくる中国語のサイトが取り締まりの対象だったが、8月初めから対象が「アメリカ帝国主義」、「釣魚島」(尖閣諸島)、「反腐敗」「江沢民」「中共」といった言葉にまで拡大されたという。

 これらは、アメリカや日本を攻撃する言葉や、役人の腐敗取り締まりという中国政府が行っている政策を表す言葉などであり、中国の党や政府に対する批判的な意味を含んでいない。だが、最初はアメリカや日本に対する批判であっても、そのうちに矛先が自国の党や政府に転じかねないため、広範囲な規制になったのだろう。中国では9月に「4中全会」(中国共産党第16期中央委員会第4次全体会議)が予定されており、それを前にした取り締まりだと見られている。


 中国当局は問題のあるサイトを探すため、3万人のインターネット監視要員を置いている。従来は、問題あるサイトのブラックリストをプロキシサーバーに置き、それらのサイトにアクセスできないようにする方式だったが、この方法だと、問題のあるサイトが作られてから当局が見つけるまでに時間がかかり、その間に多くの人がそのサイトを見てしまう可能性がある。そのため最近では、すべてのネットユーザーが最近どのサイトにアクセスしたか通信記録を当局が保存し、問題のサイトを見たユーザーに後から警告を発する方式に変えた。新しい制度は、間違って反政府系のサイトを見た人も当局から目を付けられてしまう危険さがある。


●政治絶倫の中国を安定させる「中華投訴網」

 そんな厳しい情勢の中「反腐敗」の方針を高々と掲げ、政府批判が含まれているのに閉鎖を免れているサイトがある。「中華投訴網」
( http://www.chinacomplaint.com/ )である。これは、役人の腐敗による被害に遭った市民などからの投稿を集めたサイトで、特にひどい腐敗の場合、このサイトの管理人である謝さんが被害者から追加の情報を集めて特集的に扱うとともに、腐敗が行われていることを北京の中央政府当局にも伝える、ということをやっている。

 たとえば、私がいくつかクリックしたところでは「市営バス定期券のICカード化と値上げを検討している福建省福州市当局は、値上げに関する公聴会を開いたが、そのやり方がおざなりで、反対意見を聞こうとしない」という投稿や「山西省晋中市の建築現場では、給料未払いから乱闘事件が起きた」といった情報が出ていた。


 このサイトが当局によって潰されていないのは、胡錦涛国家主席など中国政府の最上層部がこのサイトの存在を支持しているからではないか、とする見方がある。中国では経済開放が進むにつれ、役所や大企業による職権乱用や腐敗が激しくなり、都市開発を強行する役所が代替地を与えずに住民を自宅から強制立ち退きさせたり、役所の決定に抵抗する市民に言いがかりをつけて不当逮捕したりする事件が相次ぎ、国民の不満があちこちで高まっている。


 大きな事件としては、江蘇省常州市の民営製鉄会社が無許可で新工場建設を計画して4千人の農民を強制立ち退きさせた事件や、湖南省嘉禾県でショッピングセンター建設予定地で立ち退きに反対する市民11人が殺された事件、安徽省阜陽市などで役所の監督不行き届きから販売中の粉ミルクの6割が不良品という事態になっていることに気づかず60人以上の乳幼児が栄養不良で死亡した事件などが、日本でも報じられている。

 中国政府は最近、地方の行政機関が許認可権限を乱用して賄賂をとったり反対派住民を弾圧したりするのを止めるために「行政許可法」を制定したが、多くの地方政府がこの法律の実施に反発し、行政機能を故意に麻痺させて抵抗している。行政による腐敗や職権乱用の被害に遭った国民が政府に陳情できる「上訪」の制度もあるが、そもそも中央政府が地方政府の勝手な振る舞いを抑えきれないため、陳情を受けつけても十分対応できない状態にある。

 また中国では数年前から、各地のマスコミが中央政府の意を受け、地方政府の役人の悪事を暴露することで腐敗を取り締まるやり方も行われているが、マスコミに対しては共産党内のいろいろな方面から圧力がかけられるので、党内政治の結果、記事がもみ消されたりして限界がある。それに比べ、ウェブサイトは誰が運営しているか簡単には分からないため「中華投訴網」に載った記事は政治的にもみ消すことが難しい。同サイトには2千件以上の案件について、合計1万ページ以上の情報が集められている。

 広大な中国では、地方の人士に政治的な「活力」がありすぎて、たとえ市町村長のレベルでも選挙によって人選を決定すると、当選した首長は自らが獲得した民意を背景に、就任直後から北京の中央政府に楯突き、中央政府は今よりもっと厳しい政治駆け引きを地方政府との間で展開しなければならなくなる。
首長や議員を共産党中央が任命している限り、彼らは党に対してあまり楯突くことができないが、民主主義が導入されると抑制が失われ、政治的混乱が起きる可能性がある。

 現代世界の一般的価値観では、国民の政治的な不満を減らすには民主主義を導入するのがよいとされているが、中国ではそれは下手をすると国家としての自殺行為になる。そのため中国では、代わりに「中華投訴網」のようなサイトを党の上層部が維持させ、腐敗取り締まりによって国民の政治不満をガス抜きしているのだと思われる。


●インターネットは現代の「大字報」

「中華投訴網」のようなインターネットを使った腐敗追放運動は、共産党上層部の対立にも関係しているという見方がある。現在の中国は、党・政府・軍の最上部の3つのポストのうち、共産党書記と国家主席を胡錦涛が握り、党中央軍事委員会の委員長には江沢民が就いているが、「改革派」の胡錦涛と「守旧派」の江沢民ら「上海閥」との間に権力闘争が続いていると報じられている。


 胡錦涛(62歳)と江沢民(78歳)はともに、最高権力者だったトウ小平(��小平)が選んだ後継者だが、トウ小平は特に胡錦涛を若手の秘蔵っ子として目をかけ、死ぬ前に「江沢民が国家主席を10年間やった後、胡錦涛に席を譲ること」とする方針を党の首脳たちに示した。

 トウ小平は1997年に死去したが、江沢民は既定方針を守り、1993年から昨年まで国家主席をつとめた後、胡錦涛に譲った。だが江沢民は、権力が完全に胡錦涛の手に渡ってしまうことを嫌がっているとされ、昨秋の党大会で3つの最高位のうち2つを胡錦涛に譲った後も、軍の最高位の座に残り、隠然たる影響力を行使している。

 胡錦涛は腐敗追放のための改革を推進しているのに対し、江沢民は改革によって既得権益を失う各地の政府幹部の支持を集め、改革に抵抗する勢力を代表している。こうした色分けを演繹し、胡錦涛は「中華投訴網」を陰で支持することによって、このサイトが江沢民派の地方幹部の腐敗を暴くように導き、江沢民派を弱体化させようとしているのではないか、と考えられている。

