蜜白玉のひとりごと
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土曜日、休み。風邪っけが残るものの、どうしてもお台場へ行きたくて、悪化しないように早めに帰る約束で、相方とふたり出かける。冬のお台場は閑散としている。人が少ない。夏みたいな活気はどこにもなく、さびしい印象。こんな調子で採算が合っているのか、他人事ながらちょっと心配になる。
レインボーブリッジが一望できるレストランでビュッフェ。晴れた冬の日の、一枚ベールがかかったようなぼんやりとかすんだ空を眺め、道を歩く観光客やら犬やらその飼い主やらを眺め、もくもくと食べる。オードブルはともかく、パスタとデザートには改善の余地あり。クーポン券があったから今回は半額くらいだったけれど、正規の値段だったら絶対行かない。
セキレイを見た。セキレイは飛べるのに、どうしていつもちょこちょこと歩いているのだろう。飛べるのに、あえて飛ばない鳥。
風邪は案の定一日では治らず、それでも出勤。今日明日は少し忙しい。土曜日はお台場へ行く予定もある。何が何でも早く治したい。
1月20日発売のku:nelに載っていた手作りかばんがあまりにもかわいくて、近頃はそのかばんを製作した越谷夕香さんのホームページ“xixiang”によく遊びに行く。手作りでここまでできるんだ。眺めてはホーとため息をつき関心の眼差し。手作りの布かばんにぞっこんな毎日。
おばあちゃんはYおばさんに連れられて無事に千葉に到着。今までよりは遠いけれど、会いに行こうと思えばいつでも行ける距離。おばあちゃんの気持ちが元気なだけ、周りも救われる。
2004年01月28日(水) |
風邪/おばさんから電話 |
風邪をひく。のどが痛い。体がだるく熱があるのがわかる。こういうときに無理をするとろくなことがないのでとっとと仕事を休む。体を温めてひたすら眠る。カーテンを半分引いて部屋を薄暗くすると、昼だろうがおかまいなくぐうぐう眠れる。
風邪をひいても食欲は落ちない。むしろ仕事に行かない分、気持ちに余裕があるのでいつもよりもお腹が空くくらいだ。普段あまり食べないおやつもたくさん食べる。
夜、Yおばさんから電話。昨年の夏、おじいちゃんが亡くなってからずっと一人暮らしをしていたおばあちゃん、ついに一人暮らしが困難になり、Yおばさんの家で一緒に暮らすことに。急遽、明日、着の身着のまま移動するという。なんて急な話。
数年ぶりに池袋に行く。ふた駅となりまでは毎日来ているのに、池袋まで足を伸ばすことはなかった。パルコをざっと見てから、西武へ行く。池袋西武は恐ろしく広い。何でもそろっているのだろうけれど、こう広いと目的の場所へたどり着くのがひと苦労だ。北欧雑貨のイルムスを見て、15時半を過ぎたのでジュンク堂へ行く。
ジュンク堂4階のカフェへ。受付を済ませて、オレンジジュースを注文し、入口近くの席に着く。何となく周囲の様子をうかがいながら、鞄からノートとボールペンを取り出す。ひさしぶりの講演会、しっかりメモしなきゃ。オレンジジュースを一気に飲み干す。待つこと5分くらい、小川洋子さんは16時ちょうどにみえて、すぐにトーク・セッションが始まる。
小川さんは想像していたよりもあたたかい感じの方だった。あたたかくて、聡明で、礼儀正しい。質問者の意図を上手にくみ取って、言葉を選んで誠実に返す。はぐらかしたり、曖昧にしたりはしない。作品から受ける印象とはずいぶん異なっていた。そしてそれが私にはなんだかうれしかった。
初期の頃と今とでは作風が変わったと言われるが、それは年齢によるものが大きいというお話があった。私はむしろ最近の作品の方が好きなので、これから小川さんによってどんな物語が作られていくのか、とても楽しみにしている。
講演の内容は 蜜白玉ノート>講演会メモ に書いたので、興味のある方はそちらを見てください。
2004年01月15日(木) |
巨大な謎/『フェルマーの最終定理』 |
【フェルマーの最終定理】
Xn+Yn=Zn (Xのn乗プラスYのn乗イコールZのn乗)
nを3以上の整数とするとき、Xn+Yn=Znを満たす整数解X、Y、Zは存在しない。
これがフェルマーの最終定理とよばれるものだ。この式の意味する内容を理解することはわりと簡単で、たとえばn=2の場合、X=3、Y=4、Z=5は1つの解となる。これは「直角三角形の斜辺の二乗は、他の二辺の二乗の和に等しい」というあの、ピュタゴラスの定理である。そういえば、遠い昔、なんとなく習ったような習わなかったような・・・。
