オモフトコロアリ。
past / will
2001年01月23日(火) 時は金なり。 

唐突だが、私はつまらない話が大嫌いである。
特に金を払って聞く話がつまらないのには我慢がならない。
話し手には払った金に見合うだけの話をして欲しいものである。

例えば大学の講義。
毎年同じノートを見ながら同じ講義を繰り返す教授。恥ずかしくないのか。
歴史や文法なら毎年変わる訳ではないから仕方なかろうが、政治や経済の、
ダイレクトに社会に通じている講座がそんなことで良いものなのか?

例えば企業研修。
説明する側は自分がわかっているものだから、用語やら何やら、
初心者にとって肝心なところをいとも簡単に飛ばして行く。
また理論ではなく、感覚的説明をしようとする講師がいたりとか。
それでも講師か!
さらに口にする説明と言えば、
渡されたテキストを読めば足りるような話ばかり。
そんな講師は不要である!

…で、なぜこんな話をしているかと言うと、
本日私が受けてきた講習がまさにソレだったのである。
余りに暇なので、落書きか枝毛を探すくらいしかやることがない。
隣の同僚はスウスウ気持ちよさそうに寝息をたてていた。
金と時間の無駄であることよ。

2001年01月22日(月) 時間差攻撃の謎。 

昨日は腕だけだった筋肉痛が、今日は下半身に来た。
この時間差攻撃はなぜに?下半身の方が老けてると言うことだろうか…。
肘に棚が降ってきたおかげで二の腕も腫れているし、
肘から下は筋肉痛を通り越して腱鞘炎になったけど。
ここのところ私が災厄続きなのを見て、
同僚が真剣な顔で「お払いしてもらった方がいいのでは?」と言いだした。
だんだん自分でもそんな気がしてきている。

さて、本日の読書記録。
今朝方13冊目「まどろみ消去」森博嗣を読み終えた。
現在は14・15冊目「幻惑の死と使途」「夏のレプリカ」
共に森博嗣を同時進行で読み進めている。
なぜわざわざ同時進行で読んでいるかと言えば、
「幻惑の死と使途」には奇数章だけが、
「夏のレプリカ」には偶数章だけが納められているからだ。
扱われているのは時系列が重なるだけの全く別の事件である。
別々に読んでも良いものらしいのだが、
どうも私は性格的に順番に読まないと気が済まないのだ。
別の内容だからと言って、筋を追えなくなる心配はしていない。
私は最大4冊を同時進行で読んでいたことがあるのだ。
2冊くらいなら朝飯前。まるで読書版聖徳太子である。

そんな訳で今は1章毎に本を取り替えて、大変な思いをしながら読んでいる。
通勤時には向かない本の読み方である。

2001年01月21日(日) 雪かき。 

昨夜から今朝にかけて埼玉は雪だった。
今日は早くから雪かきなんぞにかり出されたのである。
早速だが、結論。私は雪国には住めない。
1時間ほどの除雪作業ですっかり筋肉痛である。(弱)

それにしてもこういう作業の時、人間が見えるものだとつくづく思う。
私の住まいは団地なのだが、
自分の所さえ雪をどければいいと思っている人がいる。
そういう人は余所の階段や車の前に雪をどけて平然としている。
人が雪かきをしているそばで、子供のビデオを撮っている親がいる。
どいて欲しいとか、手伝って欲しい、とか言うと悪態をつく。
他にも殆ど終わった頃に出てきて、
ホンの形だけやって一番大げさなことを言うとか。
自分は雪かきなど全くしないくせに、
雪のどけ方が悪いだの、この辺がまだ残っているだのと文句を言うとか。
やる事をやっていればまだしも、ともかくイヤな話である。

そんな人間にはなりたくないものだ。しみじみ。

2001年01月20日(土) 珈琲と紅茶、どちらが好きか? 

本日のテーマである。

こう問われれば、私はためらいなく珈琲と答える。
大概一日に5杯ほどは珈琲を飲む。寝る前にも平気で飲む。
こうしてこの日記を打ち込んでいる今も、実を言うと飲んでいる。
以前のアルバイトの関係上、某大手珈琲メーカーで、
美味しい珈琲の入れ方の研修を受けたことまである。
しかし、その割に入れることに関しては紅茶の方が好きだし、得意なのだ。
ある意味で矛盾である。恐らく飲むときの気分に違いがあるのだろう。

私にとって珈琲はのどの渇いたときに飲む、一般的飲み物であって、
紅茶はくつろぎタイムにわざわざ入れて飲む特別な飲み物なのだ。
珈琲を飲むなら手軽な分インスタントの方がよいくらいである。
実際、ある程度名の知れたブレンドなら、
どこのメーカーの何という製品なのか分かるくらい、
インスタント珈琲には世話になっていたりする。

さて話は変わって、本日の読書記録。
8・9冊目「セキララ結婚生活」「7年目のセキララ結婚生活」けらえいこ
10−12冊目「鬼平犯科帳十三〜十五」池波正太郎
と計5冊を一気読みしてしまった。
10冊しか借りてないのに、1日で半分読んでしまってどうするのだろう?
だって面白かったし…。後先を考えずに馬鹿をしでかしたものであるよ。