 胡錦涛がインターネットを使って政治を張っているのなら、それは1976年に毛沢東が死んだ後の政争で、トウ小平が「大字報」(壁新聞)を使って華国鋒を倒したときと同じやり方だ、とみる分析もある。毛沢東が死んで文化大革命が終わった後、中国では1978−79年に「北京の春」と呼ばれる一時的な言論の自由化が行われ、北京・西単の繁華街の「民主の壁」と呼ばれる場所に、人々が自由に政治主張を書いた壁新聞(大字報)を貼り出す現象が起きた。

 言論自由化は政争を激化させ、国家主席だった華国鋒が失脚したが、華国鋒を攻撃する大字報を貼り出させたのはトウ小平だったのではないかと言われている。壁新聞を使ったトウ小平から、ウェブサイトを使う胡錦涛へと、一般市民の主張のように見せかけて政敵を倒すやり方が受け継がれているのではないか、と考えられている。


●党内の不満を吸い込む対立の構図

「胡錦涛vs江沢民」の対立は、最近の中国政治情勢の端々から感じられる。たとえば最近、トウ小平の長女であるトウ林(��林)が中国中央テレビのインタビューに答えて「父は引退後は後継者を信じ、政界から身を引いて市井の人として生きていました」と発言したが、これは引退後も権力にしがみつく江沢民を間接的に批判したものと受け取られている(実際は、トウ小平は引退後も影響力を行使した)。


 また、中国経済の過熱を恐れた温家宝首相が今年初めから進めている経済引き締め政策に対し、経済発展の波に乗って儲けていた地方の党幹部たちの不満が高まり、不満を引き受けた江沢民派が引き締め政策を批判する事態も起きている。

 とはいえ私は「胡vs江」の対立の図式について、腑に落ちないところがある。かつて江沢民が党書記だった数年前には、江沢民は「改革派」と呼ばれ、江沢民は改革を進めたいのだが「保守派」の李鵬(元総理)が邪魔をしている、という分析が一般的だった。なぜか中国の上層部はいつも、現役の最高幹部が「改革派」で、それに次ぐ存在の人物が「保守派」になっている。


「改革派vs保守派」という対立の構図は、自然発生的なものではなく、共産党の最上層部の人々が集団で演じ続けている部分がありそうだ。対立は確かに存在しているのだろうが、共産党上層部はそれを隠さず、あえてチャイナ・ウォッチャーに推測させ放題にしているようにも感じられる。

 今年6月には、江沢民の身辺警備を担当している由喜貴中将が異例の早さで上将に昇格する人事が行われ、これを根拠に、江沢民が軍内で子飼いの勢力を急拡大させているという分析がなされている。ところがよく見ると、胡錦涛の側近である朱啓中将も由喜貴と同様に異例の早さで昇格しており、江・胡の両派の将軍たちが均等に昇格するかたちとなっている。


 共産党の上層部で改革派と保守派が対立している構図を作ることは、改革に反対する地方幹部などが党中央に対して反旗を翻しにくくさせる。党内の不満はすべて江・胡の両派の対立のうずの中に吸収されてその中で語られるが、実は対立は作られたものであるため、国家を分裂させる危機に発展しない。これは、アメリカの二大政党制のメカニズムと同じ機能である。

● アメリカにも好都合な中国の「対立」

 共産党上層部における対立の構図は、中国国内だけでなく、アメリカ政府にとっても便利な機能である。アメリカ国内では、中国に投資して儲けている大企業は「アメリカは親中国の立場をとるべきだ」と考えているが、軍事産業は「中国との敵対を強めることで日本や台湾に武器を売り、米政府の軍事費も拡大したい」と考えている。大企業と軍事産業は、いずれも大きな政治資金源であり、共和党も民主党も、両者のバランスをとった中国政策を立てざるを得ない。

 だが、中国で胡錦涛派と江沢民派が対立しているため、アメリカが胡錦涛派を応援することで、米国内の親中国派と反中国派のバランスをとれる。胡錦涛は台湾問題やアメリカとの関係について穏健な政策を希求しているのに対し、江沢民は台湾に対する軍事侵攻も辞さない強硬姿勢をとっているとされる。

 アメリカが「一つの中国」(台湾は中国の一部であるという考え方)を支持しなくなると、親米派である胡錦涛が不利になり、江沢民を優勢にしてしまう。だからアメリカは「一つの中国」を支持せざるを得ないが、同時に台湾に武器を売ることは、強硬派の江沢民を黙らせる効果があり、アメリカは「一つの中国」を支持しつつ台湾に武器を売ることで、胡錦涛を有利にし、中国の安定に寄与できる、というのが米中枢の対中戦略の新しい理屈になっている。

 中国側が一枚岩だと、アメリカは穏健策と強硬策のどちらか一方を選ばざるを得ないが、中国側が分裂しているため、胡錦涛に対しては穏健策、江沢民に対しては強硬策、という理屈が可能になる。タカ派のシンクタンクであるヘリテージ財団からも「アメリカは改革派の胡錦涛を応援し、台湾や日本と協力して江沢民を威圧すべきだ」といったトーンの主張が出ている。アメリカは最近、西太平洋地域で大規模な軍事演習を行ったが、この行為も、江沢民に対する威圧の一つだということになる。


 1972年のニクソン訪中以来、米政界では親中国派がだんだん強くなり、
反中国派が弱くなる傾向が続いてきた。ここ数年の中国経済の急成長を受け、
中国に進出する米企業の利益の一部が米政界に還流し、親中国派はますます強くなっていた。だが911事件後、米政界で国防総省や軍事産業の力が増し、その結果、アメリカは「一つの中国は支持するが、同時に台湾にも武器を売る」という新戦略に移行したのだろう。

● とばっちりを食らう台湾

 この変化は、台湾に困った事態を引き起こしている。台湾は、サウジアラビアやエジプトに次いで巨額の兵器をアメリカから買っている国だが、従来は台湾が買いたい武器の一覧をアメリカに提出しても、米国内の親中国派の圧力を受け、購入を許可されないことが多かった。

 ところがブッシュ政権は就任3カ月後の2001年4月、ディーゼル潜水艦8隻やパトリオット地対空ミサイルなど、台湾が希望していた武器購入のほとんど全ての売却を認可してしまった。この決定には、台湾政府の方が驚いた。
台湾側は、どうせアメリカは全部売ってくれることはないだろうということで、自国で買い切れないほどの兵器の購入希望を出していたからだった。台湾への輸出が認められた兵器の総額は200億ドルで、これは台湾のそれまでの10年間の兵器購入総額と同水準という巨額さだった。


