オモフトコロアリ。
past / will
2001年02月13日(火) 鬼平ワールド。 

台東区の生涯学習センターに池波正太郎文庫ができるそうである。
ああ、見に行きたい!

読書記録を見れば分かる通り私は時代小説も読むのだが、
特に池波正太郎は「鬼平犯科帳」が大のお気に入りである。
ここ何日かも22〜24冊目「鬼平犯科帳十九〜二十一」を読んでいるところだ。
何せ長谷川平蔵をはじめとする登場人物が魅力的である。
舞台も細かく書きこまれており、臨場感がある。

 平蔵や与力・同心が食べる食べ物の一つ一つにいたるまで、
 「においのただよってきそうな」
 感じがするものだ。

上の3行はいかにもありそうな書き方を真似てみたのだが、
あの独特の文体もよいのだ。

いくら言葉を連ねて見てもあの魅力は伝えられないだろう。
とにかく読んでいただくのが一番である。
TVシリーズもよかった。池波氏が平蔵を描くのに、
中村吉右衛門の父上である先代松本幸四郎を念頭においたと言うだけあって、
今「長谷川平蔵」を演じるのに中村吉右衛門以上の人はいないだろう。
それでもTVシリーズは小説の魅力に今一つ及ばない。
そう思うくらい私はあの小説にいれこんでいる。

冒頭の池波正太郎文庫であるが、今年の9月頃公開であるらしい。
1度は行ってみたいものである。

2001年02月12日(月) 車のお話し。 

恋人には悪いが、向こうの車がなくなったことで一つだけよかった点がある。
それは自分で車を運転する機会が増えたことだ。
実を言うと私は車に乗るのが好きである。
あまり巧くはないが、運転することが楽しい。
田舎住まいなので季節の移り変わりを感じつつ、
景色を眺められるくらいのんびり運転するのが好きだ。
気づくと制限時速を大幅に下回って、
後ろに車の列を従えていたりするのだが…。

ちなみに運転は好きでも、車自体はさほどでもない。
私にとって車は道具に過ぎない。
雨風がしのげて、不自由なく走ってくれればよい。
荷物が積めて、居住性がよくて、小回りが利けば完璧である。
従ってオープンカーは私にとっては無用の長物である。
雨風がしのげない車など車の範疇を逸する物体でしかない。
車好きの人とは違う感性らしい。

私の知人には事故で一旦車を大破させた後、
ガチガチに補強して車中にパイプを巡らし、
後部座席まで取り払ってしまった人がいる。
こうなると雨風もしのげるだろうし、走りに不自由はなかろうが、
その他の条件はまるで度外視。私には解らない世界である…。

2001年02月11日(日) 変な趣味。 

私の趣味はやや偏っている。なんの趣味かというと、役者である。
例を挙げると、ゲイリー・シニーズ(「身代金」「アポロ13」)、
ゲイリー・オールドマン(「レオン」「フィフス・エレメント」)、
ケビン・スペイシー(「ユージュアル・サスペクツ」「L・A・コンフィデンシャル」)、
サミュエル・L・ジャクソン(「交渉人」「英雄の条件」)などなど…。
比較的若い役者にはあまり興味がない。正統派の二枚目もいない。
(ショーン・コネリーも年取ってからの方が好きなので…。)
クセのあるタイプが好きなのだ。
人には「…そう。」と間のある返事をもらえる趣味である。

そんな私の最近のお気に入りはニコラス・ケイジである。
先週の「救命士」に続いて、今日は「スネーク・アイズ」を見てきた。
彼の何がいいかというと、表情がいいのだ。
普段からしかられたテリヤのような目をしていると思うのだが、
その目が実に良い表情をする。
何とはなしに世をすねたような表情が巧いし、似合う。
作品としての「コン・エアー」や「ザ・ロック」も好きなのだが、
(基本的にアクション映画好きだから)
彼には「リービング・ラスベガス」や「8mm」、「救命士」のような、
やや破滅的な男の役の方が似合うような気がするのだ。
あのしかられたテリヤの様な目には。

2001年02月10日(土) しあわせを感じる瞬間。 

私の場合でいうと、例えば美味しい酒を口にしたときだとか、
作った料理が会心の出来だったとき。
恋人と一緒のとき。上司を言い負かしたとき。
サイト用に切れ味のいい台詞が浮かんだとき。
見事としかいいようのない景色に出会ったとき…。
そんなホンの小さなことで幸せになれる私は、
ある意味で最も幸せなタイプだろうと思う。根が小市民なのだ。

