穏やかな日が続く。 春も闌、歳時記なら、春の尽とか、夏隣とかいう時期である。 あるじは高原の家を開けるべく、蓼科に行った。 我が家のIT化が進み、山の中といえども、インターネットと没交渉ではいられない生活になってきた。 昨年までは、古いノートパソコンを持っていき、ダイヤルアップで繋いで、時間を気にしながらネットを覗いたりしていたが、受けるよりも、発信する方の側にウエイトが大きくなってきたので、今年から夏の山荘にも、インターネットの設備を入れることにした。 現地の業者と交渉して、一番安い方法でネットを繋ぎ、その具合いを確かめに、あるじが出かけていった。 東京と同じには行かないが、何とか出来たようである。 山荘の空気を入れ換え、冬の間締めてあった水通しをし、ついでに現地でのゴルフもして、今週半ばにはいったん帰ってくる。 デジカメを持っていったので、蓼科近辺の写真も撮ったそうだ。 私のホームページの写真は、すべてあるじのデジカメから取り込んでいる。 更新が楽しみである。 インターネット環境が整えば、夏の盛り、暑い東京での暮らしからオサラバして、高原の夏を愉しめる。 連句関係の行事以外は、私は暇なので、今年は、なるべく高原に行きたいと思う。 現地でも、連句をやる人がいれば、もっと愉しいのだが、今のところ、東京以外の人とは、インターネットで愉しんでいる。
息子の妻が昨日入院した。 子宮筋腫の手術のためである。 急に大きくなったので、取らなければダメだと言うことになり、10日間の休みを取って、入院した。 内科的なことではないので、本人は割合元気で、入院に備えて前日遅くまで働いていたらしい。 こんな時、すぐ大騒ぎするのは夫のほう。 息子から、だいぶん前に話はきいていたが、「詳しいことを本人に電話して訊いてみろ」とか、「いつ入院するのか、確かめてみろ」とか、うるさいのである。 「その近くになれば、息子が知らせてくるし、周りが騒いだって、仕方ないでしょう」というのに、落ち着かない。 そこで、先週電話を入れた。 入院の日と、手術の日を訊き、本人の状態を訊いて、あまり心配なさそうなので、静かに、その日を待つことにした。 息子は2日ばかり休みを取り、車で築地の病院まで連れて行った。 私は、何度も入院経験をして、女が入院する時の、留守の家のことや入院の支度などの煩わしさを知っているので、そんなとき、気を使う人間、ことに男などが行っても、何の役にも立たないし、むしろはた迷惑なので、息子の妻の入院については、亭主である息子と、向こうの母親にまかせたほうがいいと考えた。 ただ、手術というのは、思わぬ事故がないとは言えないので、病院に行ってみることにした。 今日は、夜オペラを見に行くべく、チケットを取ってある。 手術予定時間は午後2時、終わるまで待って、劇場に向かうのに間に合う。 私が一足先に病室に行くと、息子と、嫁の母親が、すでに来ていた。 向こうの家は、病院から近く、私のほうは、1時間半近くかかるのである。 そして、向こうの母は「遠くまで、申し訳ありません」と、恐縮して、やはり自分の娘のために来てくれて済まないと言う、娘の母親の態度である。 私のほうは、息子の妻が手術するのだから、親として、立ち会いましょうという気持ちである。 向こうの母は、かいがいしく娘の点滴を手伝ったり、トイレを手伝ったりしている。 姑の出番はないなと、感じた。 そのうちに、私の夫も顔を出した。 手術の順番が遅くなり、予定時間を遙かに超した夕方近くになって、やっと、手術室に呼ばれた。 前の患者の手術が、長引いたとのことだった。 息子と嫁の母、それに私たち夫婦が、手術室近くの待合室に待機することになったが、オペラに行く時間が迫っていた。 そこで、あとを息子と嫁の母に頼んで、劇場に向かったのであった。 オペラは「ラ.ボエーム」。 よい席で、愉しく干渉出来た。 終わって、うちに帰ると、10時半。息子からは、夫の携帯に伝言が入っていて、「手術は無事終わり、病室に帰る準備をしています」とのことだった。 雨模様の一日だった。 「入院は、本人は、ちゃんと医者と看護婦が付いているからいいの。むしろ気を付けるのは周りの人たち。疲れないように」と息子には、言ってあったが、妻と、妻の母親の送り迎えで、ずいぶん疲れたことだろうと、明日からの勤めを控えた息子の体を思いやったのだった。