 台湾では、その時景気が悪化して政府財政も逼迫していたことから、議会で「兵器購入よりも経済テコ入れ策に金を使うべきだ」という議論を起こしてもらい、アメリカ政府に対して「予定通りに兵器を買うのが難しくなりました」というシグナルを発した。同時に、米政権内部でも中国寄りの中道派が盛り返し、いったん決めた台湾への武器輸出に技術的な理由をつけて事実上延期したりして、予定されていた武器輸出の多くが滞ったまま3年がすぎた。

 ウォルフォウィッツ国防副長官などは、今年6月に訪米した台湾の議員団に対し「台湾が(アメリカから武器を買って)真剣に中国の脅威に備えようという気がないなら、われわれも台湾を真剣に守ろうという気がなくなる」と、台湾に兵器を買うよう圧力をかけたりしている。


 米側の苛立ちに対応するかたちで、今年5月に2期目をスタートさせた陳水扁政権は、台湾の議会(立法院)に対し、180億ドルの臨時予算を組んでアメリカから兵器を買うように提案した。その代わりにアメリカ側は、これまで台湾に対して大佐級以下の将校しか派遣してはならない決まりになっていたのを撤廃し、将軍級以上の米軍人をも台湾に派遣できるようにした。


 この新事態に対しては中国側が怒っているが、これらの構図を全体として見ると、アメリカ・中国・台湾の三角関係の中に、暗黙の了解事項があるように感じられる。
(1)アメリカは中国が求める「一つの中国」を支持し台湾独立を許さない。
(2)中国は台湾を威嚇しても良いが、実際に軍事侵攻してはならない。
(3)台湾はアメリカに現状維持を守ってもらう代わりに、アメリカから武器を買わねばならない、
という三者三様の了解事項である。

 中国は、内部での「胡錦涛・江沢民」の対立と、外部との「中国・台湾・アメリカ」という三角対立の2つを演じていることになる。台中関係は一触即発のように報じられているが、それは事態の表面にすぎないと思える。




2004年08月21日(土) アテネオリンピック,日本が金メダル・ラッシュ

アテネ・オリンピック,日本が驚異の快進撃
                             2004/08/21


アテネ五輪で日本選手が驚異的な快進撃を続けている。大会第8日の二十日までに獲得した金メダルは12個。早くも前回シドニー大会(金5個)の倍以上。「2けた金メダル」の大目標も前半戦でクリアした。メダル量産のキーワードは「ニッポン復活」。かつてのお家芸が元気を取り戻した背景には、低迷期に導入した「ジュニア育成」の成果が共通点としてあげられる。


●「アテネに神風」が吹く

「復活ご三家」は水泳、柔道、体操。水泳は二十一日の競泳最終日を残して、金3、銀1、銅3。戦後、日本が参加した五輪では競泳が金ゼロの大会が8大会もあった。1大会での金3個は戦後初めて。「水泳ニッポン」と呼ばれた戦前の一九三二年ロサンゼルス大会(金5)、三六年ベルリン大会(金4)以来のブレークだ。

競泳は今回、シドニー大会の銀2、銅2を上回るメダル計5個を目指した。その目標がささやかに思えるほどの大活躍。競泳チームの上野広治ヘッドコーチは「アテネの空に神風が吹いている」と驚きながら「選手が成長し、コーチが戦術をつくって効果的な指導をしている」と分析。総合力アップを強調した。

メダル量産の主役、柔道の金8個も驚異的だ。女子が五輪に採用された九二年バルセロナ大会以降、男女合わせた柔道の金メダル数は九二年2個、九六年3個、二〇〇〇年4個。世界で勝てなくなっていた「本家ニッポン」が、徐々に盛り返し今回、一気に史上最高の好成績を収めた。

全日本柔道連盟の南喜陽女子強化部長は「何と言っていいか分からないほどうれしい。結果を出せば、一層の強化費も引き出せ、もっと強くなれる」と4年後の北京五輪への手応えも示した。

28年ぶりに男子団体総合を制した「体操ニッポン」復活も劇的だった。優勝の原動力は冨田洋之ら、街の体操クラブで育った元ジュニア選手だ。

かつて同種目で五輪5連覇を達成した体操日本男子の黄金時代は、大学や企業に支えられていた。大学スポーツが頭打ちとなり、不況で企業スポーツも衰退。地域スポーツクラブがまだ定着していない弱点を、民間の体操クラブが補ってきた。日本の塚原光男チームリーダーは、アテネでの快挙を「日本にも(ジュニアを育てる)専門クラブが育ち、全国に普及した結果だ」と解説した。

ジュニア重視は競泳、柔道にも共通している。日本水泳連盟の野口智博競泳委員は「中学、高校のころから海外での短水路大会などで、外国勢と競り合いを経験してきた選手ばかり。勝つ喜びだけでなく、負けた悔しさもばねにしている」。

低迷期の日本の競泳選手は「競り合ったら負け」が代名詞。しかし上野コーチは「勝つしぶとさが出てきた」と評価した。男子平泳ぎ2冠の北島康介や、女子自由形で歴史的な金メダルを獲得した柴田亜衣は、競り合いで勝負強さを発揮した。

柔道も山下泰裕・現男子強化部長が、九二年に日本男子監督に就任後、ジュニア世代からの海外派遣を推進した。同部長は「ジュニアも代表と同様に国際経験を積ませた。今回の好成績がその成果ならうれしい」。柔道8個目の金をつかんだ鈴木桂治は、アテネでも「手の内を知っている選手ばかり。子どものころから対戦してきた選手も多い」とジュニア期からの経験も勝因に挙げた。(アテネ共同)


【メダリストの肖像】 8/14〜21
●8月20日

女子800m自由形
【金】 柴田 亜衣 (鹿屋体大)
決勝 8分24秒54
 「自分でもびっくりだから、周りはもっとびっくりじゃないですか」


柔道男子100キロ超級
【金】 鈴木 桂治 (平成管財)
決勝 対トメノフ(ロシア) 小外刈り (一本勝)
 「日本の重量級が強いというところを見せられて、良かった」


柔道女子78キロ超級
【金】 塚田 真希 (綜合警備保障)
決勝 対ベルトラン(キューバ) 後ろけさ固め
 「抑え込まれた時は、一本かなと思った。でも夢中で逃げているうちに、抑え込んだ。もう意地でも離さないと思った」
塚田、オール一本で「金」…柔道女子78キロ超級 (8/21 03:59)
弱気の虫も抑え込み…塚田真希、亡父に捧げる「金」 (8/21 03:12)


女子200m背泳ぎ
【銅】 中村 礼子 (日体大)
決勝 2分09秒88
 「金ではなかったけど、念願だった2分10秒を切ったし、念願だったメダルも取った。すごくうれしい」
「天賦の才」開花、泣き虫・礼子が銅メダル (8/21 03:08)