しあわせ。求めるものが多い人は不幸だろう。
小さな幸せに気づかないから。
望むものが少なければ小さなことにも応分の幸せを感じられるものだ。
しあわせは探さなくともどこにでもあるのだから。

何が一番幸せかは分からないが、最もくつろいでいる瞬間は分かる。
私の場合、本を読んでいるときである。
なかでも珈琲を飲みながら座り心地のいい椅子に座っているか、
風呂に入っている状態で面白い本を読んでいる一瞬がいい。
大体において面白い本をあてがっておけば幸せだったりするのだが。

2001年02月09日(金) 疲労困憊。 

ここのところお疲れモードである。
一日おきに飲み会に出ていたりするのが悪いのだが、
それ以前の問題がある。このところよく眠れないのだ。
…寒さのせいで。(爆)

私の部屋は北向きで、もともとすこぶる寒い。
一昨年窓枠を直してもらうまでは、
窓をしっかり閉じて鍵までかけているというのに、
冬用の重たいカーテンがひるがえるほどのすきま風に悩まされたものだ。
それでも今年ほど寒くはなかったように感じる。

それもそのハズ、この冬の寒さはほぼ14年ぶりの水準だそうだ。
釧路では港が全面凍結して船が出せないほどであるらしい。
しばらく出さずにがんばっていたストーブを、至極取り出しにくい、
隠し場所としか思えないようなところから掘り出してきたのも、
窓ガラスに氷が張り付いているのを見つけたせいだ。しかも内側に。
室内が氷点下って、うちはどこにあるんじゃ〜!!
埼玉県中部じゃなかったんかい!!

そう、そんな部屋ではよく眠れるはずもない。
もともと眠いが口癖の私、会社で寝ないようにするにも一苦労である。
それなのに何時に寝ようと、翌日が休みであろうと、
体に染みついた習性が朝6時に私を目覚めさせるのである。
それから寝直すのにもう一度苦労する。
明日はゆっくり寝たいと思っているのだが…。

2001年02月08日(木) 願いごとが一つだけ叶うなら、何を願う? 

そんなの選べません。
もし、1つだけ願いがかなうとしたら?と訊かれたのだけれども。
強いて挙げるなら「願い事が全てかなうように」願うだろう。
…え、ソレは反則?自分でもそう思う。
しかし他の何にも換えられない何か一つなんてものが在るだろうか?

欲しいものはたくさん在るが、
どれか一つを選べと言われれば迷うだろう。
迷うと言うことは代替が利くと言うことでもある。

大切な人も一人ではない。恋人も友人も家族も自分も、
それぞれがそれぞれなりに大事である。
大切な誰かを想う気持ちと言うのは、
軽重をつけられるものではないし、つけるべきものでもない。
世界平和は手に余る願いだし、
自分独りの幸福を願うほど浅ましくはなりたくない。
全人類の幸福を願うほど偽善者でもない。
願い事一つだけ、というのは私にとってはどだい無理な話である。

話題変わって最近の読書記録。昨日までの間に
18〜20冊目「鬼平犯科帳十六〜十八」池波正太郎を読み終えた。
現在21冊目「ヴィク・ストーリーズ」サラ・パレツキーを読んでいる。
図書館で借りた本はこれが最後なので、週末はまた図書館行きである。

2001年02月07日(水) めげる私。 

私は本日ややめげている。何にかといえば、またもや寒さである。
本来なら月曜日に行くはずであった銀行振り込みを、
今日また先延ばしにしてしまうほどだ。

しかし今日は本当に寒かった。
最も気温が高いのが朝方で、午後になるに連れて気温が下がるという…。
ここは本当に関東平野なのだろうか。
夕刻には雪が降り始めた。ますますめげている。

おそらく明日も振り込みには出ないだろう。
私のことだから、明日は明日とて雪にめげているに違いない。
いや、それ以前に会社に着けるのか?
これで明日電車が動かなくなったらどうすれば良いというのだろう?
結論からいうと、そうしたら休むしかないのだが。
何せ自宅の辺りは狐が住むという田舎町、単一路線で他経路なしだから。

振り込み期日は大丈夫か?といわれそうだが、その点は問題ない。
元来せっかちなので〆日の1週間前を期日として決めているからである。
このせっかちさが自分のサイトの更新に反映されないのはなぜだろう?

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