散書
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2008年10月29日(水) PC諸々

便利な反面、厄介だよね。


久し振りにウイルススキャンしてみたら、3件もトロイの木馬が発見された件。
あと、cookieで警告が出ても、どの程度深刻に受け止めていいのかわからない。山ほど出てきたんだけど。cookie。
トロイの木馬のうち1件は、このところ、概ね定時に毎日ダウンするエクスプローラーから発見された。これのせいか?

HDD間のデータ移動は、思ったより短時間で終わってしまった。拍子抜け。


作りかけの曲を作りきってしまおうと作業初めて、疲れてきたなー、息抜きするかと紙を広げてラクガキ始めて、結局イラスト描くので時間が潰れてしまう典型的な本末転倒。


新しく買ったHDDをUSBで外付けにしたらオートランで読み込み始まるのが鬱陶しすぎる。設定をなんとか。


物干しのキャパシティを圧倒的に越えた超過洗濯で大失敗な一日。


2008年10月27日(月) 良いものには相応のデメリットが

あることはわかっていたけど、面倒臭えええええ。


あー、はい、まあ。大したことではありません。気がついたらいっぱいになっていた外付けHDDの中身を、先日買ってきたHDDに移そうとしているのですが、なぜか移動途中で作業が中断、というか、終わってないのに終わったと判断して止まってしまいやがるので、何度もやり直さなければならないという謎現象。
つーか、俺、あんまり暇じゃないんだけど。一回で終わらせてくれよ。時間かかってもいいから。
日中はほとんど仕事で潰れることと、HDD間の転送速度を考えると、二週間くらいかけてゆっくりと完全に移動したことを確認していくくらいの気持ちでいた方が良いようです。邪魔臭えええええ。

しかしまあ。1TBか‥‥これがいっぱいになるまで、何年くらいかかるかなあ。160GBを満タンにするのに2〜3年かかってるからなあ。


まあそんなこんなで、大阪まで行ってきたわけですよ。HDDとかその他諸々の調達で。そのついでにやはりオタクスポットはぶらりと巡回してきたわけですけど、やはりえっくす☆きゅーとは良いですね。現物限りだったようですが、あいかとリアンの最新作が残ってました。みうはばっちり売り切れてましたけど。
いや、しかし。実物を見ると、本当に欲しくなりますね。そして、決して手が出ない金額ではない辺りが、ともすれば理性を崩壊させそうで恐ろしくてたまりません。
それでも、次はいつ、購入の機会に巡り会えるかわからないということを考えると、いっそ誘惑に負けてしまいたくなるのも人情というか。
あとお人形さんとは違いますが、エクストラなんとかという、プライズの初音ミクのフィギュア。造形の良し悪しなんて素人の俺にはわからないし、そのやりすぎなくらいのポージングはどうよと思ってしまうものの、なんかこー、理屈を越えたところで物欲に訴えかけてくる出来栄え。というかかなり欲しいぜあれ。
というわけで、いくらくらいで取れそうか、ということを試算するため、何度か挑戦してみました。結果、最低でも\1'200、俺のああいうゲームの腕を加味して考えると\4'000必須、という計算結果に。それなら仕方ないし大人しく諦めようかと思うところではあるけれど、やはり欲しいぜ。
これだけ物欲を刺激されるのはいつ以来だろう。いえ、コミティアでは行く度に物欲掻き立てられっ放しですけど。どれを買うか吟味するのに、毎度苦労しております。
いっそのこと、本当にえっくす☆きゅーと一体買って、ずっと興味のあったドール服を始めてみるのもありかなあああああなどと悶々。それを考えると、フィギュアの初音ミクは手に入れたところで、劣化が始まったら手入れの仕方もわからんしなあとかなんとか。
でも無限にお金が出てくる財布とかあったら、問答無用で買ってるしプライズも取れるまで続けると思う。けれど取捨選択は財布の中身に限りがあるからこそ面白い。とも思う。
まあ、なんだ。
それでもあのプライズで、どうにかして店側の裏を掻いた方法でもっと安く手に入れられんかなあとか考えて思いついた方法を試すためにまたゲーセン行ってみようかとかかなり本気で考えてる自分もいるので、なんか、こう、俺の中にもこんなに物欲が残っていたのかとかなんとか。
でもやりすぎると来月のコミティア行けなくなるぜ俺。気をつけろ。