ところが、n≧3になると、とたんにこの式を満たす解は存在しなくなる(らしい)。そして言い出しっぺのフェルマーは「私はこの命題の証明を持っているけれど、余白が狭すぎるのでここには書けない」とぬかしている。これが17世紀のこと。以来、約350年に渡って、プロ、アマチュア問わず多くの数学者がこの最大の謎に挑んできた。
弁護士で数学好きのピエール・ド・ファルマーは、ディオファントスの記した『算術』という何巻にも渡る数学の本を教科書代わりにして、数学を勉強していた。彼は教科書の余白に計算式やら思いついたことやら、あれこれと書き込みをする。フェルマーの死後、息子のクレマン・サミュエルは、父の書き込みの価値を知っていたので、それを整理して『P・ド・フェルマーによる所見を含むディオファントスの算術』として1670年に出版する。【フェルマーの最終定理】が広く世の中に知られたのはこのときである。
私は思う。たしかに証明を書き記すには余白は狭かったかもしれないけれど、何かほんの少しでもヒントをくれたらよかったのに。いや、もしかしたら、フェルマーははったりをかましただけで、実は証明はできなかったのではないのか。そもそも【フェルマーの最終定理】は成り立たないのでは?などと、うがった見方もしたくなる。
それからというもの、世界中の数学者がこの難問に病みつきになり、何人もの優秀な研究者が、その研究者としての人生を棒に振ったのであるが、ついに1993年6月23日、アンドリュー・ワイルズが証明に成功した。と思ったのもつかの間、ワイルズの証明に欠陥が見つかる。ワイルズはなんとかして修正を加えようと試みるが、なかなかうまくいかない。粘って粘って1年半、1994年10月25日、今度は正真正銘、ワイルズが【フェルマーの最終定理】を証明した。
証明を完成させたのはワイルズだけれど、そこに至るまでには、多くの数学者の功績があってこそだ。“谷山=志村予想” “岩澤理論” “コリヴァギン=フラッハ法”・・・などなど。発見した数学者の名前が付いている。日本人が何人も関わっていた。全然知らなかった。
数学がわからなくても楽しく読める。ワイルズが証明を完成させるまでの軌跡を辿るのはわくわくする。そして、証明が完成して【フェルマーの最終定理】が謎でなくなった途端、何とも言えない空虚感が押し寄せてくるのだ。
2004年01月14日(水) |
何でもないことのはずなのに |
物事の核心に目を向けるというのはひどく疲れることだ。いつもはあえて見て見ぬふりをしているその場所を、今はしかたなくじっと見つめる。
やはり動揺してしまう。心臓がドキドキして、さあっと冷や汗が出る。口は乾いてカラカラになる。次第に頭がぼーっとしてくる。
他人の手前、明るくふるまう。自分にとっては何でもないことのように話す。とっくのとうに乗り越えたことのように話す。こんなこと、もう慣れっこなんです。
黙るとなぜか涙が出そうになるので無理に笑う。笑顔がひきつっているのがわかる。頬の筋肉がつりそうだ。ああ、そんなに深刻そうな顔で私を見ないでください。早く終わることだけを願ってしゃべり続ける。
でも。
終わったところで、実は何の解決にもなっていない。ただ今そこにある不快な状況から逃れただけで、問題はあいかわらず頑固に私の中に存在している。
一体いつになったら私はこれを乗り越えることができるのだろう。その時はちゃんとやってくるのだろうか。丸3年。いや、それ以上かもしれない。もうどうしたらいいのか私にはわからない。相談しようにも、うまく説明できる自信がない。
本当に、何でもないことのはずなのに。
休日。お昼前に図書館へ行く。街へ出ると晴れ着姿の女の子とその母親が連れ立って歩いているのを見かける。そういえば、今日は成人式だった。
4冊返して4冊借りる。小川洋子さんの本2冊と数学の本2冊。『博士の愛した数式』を読んでからというもの、急に数学に目覚めた。と言っても、数学の問題をちまちま解いているわけではない。数学を勉強しなくてよくなってからもう何年も経っているし、もともと数学は苦手なので、今さら問題を解く頭は私にはない。
