LORANの日記
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人は成長します。
肉体的な成長は、目で見てわかりますし、成長期があります。
精神的な成長の中で、意識の成長は年齢と比例するとは限りません。
意識の成長は、肉体的な成長のようにカーブを描きません。
まるで大きな階段のように成長します。
この階段の1段の高さは、自分の身長よりもずっと高く、自分では越えられません。
この壁は突然現れますが、目には見えません。まるでガラス製のようです。
見えないので思い切り頭を打って、痛みにしばらく耐えなければなりません。
自分は通れないのですが、他の人は何もないようにどんどん通って行きます。
この見えない壁を叩いたり蹴ったりしても通れませんから、絶望してしまいます。
諦めたとき、何かひらめきがあったり、壁の上から手が伸びてきて助けてくれます。
気がつくと、その階段の一段上に自分がいます。
そして、また歩き出します。
またいつか、透明の壁が表れて同じような目にあって助けられ、階段を上ります。
なぜ、すべての人にこの壁が出来ないかと言うと、意識の成長を望んだ人のみの特権
だからなのでしょう。 多分、生まれる前に設定してきたのでしょう。
この文章を読んでいるあなたは、きっと意識の成長を意図してきた人なのでしょう。
意識が変わればすべてが変わります。
人類は今こそ生き残りをかけて、すべてを変えなければならないのです。
「自己責任」と言うと、自分が相手や社会に対する責任を負うことと思う人が多いでしょう。
私がここで言う「自己責任」は、自分の行為や思いが引き起こす結果について、自分が責任を負うことです。
ですから、相手や社会に対してどうのこうのと言っているのではないのです。
私たちは生まれてから今まで生きてきた過程で、様々な選択や決断をしてきました。
今も毎日の生活の中で、あらゆる選択や決断をしなければなりません。
朝何時に起きて、何を食べ、何を着るか、いつ自宅を出て、どの電車へ乗るか、どの車両のどの座席へ座るか、どの出口を出て、どの道を通るか、先ず何の仕事から始めるか・・・。
誰と付き合い、誰と結婚するか、子供は何人、いつ出産し、どう育てるか・・・。
いつもいつも選択をし、決断しなければなりません。
あなたの選択と決断の基準はなんですか?
親や家族の意見、社会常識、みんながやっているから、などではありませんか?
その選択や決断の結果が望まないものであった時、あなたはどうしますか?
相手や家族、社会などに不平や不満を言いませんか?
「言われたとおりにしたのに裏切られた」と言う人がいます。
それは誰のせいですか?
もちろん、裏切った相手のせいですね。
でも、本当にそうですか?
裏切るような相手を見抜けず信じたあなたの責任はどうなるのでしょう?
あなたは自分の人生でその責任を償うことになります。
裏切った相手は、また同じように誰かを裏切って、いつかは酷い目にあうでしょう。
自分の蒔いた種は刈らなければなりません。
先進国の国民は低開発国の人々の犠牲の上に便利・快適な生活をしています。
しかし、いつまでもそんな生活が続くはずもありませんし、すでに精神病や免疫力の低下、基礎体力の低下、アトピーやアレルギーの増加など、自己崩壊が始まっています。
自分や周囲に感謝もできずに不平や不満を言っていれば、その自己責任も取らなければなりません。
瞑想というと、禅宗の禅を想像されるかたが多いでしょう。
瞑想にもいろいろありますが、禅宗の禅を素人にやれと言っても難しいでしょう。
「五蘊皆空」とか「身心脱落」とか「無」になれと言っても、瞑想専業の禅宗の僧侶でさえ何年もかかることを、素人がにわか瞑想でできるはずもありません。
しかし、見方を変えれば可能なこともあります。
LORANでは、「無」になることをやめてしまいました。
五感を持って生まれてきた人間が、それを否定してもうまくいきません。 禅宗の僧侶にお任せしましょう。
それよりも、いまあることを肯定してしまいましょう。