そういえば、景品取り出し口に繋がってる穴をダンボールで塞いであまつさえダンボールを押しピンで留めてる念入りなUFOキャッチャーを見かけたんだが、あれは「これは景品じゃなくて展示品です」ということなのか、もっとシンプルに「取らせる気は毛頭ないぜ」ってことなのか、どっちなんだ。


スタミナなかったはずの俺の体が、まるで疲労を訴えなくなってそろそろ一週間が経とうとしています。活動限界が延びるので色々できて便利は便利なのですが、ここまで来ると、なんだか不気味を通り越して不安になります。満腹中枢が壊れて腹が膨れない、空腹中枢が壊れて腹が減らない、そういう故障に通ずるものがあるんじゃないかとか。
でもまあ、それならそれで、倒れるまで動くだけですかね。動けるうちに動いておかんと。これはなんかの好機だと前向きに捉えよう。と、自己暗示をかける日々。

大阪をうろうろしたあとに4〜5kmばかり歩いてもまったく疲労を感じなかった辺り、本当に故障なのかもしれません。


パンクした自転車を持って行った自転車屋が、よくうちの店に食べにきてくれるおじいさんの店だったときには驚いた。どんな偶然だ。


すいさん、また焼肉でも行きましょう。


2008年10月24日(金) 嘘と方便

誤魔化しと必要悪。


虚数というものを、ようやく理解できた気がする。まあつまり、ある条件を満たそうと思えばそれをでっち上げなければならなかったこじつけで、けれどそうやって無理矢理に自分たちを納得させなければどうにもならない問題が確かに実在するというもので、その誤魔化しは、確かな意味で必要悪だと言えるのだろう。虚数がなければ携帯電話もパソコンも動かなかったと言われれば(実際には直接にそういう言い回しがあったわけではないにしても)、それが屁理屈から生まれたものでしかないにしても、許容する以外の選択肢は、すでにない。
まるで、この社会の枠組みみたいだ。
実在しないし存在の証明もできないものを、けれどそう考えれば辻褄が合うからと、不在の証明もできないのだからと理論をを、論理を捻じ曲げ、正当化する。けれど、そのおかげで社会も機能するようになっている。残念ながら、否定できる余地がない。表立って否定すれば、反社会分子として誹りを受ける羽目になるだろう。それが、社会にとって都合のいいものになっている以上は。
まあ、なんだ。
確かに社会に蔓延っているけれど、実在の証明も不在の証明もできないものの暗喩ですので、いくらでも思いつくものを挙げてもらえば、きっとそのすべてが正解だと思われます。社会とは数学的だ。あるいは、社会が数学の虚構に馴染んでしまったのか。
虚数の発見とその論理の確立に尽力した数学者たちや、それを使って現代の文明の機器を発展させている開発者たちの努力は素直に認めるけれど、その数学的な思考が、「そう考えなければ答が出ないから、そういう意味不明なものでも許諾しよう」という怠惰な妥協を、発信者が、「こう考えないと答が出ないように、人目に触れる情報を操作しよう」という発想に悪用しているであろうことも、責任を持って認識しないといけないと思う。もちろん、本当に悪いのは、悪用しようとする側ではあるのだけど、危険性のあるものは、悪用されないように管理するのも使用者の責務なわけで。
と、今日送られてきたばかりのNewtonを、これまでまるで理解で傷にいた虚数の見出しに引かれ、これまでの詰んでいる分を頑なに無視しつつ読んでなんとなく虚数を理解した気になって、そんなことを考えた。いや実際、こういう人たちの努力は本当に凄いと思う。この人たちが重ねたものに比べれば、俺の努力なんて同じ言葉で表現するのも失礼なくらいの努力でしかないのだろうと思うくらい。本当に敬服に値すると思う。でも、それとこれとは別問題という感情。

