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| 2006年06月27日(火) |
世界経済を考える:中国経済の光と闇 |
世界経済を考える:中国経済の光と闇
2006/06/27
中国は社会主義体制をとりながら,資本主義的な市場経済を導入しており, ��小平の開放政策が効を奏して,1980年代以降,欧米や日本などの外資の導入によって高い経済成長が続いている。しかし,近年,さまざまな矛盾が噴出し,中国経済の問題点が指摘されている。以下の文はTANAkA SAKAI氏の中国経済の危機に関するリポートの記事である。
■ ■ ■ ■ ■ ■
●腐敗混じりの不動産開発で土地を取られた農民が暴動
不動産価格の高騰は、上海だけでなく、北京や広東省、山東省などの沿海部の大都市でも続き、住宅だけでなくオフィスや工業用地も値上がりしている。不動産の高騰は、大都市から中小都市、沿海部から内陸部へと波及している。企業が、安い賃金を求めて内陸に工場を移すにしたがい、内陸の工業用地も値上がりした。
こうした変化は、中国全土の中小都市の役所(地方政府)の幹部たちに、新たなビジネスチャンスを与えている。中国では、土地はすべて公有(政府所有)であり、所有権を譲渡できない。その代わり、政府は土地の使用権を、20年とか99年とか、期間を決めて民間に売り出している。市長や共産党書記といった地方の幹部たちは、自分たちの地域にも工業団地やマンション群、会議場(コンベンションセンター)などを作れば、進出企業や人口が増えて発展するに違いないと考え、数年前から各地で相次いで不動産開発が始まった。
問題は、これらの計画の多くは、現実的な需要予測に基づいていないうえ、事業によって私腹を肥やそうとする腐敗した地方幹部が多いことである。腐敗幹部は、自分の親戚などに開発会社を立ち上げさせ、それまで農地などだった地域を開発する決定をした上で、開発会社に土地の使用権を安く売り、開発会社が建設資金などを銀行から借りる際には地方政府が債務保証を行い、資金調達も容易にしてやる。開発会社が上げた収益は、親戚を通じて幹部のポケットに入る。
開発対象地域は、農村部では農地からの転用で、市街地では国有企業の労働者(事実上の失業者が多い)の低層住宅などであり、もともとその土地を使っていた農民や居住者には、補償をする必要がある。しかし、自らの金儲けを優先する幹部役人と開発会社は、補償金を少ししか出さず、金額交渉にも応じないため、各地で役所を取り囲む暴動が発生することになった。
●アメリカからの外圧を使って地方政府を統制する
開発などで土地を役所に取られる農民は、1995年から2005年の10年間で15倍になったが、土地を取られる際に、代わりの土地の手当てなどの補償について、役所側との交渉を許された農民は2割だけだった。約3割のケースでは、役所は農民に補償を約束したものの空約束で終わり、履行されていない。
05年に行われたこの調査のやり方自体、中国の現状を物語っている。この調査は、北京の人民大学と、アメリカのミシガン州立大学、シアトルの農村開発研究所の共同で行われた。中国の機関だけによる調査だと、地方政府の協力が得られなかったり、調査結果に対してさまざまな政治圧力がかかりかねない。 わざわざ中国を批判する超大国アメリカの機関を入れることで、調査結果が国際的に問題になり、この「外圧」によって中央政府が地方政府に言うことを聞かせられる仕掛けを作っている。この調査に関する報道は、反中国の姿勢が強いタカ派の新聞ウォールストリート・ジャーナルに載った。
地方政府の幹部たちは、不動産開発を使った金儲けによって、巨額の資金を得ている。この金の一部を、党中央の高官に贈り物などとして渡せば、中央の高官は、地方幹部の腐敗に目をつぶるよう、胡錦涛政権に圧力をかけてくれる。こうした圧力に対抗するために「世界はわが国の腐敗を批判してますよ」という「外圧」を作ることが必要になっている。
中国政府は最近「年間に全国で農民暴動が9万件近く起きている」「地方政府による土地取引の6割は違法である」といったショッキングな発表を行い、欧米や日本のマスコミから「やっぱり中国はひどい国だ」と批判されているが、中国政府がこのような自滅的な発表をする背景にも、外圧を使って地方政府に言うことを聞かせようとする戦略がありそうだ。
中国は「独裁政権」であるが、かなり強い独裁をやらないと、全国を統治していくことはできない状態になっている。独裁をやめれば、中国は混乱し、経済発展も失われる。