正確には、多くの人間を虜にした数学の“魅力”に興味を持ったのだ。魅力というより“魔力”と呼ぶべきかもしれない。数学の何がそんなにしてまで人を惹きつけるのか。解ける保証もない問題に全人生をかけて挑む「数学者」という種類の人間がとても気になる。
探している本はいつも見るエッセイや読み物の棚にはなさそうだったので、階段を上がって数学のコーナーへ行く。何度も訪れた図書館だけれど、ここは今まで一度も足を踏み入れたことのない場所だ。数学の棚の前には誰もいなかった。斜め後ろの植物学の所に青年が一人いるだけだ。数学のとなりは物理学だ。ふと、数学の棚に向かう自分の姿を思うと、なんだか頭が良くなったような、誇らしい気がしてきた。このわくわくした感じ。未知の世界に首を突っ込むとき特有の、純度の高い知的好奇心が沸き上がって来るのを感じる。めったにない高揚感だ。
目当ての本は2冊とも見つかり意気揚々と家へ帰る。『博士の愛した数式』にも登場した「フェルマーの最終定理」について、まるっきり文系の頭で読んでみようと思う。
2004年01月09日(金) |
冷凍庫/『だれかのことを強く思ってみたかった』 |
一昨日から東京は冷凍庫のように冷えている。特に夜は寒くてかなわない。東京の、このスースーする寒さにはどうも慣れない。札幌みたいに雪があった方があたたかく感じるのはなぜなのだろう。
角田光代『だれかのことを強く思ってみたかった』を読み終える。ショートストーリー17編からなる。途中、佐内正史の写真が見開きいっぱいに広がる。写真には東京のいろんな場所が写っている。その中には場所を特定できるものもあって、例えば、お台場海浜公園の一角だとか東京タワーの近くだとか都電荒川線の鬼子母神前駅なんか。
それに具体的な場所はわからないまでも、なんとなく見たことがあるような、ないような、そんな風景がある。草ぼうぼうの空き地、うらぶれた商店街、壁いっぱいの落書き、柵の向こうの線路、傾きかかった家・・・。どこかで見たような気がする。どこで見たのだろう。その時私は誰とその町を歩いていたのだろう。思い出そうとしてもうまく思い出せない。しまいには、本当に自分が見たのかどうかさえも定かではなくなる。
そんな、東京のどこかであってどこでもない場所で起きる小さな物語がぽつぽつと続く。派手じゃない、むしろ地味でぬるい東京がここにある。
2004年01月06日(火) |
仕事始め/『博士の愛した数式』 |
仕事始め。調子が出ない。それに少し風邪っぽい。
小川洋子『博士の愛した数式』を読み終える。あっという間。あちらこちらで大好評な作品だけに、疑ってかかるように読みはじめたものの、知らないうちに話にひきこまれている。1月18日(日)に池袋・ジュンク堂へ小川洋子さんのトークセッションを聴きに行くから、その予習のつもりだったのだけれど、思わぬところで宝物を見つけた気分だ。
博士のように、楽しくて自由で想像力豊かな数学を教えてくれる人がいたなら、私ももう少し数学ができたかもしれない、などと自分の能力・努力そっちのけで思ったりもする。数、数式というのは人間が生まれる前から既にそこにあって、人間はあとからその存在に気がつく。神様のノートをちょっとのぞき見しているだけなのだ。だからどんな証明もどんな定理も「発明」ではなくて「発見」。なるほど、と思う。
考えをめぐらせていくと、人間の頭の中に宇宙にも似た広がりがあるのを感じる。『博士の愛した数式』にはいくつかの数式が出てくるけれど、決して数学の本ではないので、数学の苦手な人でももちろん楽しく読める。あったかく優しい気持ちになれる物語だ。
2004年01月05日(月) |
お休み最終日/『月魚』 |
お正月休み最終日。家にいるのがもったいないくらいの、ぴかぴかの晴れ。昼間、母と買い物に出かける。お財布を買う。春にお財布を新調するのはいいらしい。ふとんを干して出てきたので、日が傾く前にさっさと帰る。
三浦しをん『月魚』を読み終える。「水底の魚」「水に沈んだ私の村」の2編からなっている。2編とも同じ舞台、同じ登場人物で、別角度から見たお話。男同士の友愛物語とでも呼べばいいのか。色が白く線の細い男と、がっしりとたくましい男が織りなす秘密の物語。読みながら、むしろこれは漫画だったらおもしろいかもしれないと考える。絵があったら美しいではないか。あまりに作りごとめいていて、読んでいる間、私の頭の中には2次元の絵しか浮かばなかった。