まあ実際のところ、こんなふうに「数学的な思考」の一部にに対して否定的な意見を述べてしまったりしているわけですが、この虚数に関する歴史の一部を読んで、「文学」を「哲学」と見なし、「物書きとはすべからく、皆、哲学者であるべき」と考える俺も、なんか、こう、今までとは違った視界が開けた気がする次第です。虚数の発見の前、どん詰まりだった数学者が虚数を得てそれまでは解けなかった難問を解けるようになったかのような。と言うと、大袈裟だったり的外れだったり誇大だったりするのかもしれませんけど。それに、「気がする」だけで、実際にはそれ以外はなにも変わった気もしませんし。
でも、気持ちって大事ですよ。

ところで、関連して指数とか出てましたけど、指数もさっぱりわかりません。あと、sin・cos・tanもすっかり憶えておりません。確か数�靴世辰燭�でやったとは思うのですけど。tanに関しては、Newtonではまったく触れてませんでしたけど。
あと、二次方程式の公式もさっぱり覚えてなかったなあ。三次方程式の公式は、習ったような気はするんだけど、と、習ったかどうかすらあやふや。連立方程式の解き方を思い出せなくて悶々としたのも、比較的新しい記憶に留めています。脳の使われない部分は廃れていくのですね。いや、ここは受動態でなく能動態で書くべきか。意識の持ちようは大事です。


細々と、色々なことを考えてしまう日というのが、やはりあったりするわけで。
日常に潜む、偶然と蓋然性のいっそ醜悪なほどの齟齬は、悪意に満ちているとしか思えない。けれど、その悪意によってようやく醒める、そういった悪意によってでなければ目覚めさせることのできないほどの深い悪夢というのが、確かに存在してもいる。
現実に目を逸らして生きるなら、そんな悪意は、ないに越したことはない。けれど、現実に向き合って生きるつもりなら、喩えこみ上げる反吐を堪えてでも、悪意とさえも結託して戦う覚悟が必要だと思う。最近、そう気づいた。
見せかけの平和に呑まれて怠惰に生きることは、確かに楽だけれど、それは自分という澱を淀んだ水に沈めて隠しているに過ぎない。表面から見れば済んで見える水も、底を漁れば砂で混濁する。清流が清流たる所以は、弛まぬ自浄のなせる業。自らの汚濁を認め、それを雪ぐ力を得て始めて、人は清流に近づける。その力を間断なく使い続けることを己に課してそれを実行し、そうして始めて、人は清流になれる。多分、そういうこと。
理想は遠くても、だからと言って諦めては、得ることのできないものが多すぎる。諦めてしまえば、それで終わり。得ることのない人生は、失うことすらできない。

喩え絶望が目の前に横たわっても、絶望を感じる限り、それは希望を捨てていないという、何よりの証左になる。
本当に希望を捨てた何者かがいるとすれば、それはすでに人間ではなく、狂人という言葉でもまだ足りない異質となるだろう。その何者かは、絶望すら感じることができない。
そう考えるなら、清濁を併せ持つということこそが、本当に強いということなのだろう。
けれど、手放すものすら先ず得なければならないということは、それこそが本当の絶望なのかもしれない。


つーか、もう午前三時前か。


2008年10月19日(日) 霧中

終わりが見えないからこそ良いこともある。


頭を悩ませることが楽しい、てのは、創作に携わる人なら誰でも実感としてわかることとは思いますが、冷静になって振り返ってみれば、傍から見ればとても理解し難いことなんでしょうね。なんてマゾい。
終わりが見えないように見える迷路の中でも、進んでいることを実感できたときが凄く嬉しかったり楽しかったり。
試行錯誤、てのが迷路を進むことなら、誰でも自分の中に迷路を持ってて、だから誰でも道に迷うんだろうな、とかなんとか。
一本道を進む人生は、楽だろうけど、楽しみなんかなにもないだろうな。とかなんとか。