●8月19日

柔道女子78kg級
【金】 阿武 教子 (警視庁)  
決勝 対劉霞(中国) 袖釣り込み腰
 「2度の五輪で初戦敗退し、どうなるかとも思ったが、優勝できてよかった。2度の厳しい試練があったから、今がある。最後に担ぎ技で一本決められてよかった。3度目の正直でやっと優勝できました。」
悲運の女王、9年越しの夢かなう (8/20 03:15)


アーチェリー男子個人
【銀】 山本 博 (埼玉・大宮開成高教)
決勝 対マルコ・ガリアッツォ(イタリア) 109-111
「日本のヒーローになれなくてもいい。純太郎のヒーローになりたい」
「年もとったし、メダルは意識していなかった。ただ、子どもに恥じないプレーをしようと思っていた」
息子のヒーロー目指し…アーチェリー山本20年目の銀 (8/20 02:43)


●8月18日
男子200m平泳ぎ
【金】 北島 康介  (東京SC、日体大所属)
決勝 2分9秒44(五輪新)
「すごく冷静に泳げたと思う。周りを見る目があった。2冠? そんなのは意識していない」
北島「金」2個目、男子200m平泳ぎ五輪新(8/19 01:44)


柔道女子70kg級
【金】 上野 雅恵  (三井住友海上)

決勝 対ボス(オランダ) 袖釣り込み腰
 「前に前に出る、自分の柔道だけを考えました。私の優勝をみんなが喜んでくれてうれしい」


柔道男子90kg級
【銀】 泉 浩 (明大)
決勝 対ズビャダウリ(グルジア) すくい投げで敗退
「決勝で負ければゼロになる。親も一番いい色のメダルをかけてほしかったでしょう」


女子200mバタフライ
【銅】 中西 悠子 (枚方SS)

決勝 2分8秒04
「信じられないです。ラスト50からが勝負だと思って、思い切っていった。メダルにこだわったのでよかったです」


●8月17日
柔道女子63キロ級
【金】谷本 歩実 (コマツ)

決勝 対ハイル(オーストリア) 合わせ技
 「負ける気が一度もしなかった。完璧(かんぺき)な金メダルです。最高にうれしい」
オール一本勝ちで「金」(8/18 02:06)


男子200mバタフライ
【銀】 山本 貴司 (近大職員)

決勝 1分54秒56
「ずっと夢にまで見ていた五輪のメダルで最高にうれしい。フェルプスを抜こうと死ぬ気で泳いだ。行く前から金を狙っていた。思い切りやって出た結果なので、最高の気分です」


●8月16日

【金】 体操男子団体  (28年ぶりの金)
決勝 173.821点

中野大輔(九州共立大)「夢じゃないかと思うけど、夢じゃないと思いたい」
塚原直也(朝日生命)「父(元体操金メダリスト・塚原光男)に言いたい言葉は、『やっと取れました。3回かかりました』」
冨田洋之(セントラルスポーツ)「チームが一丸となったことが、金メダルにつながった」
鹿島丈博(セントラルスポーツ)「今までやってきたことが間違いじゃなかったのがうれしい」
水鳥寿思(徳洲会)「最後の鉄棒は祈る気持ちで見ていた」
米田功(徳洲会)「鉄棒勝負だと思った。練習通りにやれば大丈夫と思っていた」


男子100m背泳ぎ
【銅】 森田 智己  (セントラルスポーツ、日大所属)
決勝 54秒36
 「ラスト10メートルの勝負だと言われたので、焦らないよう最後にかけてました。もっと速くなって、コウちゃん(男子平泳ぎの北島康介)だけじゃないのを見せていきたい」


●8月15日
男子100m平泳ぎ
【金】 北島 康介 (東京SC、日体大所属)
決勝 1分0秒08
「気持ちいい。チョー、気持ちいい。やる前からハンセンとの勝負だと思った。強い気持ちで、スタート台に立った。応援してくれた人たちに感謝したい。鳥肌ものです。200メートルでも、最高のパフォーマンスを見せたい」


柔道男子66kg級
【金】 内柴 正人  (旭化成所属)
決勝 対クランツ(スロバキア) 小外刈り
「(決勝は)もっと接戦になると思っていたから。自分を信じた結果が金メダル」


柔道女子52kg級
【銀】 横沢 由貴 (三井住友海上所属)
決勝 対セン東妹(中国) 横四方固めで敗退
 「金じゃないと意味がない」


●8月14日
柔道女子48kg級
【金】 谷 亮子 (トヨタ自動車所属)
決勝 対ジョシネ(仏) 優勢勝ち
「シドニーの時よりも何倍もうれしい。夫はあらゆる面で応援してくれた。谷亮子として五輪王者になれてうれしい。脚の回復は7割ぐらい。痛くても、試合をすると決めていた」


柔道男子60kg級
【金】 野村 忠宏  (ミキハウス所属)
決勝 対ヘルギアニ(グルジア) 優勢勝ち
「柔道一家に育ち、減量もほとんど必要ない。どうしようもない自分だけど恵まれていた。今回はみんな笑顔で喜んでもらえるように感謝の気持ちを持って臨んだ」



メダル獲得総数
メダル獲得数 順位 国 金 銀 銅 総メダル数 合計順位
1 アメリカ 17 12 11 40 1
2 中国 15 11 10 36 2
3 日本 12 4 3 19 5
4 オーストラリア 8 5 8 21 4
5 ロシア 5 11 12 28 3
6 イタリア 5 6 3 14 9
7 ドイツ 5 5 9 19 5
8 フランス 5 5 6 16 7
9 ウクライナ 5 1 2 8 12
10 韓国 4 8 3 15 8
11 トルコ 3 0 1 4 17
12 オランダ 2 5 5 12 10
13 ハンガリー 2 3 1 6 14
14 スロバキア 2 2 1 5 15
15 ルーマニア 2 0 2 4 17
15 タイ 2 0 2 4 17
17 ギリシャ 2 0 1 3 21
18 イギリス 1 4 4 9 11
19 ポーランド 1 2 1 4 17
20 ベラルーシ 1 1 3 5 15
21 南アフリカ共和国 1 1 1 3 21
21 ジンバブエ 1 1 1 3 21
23 エチオピア 1 1 0 2 29
23 グルジア 1 1 0 2 29
25 ブルガリア 1 0 2 3 21
26 スイス 1 0 1 2 29
27 アラブ首長国連邦 1 0 0 1 39
28 オーストリア 0 3 0 3 21
29 キューバ 0 2 5 7 13
30 朝鮮民主主義人民共和国 0 2 1 3 21
31 スペイン 0 2 0 2 29
32 クロアチア 0 1 2 3 21
32 チェコ 0 1 2 3 21
34 カナダ 0 1 1 2 29
34 インドネシア 0 1 1 2 29
36 インド 0 1 0 1 39
36 カザフスタン 0 1 0 1 39
36 ポルトガル 0 1 0 1 39
36 セルビア・モンテネグロ 0 1 0 1 39
40 アゼルバイジャン 0 0 2 2 29
40 ベルギー 0 0 2 2 29
40 ブラジル 0 0 2 2 29
40 デンマーク 0 0 2 2 29
44 アルゼンチン 0 0 1 1 39
44 コロンビア 0 0 1 1 39
44 エリトリア 0 0 1 1 39
44 エストニア 0 0 1 1 39
44 イスラエル 0 0 1 1 39
44 モンゴル 0 0 1 1 39
44 スロベニア 0 0 1 1 39
44 台湾 0 0 1 1 39
44 トリニダードトバゴ 0 0 1 1 39