中央政府が地方政府をあまり強く取り締まれない理由は、腐敗構造以外にもある。中国では1970年代まで、すべての企業は国有で、教育や医療、住宅、年金、食糧や衣類の配給券など、すべて職場で手当てしてもらえた。だが、その後の改革開放で、教育や医療の公的補助金や保険制度を整えないまま、なし崩しに民営化が進み、学校も病院も財源不足のため、教科書代や暖房費、治療代を受益者に請求せざるを得なくなっている。
都会の人は、企業が用意する医療保険に入れる人もいるが、農村ではそれがないので、医療費の平均的な自己負担率が9割となっており、医療費は高く、病院に行けない人が多い。また農村では、中学校を卒業できない子供が4割になっている。
中央政府は、こうした農民の苦境を救う政策を始めているが、重要なのは地方政府の財源確保であり、地方政府が不動産投資などをやって利益を出すことを許容し、住民の医療や教育の補助金の財源を作らせる必要に迫られている。
●人民元の為替制度が不動産バブルの一因
上海などの大都市の不動産高騰と、地方の中小都市における開発区の乱造は、投機を好む中国人性質、市場全体の需給バランスを考えない近視眼的な傾向(中国では1992ー93年にも、全国的な開発バブルとその崩壊が起きている)、法体制の未整備と法律軽視の態度など、中国社会が持っている性質に起因する部分がありそうだが、もっと経済的な原因もある。
その一つは、中国人民元の問題である。中国政府は、人民元の為替相場を政府が決定できるよう、民間企業に外貨を持たせず、民間が輸出などで稼いだ外貨は、いったんすべて中央銀行(中国人民銀行)が強制的に買い取るという「外貨集中制」を採っている。中国は2002年以来、毎年20ー30%台の輸出増加をしているので、中央銀行が保有する外貨は急増し、最近では外貨準備額が日本を抜いて世界一になった。
このことは同時に、人民銀行が外貨を買う対価として民間に放出する人民元が急増することを生んでいる。強制的に外貨を売って人民元を買わされた民間企業は、その人民元をどこかに投資して運用する必要がある。加えて、経済成長の恩恵で都市住民の貯蓄も増え、その資金も常に投資先を探している。中国では預金金利が高くないし、株式市場も不安定なので、主な投資先は不動産ということになり、不動産価格の高騰につながっている。
カネ余り現象を解消するには、中国政府が金利を上げればいいのだが、金利を上げると、世界から人民元を買いたいと集まってくる潜在需要が増え、人民元に対する切り上げ圧力を高めてしまうので、少しずつしか上げられず、大した効果はあがっていない。今年1−3月期、中国の金融機関による不動産に対する投資総額は、前年同期比28%の急増を続けている。
●生産設備過剰の鉄鋼、自動車、エアコン、携帯電話
各地で不動産開発が乱発されていることは、建設資材の需要増を生んでいる。たとえば鉄鋼の生産は急増し、1998年以来、中国の鉄鋼生産はダントツの世界一となっている。04年には2億7千万トンの生産で、第2位の日本とアメリカ(いずれも1億トン強)の2倍以上を生産している。中国の鉄鋼生産の多くはH形鋼など建設資材用で、自動車や家電用などの表面処理鋼板は少ない。不動産バブルが崩壊し、建設需要が急落したら、鉄鋼需要も急減し、製鉄業界は大幅な過剰設備を抱え、大赤字を出すことになる。
JETRO(日本貿易振興会)上海センターが2005年11月に作成した資料「変わりゆく中国の事業環境」によると、過剰投資は自動車(乗用車)、エアコン、携帯電話といった分野でも起きている。
乗用車の場合、WTO加盟によって外資が参入しやすくなったため、欧米日の外資系メーカーが新規参入や生産増加を行い、値引き競争が激化して値下がりした(もともと、自動車価格は日本よりかなり高かった)。乗用車は、所得が増えた都市住民の手の届く商品となり、販売台数は2002年と03年に毎年50%−70%という急拡大を見せた。乗用車の生産能力は01年からの3年間で倍増し、トラックなどを含めた自動車全体の生産では、01年には世界第8位だったが、05年にはアメリカ、日本、ドイツに次ぐ世界第4位にまで上がった。
02年からの販売急増は長続きせず、04年には売れ行きが鈍化して17%の販売増にとどまり、メーカーは急に過剰在庫を抱え、新工場の建設計画を中止する事態となった。中国で操業する自動車メーカーは、以前から「13億人市場」というイメージが先行して過剰な生産能力を用意してしまう傾向が続き、工場の平均的な稼働率は乗用車で30%前後、トラックなどを含めた自動車全体では40%台だった。02−03年の販売急増で、いったんは稼働率が上がったが、その後は再び稼働率が下がり、生産設備が過剰になっている。