まあ、創作に限ったことでもないだろうけど。


今日は朝から、なんか腹が痛かった。
仕事終わって帰ってきたら、大体いつもは「あー、疲れた」と感じるところだけど、今日は疲れたような、まったく疲れてないような、妙な感じだった。
風呂上り、母親に「あんた、今日は生き生きしてるな」とか言われた。
‥‥どういうことだ。
まあ、実感と傍観って、違うものだよね。とかなんとか。

迷路を進めてる感じがしたから、生き生きしてるなんて印象を与えたのかもしれない。とかなんとか。


忘れてた。しばらく休みがないじゃないか。まあ、そのあとは小刻みに休みが入るんだけど。


乱す覚悟で、敢えてリズムを変えることの重要さ。


2008年10月18日(土) 日常に倦む。

惰性では変わらない。


退屈な日常を変え得る何か、は、実は、いくらでも目の前に転がっている。問題は、それに目を向けているか、いないか。それを見るか、見ないか。「興味がない」で目を逸らしていては、いつまで経っても現状は変わらない。

限りある時間を「退屈だ」で持て余してる人って、正直、軽蔑したくなるけど、反面、羨ましくもある。


この頃、エクスプローラーが頻繁に落ちるのをなんとか。これぞマイクロソフト・クオリティか。


こないだ買ったオーディオプレイヤーのスピーカーが音質低いと書きましたが、それも当然と思えるある事実に気づきました。
モノラルスピーカーだ、これ。
そりゃあステレオに比べたら音は劣るよな。

でもスピーカーに繋ぐ手間が省けるので、ついモノラルのまま聞いてしまう俺。


今日はなぜか、Skypeが頻繁に受信を要求して、ファイアーウォールが接続を許可するかどうか訊いてくる。酷く邪魔。なんで今日になって急に?
インストールしたっきり使ってないから、削除しようか考え中。


歌を載せることを考えると、どうしても曲がスムーズに書けない。やはり俺の脳はボーカルものには向いていないのか。

ふと顔を上げると、3時間くらい経ってたとか。珍しくもない話。小説書いてるときは、気がついたら半日過ぎてたとかざらだったし。
手書きで大学ノートとかに書いてた頃の話です。モニタ見ながらやってると、目が疲れてくるので、どうしても途中で集中が途切れます。
まあ、確かに推敲はしやすいので、デメリット相応のメリットはあると思います。パソコン執筆。


同僚と、なぜかラノベトークになった。上遠野浩平は初期の方が良かった、で意見は一致した。ブギーポップはやはり歪曲王だろう、と俺が言うと、大多数はそう言うよね、といった反応。うむ、やはりそうか。そして彼は笑わないが一番好きだと言っていた。
というか、ナイトウォッチシリーズで話せる機会があるとは思わなかったので、なんか嬉しかった。まあ事件シリーズは俺が読んでないのだけど。あそこの文庫、高いよ。
空の境界は面白いそうだ。奈須きのこか‥‥本当かな‥‥機会があれば、冒頭だけでも立ち読みしてみるか。
イリヤとかシャナとか、俺が読んでないものばかり彼は読んでいるようだったので、いくらか勧めてみた。でも文学少女シリーズを勧めるのを忘れてた。ここしばらくで一番のヒットだったのに。俺的に。
でもレジンキャストミルクもRIGHT×LIGHTも途中で止まってるんだよな。神様が用意してくれた場所とか、買ったはいいけど手を着けてないシリーズとかもあるし。詰みすぎ。いや、文字通り、堆く積み上がってるんですけどね。文庫本が。

文学とは哲学だと思う。その作家の経験と感情や思索が織り込まれるから。
そう考えると、ラノベにも、文学的な作品はあると思う。
文学、という言葉の境界はあやふやだと思う。