〔 野球 〕 【 長嶋ジャパン快進撃,4連勝中のカナダに圧勝】
★ アテネ五輪第8日の20日、野球1次予選の日本−カナダ戦が行われ、9−1で日本が快勝した。日本とカナダはともに4勝1敗となった。

 日本は1回、高橋(巨人)が2点本塁打を放ち、先制した。その後もカナダの先発ジョンソンを攻め、2回には先頭の谷(オリックス)が左翼席にたたき込み追加点。4回には和田一(西武)の2点本塁打も飛び出すなど、着実に得点を重ねた。
 先発の和田毅(ダイエー)は初回を三者凡退に抑えるなど、落ち着いた立ち上がり。7回まで、被安打3、奪三振7とカナダ打線を押さえ、8回から岩瀬(中日)にマウンドを譲った。
 カナダは最終回、3番手の小林(ロッテ)から長短打で1点を返した。

 他の試合では、豪州(3勝2敗)11−6ギリシャ(5敗)、イタリア(1勝4敗)5−4台湾(2勝3敗)、キューバ(4勝1敗)9−2オランダ(2勝3敗)となった。 (08/21)


★ カナダ戦に快勝した野球の日本代表チームの宿舎に、長嶋監督のコメントがファクスで届いた。代筆した長男の一茂氏によると、いつもより興奮して試合観戦していたという。内容は次の通り。

 「快勝でした。流れを引き込む意味でも、(高橋)由伸の先制パンチは大きかった。先発・和田(毅)君もいいリズムで投げていた。あのリズムだと守りやすいし、攻撃のときのリズムも作れる。諸君たちは今まで経験したことのない充実した毎日を送っていることと思います。これは野球人として最大の喜びです。残り4試合。これからが本当の正念場になるでしょう。先発メンバー以外の選手も、行ける準備は常にしておいてください。一寸先は何が起こるか分かりませんから」

(08/21)




2004年08月11日(水) サッカーアジア杯,中国側の反日の背景

《サッカーアジア杯,中国側の反日の背景》
                  2004/08/11




8月10日に中国(北京・西安・上海)から帰国。歴史遺跡・博物館めぐりが中心。とにかくその巨大な人的パワーにはひたすら圧倒されっぱなしであった。しかし,私の今回の中国旅行で関心をひいたのは,重慶・済南でのサッカーアジア杯での反日フィーバーの実相であり,特に8月7日での北京工人競技場での日本と中国の決勝戦にみられる当地のフィーバーぶりの凄さである。愛国教育が背景にある。なぜ今になって,反日の機運がスポーツの分野で押し進められたのか,大いに興味がそそられた。
その裏側の中国側の政治的事情をMasaomi Ise氏は歴史的経緯を引用してわかりやすく指摘しているので,下に記しておきたい。

そもそも中国は自由よりも「平等」を建前とする社会主義体制の国であり,その一枚岩の基盤も近年の沿海部と内陸部との経済格差によって,地方の農民や労働者らの不満をかりたてていることに注意を払いたい。

社会主義,共産主義の幻想は今や音を立てて崩れ始めており,特に今回訪れた西安(シーアン,昔の長安)近郊の農民たちの生活水準の貧しさに日本人観光客は驚かざるをえない。北京と比較して地方の産業・農業の生産効率の悪さには唖然とさせられる。上海や北京のような政治都市はインフラが進み,経済的に活況であるが,地方都市の経済的窮状は社会主義の理念を崩すことになるかもしれず要注目だ。それを防止するためにも,日本を仮想敵国とする歴史教育は今後も共産党の独裁存続には必要不可欠なものとして利用されるだろう。





「反日」の機運を作った江沢民政権の歴史教育とマスコミ統制
                


●サッカーアジア杯での「反日」ぶり

 読者からこんなメールをいただいた。

 今、サッカーアジア杯が中国で行われておりますが、ご覧になられておりますか。日本の試合では『君が代』がブーイングで聞こえません。試合中、日本がボールをとるとまたブーイングです。日本選手が負傷すると大喝采。日本のサポータには物が投げつけられているそうです。また、試合後、選手の移動バスに暴徒が押しかけ、運転手が中村、遠藤選手を乗せないまま、走り去ったそうです。

 ただ中継がNHKとテレ朝なので『君が代』中のブーイングでは音量を絞る。試合中のブーイングでは「中国のファンは強いほう、或いは勝ち点の多いチームにブーイングをしますよね。」などととぼけようとしています。さすがに上記の問いかけに解説者(長谷川さん)は「・・・・」と無言でしたが。

 若い人に嫌中国を増やしているようで、中国ODAも風前のともし火ですね。

 過激な「反日」ファンには、中国の当局自身も危機感を抱いたようだ。読売新聞(7月29日)はこう報じている。

【重慶(中国)=伊藤彰浩】中国で開催中のサッカー・アジアカップに関し、中国共産主義青年団(共青団)機関紙「中国青年報」は29日、反日的ファンの礼儀を失した行動を戒める異例の記事を掲載した。

 記事は日本対タイ戦(24日)について、日本人ファン罵倒(ばとう)やブーイング など「中国人ファンが過激な行為を見せた」ことを詳報。

 署名記事では、「日本が選手の安全を理由にアジアカップに出ないようなことになれば、アジアサッカー史上最大の醜聞」「2008年には北京五輪が待っていることを忘れるな」とファンを厳しく批判した。

 今回は、これだけの反日感情がどうして生まれたのか、日中関係をたどりつつ、振り返ってみよう。


●反ソからの親日

 1971年、時の首相・周恩来は関西学生友好訪中団との会見において、こう語っている。

 日本民族は偉大な民族です。昔、元はインドシナからモスクワ、朝鮮まで侵略しましたが、日本は二度、この侵略を撃退しました。・・・明治維新をことごとく反動的なものと決めつける見方がありますが、これは誤っており一面的です。明治維新は二面性を持っています。これは史的唯物論の見方です。進歩的な一面とは民族統一と西欧文明を吸収して資本主義を発展させたことです。