エアコンと携帯電話も、中国国内企業の新規参入が相次いだ結果、生産過剰と激烈な値引き競争になっている。これらの商品では、値引き競争が激化した結果、世界的に見ても中国製品は非常に安い状態になり、安いので欧米などの世界市場での売れ行きが爆発的に上がり、02年から04年にかけて輸出が2倍以上に急増した。
特に、従来は冷房を使わなかったヨーロッパ諸国の人々が、このところの毎年の暑い夏をしのぐため新規にエアコンを買い、安い中国製品が良く売れた。 中国国内では、値引き競争で最安の価格帯は1台1000元(1万円台)まで下がり、都会の市民の多くがエアコンを買った結果、夏に大停電を引き起こす事態となった。その一方で、輸出が増えてもまだ売れ残りは多く、在庫は急増し、価格下落でメーカーの利益は出なくなり、大赤字を抱えて撤退する企業も続出している。
●不良債権隠しの横行
不動産や鉄鋼、自動車、エアコンなどに対する過剰投資の状態が起きていることは、中国の経済成長の「質」の問題に大きな影を落としている。ここ数年の中国の経済成長を見ると、全体としての成長率は8−10%だが、その要因の6−7割は、固定資本形成、つまりビルや道路、工場設備などを作ることによる経済成長である(輸出も増えているが、輸入増と相殺されている)。 すでに述べたように、ビルや工場設備への投資の中には、使われない、売れない過剰投資が多い。この過剰な部分は近い将来、確実に減少すると予測される。過剰投資のバブルが崩壊し、過剰投資の反動で経済成長の固定資本形成の部分がゼロになったとすると、中国の経済成長率は3%前後になる。民間と政府の消費が中心である。中国政府は、経済成長が5%以下になると雇用が創出できず、社会不安が起きると予測している。
中国の金融界には、不良債権の問題もある。中国には4つの大手銀行があり、いずれも国有で、政治がらみの融資案件を断れない。中国政府は1980年代から現在までの市場経済化の過程で、売れるものを作れず行き詰まる全国の国有企業に対し、4大銀行から給料などの運転資金を融資させて延命させ、社会不安を防いできた。(4大銀行とは、中国工商銀行、中国農業銀行、中国銀行、中国建設銀行)
こうした融資のほとんどは返済されず、不良債権となっている。市場経済化が完了し、不良債権の増加が止まったら、その後の利益で不良債権の消却をする予定なのだろうが、まだその時期は来ていない。
その一方で中国は、WTO加盟との関係で、金融市場の透明度を上げねばならなくなっている。同時に中国の大手銀行は、国際的な市場で株式を公開したり、社債を発行したりして、資金調達を拡大しようともしており、6月には4大銀行の国際上場の皮切りとして、国際業務に強い中国銀行が香港株式市場に上場した。
こうした流れの中で、中国の金融界は不良債権の開示を求められているが、 開示は正しく行われておらず、不良債権隠しが行われていると欧米から指摘されている。中国政府は、1999年以来5000億ドル相当の不良債権を処理したと発表しているが、そのうち3300億ドルは、4大銀行から国有ノンバンク4社に譲渡されただけで、金融界全体の不良債権としては残っており、事実上「未処理」のままである。
国有銀行から国有ノンバンクへの不良債権譲渡は、国有銀行の財務諸表を実態以上に健全に見せるための「とばし」であり、会計を粉飾する行為である。中国では金融以外でも、企業の国際的な上場が相次いでいるが、上場前にこの手の粉飾を行っていると疑われる企業がかなりある。多くの場合、上場するのは大きな国有企業グループの中の比較的健全な1社で、上場前にグループ内の他の企業に不良債権を移管し、経営内容を美化している。日本でも有名になった有名ブランドの中国企業ですら、この手の粉飾をやっている疑いがある。
中国銀行の上場直前の今年5月上旬、国際的な会計事務所アーンスト・アンド・ヤング社(E&Y)が「中国の不良債権は、政府発表の3倍近い9000億ドルに達している」と指摘する報告書を発表した。国有銀行の上場直前という重要な時期だったため、中国政府(中央銀行)はE&Yの発表を「大間違いだ」と激しく非難した。
E&Yは、中国の不良債権をジャンク債として欧米市場で流通させる仕掛けを作ろうと考えて、報告書を作成したのだったが、中国政府から嫌われたら、ジャンク債のビジネスができなくなる。同社は「弊社の報告書は間違いでした。中国の不良債権の規模は、中国政府の発表どおりです」という訂正と謝罪を発表した。