自分で考え、自分で気づく癖をつけないと、いつまで経っても進歩はできない。失敗を繰り返す人っていうのは、まずそのことに気がつくべき。
で、言われるまで気づかないでいることを良しとする人には、畢竟、何を言っても無駄なもの。
いい加減に気がつけよ。と言いたくなることは、多い。

人のことを真面目だと評する人は、大概、自分が不真面目なことに気がついていないまま、自分を基準にしている。そういう人は、真面目だと評される人の目で見ると、鬱陶しくて仕方がなかったりする。


やっぱり自分は社会生活に向いていないなあと思ったりし続ける日常。


2008年10月16日(木) 蒙昧

そして盲。


忘れてはいけない何かを忘れていたことに気づいたときの衝撃は大きい。それが、絶対に忘れてはいけないと思っていたこと、どころか、忘れるはずがないと思っていたことなら、なおのこと。
何を思って生きていたのか、その意味すら見失っていたに等しい。
踏み外す道すら見ていなかったという現実には、恐怖しか感じない。

アスファルトには轍すら残せない。この世の中は、怖い。


ずっと使っていたMP3プレイヤーのバッテリーがへたってきたので、最近、急激に値崩れし始めているオーディオプレイヤー? を買ってみた。
2GBの容量があるけど、いざファイルを放り込んでみたら、半分弱しか埋まらなかった。まあ、別にいいですけど。
画像とかビデオクリップとか入れられるのにMP3しか放り込まない俺もどうかと思う。どうでもいいけど。
MP3プレイヤーも随分と値崩れして、今日買ったやつの半分くらいの値段で同じくらいの容量のが売っていたので、素直にそっちにしようかと思ったのですけど、連続再生時間が短いのしかなかったので断念。イベントで遠出するとき、一人だと、ずっと音楽聴きっぱなしだったりするので、連続再生時間は結構重要な要素だったりします。
そして今日買ったプレイヤー、CREATIVEのZEN MOZAIC。
初めて買ったMP3プレイヤー、RioSU30に比べて、今使っているやつ(機種名忘れた)が、かなり操作感悪かったので、今度はどうだろうと思ったのですけど。ディスプレイで確認しながら操作できる分、MP3プレイヤーに比べて操作性は向上しているようです。ただ、本体に付属のスピーカーが、DS Lite以上に質が低い。というかまあ、俺の人生でこれほど質の低いスピーカーは初めてだ、というくらい。まあ、本体のサイズを考えれば、スピーカーがついているだけでかなり革新的だったりするのでしょうね。と、自分を納得させて、外部スピーカーつけて使うことに決定。
それにしても。
FMラジオは災害時に役に立つかもしれないとして、PCとデータのやり取りしないと動画も画像も見ることのできない再生機能にどの程度の意義があるのか、さっぱりわかりません。そう考えると、ちょっと暗い再生時間が短くても、安いMP3プレイヤーにするべきだったかなあ。などと考えてしまったりします。つーか、時計くらい持っとけ。
あと多分これ、中に入ってた説明書とか保証書見てたら、メインターゲットにしてるのは中国の市場なんじゃないかって気がしてならない。リサイクルのマークとかは日本のものみたいだけど。そして見たこともない言語にやたら対応してるのも気になって仕方ないです。
まあ、ともあれ。これから末永くおつき合いしてやりたいところ。多分CREATIVEの商品はもう買わないだろうけど。多分。なんとなく。