 当時の日本の多くの歴史家よりも、はるかに親日的な見方である。1976年1月、周恩来が亡くなり、その2ヶ月後に学生代表団の一員として訪中した清水美和氏は、日中戦争で日本軍による市民に対する虐殺事件が起きたという現場を訪れ、犠牲者に追悼の意を表したいと要望した。

 しかし、北京から随行した通訳も現地の当局者も頑として受け入れず、首を横に振るのみであった。「青年は過去のことにこだわるより未来のことを考えましょう」「お客様に不愉快な思いをさせたくありません」

 当時、中国はソ連との対立を深めつつあり、周恩来は「敵の敵は味方」との戦略で米国や日本と結んで対抗しようとしていた。72年のニクソン大統領、田中首相の相継ぐ訪中がその成果である。そのために中国政府は日中友好を必要としていたである。


●開放・改革路線の「親日」

 1978年10月にトウ小平副首相が日中平和友好条約の批准書交換のために来日した際には、新日鉄や松下の新鋭工場を見学し、「日本の進んだ経験に学ぶ」と繰り返した。トウは「開放・改革」路線によって、中国経済を近代化しようとしており、日本の経済力を必要としていた。中国ではその一挙手一投足がテレビで全国放映され、大衆は初めて見る近代的な日本の姿に衝撃を受けた。同時に北京でも日本映画週間が開催され、栗原小巻や中野良子に大衆は熱狂した。

 ソ連のアフガニスタン侵攻(1979年)に中国指導者は危機感を募らせ、日米安保容認や、自衛隊増強を支持する発言が相次いだ。日本政府が防衛費のGNP比1%枠を守ると言明していたのに対し、伍修権(元解放軍副参謀総長)は、日本の防衛費は2%になってもよいとまで語り、歴史問題など存在しなくなったようだった。

 日中関係は、トウ小平の後継者として胡耀邦(こようほう)・総書記の時代にピークを迎えた。83年11月に来日した時、NHKホールで開かれた「青年のつどい」で、胡はこう語った。

 「日本民族は偉大な民族です。戦後の年代に日本人民は発奮して自国を現代化した経済発展国にきずき上げました。また同時に、過去の教訓を汲み取り、日本と隣国の関係正常化を逐次実現しています。

 わたしは、日本民族の繁栄と発展を心から祝うと共に、皆さんが先輩のあとをうけつぐ時には、きっと、現在にもまして、立派にことを運ぶことができると信じています。」

 歴史問題は「過去の教訓」というあたりさわりのない一語で片づけられている。

●胡耀邦攻撃のための「反日」

 しかし共産党の長老たちは、胡耀邦が容認した自由主義的な思潮を「精神汚染」と嫌悪し、経済特区の設立を戦前の「外国租界の復活」と反発を強めていた。胡耀邦の親日的な姿勢は絶好の標的だった。

「抗日戦争40周年」にあたる85年8月15日、現在の反日歴史教育の一大拠点になっている南京の「大虐殺殉難同胞記念館」とハルビンの「731細菌部隊罪証陳列館」が公開された。また北京郊外、慮溝橋の「中国人民抗日戦争記念館」も、この翌々年に開館している。

 中曽根首相が8月15日、靖国神社を参拝すると、トウ小平、胡耀邦は批判を抑えたが、長老の彭真は自民党田中派訪中団に対して、「中日戦争で2千万人もの犠牲が出た」「私の知り合いの息子は日本軍に熱湯の中で殺された」などと激烈な日本批判を展開した。

 中曽根は胡耀邦を救おうと、翌年の靖国参拝は見送るが、それも一時しのぎに過ぎなかった。学生たちも「民主化の旗手」胡耀邦を応援しようと、全国の大学で民主化要求のデモを展開したが、これがかえって災いした。87年1月、胡耀邦は「ブルジョア自由化」に断固とした処置をとらなかった事を党拡大政治局会議で批判され、辞任した。罪状の中には、訪日の際に「独断で日本の青年3千人を招待した」事も挙げられていた。

●「われわれの最も大きな失敗と誤りは教育にあった。」

 1989年4月、胡耀邦の死をきっかけに、数千人の学生たちが天安門広場で追悼デモを行い、「胡耀邦万歳! 民主主義万歳!」と叫んだ。これが後に100万人もの学生デモに発展し、10万人の人民解放軍が武力弾圧して、少なくとも数百人の死者を出したと言われる天安門事件となる。この混乱の責任をとらされて胡耀邦の後継者・趙紫陽(ちょうしよう)も失脚し、トウ小平は上海で学生運動に断固たる措置をとった江沢民(こうたくみん)を党総書記に任命した。

 トウ小平は天安門事件を振り返って、こう語る。

 「われわれの最も大きな失敗と誤りは教育にあった。若い学生たち、青年、学生の教育が不足していた。」

 しかし、ソ連、東欧の共産主義政権が崩壊する中で、マルクス主義は輝きを失っていた。江沢民は共産党政権の生き残りをかけて、愛国主義教育に活路を見いだそうとする。

 1990年の大学新入生からは、全国で1ヶ月の軍事訓練が義務づけられた。学生運動の拠点だった北京大学と上海の復旦大学は、訓練期間が1年とされた。中学や高校でも歴史の時間が増やされ、中国の近代が日本や欧米の侵略による屈辱の歴史であったことが教え込まれた。各地で革命や戦争の記念碑、記念館が建設され、ビデオや映画が作られた。

 江沢民は何東昌・教育相にあてた手紙に、今日まで愛国教育の指針とされる指示を行っている。「アヘン戦争(1840年)以来の百年以上にわたり中国人民が列強に欺かれ辱しめをうけた。」
「中国共産党が抗日戦争と解放戦争を闘い、新中国を打ち立てた。解放後も反侵略の戦争を経て中国人民を侮ることができないことを証明した」


●愛国主義を煽るマスコミとインターネット

 マスコミも党中央から「愛国主義教育の社会的雰囲気を創造する」ことを報道機関の至上任務とされた。党宣伝部門の統制下におかれているので、党中央への批判的報道はもってのほかであり、その許容範囲を超えた報道をした場合は、「整頓」という名の査問や処分が待っている。

 一方、マスコミの多くが、独立採算性に切り替えられて、読者増を図るためにセンセーショナルな見出しをつけた刺激なニュースを求めるようになった。そして日本なら、いくらどぎつく叩こうと、どこからも文句がつく恐れはない。こうして「反日」記事は中国マスコミの恰好のテーマとなった。

 またインターネットも、当局の規制下にある。02年末にはネット上で江沢民の政治方針を批判する文章を発表した民主活動家が、国家転覆煽動罪で懲役4年の実刑判決を受けている。大手ポータルサイトは当局の規制を恐れて、愛国主義を鼓舞するニュースや評論に力を入れて、自らの安全を図っている。