「若い頃、特に子育てをしていた頃は、人に気を使って生きてきました。 でもある時から、そうしたことは、一切捨てました。 ひとには誠実に、迷惑を掛けないように心がけ、しかし、わが意の赴くままに生きる、それが、基本的な姿勢です。 群れることもキライです。 当然、軋轢はあるし、仲間はずれのようなことにも遭いますが、仕方ないと思っています。 あれもこれも得ることは出来ません。 今の私にとって、大事なものは、自己表現。 サイトを持って、それが幾らか叶うようになりました。 インターネットが出来て、救われています。 かなりのオタクを自認していますが、たぶん、車椅子になっても、パソコン一台あれば、世界は閉ざされずにいられると思います。 ほんの少しの、共感出来る友人と家族、それで充分です。」 偶然見かけたサイトに、「ことばを繋げて遊ぶコーナー」というページがあった。 掲示板で、誰かが書き込んだ内容から、ことばを引いてタイトルにし、あらたに繋げていくものである。 私の「詩詞れんれん」と発想が似ている。 そこで、前の人が書いた文章から、「我が意の赴くままに」を題にして、書いてみた。
連句の会に行く。 この会は、年配のしっかりした女性が運営している。 連句の知識と指導力は言うまでもないが、何よりも、参加する人に対して、いつも「よく来たわね」という気持ちが、隅々まで現れているので、そうした人柄を慕って、月一回の土曜日、あちこちから20人前後の人が集まってくる。 主催者の手作りのつまみやお菓子も魅力である。 午前11時から始まって、終わるのが4時から5時。 そのうちの10人くらいが、そのまま飲み屋に行き、酒肴を愉しみながら、話に花を咲かせる。 今日も、3つの席に分かれての連句のあと、早く終わった席の人たちは、三々五々帰ったが、アフター連句を愉しむ何人かが残って、最後の席が終わるのを待ち、いつもの飲み屋に流れた。 「天敵」がいなかったせいもあり、私も心を許して、会話を愉しんだ。 そのうち、「あなたは少しナイーブすぎて、傷つくのね」と言ってくれた人がいて、急に胸が詰まって、涙を流してしまったのであった。 私のストレートすぎる性格は、時に、あちこちで、疎外される原因になってしまうのだが、今日、そこにいたメンバーは、みな、そういうことを理解して、認めるべき処は認めてくれる人たちだった。 その優しさに触れたからである。 私が身を置いている世界は、連句という共同作品を作る文芸集団だから、生身の人間が、時にあらわになる。 組織の中で、抜きんでようとする人は、政治家顔負けの権謀術数を使って、力のある人に近づき、地場を固めていく。 周りには、お気に入りの人たちを置き、ひとつの派を構成していく。 私は、そういう人たちとは、いつも一線を画し、望まれれば、誰とでも一緒に連句をやる代わりに、誰の配下にもならないという態度を通してきた。 生きる糧を得るためなら、そうはいかないだろうが、風雅の道を究め、遊ぶことに、おのれ以外の何に媚びる必要があるかという、一匹狼の思想である。 ところが、人間社会、どこにいても、群れることがいいと思い、そこに安住したい人種がいる。 そういう人たちから見ると、私のような人間は可愛くないのである。 無視するには、ちょっとばかり存在感があり、目障りなのである。 インテリの、陰に籠もった意地悪ほど、イヤなものはないが、私は、そうした仕打ちを、時々受ける。 たとえば、あとからどうせわかるのに、情報を与えない。 みんなに声を掛けるような集まりから、意識的に外す。 