気ままな日記
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2004年07月25日(日) |
年寄りと住むということ |
やっぱり暑い。何度もしつこいようだけど。 朝寝をむさぼろうとしても、セミが朝も早よからワンワンと鳴きだし、開け放した窓からは熱を帯びた空気がはいってくるのでとてもゆっくり寝ていられない。 昨日今日と一歩も外へ出なかった。 そのせいか、最近わたしの妄想癖はピークに達している。 今日、近所のスーパーに出かけた母は、「はげちゃび~ん、はげちゃび~ん」とひたすらつぶやきながらレジのあたりをうろついている男性に出会ったとか。 こうも暑いと人の頭もどうにかなるらしい。
老年期を迎えた両親の会話は聞いていてしばしばかみ合わない。 例えばどんな?と聞かれてもはっきりと答えられない類のそこはかとないおもしろみ、滑稽さ。 一応相手の問いに反応して答えているようなのだが、なんだかピントがずれている。 食卓でそれが始まると思わず吹き出しそうになる。でも何がどうだからと説明できる笑いではないので、ひたすらこらえつつ肩をふるわせながら、ちらと息子の顔を盗み見すると、普段はクールな彼もまた、顔を真っ赤にして、ひたすら笑いをこらえ、肩をふるわせている。 それがまたわたしの笑いを誘い、どうにもこうにもたまらない。一度始まった発作を鎮めるためにテレビに顔を向けたり、彼の場合は用もないのに席を立って何かを取りに行くふりをしてその場をしのいでいる。 そういう地道な行動が目の前でされていることを、当の本人たちは何も気づいていないのである。
暑い。 道々、泡の立った生ビールと、水滴のついた缶ビールの写真が目にも麗しくとびこんでくる。
同い年の友人からの携帯メールで、経済雑誌に載っていた最近の携帯ギャル語を教えてもらった。 ① こωL=ちレ£ ② ±з宀+よЯa さて、なんて読むでしょう。ヒント 挨拶
パソコンで変換するのもやっかいなこれらの文字。これまでの暗号の規則性などを考え合わせながら、あれこれアタマをひねってみたが、さっぱりわからない。降参して答えを乞うてみたところ、それぞれ「こんにちは」「さようなら」だそうだ。 はあ、どこをどう読んでみたらそう読めるわけ?? たまに「ち」や「よ」などの普通の文字が混ざっているところがまた謎である。 きっとこれはこれでそれなりに規則性があるに違いない。 是非知りたいものである。 そのうち、携帯用語語源辞典なるものもできるかもしれない。
高校生の時に、一字一句のあとに、いちいち「ばびぶべぼ」をつけて話す話し方が学校で流行した。 例えば「こんにちは」なら「こぼんぶにびちびはば」 「さようなら」なら「さばよぼうぶなばらば」というふうになる。 一種の暗号のようなもの、親しくない人同士は使わない。わたしたち友達だよねっていう関係性を確かめ合うために使うようなものだった。
久しぶりに今日それを思い出してひとり発音してみたら、スラスラと言えた。 若いときに習得したものは忘れないものである(感心)
2004年07月13日(火) |
「お茶屋でございます」 |
と言って彼はやってきた。 わたしは職場の親睦会の会計係。職員の飲む飲み物を買い揃えておくというのは仕事のひとつである。 コーヒーや紅茶は、近くのスーパーに買い出しに出かけるが、お茶だけは、近くのお茶屋さんに5kg単位で、配達をお願いしている。 今日がその納品の日だったのである。 近頃はお茶もティーパックの形で売られており、ましてや個人の家でkg単位でお茶を買う機会もない。 わたしは彼の、「お茶屋でございます」という挨拶が好きである。わかりやすさだけでなく、なんともいえない風情が漂っている。 70歳ぐらいであろうか、ほっそりとした体格。ちょっと小首をかしげて、「新しいのがはいりましたので飲んでみてください」と、きっちりと包んだアルミの小袋をおまけに置いていってくださる時もあって― わたしの勝手にイメージしたお茶屋さんそのものなのがまたいいのである。
職場に、今日から冷房がはいった。 電力節減のためのノーネクタイ運動。28度になるまで冷房は、いれませんという回覧が回って早ひと月。一体どこで温度測っているのかと思うほど、とっくに28度なんか軽く越えていた日が今までにも幾日もあったと思うんだけど。 蒸し暑いというのはやっぱり身にこたえる。わずかな労働意欲にも。 温度じゃなくて湿度にも考慮してほしいものである。
「エンピツ」に書いた日記のデータを保存する作業をしていたら、以前書いたものをつい読みふけった。 変わり映えのしない毎日だと思っていたけど実はそれなりに何かしら起きている。イベント性のあることに意義を見出そうとしがちだけど、どんな日さえ、過ぎてしまえばいとしい感じがする。 だったら、今日、この日でさえ、きっと―
昨日、アサーティブネス(自己主張)講座を受けた。 レストランで注文したものと違うものがきた時や、貸したくない大切なものを貸してと言われた時などの対処の仕方が、「受身的」「攻撃的」「アサーティブ」の3つのパターン別にテキストに書かれていた。 相手を傷付けないように、でも自分の希望や考えをきっぱり、毅然と丁寧に端的に言うのがいいらしい。 3つのパターンを見て、この適切なアサーテイブということが、今まで、どんなにわがまま、生意気、という評価を恐れて差し控えてきた態度かというこを思い知った。 自信がなかったりむやみに相手と摩擦をおこしたくないばかりに気持ちはNOなのに、思わず「はい」と笑顔のおまけつきで答えてきたことがなんと多かったことだろう。 そのわりに、人間関係がスムーズにすすんでいるだなんて実感したことがないのだ。 あんまり受身的だといつか溜まって攻撃的に転じる可能性大いにあり。 パターンに描かれていた「受身的」な人が、あとで、ものすごく怒りを抱えてしまうことも実感としてよくわかる。言葉で言わずに雰囲気や気配を漂わせて、相手に伝えるようとするのが決して懸命な手段ではないことも。 恐れや不安、自信のなさが先にたち、なかなか、毅然と、きっぱりとというわけにはいかない。きっぱり言い切り過ぎて丁寧さが抜け落ちることもある。 だけど、小理屈ばかり述べていないで、自分の気持ちを口にしてみる練習のように、実践できることもありそう。 ここだけは譲れないってことに対しては今までだってそれなりにやってこれたのかもしれないし。 この講座に同席した知人が、そこで紹介された「アタマにくる一言へのとっさの対応術」(草思社)という本の良さをしみじみと語っていたので、わたしも今度有隣堂で探してみよう。
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