LORANの日記
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「宇宙の法則」には「選択自由の法則」があります。
「どのような選択をしても自由である」という法則です。 なぜなら、その選択をすることで何らかの学びをするからでしょう。 結果が何であれ、その結果をその人生で得るという自己責任のことです。
「選択自由の法則」とは「創造自由の法則」と言い替えることもできます。
「創造」=「想像」です。
「想像」したことだけが「創造」されるのが、この宇宙の特徴です。
保育園や幼稚園の子どもたちは、とても豊かな想像力を持っています。 ですから、毎日、一瞬一瞬が楽しくて仕方がありません。思いっきり歓声を上げて走り回っています。だれも明日のことを心配している子はいません。
成長しおとなになると、現実という悲観的な世界を意識し共有することに同意します。 毎日毎日、心配の世界に生きることになります。 すべてを悲観的に見ることを求められているからです。 万が一を想定することが大切と教えられたからです。 その結果、万が一を想像し、創造することになります。
「O-157」が学校給食という最も管理された環境で発生したことも象徴的です。 教頭始め給食の主任以下必死で万が一を「創造」したのでしょう。 そして、見事にその「創造」に成功したのでしょう。
人類がいかに科学を発達させても、ネガティブな発想に基づいていたら、その結果はネガティブになります。
幼児のように心配しないで生きられたら、きっと人類はすばらしい未来を手に入れることでしょう。
江戸東京博物館で開催中の「oh!水木しげる展」へ行って来ました。
1922(大正11)年生まれですから、82歳になられます。 「ゲゲゲの鬼太郎」や「悪魔くん」という独特の世界を創られました。
ゲゲというのは氏の幼少時のあだ名だったとは、初めて知りました。
体が元気で、画を描くことだけが人生だったようです。
その他のことは、殆ど失敗したと言っておられます。
南方戦線で片腕を無くされて帰還し、紙芝居の絵描きをされていた頃が最も経済的にはたいへんだったそうです。
貸し本漫画家になってたくさんの作品を描きましたが、なかなか日の目を見ることができずにいました。 そんな時、講談社の依頼で描いた「テレビくん」がヒットし、「悪魔くん」、「ゲゲゲの鬼太郎」へヒットが続き出したそうです。
氏の展示会のテーマは、「なまけものになりなさい」です。
お化けや妖怪はなまけものばかりです。
「もっと人生を楽しんでみませんか?」と言っているようでした。
夢を見ない人はいないと言います。
右脳に損傷を受けると夢を見なくなるそうですが、そのような事故を除いては。
荒唐無稽な夢もありますが、とてもリアルな夢もあります。 もう亡くなってしまった人といる夢も見ますし、自分が死んだ夢も見ます。
夢の研究はフロイトの精神分析で有名ですが、彼の言うように性的な原因だけではありません。
夢を見ることで現実との均衡をとっているとも考えられます。
また、デジャヴと呼ばれる既視体験もよく夢に現れます。 その後になって、デジャヴで見た状況に出くわすと、話す人の順番や内容まで事前にわかります。
あまりにもリアルな景色を見ることがあります。
高いところから下の景色を見ているのですが、その一つひとつが遠いのにめちゃめちゃ鮮明で驚くことがあります。 これは、どこか他の次元へ行って見ているのだろうと思います。
現実と夢の違いはなんでしょうか? 夢が現実でないという証明はできるのでしょうか?
わたしは夢もまた現実であると思います。
現実の中でもいろいろな想像をします。 その多くはいろいろな心配でしょう。
また、宝くじを買うときには、1等が当たったらと想像しない人はいないでしょう。
その想像の中にいるあなたも現実のあなたに違いないのです。 それがたとえ、発表までのつかの間の夢であっても。
肉親や恋人を亡くした悲嘆の中にいる時も、その思いもまた夢と同じではないでしょうか?
周囲の人は昨日と同じ普通の生活をしているのに、なぜ自分だけがモノクロームの風景の中にいるのでしょうか?
いろいろな思いの中にいる時も、私たちは夢の中にいるのでしょう。
夢と現実は、きっと同じ世界にあるのでしょう。
「関係ない」という言葉を聞きます。
「関係ね〜じゃん」と若い人が言っていることがあります。
これは若い人だけがそう思っているのではなく、殆どの人がそう思っているのでしょう。 ただ若くない人は、あからさまには言えないのでしょう。
自分の人生で、自分に関係のないことが起こるでしょうか?
自分の人生は、自分の世界です。 自分が考え、自分が創造した世界です。 どんないやなことでも、受け入れられないことでも、自分が創造したのですから、 それを受け入れる以外にはありません。
もし、受け入れられなければ、自分が創造した事実と戦うことになります。 しかし、この戦いには勝ち目がありません。 なぜなら、自分の影と戦うのに等しいからです。 つまり、自分が死ぬまで戦い続けるのです。
自分との戦いをする人はいないと思います。ただ、気づいていないだけですが。 ですから、そこに自分以外の「いけにえ」をでっち上げます。
いわく、「親が悪い」、「先生が悪い」、「友人が悪い」、「恋人が悪い」、「会社が悪い」、「社会が悪い」、「上司が悪い」、「病気が悪い」、「事故が悪い」、「戦争が悪い」、「他の宗教が悪い」、「悪魔が悪い」、「方位が悪い」、「名前が悪い」、「相性が悪い」、「他の民族が悪い」、「他の思想が悪い」、「みんなが悪い」などです。
これらは、自分が原因であることを認めることができないことから起こります。
自分のせいより、他人のせいにした方がらくですから。
原因が自分にあることを認めないのですから、原因がなくなりません。 それで、一生、世を呪い、他人(自分以外)を呪って生きています。 その呪いの波動は病院などに満ちています。病人はそう信じていますから。
「関係ないこと」など、自分の人生には起こりません。
ただ、自分が受け入れられないことを創造することを止めればいいのです。
困難なことが人生では起こります。
何も起こらない人もいるのに、自分だけがどうしてこんな目に遭わなければならないのかと、自分の運命を恨めしく思うこともあります。
誰よりもまじめに努力をしてきたのに、神様は不公平だと思うこともあります。
では、本当に不公平なのでしょうか?
なにも起きない平和で豊かな生活を望むなら、きっとそう思うでしょう。
では、本当になにも起きない人生がベストなのでしょうか?
あなたの人生で、あなたに必要でないことが起こるはずがないのです。 いや、あなたが嫌がっても、嫌っても必要だからこそ、それは起こるのです。 つまり、あなたがそれを選んで起こしているとも言えるのです。
あなたが何回も、何十回も転生を繰り返してきたとしたら、なんの目的があって今回の人生を生きているのでしょうか?
今までの転生で学んだことを生かしながら、なにかを学ぶのかも知れません。
今までの転生が幼稚園、小学校、中学校、高校と進んできたとしたら、今回の人生は大学で今まで以上に学びが多いのかも知れません。
波乱万丈の息を継ぐ暇もないような、スリルとサスペンスに富んでいても不思議ではありません。いや、それこそが今回のあなたにふさわしいのかも知れません。
持てる能力をすべて出し切って命がけで毎日を生き抜くような、充実した人生がふさわしいのかも知れません。その時、自分の能力を知ることができるでしょう。 自分の能力に驚き、自分に自信と誇りを持つことができるでしょう。
それなのに、あなたが平々凡々と居眠りをするような怠惰な人生を望んでいたとしたら、それは大きな間違いであるかも知れません。
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