その言い訳として、たとえば、私が老父母を抱えていて、なかなか予定が立たないであろうからと言うことを、配慮するかのごとき、言い方をするのである。 行けるか行けないかは、私が自分で判断して決めることで、人に考えてもらうことではないのだが、それを言い訳に使うのである。 何度かそうした仕打ちを受けた挙げ句、私は、はじめからその人たちとは行動を共にしないことにした。 最近も、ひとつ、連句関係の行事があり、いつも付き合っている人たちに、案内状が来たのに、私には来なかった。 主催者に直接電話すると、「知っていればお送りしたんですが、そちらのグループのどなたかに、まとめてご案内して戴くようお願いしてましたので・・」という返事であった。 つまり、まとめ役を頼まれた人が、誘うか誘わないかの選別をしていたのである。 問い合わせた人は、この次から私には直接知らせてくれる約束をして、「今回もどうぞお越しください」と言ってくれたので、行くことにした。 主催者側は、なるべく沢山の人に来て欲しいと言っているのに、まとめ役が、自分の好みで、人を差別しているのである。 そんな子供じみたことをして、何のトクがあるのだろう。 そうした諸々の思いが、酒席で、思わず涙となって現れたというわけだった。
4,5日前から左の耳に異常を感じていた。 痛いような痒いような違和感があり、耳の入り口が、少しふくらんでいるような気がする。 外出から帰ってきた時、タオルを湿らせて、耳の入り口を拭き取る習慣があるので、その時、少し痛めたかと思った。 耳かきや綿棒は、こわいので、使わないのである。 そのうちに直るかと思っていたが、だんだん痛くなるし、右側も少し痛むようになったので、週明けを待って、午前中に、耳鼻科に行った。 特に行きつけの医者もないので、電話帳で調べ、今後のために、なるべく行きやすく、わかりやすい場所にある医院を探して、自転車で訪ねていった。 駅近くの、上水べりにある医院。 耳鼻科小児科とある。 昼近くになっていたので、患者も多くはなく、あまり待たされずに診察となった。 「これは立派な外耳炎ですね」という。 耳の奥に薬を詰めてもらい、赤外線を当て、抗生物質と消炎剤をもらって、帰ってきた。 人の声が遠くに聞こえ、妙な感じである。 大分前に、一度突発性難聴にかかったことがあった。 その時は、ステロイドで治したが、薬の処方の指示が悪かったために、飲む量を間違え、大病に繋がる事態となった。 患者はシロウトなのに、医者も薬局も、不親切だったからである。 それ以後、薬には、とりわけ神経質である。 今は、医療も、患者のことを多少は考えるようになったが、18年前は、医療関係者主体の考え方だった。 そうした体質は、すぐには変わるものではない。 私は、医療というものに、根強い不信感がある。 医療ミスとしか思えないことで、体をこわされた経験からである。 今、健康でいられるのは、自分から、医療を断ち切った皮肉な結果と自負している。
歳時記の上では晩春。 五月に入れば夏になる。 実際の季感とは少しずれている。 行く春や干潟に靴の跡四つ という俳句を作ったら、ある人が次のように直した。 行く春や靴跡続く遠干潟 「靴跡四つ」というのは、いろいろなことを想像させてしまって、思わせぶりだからと言うのである。 なるほどなと思う。 四つというのは、二人と言うことになる。 靴跡を残して入水心中した二人とまで言わなくとも、俳句には、あまりふさわしくない表現になるのだろうか。 その人は、詩や俳句を長いことたしなんでいて、自分のサイトで、初心者向けに、俳句レッスンを始めた。 昨年のちょうど今頃であった。 私は早速参加し、ネット上の俳号もつくって、「行く春、で二句作りなさい」という課題に取り組んだのである。 初めての俳句、懐かしく思い出す。 その後そのレッスンは、参加者が増えたので、句会に代わり、毎回テーマを変えて、句を募っている。 テーマが、ありきたりの句会とは違って面白いので、途中からメンバーに加えてもらった。 