「すべてに仏性あり」と言うのですから、釈迦如来に近づかなくても自分がイメージしやすい存在に近づけばいいでしょう。
光、太陽、地球、宇宙、星、月、山、川、海、空、風、火、木、草、花、・・・。
「仏性=愛・歓び」と思います。
それなら、そのすべてに愛と歓びを見つけ、全面的に感謝してみましょう。
感謝することは、相手と一つになることです。
それができたら、「自分」はなくなります。
「宇宙」と一つになれたら、「自分」というちっぽけな存在など消えてしまいます。
「光」と一つになれたら、自分の中の感情など一瞬で蒸発してしまいます。
意識が変わるのも当然です。
私は、これも「悟り」だと思います。
すべての存在を認め、感謝し、自分のあるがままを受け入れられたら「悟り」と言えるでしょう。
座禅もせずに、椅子にかけたまま、居眠りしながら楽しんでいます。
それでなければ、瞑想を毎日続けることも、生きていることが瞑想であることもできるはずがありません。
だれでも幸せになりたいのに、どうして幸せになれないのでしょう。
幸せになれないのは、こんな私に生んだ親のせいですと言う人がいます。
もっと親に愛されたかったと言う人がいます。
もっと頭がよく、もっと美人なら、もっとお金持ちの親ならよかったと言う人がいます。
あの人と結婚できたらよかったと言う人がいます。
幸せになれない理由を探すと、それはすべて自分以外の人のせいです。
でも、あなたはその人を責める資格がありますか?
あなたは、親があなたを生み育ててくれた以上の恩返しを既にしたのでしょうか?
あなたが着ているもの、持っているもの、食べたもの、住んでいる建物など、それを提供してくれた人々や食品の生命にどれほど感謝しているのでしょうか?
あなたが自分以外の人を責めるのは、実は幸せになりたいのになれない自分を責めているのです。
あなたが絶えず不満を持ち、怒りを感じているのは、自分ではどうにもならない自分に対して、不満や怒りを持っているだけなのです。
毎日作っている不満や怒りのはけ口を、あなたはいつも探しています。
それが親だったり、自分から去っていった恋人だったり、上司や同僚だったりするだけです。
彼らはあなたの被害者にすぎないのです。
もう自分を責めるのをやめましょう。 もう自分が幸せになることを許しましょう。 もう自分が自分と人生を楽しむことを許しましょう。
そうすれば、きっとあなたは幸せになれるでしょう。
米航空宇宙局(NASA)ジェット推進研究所は7月22日、米欧共同の無人探査機カッシーニが撮影した、土星の輪の美しい“天然色”の画像を公開した。 NASAによると、輪の主成分は氷で、画像には純粋な氷は白く、炭素化合物やちり、岩などが混じる量が増えると徐々に濃い色に映る。 カッシーニの高性能カメラは、白や淡いピンク、茶色がかったグレーなど微妙に色が異なる輪のしま模様を詳細にとらえており、土星の輪の成分の解明に大きく貢献すると期待される。 画像はカッシーニが土星の周回軌道に入る前の6月21日、土星まで約640万キロの距離から撮影した。画像に明るく映っているのは内側から3番目のB環と呼ばれる部分で、その外側にA環部分が映っている。(共同通信)
私たちはいつも、人間関係や人間社会の基盤の上に物事を考えています。
頭上の空を見上げていたのは、いつだったのでしょう。 誰もいない海を、一人で見つめていたのはいつだったのでしょう。 丘や山の上で、自分の中を風が吹き抜けるのを感じていたのはいつだったのでしょう。 手に持ちきれないほどの野の花を摘んだのはいつだったのでしょう。
人に気持ちを奪われて、自分を失い、欺きとおして傷つき疲れ果てて生きてきました。
もうやめましょう。 自分を偽って生きることを。 人のためと自分を納得させて、自分に自己犠牲を強要することを。
土星の輪がこんなにも美しいとは、今まで知りませんでした。 自然は偉大な教師です。 私たちが望むなら、無限のプレゼントを与えてくれます。 しかし、私たちは自らの人生と喜びを楽しむことさえ忘れてしまいました。

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