2001年01月19日(金) 今日も痛すぎる。 

今日はとうとう生○痛でダウン。
月に1度の法定休暇を取る羽目になった。
夕刻になれば少しはマシになるのだが、
朝方などは貧血で枕から頭が上げられない重症である。
こうまで日常生活に差し障りがあるというのに、
薬に保険が利かんとは…ブツブツ。

昨日の話を繰り返してもしようがないので、久しぶりに読書記録をば。
先週末なるべく本を読まずにいたおかげで、
6冊目「名探偵は密航中」若竹七海が月曜一日保った。
そこから読み本のない日々が始まる。
読み返しをしたい気分でもなく、パラパラ漫画などをめくっていたのだが、
昨日とうとう読み物のない生活に耐えきれなくなり、
書棚の奥から持ってはいたけど読んだことのない本を探し出した。
7冊目「一握の砂・悲しき玩具」石川啄木である。

名前は知っていても読んだことのある人は少ないだろう。
一言で言って「暗い」歌風だ。
もう一言付け加えるとしたら「重い」だろうか。
赤貧の生活に疲れ、生きることに厭いた歌だ。
それでも自己愛に満ちている。正直言うと楽しい読み物ではなかった。
太宰治の人間失格を読んだときと同じ様な後味の悪さが残る。
歌集を読むならおおらかな万葉集や、
素直に詠われた古今集の方が私にはあっているようだ。
せいぜい百人一首くらいまでだろうか。

明日は少々身体がきつくても図書館に行って来よう。
一日床について読むものもなしというのは、私にとっては拷問にも等しい。
口中に残る苦みを消し去ってくれる、楽しい本に会いたいものである。

2001年01月18日(木) 痛〜い。 

私は大概において標準をかなり下回った位置で健康を維持している。
どこもここも人より弱いのだが、大病する事もなく、
総じて健康と言える範囲に辛うじてぶら下がっている。
人より丈夫なところといえば、肝臓と骨密度位のものだ。
あとは目が悪い分、聴覚や嗅覚が発達しているとか。
まるで犬である…。

閑話休題

生物学上♀である私は婦人科系もご多分に漏れず弱い。
そういう時期にはヒドク痛むのである。実を言うと今も痛い。
腹痛腰痛は毎度の事で、頭痛・目眩・吐き気がその時々に組み合わされる。
フルコースで来たりした日には目も当てられない。
半病人状態で会社も当然ながらお休みである。
無理に家を出ようものなら途中で行き倒れ間違いなし。

ここからが本日のお題である。ピルの話だ。
現在低容量ピルには保険が利かない。
ピルには生理痛を軽減する働きもあるのだが、
そう言った治療目的の場合においても、である。
かく言う私も使いたくても余りの高値に手が出ないでいる。
これは異なことと言わざるを得ない。
もともとの目的が避妊薬だからと言う理由らしいが、
そもそも避妊の何が悪いと言うのだろう。
避妊は罪だろうか?答は否である。
刑法を紐解いて見るといい。堕胎罪は在っても、避妊罪というものはない。
現実を見てみるといい。欲しくなかったのに出来たと言うので、
赤ん坊を殺したり、虐待したりと言う忌まわしい事件が、
どれほど巷にあふれている事か。
出来あがった一つの命を奪う事と、避妊とどちらが悪いかは明白である。
保険の可否の認定はどこか焦点が狂っていると思わざるを得ない。

夫婦別姓の問題についてもそうだ。
「夫婦が別姓であると家族の一体感を損なう」
と言うのが国会の多数意見だそうだが、
そう思う夫婦は別姓にしなければ良いだけであって、
選択的夫婦別姓の妨げになるものではない。
そのための選択性ではないか?
それとも議員の皆々方はたったそれくらいの判断が出来ないと思う程、
国民を馬鹿にしていると言うことだろうか。

お上のどこかズレた判断のおかげで、
国民の生活が便利になるはずの法案が通らないと言うのは、
納得のいかない事態である。

2001年01月17日(水) 私の知らない世界。 

私の机にはどうもブラックホールがあるらしい。
モノが失くなること、失くなること!!
「あのファイルに入ってるはずなのに?」とか、
「とりあえずここに置いとけば大丈夫だろう…と思ったのに?」等、
不可思議な出来事がたくさん起こるのである。

思うにブラックホールの仕業に違いない。
決して私の始末が悪いからなどではナイ!断じてナイ!
その証拠に思いもかけないところにホワイトホールがあいている。
上司の机の上に逃げ込んでいたり、
入れた覚えのないファイルの中に隠れていたり、
ヒドイものになるとディスプレイの影から這い出して来たりするのだ!
常識的に考えてそんなところにわざわざ書類を隠しておく訳がない。
従って自他共に認める常識人である私がそんなことをする訳はないのだ。
何とも不可思議な話ではないか。

ソレなのに普通この話を他人に聞かせると、
「お前の始末が悪いのが悪い」で済まされてしまう。
全く遺憾なことである。

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