締め切りまでに、テーマに添って投句、互選して、得点順に表示する。 主宰は、一切コメントしないし、以前のような批評も添削もしない。 お互い、ドングリの背比べの中での遊びのようなもの。 俳句の専門家や、結社のようなところでマジメに勉強している人から見たら、これが句会かと思うかも知れない。 でも、参加者たちの俳句は、素人の目から見ても、確実にうまくなっているようだ。 いわゆる俳句の先生に教わっていたら、こういう俳句は出て来ないだろうなと思う。 枠にとらわれない表現、自由闊達さが見られ、時に、感心するような句も見かける。 主宰も、毎回テーマを考え、勝手に作らせて、結果を愉しんでいるらしい。 「素にして野だが卑ではない」と言った政治家がいたが、そのことばが、この人に当てはまるような気がする。 句をまとめて、ネットに載せる段階で、良く単純ミスを侵すので、時々、こっそりメールで教えてあげたりするが、そういうことは、綿密ではないらしい。 だから助手が必要で、このごろは、二人ぐらいの人が、まとめを引き受けている。 趣味の世界では、私と同じ世界にいるが、この人は「野」に徹していて、決して主流には近づかない。 最近、結社をやめたという話をきいた。 大まかなようで、大変繊細な人なので、自然だったかと思う。 自分のことは、元々語らない人なのである。 そして、ひとのことは、やたらに喋らない。 そうしたところが、時に不透明に感じられ、何を考えているかわからない苛立たしさもあるが、逆に、何を言っても信じられるという気がして、私は一時、自分のことをいろいろ話したことがあった。 感情の動きの激しいひとなので、ついていけない感じのする時があった。 でも、こちらが誠意を持って訊いたことには、きちんと返してくれた。 思わぬことで、交流が絶たれてしまったが、信頼をなくしたわけではない。 遠くにいても、いつも気になる人であることに変わりはない。 今は、句会の上だけのつき合いである。 ひとに思い入れが過ぎて、深く付き合ってしまうのが、私の欠点である。 距離を置いて、いいところだけで付き合っていれば、面倒なことにはならない。 寂しいが、それが大人のつき合い方かも知れない。
昼前、突然かかってきた電話の主は、この3年ほど、全く顔も合わせていない人だった。 電話も、確か2年前に話したのが最後である。 そのころ彼女はシャンソンに凝っていて、ステージデビューを果たすと言って張り切っていたのだった。 私は、その前から始まったある人とのつき合いに、心がとらわれていて、そんなことを話したくて電話したのだと思う。 「恋というわけじゃないんだけど、何だかいつも心に引っかかってるの」というと、彼女はとたんに不機嫌になり、「それがどうしたの。結構なことじゃない」と言い、重ねて私が、「ほかのことを考えたいのに、出来なくなっちゃってるの」というと、「じゃ、止めれば」と、冷たく言い放ったのだった。 私は、彼女を、心の通じる友達だと思っていたので、話をきいてもらうことで、気持ちが少しはすっきりするのではないかと思ったから、電話したのだった。 でも、同性の友達の限界がそこでわかった。 女は、自分の友達が、恋などにとらわれることを好まないのである。 つまらないことにうつつを抜かして、と言う批判的な気持ち、その裏には、うらやましさ、嫉妬に似た気持ちもある。 「好きなことで悩んでるんだから、いいじゃないの。とことん突き詰めれば」と彼女は言って、それきり音沙汰がなくなってしまった。 私は年賀状を出したのに、返事も来なかった。 それだけの友達だったのだと思い、私も、それきり電話も掛けなかった。 それが、前触れなしに、今日、かかってきたのだった。 「お元気?」という挨拶に始まって、遣り取りしているうちに、彼女は私に、共通の知人の消息を聞きたくて、電話してきたのだとわかった。 「インターネットですぐ調べられるけど、調べましょうか」というと、連絡先はわかっているので、自分で調べるからいいという。 それなら何で、と思ったが、彼女も、2年前の電話の遣り取りで、後味の悪い切り方をしたのが、気になっていたのかなと思った。 2年も経てば、それがどんな内容だったかも、忘れるくらいのことだし、原因になった事柄そのものが、消滅してしまっている。 2年の間に、彼女は連れ合いの大病や、その心労で声が出なくなり、シャンソンも止めてしまったなどの変化があったらしかった。 「いろいろ大変だったわね」と私はいい、彼女の幸せを祈って電話を切った。 ともだちの意味確かむる四月かな
