LORANの日記
DiaryINDEX|past|will
今夜はXmasイヴですね。 それぞれのイヴを楽しまれることでしょう。 残り少ないこの1年間を振り返れば、様々な出来事がありました。
台風の上陸回数も被害額も史上最大でした。 中越地震以外にも震度4以上の地震が多く発生しました。
被災地で住む家を無くされたかたも多いことでしょう。 都会の公園でダンボールにシートを被せて、イヴを過ごしているかたもいます。
どんな人の上にも、光は届いています。 どんなに暗い夜も、いつかはきっと明けます。
冬至から3日目の今日がXmasイヴであることは、興味が深いです。 「一陽来復」の言葉の通りに、日が伸びてきます。 寒さはこれからですが、早咲きの梅は咲き出しています。
今年もあと1週間です。 すてきなイヴをお過ごしください。
昨日書いた日記帳の反戦ビラの訴訟は考えさせられます。
「A4判のビラは「自衛官・ご家族の皆さんへ いっしょに考え、反対の声をあげよう」という呼びかけだった。 判決は書かれた内容を「自衛隊員に対する誹謗(ひぼう)、中傷、脅迫などはなく、ひとつの政治的意見だ」と述べた。さらに「国論が二分していた状況で、ビラはさして過激でもなく、不安感を与えるとも考えがたい」と指摘した。 こうした政治的なビラ配りについて、判決は「憲法21条の保障する政治的表現活動の一態様であり、民主主義社会の根幹を成すもの」と述べ、ふだん官舎に投げ込まれている宣伝ビラや風俗チラシよりはるかに大切であると説いた。 住居侵入に当たる行為ではあるが、配り方は強引ではなく、住民にかけた迷惑も少なかった。刑罰をもって報いるほどの悪事ではない。判決はそう結論づけた。明快な判断である。」
このような簡単で明解なビラ配りであっても、「お上のご威光」に背けば逮捕され75日間も拘留され、8ヶ月もの訴訟になるのです。
国民が平成の惰眠をむさぼっている間に、権力は着々と国民への包囲網を何重にも かけていたのです。
沖縄がアメリカから返還されたとき、その費用を日本が負担するという密約をしま したが、それを国民に知らせずにいました。当時の秘書官が毎日新聞記者へ漏らす と、なんと秘書官は罰せられ、密約した本人はなんのとがめも受けませんでした。
いま、戦争放棄を憲法で明文化した日本がアメリカ、旧ソ連に次ぐ世界第3位の 軍事費を支出する軍事大国になっていることを、国民のどれほどが知っているので しょう。
中国や韓国がなぜ総理大臣の靖国神社参拝に神経質になっているのかと言えば、日 本は表面的には平和国家ですが、世界第3位の軍事大国であることを国民へさえ周 知させていない危険な国だからです。その軍事費は中国と韓国の合計より大きい のです。
イラクへの自衛隊派遣は憲法違反が明確であるのに、与党連合と民主党のなれあい 国会決議で認められました。 民主党はかって自民党のトップだった細川総理、羽田総理、海部総理と小沢幹事長 らが率いている政党ですから、思想や主張は自民党と同じです。 野党を看板にして与党の政治を目指すとても危険な政党と言えます。
私たちは政治は関係ないと思っていますが、いつの間にか戦争に組み込まれ、加害者にされています。
いま、しっかり目覚めなければ後世に大きな悔いを残すことになります。
2004年12月20日(月) |
イラク反戦ビラ配り判決 |
朝日新聞 12月19日付より
イラクへの自衛隊派遣に反対するビラを防衛庁官舎の郵便受けに配り、住居侵入の罪に問われた東京の市民団体の3人に対して、東京地裁八王子支部で無罪の判決が言い渡された。
逮捕した警察、起訴した検察の全面的な敗北である。
そもそも身柄を拘束したり、起訴したりする必要のない事案だった。2月末に逮捕され、5月まで75日間も勾留(こうりゅう)し、公判は8カ月に及んだ。無罪の結論を出すのが遅すぎたくらいだ。
被告とされたのは、「立川自衛隊監視テント村」という反戦団体に属する男女3人。職業は中学校の給食調理員と介護会社員とアルバイトである。今年1月と2月、東京都立川市内にある防衛庁官舎の敷地に入り、宿舎8棟のドアの郵便受けにビラを配って逮捕された。