 こうしたマスコミやインターネットの影響で、過激な反日ムードが醸成され、01年には日本軍の軍艦旗に似たデザインの服を着た女優が、メディアやインターネットで「売国奴、小日本(日本を馬鹿にしてこう呼ぶ)の芸妓」と叩かれ、あるイベントでは観客に引き倒され、糞尿をかけられるという事件まで起こった。


●「中国人民を侮ることはできない」

 江沢民が愛国主義教育を始めて10年後の1999年5月、ユーゴスラビア空爆に向かった米軍機が誤ってベオグラードの中国大使館を爆撃した。女性記者など3人が死亡、20数人が重軽傷を負った。中国政府は意図的な攻撃との見方を示し、北京の大使館街は学生を中心とするデモ隊で埋まった。現場を取材した清水美和氏はこう報じている。

 白人のテレビクルーが群衆に取り囲まれ、突き倒される。歓声と笑い声。倒れたカメラマンに向かって嘲(あざけ)りの声が飛ぶ。外国人とわかると何をされるかわからない。参加者への取材はやめ、息を飲んで様子をうかがう。興奮状態の群衆は争うように石を大使館に投げつける。


 デモ隊の先頭には「中国人民を侮ることはできない」という江沢民のメッセージが掲げられていた。江沢民の愛国主義教育によって育てられた愛国青年たちである。

 しかし当局も暴動が激化する事を恐れて、警官による規制を始めた。泣きながら抗議する学生たちは、党指導部が弱腰過ぎると感じ、特に国家主席である江沢民が事件後、ただちに怒りを表明しなかったことに不満を隠さなかった。

 この時期、江沢民は副主席の胡錦濤にデモの収拾を任せて、いっさい表には出なかった。事態の沈静化に失敗した場合に、自分の権威が傷つくのを恐れたと見られている。江沢民が育てた愛国青年たちは、ついにその親をも脅かすまでに成長していたのである。


●繰り返される民衆暴動

 こういう群衆の暴動が中国近代史を左右してきた。89年には前述の天安門事件で、100万人の学生が集まった所を軍部が武力で押さえ込んだ。60年代には1500万人もの青少年が「紅衛兵」として暴れ回り、全国で40万人もの犠牲者が出たと推定される文化大革命が起きている。

 戦前に遡っても、1919年の五・四運動では第一次大戦後、ドイツの山東権益が日本に引き渡される事に怒って、北京の学生がデモを起こし、親日派高官を焼き討ちした。清国の末期に起きた義和団の乱も、群衆暴動の一例である。この時は北京の外国大使館街が暴徒に囲まれ、その救援に日本軍が大きな役割を果たした。

 こうした歴史を通観すると、巨大な群衆が愛国主義的激情を燃え上がらせて暴徒と化す現象が繰り返し起こっている事が分かる。この奔流を御すのに失敗して失脚した中国の統治者は少なくない。

 我々がテレビで見ているサッカー場の反日ファンなるものは、この奔流が現代に蘇ったものである。それは天安門事件の後に誕生した江沢民政権が、民主主義を要求する群衆の力を恐れ、徹底した愛国主義教育で洗脳して育てたモンスターである。その恐ろしさを知っているのは江沢民自身であろう。


●愛国主義の情熱と国際主義の精神

 86年11月、「日中両国の二十一世紀の青年の友好を深めるための施設」として日本の無償援助101億円で日中青年交流センターが作られることになり、その定礎式で胡耀邦はこう演説した。

 「 歴史において、狭隘な愛国主義しかわきまえず、その結果、誤国主義に変質してしまった者は少なくない。中日両国の青年は歴史の経験と教訓の中から知恵を汲み取り、自分自身を愛国主義の情熱と国際主義の精神に富んだ気高い現代人に鍛えていくよう、私は望む。」

 明らかに前年の反日デモを念頭に置いた言葉であり、これが胡耀邦の政治的遺言になった。胡耀邦が若い頃から目をかけて育ててきたのが、現在の胡錦涛・国家主席である。中国がグローバル経済の中で成長を続け、さらにオリンピックや万国博覧会など国際的イベントを成功させるためには、胡錦涛政権はもう一度、この胡耀邦の遺言に立ち戻る必要がある。



2004年08月03日(火) 明日から中国旅行(北京,西安,上海)

北京.西安.上海旅行   HIS旅行社利用   
                     2004/08/03          
明日から中国旅行。史跡や博物館巡りのツアーに参加。中国は初めて。

8月4日〜11日(6泊7日). 13日からアテネオリンピックが開催されるので,その直前を選ぶ.36インチのBSハイビジョンテレビで全試合を観る予定。

7月末,HISの担当者に2日から16日の間で催行が決まって空席のあるものをたずねると,4日が空いているとのこと。
8月4〜9日の多くは満席やら催事不成立やらで,諦めていただけに早速申し込む。なにごとも実行あるのみ。思案ばっかりしていたら海外旅行は出来やしない。決断したら,即刻実行することが肝腎だ。

すぐにジャパン・ネット銀行に155040円(129000円+一人部屋24000円+税2040円)を振り込む。申し込み用紙がただちにファックスで届いたので,それに記入してファックスで送り返す.パスポート番号など記入。



6泊7日 北京2日 西安3日 上海1日  10人参加


【HIS旅行社のネット上のキャッチフレーズ】
◆ 北京・西安・上海、人気の3都市周遊でこの価格!
◆ 各都市世界遺産をめぐる充実の観光付
  北京では万里の長城、西安では兵馬傭坑、上海では外灘夜景鑑賞など
◆ 北京では北京ダック、西安なら餃子宴など、各都市全食事付
◆ H.I.S.北京・上海オフィスが安心のサポート



《 スケジュール 宿泊地/食事 》

● 1日目 東京(09:30〜18:25予定)発→(直行)空路、北京へ。
北京(11:55〜21:30予定)着
着後、ホテルへご案内。 北京泊

● 2日目 終日:北京郊外観光・市内観光
世界遺産万里の長城・天壇公園(共に入場)、天安門(下車)にご案内。昼食はおこげ料理の家庭料理を、夕食には全聚徳の北京ダックをご賞味いただきます。 北京泊
[朝][昼][夕]

● 3日目 午前:北京市内観光
貴重な品々が並ぶ故宮博物院(入場)にご案内。
昼食は飲茶をお楽しみいただきます。
午後:北京→空路、西安へ。 西安泊
[朝][昼][夕]

● 4日目 終日:西安郊外観光と西安市内観光
強大な権力の面影を残す始皇帝陵(車窓)、兵馬俑坑、楊貴妃ゆかりの華清池、大雁塔、陜西歴史博物館(全て入場)、西安の象徴的存在の鐘楼(下車)へご案内。
名物「西安餃子」の夕食へご案内。 西安泊
[朝][昼][夕]