最近晴れの日と雨の日が、ほぼ一日置きで来る。 一昨日の日曜日は、良い天気で、二つの公園に、お花見に行った。 いずれも我が家から近く、バスで行けるところである。 満開の桜も、もう終わりだろうと思われ、ちょうど日曜日とあって、沢山の人が花を愉しんでいた。 昨日も良かったが、夕方からくずれ始め、今日は、風雨である。 南から振り込んでくるので、雨戸を閉め、別の窓から外の様子など見ている。 このごろ参加しているネット句会、兼題が出されていたが、投句しなかった。 「句断ち」である。 イラクが戦火にさらされている間は、俳句を作る気にならない。 短歌と違って、こういうことは、俳句では表現できないような気がする。 連句は違う。 俳でなく、深刻な時事句も詠み込める。 ネット上では、すでに集まった投句が一覧表示されていた。
昨日と打ってかわって、よい天気。 深川連句会に行く日だが、支度をしているうちに、だんだん行きたくなくなってしまった。 家から1時間半はかかる。 そうして行ったところが、来なきゃよかったという思いを、先月したからである。 昨日、仲のよいY子さんから電話があり、彼女も告別式と重なって、行けるかどうかわからないと言うし、こんな良い天気、お花見にでも行った方が良さそうだと思い直し、連れあいを誘って、井の頭公園に行った。 昨日、雨風がひどかったので、満開の桜も散ってしまったのではないかと思ったが、まだまだ、十分の花見日和であった。 日曜日とあって、家族連れや若いグループが、青いビニールシートを広げて、花見の宴を繰り広げていた。 その間の小道を縫って、歩くのだが、満員電車の中にいるようで、なかなか前に進めないほどだった。 ことに、桜が一番綺麗に見える池の周りは、すごい人だった。 池には、電動式ボートなどが浮かんでいて、カメラを構えて連れ合いは、「ボートが邪魔だなあ」と言いながら、何枚かの写真を撮っていた。 花よりも人の頭のほうが目立つ公園からおさらばして、駅近くで遅い昼食。 それから、バスに乗って、神代植物公園に行った。 一日フリー切符というのを使ったので、なるべく乗らないとソンなのである。 植物公園は、落ち着いていた。 先週来た時は、まだほとんど開花していなかった神代曙も、満開だったし、そのほかの桜も、桃、木蓮、連翹なども、みな見事に咲いていて、愉しむことが出来た。 ビニールシートや、飲んだり食べたりの騒ぎもなく、「こっちの方が良いね」と言いながら、園内を歩いた。 こちらのほうが、写真も良いものが撮れたらしい。 ここに来ると、必ず寄っていくソバ屋に入った。 ここは、蕎麦通の連れ合いに言わせると、蕎麦の味はあまりよくないと言うが、盛りがいいのと、あんみつがおいしいからである。 もう昼食は済んでいたので、あんみつだけ注文した。 具が沢山あり、別に黒蜜がついてくる。 途中で5時になると、もう閉店だと言って、新しく入ってくる客を断っている。 「書き入れ時なのに、商売気がないね」と、連れ合いは笑った。 外に出ると、閉店を知らない客が、駐車場に車を置こうとし、店の人に断られていた。 ちょうどバスが来たので、そのまま乗り込んだ。 降りてからスーパーに寄り、夕食の材料を買った。 花とあんみつで、よい日曜日だった。