「イラク派遣が始まって隊員や家族が緊張している時期に、玄関先にビラを放り込まれるのは住人として大変不快であり、家族も動揺した」。証人として出廷した自衛官ら3人は口々に訴えた。
確かに、先遣隊、主力第1波、第2波と派遣が進み、各地の自衛隊にピリピリした空気が漂っていた時期だった。
A4判のビラは「自衛官・ご家族の皆さんへ いっしょに考え、反対の声をあげよう」という呼びかけだった。
判決は書かれた内容を「自衛隊員に対する誹謗(ひぼう)、中傷、脅迫などはなく、ひとつの政治的意見だ」と述べた。さらに「国論が二分していた状況で、ビラはさして過激でもなく、不安感を与えるとも考えがたい」と指摘した。
こうした政治的なビラ配りについて、判決は「憲法21条の保障する政治的表現活動の一態様であり、民主主義社会の根幹を成すもの」と述べ、ふだん官舎に投げ込まれている宣伝ビラや風俗チラシよりはるかに大切であると説いた。
住居侵入に当たる行為ではあるが、配り方は強引ではなく、住民にかけた迷惑も少なかった。刑罰をもって報いるほどの悪事ではない。判決はそう結論づけた。明快な判断である。
イラク開戦とそれに続く各国軍の現地派遣をめぐっては、世界のあちこちで大規模な抗議活動が繰り広げられた。欧州では、ベトナム反戦デモを上回るうねりとなった国も多かったが、日本では際立って低調だった。
滞在中たまたま日本の反戦デモを見た外国人たちはその規模の小ささ、若者の少なさに驚いた。理由はいろいろあるだろうが、ビラ配り事件にあらわれた警察の過敏な取り締まりも一因だろう。
自分の気に入らない意見にも耳を傾けてみる。それは民主主義を支える基本である。派遣を控えた自衛隊員にとっても、同僚や家族と全く違う意見を目にするのは無駄にはならないはずだ。くだらない意見だと思えば捨てればいい。
そんなところにまで警察が踏み込むのは危険きわまりない。判決はそう語っている。
2004年12月19日(日) |
第4回なごやすぴこん |
昨日は「なごやすぴこん」でした。 第1回と同じ国際会議場でした。すばらしい施設でした。 会場はゆったりとしていましたし、ご来店のお客様もすてきでした。
今回で3回目の「光の卵」のワークをミニ・ワークショップでさせていただきました。 30分という短い時間でしたが、皆様に「光の卵」を作って差し上げました。 その後、休憩室で8人のかたに差し上げました。
とても敏感なかたばかりで、光が入ってくることをよく感じておられました。
皆様に感謝するとともに、これからのご多幸をお祈りしています。
1929年、南ドイツ・バイエルン州で生まれたミヒャエル・エンデは29歳の時書き上げた処女作「ジム・ボタンの冒険」に始まり、43歳で「モモ」、50歳で「はてしない物語」を完成し、名声を不動のものにしました。48歳の時来日し、その時旅の伴侶をした佐藤真理子氏と、60歳で2度目の結婚をしています。66歳で亡くなりました。佐藤真理子氏は「はてしない物語」の共訳者でもあります。
「はてしない物語」は完成までに3年をかけた590ページにも及ぶ大作で、映画「ネバーエンディングストーリー」の原作です。
10〜11歳の記憶力も運動神経もあまりない平凡な太った少年が主人公です。 雨の日にいじめられそうになって逃げ込んだ古本屋で見つけた本を盗んで逃げて、教室の天井裏の倉庫で読み始めます。
本の中の世界と少年がいつの間にか一つになり、本の中の世界が崩壊寸前に少年が行って大きな働きをします。
お礼にその世界で望むものが実現することになりますが、実現する度に現実の世界の記憶が一つづつ消えていきます。 ついに記憶が最後の一つになったとき、少年はたいせつなことに気づくことによって現実の世界へ帰ってきます。
訳者・上田真而子氏の言葉を借りれば、 「エンデの中にある子ども、エンデの言葉でいえば、「永遠に子どもなるもの」が全身全霊で遊ぶとき、今そのときの心にあることがすべておのずから吐露(とろ)されるのでしょう。」
もし、まだ読まれていないならお勧めする1冊です。
|