金融関係者の間では、E&Yは中国政府の圧力を受けて発表を引っ込めただけだと考えられており、不良債権の規模が中国政府の発表額よりかなり大きいことは、ほぼ確実と思われている。今後、中国の不動産バブルが崩壊すると、不良債権はさらに増えることになる。
●アメリカの消費減退は中国に大打撃
中国では、国有企業が従業員の人生を丸抱えしていた1970年代までの社会主義経済体制が崩壊した後、市場経済型の年金制度が未整備である。そのため人々は個人の貯蓄を増やして老後に備える必要に迫られ、消費を抑制しており、内需が拡大しにくい。
その影響で、中国では、内需より輸出の伸びの方が大きい。内需(小売り売上高)はここ数年、9−17%の伸びだが、輸出は22−35%の伸びである。そして輸出入にたずさわる企業の6割は、外資系企業である。つまり中国経済は、欧米日などの外資系企業が、海外から原材料を持ってきて、海外市場向けの製品を作って輸出することによって成長している部分が大きい。
中国からの輸出先を見ると、アメリカ21%、EU18%、日本12%などとなっており、アメリカ向けが最大である。しかしアメリカの消費市場は、不動産バブルの崩壊や金利高の悪影響を受け、減退しそうな状況にある。今後、アメリカの消費市場が大幅に縮小した場合、中国は日本などより大きな打撃を受ける。
最近では、世界から中国に生産拠点を移す企業が増えた結果、広東省などで工員の人件費が上昇し、生産拠点をバングラディシュやベトナムなど外国に再移転させる企業も出てきた。その一方で、中国企業の生産効率が上がり、生産が増えても以前のような大量雇用が必要なくなり、雇用創出の効果が下がっている。
中国では数年前に大学生の定員を全国的に増やした影響で、昨年あたりから大卒者の就職状況が劇的に悪化し、雇用不安が起きている。中国では大卒者はエリート知識層で、彼らが政治的な不満を持つと、1989年の天安門事件のような政治不安に結びつきかねない。農民暴動は補償問題なので、大方の案件はカネで解決できるが、エリート層が政治体制に不満を持つと「政権転覆」につながりかねない。
●経済が悪化しても政権転覆はない
とはいうものの、天安門事件のような「民主化要求」の大規模な政治運動は、しばらくは起こりそうもない。天安門事件の時は、となりの社会主義国ソ連でゴルバチョフ書記長が、経済自由化だけでなく政治自由化も同時に進めていた。
��小平が進めていた中国の自由化は経済だけで、政治の自由化はやらないと 決めていた。1989年5月のゴルバチョフの北京訪問を機に、中国の共産党員(エリート)たちの中から「わが国も、経済開放だけでなく、政治開放(民主化)を進めた方が良い」という主張が噴出し、それに対する最終的な弾圧が天安門事件となった。
つまり天安門事件の時には、中国人の前に、自国の現状よりも良いと思われる他国のモデルがあった。現在の中国には、他国のモデルは存在しない。社会主義の独裁政治体制を保ったまま、輸出入や海外からの巨額の投資によって、製造業を軸に毎年9%の高度経済成長を続けている国は、世界に例がない。ブッシュの「強制民主化」によってイラクがどうなったかを見た中国人は、アメリカからの民主化要求は中国を破壊しようとするものだと思うに至っている。北京の美術学生がニューヨークの自由の女神像を作った天安門事件の時とは、状況は全く違う。
そもそも、天安門事件の時に北京の大学生らが怒っていたことは、役人の腐敗だった。政治を民主化すれば腐敗はなくなると、若者らは思っていた。役人の腐敗はその後、さらにひどくなっているが、民主化はこの問題を解決しない。 中国は地域による多様性が激しく、民主化すると確実に地方政府の力が増し、 中央政府の力が弱くなる。今は中央がガミガミ言って、何とか地方の腐敗を悪化させないようにしている。中央政府の権力が失われたら、地方政府はもっと勝手なことをやるようになる。民主化は、中国の腐敗問題を悪化させてしまう。
中国の人々は、そのことを知っている。だから中国では「経済自由化のテンポが速すぎる」「いや、速すぎない」という議論はあるが、共産党独裁という政治の枠組みそのものを変えた方が良いという議論にはなっていない。中国の知識人と話してみると、民主化の議論がないのは、議論を上から禁止されているからではなく、早急な民主化は今の中国に必要ではないと思っていることが分かる。
●欧米投資家を引きつける巨大な内需の潜在力