今日は、夕方から雨になり、そのせいか、夜が更けるにつれて、少し気温も下がっているようだ。 明日も雨の模様。 桜が満開で、昨日は連れ合いが、近くの大学に散歩がてら花見に行き、写真を撮ってきた。 この花も、今日明日の雨で、散り始めるかも知れない。 バス停のそばにも、大きな桜の木が2本有り、バスを待つ間の花見が出来る。 連句で「花」というと桜になるが、象徴的な意味でも、実景としても、まさに「花」にふさわしいすばらしさを持っているのが、桜であろう。 チューリップ、薔薇などの花も、私は好きだし、花には違いないが、やはりスケールが違う。 咲いても散っても絵になる点で、桜には、ちょっと及ばないのではなかろうか。 福島県の三春と言うところに、大きな桜があって、連句仲間で2度ほど見に行ったが、いずれも、満開に行き会わなかった。 みちのくの花の盛りに遭はむかな と言う句まで作ったのに、残念なことである。 しかし、この句を発句にして、私の尊敬する連句の先輩二人と、三吟半歌仙を巻いてもらった。 ほかのことで集まった後での、そば屋でのことだった。2年前のこと。 私は、まだ連句がよくわかっていない時で、大変エキサイティングな付け合いだったので、忘れられない。 連句開眼というものがあったとすれば、このときの座である。 たった1時間、おそばを食べながら、話をしながらスイスイと句が出てしまったのには、我ながら驚いた。 先輩たちにとっては、記憶に残らないような、何でもない付け合いだったと思う。 ひとりは、昨年夏から交流が途絶え、もうひとりは、ちょっと偉くなりすぎて、気軽に誘うわけに行かなくなってしまった。 作品だけが残った。 私には、特別の愛着のある半歌仙、大事にとってある。
早くも四月。 今年の冬はとりわけ寒かった。 冬の静謐な季節の好きな私だが、さすがに、早く春が来ればいいと思った。 ロンドンにいた時、イギリス人が、いかに春の訪れを待っているかを、つぶさに感じることがあったが、それに近い気持ちだった。 しかし、米英のイラク攻撃が起こり、地球上には、春の喜びを、味わえない人たちがいる。 平和的解決は、望めないのだろうか。 戦争は、憎しみと破壊、いわれなき死をもたらすだけである。 不安そうな目をしたアメリカ兵、彼らも、戦争など望んではいない。 愛する妻や子、恋人を故国に残して、砂漠の中で、苦しい戦いを強いられている。 若い命を、無惨に戦場で散らす残酷さ。 それは迎え撃つイラクの人たちにとっても同じだ。 人類は、今までの歴史の中で、数限りない戦争を繰り返してきた。 その中で、失ったものはもちろんだが、学んだことも多いはず。 沢山の人たちの屍の上に、今日の繁栄があるのだ。そのことを忘れてはならない。 早く戦争が終わって欲しい。 この1週間ばかり、ぐっと暖かくなった。 この冬はことに寒かったので、冬の好きな私でも、早く暖かくなって欲しいと思ったものだ。 幸い、インフルエンザなどにも無縁で過ごしたので、元気ではあったが、やはり、朝は起きにくく、一日の始まりが遅くなるので、家事など、ずいぶんいい加減になり、怠けてしまった。 連れ合いも、心の中では苦虫をかみつぶしているのだろうが、なにか言えば、「じゃ、あなたがやって下さい」と、言い返されるのがわかっているので、黙って我慢しているのである。 自分で食事を作ったり、洗濯したりするくらいなら、我慢するほうがいいというのが、長年かかって会得した、亭主の生きる知恵のようなものかも知れない。 よく、よそのご亭主の話をきくと、自分は何もしないくせに、やたらと口うるさく、奥さんを怒鳴る男が、ある年令以上の世代には、まだいるらしい。 うちの亭主が、そんな人でなくて、私は幸せである。 今日は、今まで着ていた長たらしいスカートを洗濯機に放り込み、短いものに変え、久しぶりに庭の水まきなどして、半日働いた。 一昨日、昨日と続いて、自分のサイトのネット歌仙、独吟が終わった。 この2ヶ月参加してきた、よそのサイトの百韻連歌も終わった。 しばらく、落ち着いて、ほかのことをしたい。
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