驚いたのは、RioSU30の箱に、メーカーらしき企業名が見当たらないこと。どこの製品だ。あれ。


来月のコミティアが待ち遠しい。遊びに行きたい。


2008年10月14日(火) 奇跡。

開けてがっかり、とでも言おうか。


奇跡は本当にあると思った。
みんなは奇跡を美化しすぎだと思った。
不意討ちで起こるから奇跡なんだと思った。

奇跡はきっと、長く心に残る。


魂は、いつか燃え尽きるから。


2008年10月10日(金) まあ、なんかね。

そんな日もあるさ。


というか、そんな日ばかりさ。


2008年10月03日(金) ちょっとした喜び。

でもそれがいつ次に繋がるのか。


デスクトップPCに放り込んでいたDAWで、ようやくまともに音が出るようにできました。おそらくはレイテンシ+ノイズの相乗効果で、鍵盤を叩いてから送れておかしな音が出ていたのが、やっとすっきり解消。ささやかな喜びです。
試しに、入っていたWAVファイルを再生。なんか‥‥期待したほど、劇的に音が変わる、といったことはなかったけど、楽器ごと、声ごとの音声はかなりはっきりした感じ。まあ、期待したほどの効果が得られなかったのは、ひとえにスピーカーやヘッドホンが安物だからだと思われます。スピーカー、980+税。ヘッドホン、確か880+税くらい。
ついでなので、試しに東方起動して音楽聴いてみましたが、音がはっきりすると存在感も違う感じがします。
しかしこうなってくると、俄然、作曲に挑みたくなるのですが、SOLAR LEはスコアロールとピアノロール、あとはオーディオ入力くらいしか作曲方法がないようなので、あー、なんか、どれも苦手だー。と。
DAWがMMLで作曲できればねえ。むしろ、MUSEをVSTiとして認識してくれれば。とか無茶な注文。
まあ、せっかくお金をかけた環境なので、これからゆっくり楽しませてもらえれば、といったところでしょうか。

そして初音ミクガ随分とおざなりになっている俺。いかんなああああ。


しかし、デバイスが増えれば増えるほどケーブルが‥‥なんとかならんかなあ、これ。


2008年10月02日(木) 考察、というほどのものではないが

ふと、物思う。


流行りものに流されて、自分の好きなもの、と、周りに受けるもの、の違いがどうやらわからなくなっているらしい絵描きというのは、殊の外、多い。ように見受けられる。その一方で、流行もの追いかけて人気取りをするばかりで、自分の好きなものを自分で見定められなくなっているように見える絵師も、もっと多い。
そういうふうにはなりたくないなあ、と思って、自分の好きなものを追いかけ、流行を無視していると、一転、見てもらえない絵師になってしまう。一過性の流行に溺れてる馬鹿に見てもらえなくても困らないしな、という考え方でいると、今度は自分の枠を狭めてしまう。だから流行りものに目を向けようと思っても、琴線に響くものがなければ、数ある作品も、焼却場のゴミに等しい。
絵師たろうとする者にとって困るのは。オタク産業という、新興ジャンルの企業によって、とにかく作品やキャラクター、作家を消耗品化し、流行の波で、どんどんと古い作品を押し流し、新しいものに目移りさせることで金を落とさせようとする商法が定着していることだろう。これにより、ユーザーは、作品やキャラクター、作家に対しての愛着を得る前に目の前のものをすり替えすり替えされるので、それが好きかどうかを判断する間もなく、流れ作業の一環として作品を見ることしかできなくなる。ベルトコンベアーの作業のような流れ。企業によって、ユーザーは、工場の機械のように、こうするべきという意識を恣意的に植えつけられてしまう。そうすることで、ただ流れ作業の一環として、新しい作品に金を落とすだけの機械と化してしまう。
新規の作品が質の高低を問わず乱立するので、使い捨ての作家を何人か用意して、何作品か乱発していけば、概ね間断なく、いずれかの作品に、小銭か大枚かのいずれかを埋め込む機械が適合し続ける。そして、適合する機械が少ない作品を作る作家は、使い捨てなので、あっさりと切り捨てられていく。だから、商業(=プロ)で作品を作ろうと思う作家は、否応なく、自分の好みよりも流行を追いかけることを選ばざるを得なくなる。結果、店の棚に並ぶ作品はどれを見ても同じようにしか見えず、楽しめる作品は姿を消し、面白い作品=傑出した作品、という、歪んだ市場構造に落ち着く。
現在の『創作』の市場は、そういった造りになっている。ように見える。むしろ、そのようにしか見えない。
論旨からは脱線するけど、まあ、そういう創り手にはなりたくないなあというか。こういう使い捨て市場っていつまで続くんだろうというか、いい加減に買い手側も目を覚ませよというか。
自分が好きでHPの更新とか追いかけてる絵描きさんが、自分の好きなキャラを描いてくれるのは嬉しいけど、そのキャラがたまたま流行ジャンルのキャラだったりすると、すっごく複雑な気分になっていまいち喜べないのがなんつーのか、こう、据わりが悪い。まして、それでエロ絵とか描かれた日には、取り敢えず有事に備えて手製の釘バットでも用意しようかというような気分になる。
まあ、具体的に言えば、東方ジャンルなんですけどね。一応は紅魔郷からのユーザーなので、PC98時代からの人をを除けば古参組のユーザーだと思うのですけど。なんか、最近の東方の加熱っぷりは、ZUNさんには失礼ですが、異常としか俺の目には映りません。なので、いろんな人の東方キャラが見られるのは嬉しい反面、とてもげんなりすることも多いのです。
まあ、本当に使い捨ての風潮に乗っかってるだけの人には、そろそろ飽きられるだろうから、沈静化するのを心待ちにしているのですけどね。
個人的には、流行ものはさくっと無視する。というのが最も妥当な対処だと思っています。