今後数年の間に、中国の過剰投資のバブルが崩壊し、経済成長が一時的に落ち込むことが予測されるが、その一方で、中国人はまだ全体として貧しく、長期的に見ると、内需拡大の潜在力は非常に大きい。中国には過剰投資や不良債権粉飾の問題があるのに、欧米からの投資が旺盛なのは、この巨大な内需の潜在力があるからだ。
1910年代から中国に注力し続けているアメリカの多極主義勢力であるロックフェラー財団は、その象徴である。欧米の大資本家の中国に対する入れ込みようを見ると、過剰投資バブルの崩壊は一時的な成長の減退にしかならず、その後再び経済成長が続き、中国はバブルの発生と崩壊を繰り返しながら成長していくのではないかと感じられる。
ブッシュ政権は、中国に対してさかんに民主化要求をおこなっているが、ブッシュ政権に献金しているアメリカの財界人の多くは中国投資で儲け、すでに中国に巨額の投資資金を入れており、民主化で中国が混乱することを望んでいない。アメリカの中国に対する民主化要求は、中国側に無視されることを前提に、何か別の目的に基づいて発せられているとしか思えない。
| 2006年06月14日(水) |
児玉清のビューティフル人生 |
児玉清のビューティフル人生
「果実の熟したことを,君は何によって知るか。枝から落ちることによってではないか。一切のものが与えるために熟し,差し出すことによって完成する。」 ( アンドレ=ジイド『地の糧』 )
芸能界きっての読書家,児玉清(73歳)の情熱的な生き方が教えるもの。
●〈パパの子育て体験記〉―精神の豊さを幸せと感じ続けてほしい―
娘は幼稚園のころから、先生の言うことを聞かず、とにかく勉強が嫌いでした。参観日で、親が子どもを転がして「いもむしゴロゴロ」をした時など、自分では転がろうとせず、「お父さんやって」と言い張ったほどです。
いまはその娘の息子、すなわち「孫育て」で、子どもたちの時以上に孫にかかわっていますが、子どもは「怖いものがなくなった時に、とてつもないものになってしまう」とつくづく感じています。決して子どもに恐怖感を植え付けるということではありませんが、子どもを「支配」しないと、事の善し悪しは教えられないのではないでしょうか。娘にも一度だけ手を上げて強くしかったことがありましたが、していいことと悪いことの区別などは、厳しくしかって教え込む必要があります。
一方、息子の方は、まったく手のかからない子で、中学・高校とバスケットボールに夢中で、毎日生き生きと学校に通ってくれました。大学生になっても家族旅行に付いてきてくれて、しかも荷物は持ってくれるし・・・・・周りから不思議がられるほどでした。
息子と家内の関係を「密接で直接的」とするなら、息子と私の関係は、”照れ”もあってか、「他人のような間接的」なものでしたが、知らぬ間に私を見ていて、いろいろなことを感じていたようです。例えば、私たち俳優の世界は、学歴は関係なく、最終的には徒手空挙、自分を飾るものなど何の役にも立たない世界なのです。そんな世界に生きてきた父親を見て育ったことが影響したのか、息子にも娘にも学歴とは違った次元の考え方が身に付いたようです。
そんな息子が高校卒業時に俳優になりたがっているのを、担任の先生を通じて知った時には、ショックでした。自分が「入ってしまった」俳優のようなトリッキー(虚構的)な世界でなく、実体のある、着実な世界に進んでほしかったのです。しかし友人から「親父の生き方がいいと認めてくれたわけだから、喜ぶべきことだ」と言われ、「そんなものか」と思い直しました。ただ、現在はその問題も解決し、別の道を力強く歩んでいます。
娘の「勉強嫌い」を除けば、子育てで苦労したことのない親思いな子どもたちです。家内にしても、私が夏休みもとれないようなとき、「(私以外の)三人でどこかへ行ってきたら」と言っても、「一緒でないとつまらない」と、行こうとしないのです。みんな、家族といることが好きな、家にいれば幸せ、という家族なのです。
子どもたちには、「心が豊かになる、気持ちが浄化される−という機会をより多くもてる」、それが幸せだと思えるようになってほしい。物欲的ではなく、精神的な面で幸せを感じることができ、好きな人と一緒にいられること、きれいな風景に出会うことなどが幸せと感じられる、そんな人になってほしいのです。 (資料:月刊こども未来)
●《児玉清》の来歴
東京市滝野川区(現・東京都北区)出身。小学生の頃、群馬県の四万温泉に集団疎開。
誕生日 1933(昭和8)年12月26日 現在73歳
血液型 O型 身長 179cm 体重 70kg ジャンル 声優・ナレーター/俳優/司会者・MC デビュー年 1960年 デビューのきっかけ 東宝映画第13期ニューフェイス デビュー作品 別れて生きるときも 黒い画集・ある遭難 (映画・東宝) 趣味 読書 切り絵 家族 3人 好きな色 黄色