あるいは、2時間ドラマでもいいかもしれない。線が細い方の男は及川ミッチー、がっしりした方は佐藤浩一あたりか(単に顔のイメージでしかないけれど)。いずれにしろ「作りこみすぎた不自然さ」がこの物語のおもしろいところだ。
2004年01月02日(金) |
箱根の山登り/ドラマ「向田邦子の恋文」 |
朝起きると箱根駅伝は既に始まっていた。スタートを見逃す。母校は今年こそシード権を取れるだろうか。がんばってなんとか10位以内に入ってほしい。
お昼前には横浜の祖母の家へ。色とりどりのおせち料理、おばあちゃんのお雑煮、合間あいまにビール、とどめはすき焼き。次々とお腹におさめながら、横目でテレビの箱根駅伝を見る。やっぱり往路の花は5区の“箱根の山登り”だ。この5区に今年は妹の知り合いが出場したのでつい応援に気合いが入ってしまう。ある選手は区間記録更新をねらい、ある選手は長距離世界最速のスピードにも迫る速さで快調に走り、ある選手は脱水症状でフラフラになり朦朧としながらも何かに吸い寄せられるように前に進む。箱根温泉の見覚えのある風景の中を若者たちが走っていく。選手が登山電車の踏み切りを通過する時には電車も止まる。
往路を終えた時点で母校は10何位だったか。今年もシード権の獲得は難しそうだ。こうなったら走りきってもらうことだけを考えよう。明日は復路。箱根の山を下って、東京・大手町へ戻る。明日もいいお天気になりますように。
夕方にはおみやげのカニやらお菓子やらをもらって家へ帰る。晩ごはんの時間になってもお腹は空かず、各自が適当に食べたいものを食べて早めにお風呂に入る。
夜9時からドラマ「向田邦子の恋文」を観る。食べすぎて疲れてとても眠いけれど、がんばってテレビに集中する。作家・向田邦子の秘めた恋の話。原作は妹の向田和子さん。観ながら思う。ある意味、隠し事のできる人間は強い。私などぺらぺら何でもしゃべってしまうからそう思うのか(もちろんしゃべる相手は選ぶけれど)。家族にも友人にも内緒の恋。どんな出来事があっても普通の顔でいられるなんて。これは一体どういう強さなのか。ああいう強さが私には足りない。
本棚を眺めながらときどき思うことがある。今もし彼女が生きていたらどんな話を書くのだろう、と。
2004年01月01日(木) |
好きなようにしたらいい、あなたは自由です |
朝起きてカレンダーの表紙をめくって1月にする。あたらしい年のはじまり。
大晦日の夜は遠くに除夜の鐘を聞きながら、11時過ぎには寝てしまう。いつも感じる年末の感慨のようなものも今年は全くなく、カウントダウンをする気もなければ、ゆく年くる年を見るわけでもない。これ以上ないくらいの静かな年越し。
12月31日の次はふりだしに戻って1月1日。2003年が終わって2004年が始まる。こうして勝手に区切りをつけているのは人間で、時間はそんなことはおかまいなしにいつもと同じように流れている。ただどこかに区切りがあると、気持ちを入れ替えたり、新しいことに挑戦したり、何かに踏ん切りをつけたりするのには好都合だ。
さて、今年の目標。
まずひとつ。いろんなことにがんじがらめになっている心を解き放って自由にしてあげること。何にがんじがらめになっているかはここには書けないけれど、がんじがらめになっていると思っていたものはどうやらほとんどが自分で縛りつけていただけのようで(そうでない部分も少しはある)、もしかしたらそうなんじゃないかな、と少し前から気にはなっていたのが、ここにきて決定的に。だから今年はちゃんと自分を自由にしてあげる。
もうひとつ。よわっちい身体にとことん向き合って体質改善、体力増進に努めること。何をするにしてもまずは元気な身体。身体がついていかなくては何もできない。昨年はそれを痛いほど感じた。7月の3週連続微熱や11月のカコキュウなんかがいい例だ。
それからもうひとつ。これは別に書かなくてもいいくらいなのだけれど、本をたくさん読むこと。目標100冊。そして読んだらなるべく早く感想を書くこと。書かないと忘れてしまうし、なにより次に読み返したときに全く違う感想が出てきたりして、最近はそのことがすごくおもしろい。
ちょっと欲張りな目標かもしれないけれど、節目だからいいことにする。今年も愉しく過ごせますように、そして今年こそは健やかに過ごせますように。
みなさまには幸多きことを願って。
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