そう考えると、初音ミクによるボーカロイドフィーバーは、浄化が早くて良かったなあ。


己の間抜けさが片腹痛い。
どうやら、素で日付を一日間違っていたらしく、とりあえずさくっと修正。
まあ、なんだ。
日付変更線付近で日記を書くときは注意ですね。


さて。投稿上限文字数にちゃんと収まってるだろうか。


2008年10月01日(水) サルのように、とは

正にこのことか。


DSのルミナスアーク2ウィルを、今更プレイ中。シリアスな場面でも緊張感が感じられないことが多かったり、こういう戦闘システムが好きだったり、かなりハマリ中。1日の空いた時間をすべて費やすくらいの勢いで遊びまくっております。おかげで、ここ何日か、小説も絵も作曲も、まったくしておりません。これではいかんと、危機感を感じるべき局面のはずが、ゲームの影響か、まったく危機感を感じられません。
ゲーム開始後すぐは、タクティクスオーガを思い出したものですが。なんだかんだで1週しかプレイしてないのですが、あれも大好きでした。どうやら俺は、この手のシステムのゲームが好きなようです。ファイアーエムブレムのファミコン版‥‥サブタイトル忘れた。マルスやシーダ、人気どころはチキでしょうか。まあ、その辺のキャラが出てたやつです。最近、DSでリニューアルされて発売してましたが、キャラがみんな老けててショック受けたのを憶えています。ファミコン版ではデータが飛びまくりで結局最後までいけなかったので、FEは買おうかと思ったのですが、キャラ絵見てやめました。あんなおじ様、マルス様じゃねえ!
まあともあれ。
ルミナスアーク2、現在ようやく30%オーバー。つーか。普通のシナリオ戦闘よりクエストでの戦闘の方が強い敵がわんさか出てくるってどうよ。まあそれ言ったら、ワイルドアームズシリーズなんて、ラスボスはただの雑魚よりは強い雑魚程度だもんな。
ところで、エンゲージするときの演出で出る絵。ルナルナさんにドキムネなのですが、どうすればいいでしょう。あとポプリのウェディングドレスも可愛いですね。期待を裏切らないペタチチとか。でも二人とも、なかなかエンゲージの使いどころが難しくて、出番がないんですよね。エンゲージはほとんどアルティばかり。
あと、絶滅したとばかり思っていたボクっ子がいたのが、なんとなくとても嬉しかったです。俺にとってボクっ子はキャラット以来。懐かしいな、エターナルメロディ。でもリアルでは増えてるらしいですね。ボクっ子。俺は見たことないですけど。

DSくらいコンパクトなゲーム機だと、起動が楽でいいですよね。もうPS2とか引っ張り出す気が起きない。そのせいでオーディンスフィアは止まりっぱなしです。がくり。


自堕落街道一直線。落眠。


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