〈出演中番組〉 パネルクイズアタック25(朝日放送)日曜日 13:25-13:55 テレフォン人生相談(ニッポン放送)月曜日-金曜日 11:00-11:20、出演は週1・2回程度。 週刊ブックレビュー(NHK衛星第2テレビ)週替わりの司会担当だが番組開始当初から出演している
〈著書〉 『負けるのは美しく』 『寝ても覚めても本の虫』 『たったひとつの贈りもの』
●学習院大学文学部ドイツ文学科卒業後、大学院進学を目指していた。しかし、母の急死により就職先を探さねばならず、就職活動のシーズンも終わっていたため、唯一募集していた東宝ニューフェイス(新人俳優の募集)に応募し、合格。水着持参のオーディションの際に水着を忘れ、下着のパンツ一枚で現れ審査員の奇異の目にさらされるも、質問にウィットあふれる回答を返し、逆に歓心を買った、という逸話がある。
以後俳優として活動。黒澤明監督作「悪い奴ほどよく眠る」に出演するも、当時から存在感あふれる児玉が目に付いたのか、黒澤にいじめ抜かれる。友人にそそのかされた児玉は「世界のクロサワ」を殴る決意までするが、実行には移さず出番をなんとか終える。のちに黒澤が自分のことを陰で評価していたことを聞き、腰が砕けたと語っている。
東宝では俳優として伸び悩み、退社してテレビに活動の場を移す。水前寺清子主演の『ありがとう』で一躍人気を得て、以後ホームドラマなどで大活躍する。
また、芸能界きっての読書家としても知られる。児玉は年に数回海外旅行に行く際、飛行機内で分厚い英文の小説を読むことが楽しみであるという。
1990年代から本業だったテレビドラマの仕事に消極的だったが、2001年のドラマ『HERO』の出演依頼を断った際に、最愛の娘から説得され一転して引き受けたという。その後、2002年に娘をガンで亡くしたショックもあったが、それが児玉自身を震い立たせ、以後積極的にドラマ出演している。最近はなぜか矢田亜希子との共演が多い。
息子も児玉大と言う芸名で(後に、児玉大輔、本名の北川大輔に変わる。現在は引退)俳優をしていた。
また、2002年12月にニッポン放送の『ラジオ・チャリティー・ミュージックソン』出演が好評だったことから、翌年6月から『テレフォン人生相談』のパーソナリティを担当するようになった。
文筆活動もある。それは児玉が大好きなポール・リンゼイの著作「覇者」(講談社刊)の解説である。お気に入りのFBI物語とそのほかの作品を比べ、熱く述べている。
テレビでは一見それほど大きく感じられないが、実は179cmと高身長である。
朝日放送のクイズテレビ番組『パネルクイズアタック25』の司会者として全国的に著名であり、現在では、これ抜きでは児玉清を語れない位である。この番組でのジェスチャー(特に、アタックチャンスの時の右手の握りこぶしの微妙な振動)や語り口調などは、他の番組などでモノマネされている。また、アタックチャンス前の休憩中に、児玉自身が出場者と観客に飴玉を配り、緊張している一般出場者をリラックスさせているのは有名。
アタック25の司会をしている児玉だが、「クイズダービー」にゲスト解答者として出演したとき、解答できずに「わからず」と書いたこともあった。
T.M.Revolutionの西川貴教から『理想の父親』として崇拝されており、西川のラジオ番組に度々出演した。タレントYOUも番組などで好みの男性として名をあげるのも有名な話。
なお、本来の誕生日は1933年(昭和8年)12月26日だが、当時は数え年で年齢がカウントされていたため、1週間足らずで2歳になるのを嫌った親が1月1日で出生届を出したそうである。
●『負けるのは美しく』児玉清(集英社)(読書2005-66) 書評
児玉清さんと言えば「パネルクイズアタック25」。1975年放送開始だから、もう30年も続いていることになる。それからNHK・BS2「週刊ブックレビュー」。こちらも15年。これって、浮き沈みの激しいテレビ業界にあっては、スゴイことだと思うのだが、児玉さんは実に淡々とそつなくこなされている。しかも、司会業が本職のアナウンサー出身ではなく、東宝ニューフェイス(13期)で芸能活動をスタートさせた俳優なのだから、恐れ入る。僕が児玉さんに抱くイメージは、学習院大学を卒業した渋い知性派俳優で名司会者、といったところだろうか。最近は「パネルクイズアタック25」を見ることは滅多にないのだが、知性の中に「情熱」を感じる例の「アタックチャンス!」という決めのポーズはインパクトがあり、長寿番組となった秘密は間違いなく司会の児玉清さんの存在感にあることは疑いようもない。また、読書通としても有名で、知性派という印象を世に広める一要素となっている。