● 5日目 終日:西安郊外観光
唐の高宗の眠る乾陵、永泰公主の墓、前漢の武帝が永眠する茂陵、楊貴妃の墓(全て入場)にご案内。 西安泊
[朝][昼][夕]

● 6日目 午前:西安→空路、上海へ。
着後、上海市内観光
明代の庭園の豫園、上海博物館(共に入場)、東台路(下車)にご案内します。
昼食は小籠包などの上海点心料理を、夕食には上海料理をご賞味いただきます。夕食後は、外灘夜景鑑賞(下車)にご案内。 上海泊
[朝][昼][夕]

● 7日目 上海(08:15〜15:55予定)発→ 空路、帰国の途へ。
東京着(12:00〜19:45予定)着後、解散となります。 [朝]





【北京の観光地】
★王府井(オウフイ/ワンフゥチン)  WANG FU JING
北京飯店の脇から北へ延びる通り。北京一の繁華街。王府井の名は皇族の邸宅で使用する専用の井戸があったことに由来する。国内外の一流店が出店している。北京の銀座と言われている


★故宮博物院(コキュウハクブツイン/クーコンポーウーユアン)PALACE MUSEUM
500年にわたり明、清朝の皇城であった故宮(紫禁城)を博物館としたもの。南北 960M、東西 750M、総面積 72万平方Mという故宮には、大小60以上の殿閣が立ち、部屋数は9,000以上。歴史的文物を展示。


★天安門(テンアンモン/ティエンアンメン)  TIAN ANMEN
この壮麗な城門は永楽帝(1417年)が正式に北京を都に定めた時に原形が造られ、清代に現在の形に改められて天安門と呼ばれるようになった。


★天壇公園(テンダンコウエン/ティエンタンコンユアン)TEMPLE OF HEAVEN 明、清の歴代皇帝は毎年正月の上辛日、ここで天に五穀豊穣を祈った場所である。北天門と南天門を結ぶ一直線の道上に祈年殿と皇穹宇と圜丘壇がある。

★八達嶺長城(ハッタツレイチョウジョウ/パーターリンチャンチョン)
GREAT WALL AT BADALING
紀元前7世紀の春秋時代、北方民族の侵入を防ぐため諸侯が自領の北辺に築城したのが始まり。秦の始皇帝が30万の軍兵、数百万の農民を徴用して構築強化した。 現存の万里の長城は明代末期のもの。


【西安の観光地】

★陜西歴史博物館(センセイレキシハクブツカン/シャンシーリーシーポーウークァン)  SHAANXI HISTORY MUSEUM
陜西省の考古・歴史・芸術的文物を一堂に集めて展示している西安最大の博物館。北京の故宮博物館、歴史博物館、上海博物館とならぶ国家級の博物館と言われる。


★華清池(カセイチ/ホアチンチー)  HUAQING HOT SPRING
驪山のふもとにある3000年以上の歴史をもつ温泉地。始皇帝がここに「驪山湯」を建てたといわれている。玄宗皇帝と楊貴妃とのロマンスの舞台となった所としても有名。西安事件の舞台にもなった。


★乾陵,乾陵博物館(ケンリョウ, ケンリョウハクブツカン/チェンリン,チェンリンボーウーグァン)  QIANLING TOMB, QIANLING MUSEUM
唐の3代目の皇帝高宗とその皇后の則天武后との合葬墓で西安の西北約90KM、乾県の北方に聳える梁山にある。その陪塚の1つ、永泰公主墓(高宗と則天武后の孫娘の墓所)に「乾陵博物館」がある。


★永泰公主墓(エイタイコウシュボ/ヨンタイゴンジュ-ム)
THE TOMB OF PRINCESS YONG TAI
高宗と則天武后の孫娘,永泰公主の墓。永泰公主は17才の若さで死去。壁画、陶俑、石刻、陶磁器など1.000点余りが出土。墓前に展示室を設け乾陵博物館を開設した。


★秦始皇帝陵(シンシコウテイリョウ/チンシーホアンディーリン)
THE TOMB OF THE FIRST EMPEROR
中国史上最初の皇帝、秦始皇帝贏政の陵墓。陵は土で築かれ、延べ70万人を動員のうえ37年かかって完成。陵の上には宮殿・楼閣が築かれていたが楚の王項羽が侵入した時に焼き払われ、墓も盗掘された。


★大雁塔(ダイガントウ/ダーイエンター)  THE BIG WILD GOOSE PAGODA
西安に現存する唐代建築の中でも一番大きいとされる。三蔵法師として知られる高僧がインドから持ち帰った仏典の保存と翻訳のために建立を進言。建てられたもの。慈恩寺内。


★兵馬俑坑博物館(ヘイバヨウコウハクブツカン/ビンマーヨンカンポーウークァン)  TERRACOTTA WARRIORS MUSEUM
1974年3月農民が井戸を掘っているときに発見された。現在はその発掘現場を巨大なドームで覆い、兵馬俑坑博物館として一般に公開している。


★茂陵, 茂陵博物館(モリョウ, モリョウハクブツカン/マオリン, マオリンポーウークァン)  MAOLING TOMB, MAOLING MUSEUM
茂陵は漢の武帝劉徹の陵墓であり、陝西省興平県の東北にある渭北高原の「五陵原」に位置し、西安から40KM離れている。前漢時代の槐里県茂郷にあるため「茂陵」と称された。


★楊貴妃墓(ヨウキヒボ/ヤングイフイムー)  THE TOMB OF YANGGUIFEI
興平県の馬嵬坡にある。楊貴妃は756年の安史の乱の際、安禄山によって玄宗皇帝と共に長安を追われたがこの地にきて玄宗皇帝に殺された。翌年、玄宗皇帝によって改葬され、陵園となった。


【上海の観光地】

★豫園(ヨエン/ユィユアン)  YU GARDEN
市街南東部にあり、明、清時代の庭園建築の特徴がある名園として名高い。明代のある官僚が父親の住居として建造した。園内では大小様々の楼閣が約30あり、折れ曲がった長い回廊で結ばれている。


★上海博物館(シャンハイハクブツカン/シャンハイポーウークアン)
SHANGHAI MUSEUM
12万点もの貴重な文物を蔵し、青銅器、陶磁器、書、絵画、彫塑、璽印、玉器、家具、古銭、少数民族工芸等10の専門陳列ホール、1つの寄贈文物陳列ホールと3つの展示室からなる。開放面積10,000余平方メートル。


★外灘(バンド/ワイタン)  BUND
市内を流れる黄浦江に沿った一帯。レンガ造りの洋風建築が立ち並び、異国的雰囲気を醸し出している。







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