その趣味が素晴らしい形で結実したのが「週刊ブックレビュー」である。現在は、4人の司会者(芥川賞作家の藤沢周さん、ノンフィクション作家の長田渚左さん、ピアニストの三舩優子さん、そして児玉さん)が週替りで番組を動かしているのだが、やはり司会にも慣れ、本にも詳しい児玉さんの回は、他の3人と比べると出演者に左右されることなく圧倒的に面白い。コメント(本の感想)が上手いだけでなく、繰り出すタイミングも絶妙で、喋りにもメリハリがあるので、自然と盛り上がるのだ。他の3人も感想はそれぞれ面白いのだが、司会に不慣れなため、児玉さんのように出演者から思いもよらぬ雑談を引き出すところまでは達していない。もちろん、それは仕方ないこと。何せキャリアが違うのである。まぁ、つまりはそれだけ児玉清さんの司会ぶりが抜きん出ているということなのだろう。ここまで読んで頂ければお分かりだと思うが、そんな訳で僕は以前から児玉清さんに何となく興味を持っており、ギバちゃんと絡む「大豆ノススメ」のCMも大好きだし、何事もそうなのだろうけど、意識していると普通なら見逃してしまうことでも、目につくようで、先日の集英社の新聞広告で「児玉清」の名前を見つけた時は自分自身驚いた。なぜなら、普段は小説の新刊本ばかりを注意していて、芸能人の著作物は無意識に読み飛ばしてしまうからである。なのに、どういう訳か『負けるのは美しく』はしっかりと僕の目に留まり、手帳にメモをした。そして、後日訪れた書店で普段は行くことのない芸能人コーナーへ足を運んで手にしたのである。『負けるのは美しく』というタイトルにも惹かれた。果たしてどんな内容なのだろうか? と想像が膨らむ。それからカバーの装画もなかなか素朴で味がある。目次で確認すると、何と描き手は児玉さんご自身だった。その瞬間、僕はハンドメイドな暖かさを感じ、どうしても読んでみたいと思ったのである。前置きがすっかりと長くなったが、「大豆ノススメ」ならぬ「児玉ノススメ」を書き進める。
芸能界で「成功」した人のデビュー秘話を聞いたり読んだりしていると、意外と多いのが「思いがけず……」というものだ。もちろん、ドラマチックにするために多少は脚色もされているのだろうが、「友達に誘われて応募したら自分だけ合格した」とか「母親が勝手に写真を送った」だとかがそのパターンと言える。児玉清さんの場合も、意外なことにそのパターンなのである。児玉さんは、大学院への進学を決めていたのだが、大学卒業式の当日にお母さんが急逝し、経済的理由(児玉家の稼ぎ頭は父ではなく母だった)から進学を断念せざるを得なくなり、慌てて就職活動を始めるが、一年後でなければ採用できないという返事ばかり。そこへ、東宝から「ニューフェイス試験の第一次書類審査に合格したので左記の日時に、第二次面接試験に来られたし」というハガキが届く。本人は応募した覚えがなく仰天する。大学演劇に熱心であったことは確かだが、児玉さんは俳優になるつもりなど全くなかったそうなのである。後になって分かったことだが、実は、就職活動のためにあちこちへ送った履歴書の一通が、児玉さんの演劇好きを知っている人に渡り、本当は俳優になりたいのだろう、と気を利かせて東宝へ紹介してくれたそうなのである。だから、その人のコネで写真もないのに一次試験は通過したのだ。もちろん、俳優になる気のない児玉さんは面接に行くつもりはなかった。ところが、その日の明け方に「試験に行きなさい」というお母さんの声を聞き、その声に導かれるように試験場へ向かうことになるのだが、残念ながら間に合わず「遅刻」で追い返されてしまう。しかし、受付の一人が「せっかくなんだから」と呼び戻してくれ、試験を受けることになる。だが、ハガキをろくに読まずに家を飛び出した児玉さんは水着を用意していない。仕方なく、パンツ姿で面接官の前に現れることとなる。
遅刻の上にパンツ姿。当然ながら面接官の目が厳しくなるのも無理はない。おまけに、俳優になる気がないので無愛想な受け答えを繰り返す。委員長から生来のO脚を指摘され、万事休す、かと思われた瞬間、児玉さんは起死回生のジョーク(それは読んでのお楽しみ)を飛ばし、大爆笑を誘うのである。母の声、受付の好意、そして遅刻、パンツ、無愛想の3大マイナスから大逆転となるジョーク。俳優になるつもりなどなかった青年は、運命の力なのか歯車が回り始めると、あれよあれよという間に試験を突破し、気付けばニューフェイスに選ばれ、俳優への道を進むことになるのだから実に不思議である。しかし、幸運の女神が微笑んだにも関わらず、本人は一年後の就職までの人生経験という意識しかなかったというから面白い。意外とテキトーな性格なんだなぁと、親しみを感じたデビュー秘話である。
『負けるのは美しく』を読んでいると、どうしても児玉さんの知性が至るところで醸し出されていることを感じる。それは文章が上手いというのとは違う。もちろん、気取っているというのとも違う。隠しても隠し切れないモノなのだ。僕が抱いていた知性派というイメージは間違っていなかったのだと確信した。しかし一方で、僕はこの本を通じて、児玉清さんが単なる格好良い知性派俳優でないことにも気付かされ、本当の「児玉清」を知ったような気がする。それは、文中に何度も登場する「ファイティング・ポーズ」という言葉からも伺えるように、この人はハートがもの凄く強いということ。しかも、熱い。逆境になればなるほど、逃げることなく向って行くタイプなのだ。きっと、どんな時でも頭が切れて器用に立ち振る舞う人なんだろうなと思っていたので、かなり意外だった。児玉清さんの素晴らしさは、ファイティング・ポーズに狡さや卑しさが微塵もないということである。常に正々堂々と誠実に立ち向かう姿勢こそが、『負けるのは美しく』というタイトルへと結びつく。前述の通り偶然の積み重なりで俳優としての「はじめの一歩」を踏み出した児玉さんは、その後いくつもの苦境を乗り越えて今日の地位を築いたのであるが、とてもではないが順風満帆であったとは言い難い。読みどころはいくつもあるけれど、例えば実直な性格を物語るエピソードとしては、自らの正しさを誤魔化さないために「天皇」と称されていた黒澤明監督を『殴る』と決意した「くり出せなかったパンチ」がある。児玉さんは撮影中ファイティング・ポーズを取り続けたのだが、結局パンチは繰り出せずに終わってしまった……。
しかし後日談として、その姿勢は『殴る』はずだった黒澤監督にはしっかりと届いていたことを知り、児玉さんは素直に感動する。本当に世界のクロサワを殴っていたら、児玉清という駆け出しの俳優は終わっていたに違いない。ただ、当時の児玉さんは本気だったと思う。なぜならば、児玉清さんの判断基準は、俳優や監督というポジションの優劣ではなく、人間として正しいか否か、に徹しているから。相手が誰であっても決してブレない強さは魅力的である。他には、名優の森雅之さんについて記した「宙を見ていた」と個性派俳優の山茶花究(僕は失礼ながら存じ上げない)を綴った「ラストスピリット」も印象深い文章だった。人間の生死について大いに考えさせられ、心に残るエピソードである。もちろん、楽しい話も多い。初めての時代劇での大失態や、間一髪で命が助かった自転車事故に自動車事故、そしてメデタイはずの結婚なのに、誰からも祝福されずに、お前のせいで北川町子(妻となった有名女優)が引退したと責められた話なんて実に面白い。
僕が知っているのは、もう中年と呼ばれる年齢になってからの児玉さんなのだけれど、この本に記された多くの経験と読書が人間としての深みを増し、現在の活躍へと繋がっているんだなぁ、としみじみと感じた。僕は、間もなく35歳になるのだが、この本を読んでまだまだこれからだ! と勇気が湧いてきた。児玉さんの知性には遠く及ばないが、せめてハートだけは強く持って、もっともっと真っ直ぐに進んで行こうと思う。
最後になるが、児玉さんの愛娘・奈央子さんは2002年に36歳の若さで亡くなった。末期の胃癌である。その宣告から、闘病、死までを綴った「第五章 天国へ逝った娘」は、愛情に満ち溢れている。一言一言を噛み締めながら、児玉さんの無念さを痛いほど感じた。この章だけは、俳優・児玉清でなく、父親・児玉清としてファイティング・ポーズを取られている。「霊感と正義感」を読むと、奈央子さんが児玉さんの娘であることが良く分かる。父親の後姿を見て育った彼女も、ファイティング・ポーズを体得していたのだ。そして、その姿勢は死ぬ瞬間まで貫かれた。児玉さんの奥様は娘から何も相談を受けずに淋しい思いをしたようであるが、それもまた親に心配をかけまいとする奈央子さんの優しさだったのではないかと僕は思う。
決して平坦でなかった道を真っ直ぐに歩き続けて来た児玉清さん。『負けるのは美しく』を読んで僕は清々とした感動を覚えた。司会者として、俳優として益々活躍して頂きたいと心から願う。
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